昭和初期の日本というのは我々が想像する以上に貧しい時代でした。このことは、いずれ別のブログとして「日本下層階級の研究」として書くつもりでいて、その資料を集めているところです。そうしたことで最近はよく神田神保町の古本屋街に行き関連資料を集めていますが、「病める社会」by椎名龍徳という本を見つけて参りました。この人は小学生の教師をやっていてたまたま貧民町の生徒を受け持っていたため、そうした下層階級の悲喜こもごもを実に鮮やかに書いています。
こうした日本の下層階級の研究は、「最暗黒の東京」「日本の下層社会」などからはじまり、今日のホームレス研究に至っておりまして、その大家が東京都に勤務していた草間八十雄の研究があげられます。
この「病める社会」の中で、李君という朝鮮人も出てくるのですが、昭和4年の当時の日本は、洪水のごとく朝鮮人が密航してきた時代でしたが、この本によると、日本人でも職がなかったので、当然朝鮮人にも職はなく大変な時代で、木賃宿に泊まっていたものの路銀も尽きたので、李君が退学届けを出し、朝鮮に帰ると先生に告げたことからはじまります。
当時の朝鮮人は日本に来ればなんとかなると過大な期待を寄せたようですが李君の母親がなくなったりかなりの苦労があったようです。李君は朝鮮に帰る事がこの小品は終わりますが、おおむね朝鮮人に失望を与えたことは間違えありません。もちろん、彼らは強制連行できたわけではなく自由意志できたわけですが、こうした李君のような人々が後の在日韓国朝鮮人社会を形成し、満州にわたった朝鮮人が中国朝鮮族社会を形成していくわけです。


よろしくお願いしますm( _ _ )m
こうした日本の下層階級の研究は、「最暗黒の東京」「日本の下層社会」などからはじまり、今日のホームレス研究に至っておりまして、その大家が東京都に勤務していた草間八十雄の研究があげられます。
この「病める社会」の中で、李君という朝鮮人も出てくるのですが、昭和4年の当時の日本は、洪水のごとく朝鮮人が密航してきた時代でしたが、この本によると、日本人でも職がなかったので、当然朝鮮人にも職はなく大変な時代で、木賃宿に泊まっていたものの路銀も尽きたので、李君が退学届けを出し、朝鮮に帰ると先生に告げたことからはじまります。
当時の朝鮮人は日本に来ればなんとかなると過大な期待を寄せたようですが李君の母親がなくなったりかなりの苦労があったようです。李君は朝鮮に帰る事がこの小品は終わりますが、おおむね朝鮮人に失望を与えたことは間違えありません。もちろん、彼らは強制連行できたわけではなく自由意志できたわけですが、こうした李君のような人々が後の在日韓国朝鮮人社会を形成し、満州にわたった朝鮮人が中国朝鮮族社会を形成していくわけです。
よろしくお願いしますm( _ _ )m