満州は、日本の理想をすべて叩き込んだ約束の地でもありました。
左派の人から満州を見れば、日本の侵略の縮図と見る人もいるでしょうし、右派の人から見れば、日本の生命線であり、日本の防衛上、満州を日本の管理下としなければならなかったと考える人もいるでしょう。しかし、そうした視点を離れ、満州の地の建物や土木構造物を見てみると大日本帝国の先人の努力の跡を垣間見ることもできるのです。
瀋陽駅周辺のエリアは、中国政府の意向として、そのまま残しています。このタクシーの運転手がしずかに、ゆっくりと我々家族が昔の建物を見えるように、走りました。そしてタクシーの運転手は、こう解説しました。
「瀋陽駅、瀋陽ヤマトホテルほか、これら一連の満州国時代の建物郡は永久に保存することとなっています。すなわち、中国政府としてはこのような遺構を残し、日本からの侵略を忘れないという考えです」
この瀋陽の中心街の建物をそのまま残す中国人のしたたかさを痛感したわけですが、中国人の思惑とは別に、日本人の私はこれらの建物郡をそのまま残してくれたことにふと感謝したのです。何故ならば、日本では建物所有者の意向により、歴史的建造物だとしても毎年、かなりの建築物が破壊されています。日本建築学会は毎月のようにこの建物を保存して欲しいという要望書提出していますが、ほとんど効果がありません。当時の日本をこの満州の地で見ることは、年配の人は一種ノスタルジーを感じることができるでしょう。韓国では愚かしいことに、朝鮮総督府を金泳三大統領の鶴の一声で破壊してしまいました。そこに中国と韓国の大きな差異があるように思います。中国では心血注いで満州鉄道が作った満鉄のインフラがそのまま残っていますし、満州車両もいまだに現役であることも脱帽します。そしてさらに、この車両と昭和30年代頃の車両のスピードが変わらないことについても当時、広大な理想をもった都市計画がなされたことは容易に想像がつくのです。
丹東から瀋陽に戻る時はこの満州鉄道を利用したのですが、丹東での船酔いが残り、一時は降りたいと思いました。正直言いますと車両は不衛生ですし、人の声もうるさくて静かに感傷に浸る旅でもありませんでしたが、それでも最後はこの満州鉄道に乗ってよかったと思いました。
よろしくお願いしますm( _ _ )m
今頃の事ですから、役に立たなかったら直ぐ壊すでしょう。
上海の外灘の建物も価値があるから残しているように思えます。現に観光名所です。
三月のこちらの新聞に、日本敗戦の時、日本軍は上海をぶち壊したかった、と言う記事が出ていました。
日本人はそんなことしないよ、と言うことで、中国人とちょっと言い合いになりました。
日中戦争で中国の文化財も大体壊さなかったし、自分の作った満州国の建物、工場なども壊さずに中国に引き継いだと思うのですが、どうなのでしょう?
確かに東北地区には戦前の建物が多く残っていますね。
壊すのは簡単ですけど、作り直すのは容易なことではないですからいいことだと思います。
今の建物は壊れるように作ってるといいますし、昔の建物の方が逆に頑丈だったりしますよね。
撫順駅は最近改装してきれいになりました。
あとは古い橋が残っていたり、日本との関わりが深かった場所だということが感じられます。
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