字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ
光文社新書『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(太田直子著)を読んだ。読みやすい文体で、非常に面白い内容だった。著者の太田直子氏は映画字幕翻訳者である。
外国映画の字幕を作成する翻訳者(字幕屋)は、英語のセリフを100%聞き取れるくらいの英語力は持っているものだと思い込んでいたら、それがそうでもないらしい。
字幕や吹き替えに頼ることなく、ナマのせりふを自分の耳で聴き取って外国映画を楽しめたらどれほどいいだろう。辞書を引くことなく、すらすら外国語が読めたらどれほど楽ちんだろう。ああ、あこがれのバイリンガル。わたしには夢のまた夢だ。
と著者自身、書いている(p.37より引用)。これが一番印象的だった。すべての字幕翻訳者がそうではないだろうけれど、字幕翻訳者が英語のせりふを全部聞き取れず、英語台本を読みながら、辞書を引きながら翻訳しているのは意外だった。せりふをすべて聞き取れるかどうかは翻訳者の能力に依存するので一概には言えないが(中にはすべて聞き取れる人もいるだろう)、英語台本を見ながら訳すというのは一般的なスタイルらしい。
かくいう私もTOEICのスコアは950、リスニングが485、リーディングが465。満点が990点だから、リスニングは満点に近い点数なのだが、映画のせりふはさっぱり聞き取れない。これは映画の種類にもよって、OO7シリーズならだいたいわかるが、シュワルツネッガー主演映画になるとさっぱりである。なまりのある英語だと全然だめということだ。TOEICの高得点者で似たような話はよく聞く。日本語の達者な外国人が吉本新喜劇や寅さんを見てさっぱりわからないと言ってるのと同じであろう。
字幕作成でいちばん能力を必要とするのはせりふ1秒あたり4文字以内におさめるという字数制限だそうである。これは少しくらい融通を利かせて欲しいと思う。字幕を短くしたせいで逆にわかりにくくなり、観客がそこで意味を考え込むため、映画に集中できないという事態が起こりうる。実際、私が映画を見ていると、短く略された字幕の意味がとりにくいことがよくあって映画に集中できないのだ。
こんな例が載っていた(p.34)。
むっつり黙り込む女に男が問いかけるシーン。
男「どうしたんだ」 → 五文字以内
女「あなたが私を落ち込ませているのよ」 → 五文字以内
男「僕が君に何かしたか」 → 五文字以内
これらを字数制限にあわせて改変すると
男「不機嫌だな」
女「おかげでね」
男「僕のせい?」
著者の太田さんも書いているが、2番目の「おかげでね」がかなり苦しい。私が映画の観客だったらすんなりいかず、数秒考えて意味がとれるだろう。字数制限オーバーでも「あなたのせいよ」くらいの方が、見ていて引っかからなくてよい。
英語以外の言語の映画で、英語の映画で活躍している字幕翻訳者の名前を見かけることがよくあって、「おっ、○○さん、△△語もできるのか」と感心していたことがあったのだが、これは誤解だった。英語以外で作られた映画には、原語台本と英訳台本が準備されていて、普通は英訳台本を見ながら訳すのだそうだ。それだと重訳(翻訳の過程が2回入る)で意味がかけ離れる場合があるので、最終チェックを原語に詳しい人にやってもらうとか。意外だった。
字幕屋は、字幕を英語台本と映画を渡されてから約1週間、早ければ3~4日で仕上げるそうである。その間に翻訳に必要な関連知識も調査しなければならないのだろうから、かなりタイトな時間制限である。下手をすると、拙速ということにもなりかねない。その間、寝る間もないのではないかと人ごとながら心配している。
ドストエフスキー『白痴』はNHKの放送コードにひっかかるのではと悩んだ話。日本人は「忍びがたきを忍び・・・」と玉音放送を聞くシーンで終戦をイメージするが、外国人はそうはいかない。これと同じことが外国映画にもあって字幕屋泣かせだという話。慣れない吹き替え翻訳に臨んだ際、訳を自分で読み上げて映像と時間を合わせたのに、せりふが足りなくて間が持たないとクレームがついた話。声優さんと著者の太田さんの滑舌が全然違うからという落ちだった。(太田さんはゆっくり話す人なのだろう)
私は映画を見る方だが、どうも吹き替え版が好きになれない。字幕派である。テレビでやっている吹き替え版も鼻につく。役者の味のあるナマの肉声、息遣い、せりふ回しが聞きたいというのもあるが、そのナマの肉声から乖離した吹き替え声優の滑舌のよさが好きになれないのである。吹き替え声優の数が少ないのか、どの映画でもだいたい同じような声質、せりふ回しの声優が吹き替えをやっていて、うんざりしてくる。あれはあれで日本語版吹き替えのスタイルとして確立されているのものかも知れないが、もう少しバリエーションが欲しいところである。
こう思っていたら、さっきテレビで、なだぎ&友近というお笑いユニットが「ディランとキャサリンのシネマ青春白書」なんていうコントをやっていて、吹き替え声優を思いっきり揶揄して、笑いを取っていた。揶揄されるほど吹き替えがマンネリ化されているということだろう。
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コメント
こんにちは。翻訳家をやっているものですが、字幕の字数制限については私もかねがね疑問に思っていました。元の台詞を聞き取ってみると、あまりにも省略や飛躍がきついことが結構ありますので、「自分ならこうは訳さないな」と感じることが多々あります。戸田奈津子女史の「なっち語」が生まれた原因もそんなところにあるのではないでしょうか。
ところでこちらのページなのですが
http://homepage3.nifty.com/tsuyu/column/tetukan.html
これは自動車の燃費だけではなく平均走行速度も考慮しなければいけないのではないでしょうか。たとえ
1リットルのガソリンで20㎞走れる自動車でも、100㎞走る間に信号待ちや渋滞で1時間アイドリングしたまま停車していれば、消費される燃料は5リットル+アイドリング分となります。
投稿: かとう | 2007年3月 5日 (月) 11時39分