余録

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余録:大統領の「演説」

 英語で「ぬれた毛布」とは火事を消す時に使うことから転じて、人をしらけさせた時のたとえである。リンカーン米大統領はある演説の後、「あれは『ぬれた毛布』みたいだった。もっと草稿を練ればよかった」と気に病んだという▲その演説が「人民の人民による人民のための政治」で有名なゲティズバーグ演説だった。わずか272語からなる約3分間の演説は、雄弁で知られた人物の2時間の大演説の後に行われ、疲れた聴衆の関心を引かなかった▲写真家が三脚を立てる間もなく終わったこの演説が注目されたのは、筆記が新聞に載ってからだ。それが後に世界史上屈指の名演説とされるようになる。いわば危機における米大統領の精神的指導力のお手本である。ならばオバマ大統領の一般教書演説はどうだろう▲目を引いたのは中国などの台頭を旧ソ連の人工衛星スプートニクの出現になぞらえ、米国の競争力への危機感を示したくだりだ。「苦しいことだが、ルールも世界も変わったのだ」という意識改革の呼びかけは、また「未来の勝利」への国民的結束の訴えかけでもある▲そして「我々の課題は政党や政治より大きい」との超党派の協力の訴えだ。どこかで聞いたようなと思えば、こちらも野党が一院を握る「ねじれ」は日本と同じだ。問題の根はグローバル経済に引き裂かれた先進社会における民主政治の機能不全という点で共通する▲回復気味の支持率を背景に再選戦略を描き始めたともいう大統領だが、さて演説は国民の心に火をともせたのか。イエスと思ったら、実は「ぬれた毛布」だったという逆ゲティズバーグでなければ幸いだ。

毎日新聞 2011年1月27日 0時01分

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