米内穂豊画伯の苦悩
五月上旬、米内画伯に対し、新しい旗章の図案を依頼した。ところが、それから十日程たって連絡があり、「既に二十枚程の案を描いて見たが、どうしても自分の意に満たない。もし、軍艦旗の寸法があれば参考にしたい。」との申し出でがあつた。軍艦旗の制式を届けて更に五日程して、また連絡があり、米内画伯は「旧海軍の軍艦旗は黄金分割による形状、日章の大きさ、位置光線の配合等実に素晴らしいもので、これ以上の図案は考えようがありません。それで、旧軍艦旗そのままの寸法で図案を一枚書き上げました。これがお気に召さなければ、ご辞退致します。ご迷惑を御掛けして済みませんが、画家としての良心が許しませんので。」という申し出であった。この図案は、新しいものを追求し、その新しいものが旧軍艦旗と一致したものとして、第二幕僚監部に届けられた。その後の自衛艦旗の決定に際して吉田首相は、終始和やかに説明を聞かれたのち、「世界中でこの旗を知らぬ国はない。どこの海に在っても日本の艦であることが一目瞭然で誠に結構だ。旧海軍の良い伝統を受け継いで、海国日本の護りをしっかりやってもらいたい。」との意向を述べられたという。
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