本日、中国・瀋陽から帰ってまいりました。
まず結婚式も無事終わりましてまず一息ついているところであります。今回の旅行のこと、朝鮮族結婚式のことはおいおいとゆっくりご報告するとしまして、まずはこの場を借りまして皆様からの暖かい激励のお言葉を頂きまして厚く御礼を申し上げます。今回も朝鮮族への取材、旅行いろいろなことを通じて最新の朝鮮族社会を引き続きレポートして参ります。
そのレポート初弾のテーマは、ずばり「結婚」です。
嫁などの多くの朝鮮族が話している言葉借りれば、今の中国の朝鮮族だけではなく、中国全体の大きな問題の一つが結婚です。分かりやすくいいますと、結婚に掛かるコストが高すぎて結婚を敬遠したり、独身主義を貫く人々が生まれているということです。
そもそも中国は昔といっても文化大革命時代の話ですが、中国人は結婚に掛かる費用はゼロ円だったといっても言い過ぎではなかったのです。私は昔、「赤色年代」という中国文化大革命ホームページを作ったことがあるんですが、当時の結婚式をした人に取材すると、毛沢東国家主席の写真の前で「結婚します」と宣言し、証人者の立会いの下で証書を作ればそれで結婚は成立したものでした。
ちなみに、毛主席死後の中国では三種の神器と言われていた物が、「時計」「自転車」「ミシンもしくはラジオ」だったそうでそれを揃えることが結婚の条件だったそうです。
80年代に入ると、新婚旅行というものが流行していました。当時は郊外から市内に入り、食事をすることも大きなデートスポットでこの時まではまだまだ分相応な結婚式が主流だったといえます。
90年代になると次第に頭が痛くなります。新婚になると家を買うことが次第に定着し始めこの家のことで悩ませることになります。当時の結婚でのコストはスーツや結婚式に着る服の費用が1.5万元、家電が1.5万元、花代が1.5万元、写真が2000元、指輪などアクセサリーが5000元というところです。この当時、工場で休み無く働いても500〜800元というところで、次第に派手婚となってきます。
しかし最近の中国のインターネットなどでの資料によると、結婚式に掛かるコストは56万元だという。俄かには信じられませんが上海などの都会ではこのくらいかかるという。ちなみに56万元というのは、現在のレートで約771万円。上海のサラリーマン男性が20万元資産があって年収6万元を稼いでいるとしても6年間飲まず食わずやっと結婚できる計算になる。
そのため、結婚後の後遺症はとても大きいものになっています。結婚後の中国人民は一つはカードの奴隷になり、二つ目は住宅ローンの奴隷になるわけで、そのためか今の若者は結婚したがらない傾向が増えているのが現状と言えます。
そもそも日本よりも稼いでいない人々日本よりもはるかに派手な結婚式をやることは大間違いであり、誰かがどこかでブレーキをかけないとどうしようもないことはみんな分かっているんですけれど誰もその旗振りをしようとする人はいません。
嫁の友達の朝鮮族の人々も結婚は頭の痛い話で、女性も寂しいときや辛いときは彼氏がいた方がよいけれどそれでも結婚になるとちょっと遠慮したい、お金をためないと結婚は難しいという声も聞かれます。
私の場合は実は日本人でありますが嫁と私の希望もあり、できるだけ費用を抑制しましたがそれでも結納金を含めて総合計すれば200万円くらいかかったでしょうか。もしブレーキをかけなければ400万円は軽くいっていたはずです。日本人であればもっとすべてが派手にやるとかそういう思惑のあった方もおられるかも知れませんが、世の中には分相応というものがあるはずです。それは借金をすればいくらでも派手にやることは可能ですが、そんな馬鹿馬鹿しいことはありません。
しかも今回は嫁方のご実家の厚い協力なしではでき得なかったことなので、もしも嫁も嫁方のご実家がイケイケドンドンであれば、日本の倍近くの結婚式がかかったことは容易に想像できたことであります。
特に今回は嫁のご実家の義父様、義母様、義姉様、義兄様の方々のご理解が無ければここまでうまく運べなかったでしょう。そういうことで本当に感謝しているところです。今この恩義はどのようにして返礼すべきか思案しているところです。


よろしくお願いしますm( _ _ )m
まず結婚式も無事終わりましてまず一息ついているところであります。今回の旅行のこと、朝鮮族結婚式のことはおいおいとゆっくりご報告するとしまして、まずはこの場を借りまして皆様からの暖かい激励のお言葉を頂きまして厚く御礼を申し上げます。今回も朝鮮族への取材、旅行いろいろなことを通じて最新の朝鮮族社会を引き続きレポートして参ります。
そのレポート初弾のテーマは、ずばり「結婚」です。
嫁などの多くの朝鮮族が話している言葉借りれば、今の中国の朝鮮族だけではなく、中国全体の大きな問題の一つが結婚です。分かりやすくいいますと、結婚に掛かるコストが高すぎて結婚を敬遠したり、独身主義を貫く人々が生まれているということです。
そもそも中国は昔といっても文化大革命時代の話ですが、中国人は結婚に掛かる費用はゼロ円だったといっても言い過ぎではなかったのです。私は昔、「赤色年代」という中国文化大革命ホームページを作ったことがあるんですが、当時の結婚式をした人に取材すると、毛沢東国家主席の写真の前で「結婚します」と宣言し、証人者の立会いの下で証書を作ればそれで結婚は成立したものでした。
ちなみに、毛主席死後の中国では三種の神器と言われていた物が、「時計」「自転車」「ミシンもしくはラジオ」だったそうでそれを揃えることが結婚の条件だったそうです。
80年代に入ると、新婚旅行というものが流行していました。当時は郊外から市内に入り、食事をすることも大きなデートスポットでこの時まではまだまだ分相応な結婚式が主流だったといえます。
90年代になると次第に頭が痛くなります。新婚になると家を買うことが次第に定着し始めこの家のことで悩ませることになります。当時の結婚でのコストはスーツや結婚式に着る服の費用が1.5万元、家電が1.5万元、花代が1.5万元、写真が2000元、指輪などアクセサリーが5000元というところです。この当時、工場で休み無く働いても500〜800元というところで、次第に派手婚となってきます。
しかし最近の中国のインターネットなどでの資料によると、結婚式に掛かるコストは56万元だという。俄かには信じられませんが上海などの都会ではこのくらいかかるという。ちなみに56万元というのは、現在のレートで約771万円。上海のサラリーマン男性が20万元資産があって年収6万元を稼いでいるとしても6年間飲まず食わずやっと結婚できる計算になる。
そのため、結婚後の後遺症はとても大きいものになっています。結婚後の中国人民は一つはカードの奴隷になり、二つ目は住宅ローンの奴隷になるわけで、そのためか今の若者は結婚したがらない傾向が増えているのが現状と言えます。
そもそも日本よりも稼いでいない人々日本よりもはるかに派手な結婚式をやることは大間違いであり、誰かがどこかでブレーキをかけないとどうしようもないことはみんな分かっているんですけれど誰もその旗振りをしようとする人はいません。
嫁の友達の朝鮮族の人々も結婚は頭の痛い話で、女性も寂しいときや辛いときは彼氏がいた方がよいけれどそれでも結婚になるとちょっと遠慮したい、お金をためないと結婚は難しいという声も聞かれます。
私の場合は実は日本人でありますが嫁と私の希望もあり、できるだけ費用を抑制しましたがそれでも結納金を含めて総合計すれば200万円くらいかかったでしょうか。もしブレーキをかけなければ400万円は軽くいっていたはずです。日本人であればもっとすべてが派手にやるとかそういう思惑のあった方もおられるかも知れませんが、世の中には分相応というものがあるはずです。それは借金をすればいくらでも派手にやることは可能ですが、そんな馬鹿馬鹿しいことはありません。
しかも今回は嫁方のご実家の厚い協力なしではでき得なかったことなので、もしも嫁も嫁方のご実家がイケイケドンドンであれば、日本の倍近くの結婚式がかかったことは容易に想像できたことであります。
特に今回は嫁のご実家の義父様、義母様、義姉様、義兄様の方々のご理解が無ければここまでうまく運べなかったでしょう。そういうことで本当に感謝しているところです。今この恩義はどのようにして返礼すべきか思案しているところです。
よろしくお願いしますm( _ _ )m
中央政府は人口抑制に躍起になっているようなので、結婚を敬遠する風潮をむしろ歓迎しているかもしれないですね。
>この恩義はどのようにして返礼すべきか思案しているところです。
やっぱり、孫の顔を拝ませてあげるのが一番のご恩返しになるのではと(^^;
いつまでもお幸せに!
江蘇省の我が会社でも労働節の間に2人結婚しました。地元の女性の式には招かれて、昼、夜、各20皿以上の食事(甘い蘇州味)が続き招かれた方も大変でした。ケータリングでこれだけ種類を出すのですから、中国の料理人の腕前はなかなかのものです。
ただ、着て行く服にはあまり気を使わなくて良いので気は少し楽です。
ま新しい嫁さんの実家(農家)で行ったのですが、客は300人位かな。隣の家も借り切って休憩所になっていました。
ほんと彼らの給料を考えると大変な物入りだと思います。
20年前に結婚した人の話では、丸テーブル6卓くらいでささやかにやったとの事。
私の住んでいる町でも時々花嫁さんの派手な車列を見ますが、こちらの様に裕福な土地ではものすごく派手になっていますね。
1970年に韓国の大学に行ったとき、結婚式に出くわしたのですが、派手なのを止めようと言う運動が当時あり、ティーパーティーだけの簡素なものでした。
今はまた派手婚に舞い戻っているのでしょうね。
次は親父の田舎の山形に行きまして、田舎でお披露目する予定です。こちらは単に食事するだけで気が楽なものです。