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気仙坂

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「π」の神秘に触れて
☆★☆★2011年01月27日付

 人間のタイプを「文系」と「理系」に分けるとしたら、自分は典型的な文系人間だ。小さい頃から算数が苦手で、小学校では繰り下がりのある引き算でつまずいた。中学校では文字式や方程式、関数に苦戦し、微分・積分を理解できないまま高校を卒業したという苦い思い出がある。
 算数や数学に強いアレルギーを感じていたのは、自分の思考回路が論理ではなく、どちらかといえば感情や情緒によって動いていたからだと思う。数字や数式は無味乾燥で何の面白みもないものだと、勝手に脳が判断していたのかもしれない。
 しかし最近、ふと手にした『感動する!数学』(桜井進/著)という本を読んで認識が変わった。学校の先生は教えてくれなかったが、無味乾燥に見えた数字や数式の世界にも、文系人間を深い思索へと引き込む魅力(魔力?)があったのだと。
 パラパラとページをめくっていて目に留まったのは、π(円周率)についての考察だった。そこには、こんなことが書かれていた。
 「直径1の円形がある。その円はきちんと閉じて完結しているのだから、すっきりとした円周の値があってしかるべきである」。
 円周を求める公式は「2πr」と習った。これに当てはめると、直径1の円周は3・14となるが、πは割り切れない。小数点以下が141592653589793238…と無限に続き、その並び方は循環しないことが証明されている。
 つまり、目に見える円周は有限だが、数学的にその値は無限で、終わりがないのだ。この矛盾を、無限の世界をどのように考え、理解すればよいのだろうか。
 円の周の長さと直径の比として定義されるπは、無理数であるのみならず、超越数でもあるという。無理数、超越数がどういう性質のものなのか、正直、よく分からなかったが、著者によると「πはすべての方程式を超越し、完全孤立した絶対的な存在」ということらしい。
 このπの本質に迫る考察の中で、「あらゆる数の羅列はすべて、無限に続くπの数列のどこかに入るだろう」という記述があった。生年月日、電話番号、クレジットカード番号、、携帯電話に登録されている知人の電話番号など、自分に関するあらゆる数をひとつなぎにしたものが何千、何万桁になろうが、それとまったく同じ情報がπの中に含まれていることを推察するものだ。
 本当にそうか。2億桁の円周率から数列を検索できるインターネットサイトで調べてみた。
 先日発表されたお年玉年賀はがきの1等当せん番号「651694」は、小数点以下77万8446桁目に初めて登場する。これ以降、同じ数の羅列が1億桁目までに99回も出てくることが分かった。
 もう少し桁数を増やし、8桁ではどうか。今日の日付「20110127」は、1846万6366桁目、「00000000」のゾロ目は1億7233万850桁目に初めて出てきた。
 こうやって実際に確かめてみると、無限に続くπの数列にどんな有限数列も含まれるという予想は、確かなものに思えてくる。πはおそらく、世の中のすべてを知っている数なのだ。
 πの無限性には、いまだ知られていない絶対的な真理が潜んでいるかもしれない。その神秘性に触れ、今まで知らなかった数学の魅力に気づかされた。
 諸外国と比較し、日本は数学嫌いが多い国といわれている。その原因分析は専門家にまかせるとして、今、自分が思うのは、例えばπの神秘や永久に成り立つ定理、法則の美しさ、壮大な宇宙の根源に迫る数学のロマンを、もっと早く知りたかったということだ。
 受験に必要な数学知識を詰め込む前に、文系人間でもワクワクするような数学の魅力を教える。数学嫌いだった自分から言わせてもらえば、それが数学嫌いをなくす方程式の一つの解のような気がする。(一)

テレビに向ってぼやく
☆★☆★2011年01月26日付

 ひと昔前、ぼやき漫談で一世を風靡した夫婦漫才コンビ(人生幸朗・生恵幸子師匠)がいた。当時の世相や流行歌などにイチャモンをつけては爆笑を誘う。そして決めぜりふの「責任者出てこ〜い」。
 それを思い出しながら、平成のぼやきオヤジ(筆者)は、仕事が終わって家で一杯やりながら、テレビに向かってイチャモンをつける。
 まず、「テレビ画面が見づら〜い」。
 地上デジタル放送移行まで、あと半年となった。わが家でも取りあえず地デジ対応チューナーを取り付け急場をしのいでいるが、BS放送を見る時はアナログ放送に切り替える。
 すると画面の上下にあの忌まわしい黒い帯と告知スーパーが邪魔。『ご覧のチャンネルは7月で終了します』『地デジへの対応をお急ぎください』の字幕表示が、「もういい加減、地デジ対応テレビに切り替えろ」と迫ってくる。
 このアナログ停止・地デジ化促進のメッセージは、今年になって回数、スペースともに以前より増幅されているような気がする。半年後にアナログ放送は見られなくなることは誰もが知っている。キャラクターの地デジカ君や、推進大使とかいうスマップK君が去年からうるさいほど宣伝しているからだ。
 それでも新しい地デジテレビに買い換えないのには、ワケがある。茶の間の相方(父母)いわく「政府の策謀には乗らん。テレビなんか見なくてもいいでば」「7月になればもっと安いテレビが出てくるじゃ」と息巻いている。
 モノを大切に、ぎりぎりまでアナログテレビを使いたいという意識は強い。とくにテレビが高価だった時代を知る高齢者にとっては、見たくても見れなかった、買いたくても買えなかった苦い思い出があるからだろう。
 見づらい画面をわざわざつくって、切り替えを促すようなメッセージの濫用は、地デジ化の強引さと焦りの表裏一体と見る。せめて『地デジ化までまだ時間があります。アナログ放送をゆっくりお楽しみください』ぐらいの度量がほしい。
 次なるぼやきは、ノンアルコールビール。「こんなまずいもん、人に飲ますな〜」。
 お酒のようでお酒でない。各社が競って発売しているのは売れ行き好調だからだ。テレビのコマーシャルでは「こんな飲み物を待っていた」などと消費行動を煽っている。
 アルコール0%だから、いくら飲んでも酔っぱらい運転にはならない。酔った気分になっても、アルコールを摂取していないのだから警察にも捕まらない。法的に困ることはないのだが、人道的にどうかといえば「ノー」だ。
 ノンアルコールビールは、酒類ではなく、炭酸飲料と表示されている。だから理屈では未成年者も飲んでいいことになる。
 先日、ラーメン屋で若い夫婦と小学校低学年くらいの男の子が楽しそうに食事をしていた。ところが、子どもにも平気でノンアルコールビールを飲ませている。確かに法的には問題ないのかもしれないが、思わず「おだずなよ」と心の中で叫んだ。
 禁酒中の妊婦も愛飲しているらしい。たとえアルコール0%でもビール腹≠ナは胎教にいいはずない。アルコール依存症の入院患者が、あの感覚が忘れられず「ノンアルコールビールなら飲んでもいいのでは」と手にしているという。言語道断だ。
 「そんなにアルコールが入っていないビールを飲みたいのか、こんなもん買うヤツの気が知れん」(営業妨害になったらゴメン)。
 発泡酒、第3のビール、ノンアルコールビールで満足している人は、本当のビールの美味しさを知らないやつだ。だから「男はぼやいて、サッパリビール」とはご酔狂。
 「アホ!いつまでぼやいてんねん、この泥亀!」、最後は「かあちゃん、堪忍!」で落ちがついた。
 師匠、今の世の中、ぼやきネタは尽きません。(孝)

たえてマックのなかりせば
☆★☆★2011年01月25日付

 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」と在原業平は詠んだが、この桜の部分を人名の「スティーブ・ジョブズ」に置き換えたら、われわれの日常生活はまた違ったものになっていたことは確かだ。
 この英名はむろん、異端<pソコン「マック(マッキントッシュ)」を送り出した米・アップル社のカリスマ経営者である。一時再起不能の重体に陥りながら奇跡的に回復し、高機能携帯電話の「アイフォーン」やタブレッド型パソコンの「アイパッド」などを矢継ぎ早に発表し、その画期性と斬新性で業界を震撼させた人物だ。
 魔法のように次々と時代を先取りする機器を開発する同氏の才能はまさに天才と呼ぶにふさわしいことは世界中が認める通り。事実、アップルの2010年10〜12月期決算が、前年同期比78%の増益という高業績をもたらしたものは、彼の〈申し子〉たちだった。アイフォーンが1950万台、アイパッドが733万台というこの驚異的な売り上げは、申し子たちがいかに人々の心をとらえたかを見事に証明している。
 彼は病気治療のため、現在戦列を離れているが、また回復して次はどんなサプライズをもたらしてくれるかという期待に応えてほしいと願っているのは、小欄だけではあるまい。というのも彼の業績に感謝することが多々あるからである。
 パソコンのマックが牽引役となって開発が促されたソフトやハードは数え切れない。ライバルであるマイクロソフトが開発したソフトの数と充実度においてアップルの存在はものの数ではないが、しかし特殊な分野でのソフトとハードにおける優位性は、マイクロソフトが逆立ちしてもマネのできるものではなかった。
 その特殊な分野というのは文字と画像の世界である。机上で出版できるという概念「デスクトップ・パブリッシング」を実用の世界に導いたのはマックを嚆矢とすることに誰も異論はあるまい。「WYSIWYG」(君が見たものを君は手に入れることができる)という謳い文句通り、モニターに描いたデザインがそのまま印刷でるというのは、長年デザイナーが願ってかなわぬことだった。そして画像の加工、印刷のための色の調整など印刷業界が巨費を投じてやっとかなえられるかどうかという難題をパソコンがあっさりとやってのけるようになったのも、マックというパソコンのコンセプト(理念)が図抜けていたからに他ならない。
拡大しても文字がぼけない「ポストスクリプト」という技術を使ってマックに日本語が2種類採用された時は、はやく文字数が増えて、これで新聞組版ができるようになればと祈ったものだが、それが数年ならずして実現したのは、印刷業界も新聞業界もその他ビジュアル(視覚)の世界も前々から
渇望していた技術だったからだ。
こうした分野にいまやウインドウズも追いついて、両雄共にそれぞれの得意を競っているが、しかしマイクロソフトの現在の苦戦が物語る通り、そこに元々の発想の違い、宇宙観の違いを認めざるを得まい。
もうマックを使う理由はなくなったという声も聞かれるようになったが、小欄は依然としてマックオンリーで、それは、なじんでしまってもはや身体の一部とすらなっているからだろうか。  (英)

父親の面目丸つぶれ
☆★☆★2011年01月23日付

 昨年は腰痛に悩まされたと思ったら、今年は正月早々から首がむち打ち状態となって苦労したほか、体全身が筋肉痛になるなど散々な1年のスタートとなった。
 というのも正月休みを利用し、家族で県内内陸部のスキー場へ泊まりがけで出掛けた。ここ数年、わが家の年頭恒例行事で、今年も娘2人と妻の家族全員分のスキー用具一式を車に積み込んで出発した。
 筆者がスキーを始めたのは、かれこれ30年も前の大学生の時。同じクラスとなって知り合った友人に誘われ、同好会に入ったのがきっかけ。特産の「野沢菜」でも知られる長野県の野沢温泉にあるスキー場で合宿し、板を「ハ」の字にしながら滑るボーゲンを初日でほぼマスター。頂上から転ぶことなく難なく滑り降りてくることができて以来、ウインタースポーツと言えばスキーを楽しんでいる。
 帰郷して結婚し、いまでは子どもたちと一緒に出掛けているが、昨年までの正月と違い、今年は車内に真新しいスノーボードを積んでいた。「お父さんが挑戦してみて、ある程度技術をマスターしたらスキーからスノボーへみんなで乗り換えよう」と家族を説得し、昨年末に購入したばかりの板だった。
 スキー場では、さっそく初心者用のスクールに入校。スノボーのブーツを履くのも板をつけるのも初めてだったが、スキー歴30年という自信もあって「スキーほど難しくないだろう」と高をくくり、鼻歌交じりでゲレンデに立っていた。
 ところが、しゃがんだ状態でブーツを履いて板を取りつけるまでは良かった。その後、両足を腰の近くに持ってきて立ち上がろうとしても腰が浮かない。何度やっても一人で立ち上がることができない。何と、起き上がるための腹筋の力がなくなっていたばかりか、腹回りのぜい肉が邪魔になって体が言うことを聞かなかった。インストラクターに手を引いてもらわなければ起き上がれず、子どもたちの前で非常に恥ずかしい姿をさらした。
 また、スキーと違い、両足の自由を奪われた状態で滑る難しさを思い知らされ、転倒するたびに「こんなはずでは」とつぶやいた。バランスの取り方に四苦八苦し、体を何度となく白銀の世界にたたきつけ、後頭部を強打した。
 その父親の姿を見ていた小学4年生の次女は、「お父さん大丈夫」と様子を見に近寄って来てくれたが、こんな時でも父親としてのプライドがあり、転倒して口元に雪をつけたままでも「だ、大丈夫だよ」と見栄をはった。次女は顔を引きつらせながら一生懸命笑みを浮かべようとし、中学1年生の長女と妻の2人は少し離れた場所で心配そうに見守っていた。
 とうとう、午前中でスノボーを切り上げ、午後はスキーに履き替えた。すると、次女から「お父さん、心が折れてしまったの?」と聞かれ、思わず「気分転換したくてね」と大見栄を切った。
 帰宅後、娘たちに「スノボーは難しいね」と話しかけると、2人とも「ぜひやってみたい」という。あれほど父親の痛々しい姿を目の当たりにしたにもかかわらず、「挑戦してみたい」との返事。理由を聞くと「わたしだったらスノボーを履いてもすぐ起き上がれると思うよ」と口を揃えた。父親の面目は丸つぶれだった。
 平成23年度は、いよいよ「天命を知る年代」を迎える。戦国武将の織田信長の時代では「そろそろ寿命」という年代だ。これからは年々体力が衰えることは間違いない。少しでもその衰えを抑えるためにも、多少の運動を心掛けなければならないことを痛感させられた正月休みだった。(鵜)

年甲斐もなくみる夢
☆★☆★2011年01月22日付

 ある深い山にヤマザクラの木が2本、ひっそりと生きている。
 夏の酷暑や秋の暴風雨を互いに支え合って乗り越えてきた。冬ともなれば厚い雪に埋もれ、厳しい寒風にも耐え、じっと春を待つ。
 そして時がくれば、一方は純白の凛とした花を、もう一方は薄紅をさしたような可憐な花を枝いっぱいに咲かせる。
 その神々しいばかりの花を見ることができるのは山に棲む獣たちばかり。いつからそこに根を張り、花を咲かせてきたものか。それも定かではない。
 ある時、若い男女が山中で道に迷い込んでしまった。不安と焦りの果てに目にしたものは恋人のように寄り添い、花を咲かせるヤマザクラ。
 疲れを癒し、希望を与えてくれる花だった。若い2人はヤマザクラからエネルギーをもらい、力を合わせて谷を抜け出し、そして結婚した。
 2人はいつもヤマザクラを思いながら、仲良く幸せな人生を送った。天寿を全うする時、それぞれが偶然に出合ったヤマザクラのことを子や孫に語って聞かせた。やがてその話が世の中に伝わった。
 満開のヤマザクラの前で2人して願えば幸せな結婚ができる。現世を超えて次の世でも結ばれる。そんな言い伝えも生まれた。
 いつしか人々は見も知らぬヤマザクラを『幸せの恋桜』と呼ぶようになった。
 ――そんなヤマザクラの木がこの気仙にないものかとここ数年、夢みてきた。
 我ながらくさい話≠セと思う。たわごとと言われれば、それまでである。しかし、あれば気仙の宝になる。
 極論ではあるが、なければ、植えればいいのである。
 気仙の山で炎熱酷寒に耐えて生きてきたヤマザクラを探し出して接ぎ木し、どこか適切な場所に2本、寄り添うように植える。
 木だけでなく、『幸せの恋桜』のストーリーもみんなで一緒に育てていく。50年も育てれば木も、ストーリーも立派に成長するにちがいない。
 話は変わるが、20年ほど前、ある人にこんなことを言われた。「三陸町の吉浜湾がハート形に見える場所があるんですよ」
 絶好のビューポイントを教えてもらい、出かけた。国道45号沿いのその場所に車を停め、降りて吉浜湾を見下ろした。
 その瞬間、胸がドキッとした。
 確かに、眼下に『ハートの湾』が広がっていた。
 海に向かって1カ所突き出た砂浜がハートの上の部分と右側の曲線を、右手前の山の木々の先端が左側の曲線を作り出していた。「若いカップルがこの湾をバックに写真を撮ることができたら面白いのにな」
 つくづく、そう思ったものだ。近年もそのポイントを通ることがあれば目をやる。残念ながら、あの『ハートの湾』はもう見られない。周辺の木々が時とともに育ち、ハートの曲線を壊してしまっているのだ。私にとってのブロークン・ハート≠ナある。
 ハートの曲線を描く部分の木々を行政が買い取り、形が崩れないように手入れをしてもらえないものか。無理は承知で、そんなことを考えたことさえあった。
 この世の事柄の全てには必ず、始まりがある。誰かが種をまくからこそ「無」からも「有」が芽吹く。その芽に水をやり、肥料を与え、愛情を注いで育てていくからこそ、実もなる。
 一方で、「有」は常に「無」に転じるはかなさも秘めている。
 思うのである。私たちの子どもや孫の代に宝物となるようなものを地域にもっともっと残してあげられないものだろうか、と。
 いつの日か気仙に『幸せの恋桜』が育ち、吉浜に『ハートの湾』が蘇る。そうなったらどんなに楽しいだろうか。年甲斐もなくロマンチックな夢をみている。(下)

組織生き残りの哲学
☆★☆★2011年01月21日付

 季節は大寒を迎え、連日の冷え込みが続いている。経済も春陽を感じられないまま推移し、新卒大学生の就職戦線は「超氷河期」。領土をめぐる最前線にも緊迫したものがある。
 まさに内憂外患の様相だが、むしろ経済や社会が八方丸く収まる時代こそ少ないのではないか。日々激変の世に先人はどのように考え、新たな道を切り開いてきたのか。その助言に耳を傾けてみたい。
 「天下に政令多くして民いよいよ貧しく、法令完備して盗ますます多し」と老子は言い、フランスの文豪バルザックは「一国の法律がふえて四万にもなれば、法律がないと同じである」と言った。
 弱肉強食の無法地帯を避けるには、法令や法律は不可欠。しかし、それが国民の手足をしばり、経済活動の妨げとなることもある。バルザックは「法律はクモの巣であり、小さな虫だけひっかかる」とも指摘しているだけに、何をどこまで規制するかの見極めが大切。
 組織の指揮者たるには、どんな心構えが必要なのだろう。作曲家の芥川也寸志は「自分は余裕があって冷静、まわりがいつしか燃えてくるのが上質の指揮者である」と言い、兵法経営≠実践した大橋武夫は「オーケストラの指揮者が楽器を持つと、指揮能力を圧縮される」と語った。
 経営学の神様<hラッカーは「人々を動機づける能力がなくては、経営者とはいえない」とし、蔵相や日本銀行総裁を務めた井上準之助は「経営者としては、人格者ほど危ないものはない」とも言い切っている。
 組織を動かすには部下に優しいだけではダメで、トップが自分の得意に固執するのも問題。全体を見渡す大切さが必要だが、大橋は「細部の指揮をしてはならないが、細部も理解していなくてはならない」とも語った。知識や経験に裏打ちされた指揮能力が、組織上層部には求められている。
 バブル経済崩壊後、「失われた10年」とも「失われた20年」とも言われ、日本経済は元気がない。しかし個々の企業の中には、右肩上がりの成長を続けたり、海外からまで注文が舞い込む例もある。
 組織に活を入れる新機軸のアイデアは、どこから生まれてくるのだろう。大橋は「革新は、失敗を恐れるトップのもとでは実現は難しい」とし、「アイデアを生むことができるのは、個々の人間だけである」と語っている。
 「勝てば選手の力、負ければ監督の責任」というようなトップの心構えが基本的に必要。さらに新情報や新商品、新規イベントのアイデアなどというのは、若い社員や女性職員が持っていることが多い。
 発言者の年齢や性別、肩書きで可否を判断するのでなく、あくまで提案内容に磨けば光るものがあるかを受け止められるか否か。そこに沈滞する組織と、常に革新的な商品を生み出す組織との分岐点がありそうだ。
 「誰もが賛成する案は、すでに新しいアイデアではない」は、経営の世界では常識。誰もが「それは必要だよね」と思うような政策は、もはや政治の無策か手遅れを意味する。
 ところが、新しい仕組みや新企画の導入には「前例がない」だけに、困難が伴うのも常。冷酷な現実主義者とされるイタリアの政治思想家マキャベリは「新秩序の導入はむずかしい。これによって利益を失う者は必死で抵抗し、利益を得る者は消極的だからだ」と言っている。
 元英国首相のチャーチルは「好転する前には、悪化するという段階もある」とし、ドラッカーも「成績をあげるには時間がかかる。過早に計画を変更するな」と助言している。
 組織や企業をこれまでと変わらずに存続し発展させるため、何を変え、何を変えないか。あるいは何を捨て、何を導入しなければならないのか。それを見極める見識と実行力のある組織は、どんな時代でもたくましく生き残っていくのだろう。(谷)

夢見る嘘をつける日まで
☆★☆★2011年01月20日付

 以前サーカス団で働いたことがあります――といっても、全国各地を巡業する一団を開催地で待ち受けて働くアルバイト、会場の入場券販売窓口が担当だった。
 赤と白が基調の特設テントは街なかに映え、サーカス団の存在自体が街の空気を華やかにしているように思えた。さらに彩りを沿えるのが街の至る所にある公演周知のポスターで、劇画風かつ躍動感あふれる構図。「こんな演目があって、こんな動物が出演するんだ…」とワクワクするような内容。街中で目にするたびに、子どもたちに夢を提供する仕事を末端ながら担っていると誇らしくなった。
 そんなある日、売り場でお客さんを待っていると、窓口の向こう側から突如声がした。
 「きょうカバさん出ないの?」
 私の真正面、受付窓のガラスにビタンとへばりついた幼い顔――4歳くらいの女の子だった。突然質問された驚きと動揺、そしてガラスにその押しつけた顔形の面白さで、うっ、と言葉に詰まった。
 サーカスのポスターが原因だ!ポスターに描かれた動物の中にはカバも交じっていた。だからカバも出演すると誰もが思うだろうが、実は時期などによっては演目を変更せざるを得ないことがある。動物たちの演目はまさにそれ。
 『今、サーカスのカバさんは発情期に入ってしまって全然いうことを聞いて芸をしてくれないから、この街には連れて来なかったんだって』と団員から聞いた本当の理由を言うわけにもいかない。
 コンマ5秒に詰められた「うっ」の中身はそうだったのだが、とっさにこう言ってしまった。
 「カバさんはね、むし歯が痛くってわんわん泣いているから出られないんだよ」
 気の利いた発言が思い浮かばず、とある童話のさわりを言っただけのとっさの嘘。しかし女の子は、「そっかあ!痛いよね、病院に行かないといけないもんね」と言いながら納得して去っていった。
 その子を皮切りに、子どもからの質問「この動物さんは出ないんですか?」にたじろきながら働く日々が続いた。その度にバイト仲間とともにさまざまな嘘をついてその場をしのいだ。
 「クマさんは金太郎さんと大事な相撲の試合があるから」
 「きょうはカバ子さんとデートって言ってたから、今ごろデパートでアイス食べてるかも」
 そんなふうに子どもに適当な嘘をつくたびにもやもやした気持ちになった。それは嘘をついた罪悪感のせいとずっと思っていたが、年末年始に2歳のおいっ子とたわむれ、常に本気で遊んで、泣いて、真剣に権現様を怖がっている姿などを見て、その原因が分かった。
 ポスターを見上げてわくわくする子どもみたいに、自分もポスターを見て夢やあこがれをつくる側の誇りを感じていたのだ。なのに子どもの真剣さに対して、真剣に面白い嘘を考えることをせずにいいかげんにあしらっていた。そのことに罪悪感を覚えていたと合点がいった。
 あの嘘をついた日々の中で、一番印象に残っているものがある。
 「お姉さんはサーカスに出るの?」
 小さな女の子にそう訊ねられて、バイト仲間の一人が答えた。
 「サーカスのはじめにみんなで踊るんだけど、お姉さんは右から2番目に立って踊ってるから、元気に手を振ってね!」
 その子の機転と女の子に対する真剣なまなざしに心底感心した。舞台用の厚化粧のおかげでその嘘はばれることはないだろう。開演を待ち焦がれ、ショーがはじまったら必死に手を振る女の子の姿が容易に想像できた。
 純粋に真剣に夢を見られる時期は個人差があるものの本当に短い。子どもが素敵な夢を見られる嘘を真剣につける日がくるよう、大人として精進していきたい。(夏)

続・平氏の末裔「渋谷嘉助」38
☆★☆★2011年01月19日付

 渋谷嘉助をはじめとする平氏の末裔たちと気仙とのかかわりをずっと見てきた。古くは平安時代から平氏の末裔たちの間に流れる「怨親平等」の仏教思想に触れるなかで、思いがけない事柄に遭遇し、驚くことが多い。
 怨親平等とは、敵対した者も親しい人も同じように扱うこと、敵味方の区別なく弔うこととされる。
 前回、源平合戦のその後について、兄の源頼朝によって追討され、奥州平泉に身を寄せた源氏の勇将、源義経が、気仙の地から船で八戸へ海路逃げのびたという、北行伝説があることを取り上げて書いた。
 その源義経が、奥州へ逃げのびて来る途中に、もしかして、平家一族の「平貞能と出会っているのではないか」と、なぜか書いているうちに思った。
 定義阿弥陀如来をまつる仙台市の極楽山西方寺の開創の由来となった平貞能は、気仙を荘園としていた平重盛(内大臣、小松殿)の重臣で、平家の一族である。
 味方だったはずの源氏から追われる身となった源義経。平家の荘園の気仙に伝わる源義経の北行伝説──。
 この「気仙」つながりで、両者はきっとどこかで出会っているはずだと思った。その勘が、あたっていた。
 定義山こと、極楽山西方寺に伝わる資料などに、平貞能と源義経、義経の母常磐の文字が並んで記されていることが分かった。先日それが分かったときは、やはりと思うと同時に驚きだった。
 西方寺は、肥後守の平貞能が源平合戦で敗れた後、平重盛から託された阿弥陀如の霊像を守り継いで、源氏の追討をのがれ、落人となって隠棲した地に、その平貞能が亡き後、墓上に小堂を建て、阿弥陀如来の宝軸を安置して開創された由緒あるお寺である。
 その平貞能が、落ちのびて隠棲した時に祀ったという小倉神社がある。
 その神社の鐘楼に吊された鐘には、「定義弥陀如来鐘銘」という文字の後に、「儼弥陀繍像一也因問其由 則係源廷尉義経母常磐手製也」の一文が刻まれている。
 小倉神社は、平貞能が、平家一族が尊崇した山城国乙訓郡(京都府)に鎮座する小倉神社の分霊を勧請して祀ったとされる。
 西方寺によると、小倉神社にある鐘は、もともとは定義如来の西方寺にあったものという。それが何かの経緯があって太平洋戦争後に小倉神社に移ったものらしい。
 その鐘には、平貞能が遁れてきたことや西方寺の由来が刻まれており、その文面の中に、寺に伝わる弥陀の刺繍像の一幅があり、それが源義経の母の常磐の手製によるものであることが記されている。
 平家の落人となった平貞能が隠棲する地に、その後に兄の源頼朝に追われる身となった源義経の一行がやって来て、2人が出会ったという伝説もある。
 源義経の一行は、壇ノ浦の戦いで敵だった平家の一族の平貞能その人と知って驚くが、逃亡生活が続いたため刀を交える気力もなくなっていた。
 その時、平貞能は、源義経たちを快く受け入れ、かつての敵味方の恩讐をこえてあたたかく迎えたのだという。(ゆ)

奇跡を起こした特質の元は?
☆★☆★2011年01月18日付

 宗教思想家の山折哲雄氏が昨日の読売新聞で〈「パクス・ヤポニカ」の奇跡〉と題し、日本という国の特質を論じている。「地球を読む」という同紙の企画連載に寄せた一文だが、かねてから日本人とは何かと、こちらの本質を考えている自分には参考になるところが多かった。
 その中で氏が他国には見られないわが国の特質として挙げているのは、長期にわたり平和の時代が続いた時期が2度あったということと、1000年以上にもわたって異民族による征服や支配をまったく受けなかったという2点である。
 氏が指摘するように、平安時代の350年と江戸時代の250年という2度にわたる「長期平和」は、ヨーロッパやアジアには見られない歴史上の奇跡というほかはない。それは外国との戦争はもとより国内でも戦乱、兵乱などがきわめて少なかった証左であろう。つまり、安定していた国だからこその結果なのである。
 事実、わが国が国内で外国と干戈を交えた最初は700年以上も前にさかのぼらなければならない。元寇つまり蒙古軍の2度にわたる大襲来、文永・弘安の両役である。その後はずっと時代が下って江戸時代に開国を求める英米などとの小競り合いはあったが、国際的紛争を体験するのは明治以降だった。争いをこちらから仕掛けることも、仕掛けられることも少なかったのは、そこに何らかの理由が存しなければなるまい。
 この特質を生んだのは、わが国の地理的位置であることは疑いない。強大な力を占めた国々が蝟集するヨーロッパと遠く離れていたという点である。しかも幸いなことに、国際的にはようとは知れぬ島国であった。同じ島国でも英国との重大な違いは、常に存在をおびやかされる列強と隣り合わせであると否との違いに由来するだろう。地政学的に見たこの平和と、2度の長期平和を氏はラテン語で「日本の平和」を意味する「パクス・ヤポニカ」と呼んでいるのだが、そんな奇跡がこの国に起きたことについての研究がなぜか見当たらないことに驚いている。
 2度の長期平和時代だが、確かに江戸幕府の長く安定した治世について最近こそその秘密を解き明かす研究が盛んになっているが、平安時代のそれには誰もが思いも及ばない。武士の登場以後、あまりにも戦乱に戦乱の時代が続いたからだろう。だが、元寇の襲来が2度とも「神風」によって助けられたとは解釈できないように、氏の言う「二つの特質」は、原因と結果をさらに探って解析する必要があるように思う。
 氏はこれについて「神仏共存の多神教なシステム」と「象徴天皇制の独自の統治システム」を挙げている。その点についての照査はともかく、そういうシステムをつくりあげた民族の特質というものは、別の視点から大いに研究する余地があると考えている。
 確かに国境を陸上で接することのない島国日本の、列強との遠隔性という地理的特性も被支配を免れた条件として挙げることはできるだろう。だが、小さいながらも針を持ち、大国の恫喝にも屈しない気概を一貫してわが国が保持し得てきたからこそが諸外国に侵略をためらわせる元であったことは歴史的に証明されよう。
 そして同時に、借り物でありながら、漢字をそのまま受け付けずに咀嚼し、平仮名、片仮名の発明によってまでリテラシー(読み書き理解力)を高めようと努力してきた古代からの政治努力が、いざという時に一致協力する日本人の体質というものを育ててきたように思う。つまりは教育の力が、国を守ってきたと言えるだろう。
 現代は、まさに平和ボケし、腑抜けたように見られる日本人だが、ここぞというときには、本領を発揮する、いやせずにおかれない民族だというのが当方の結論だ。(英)

直人現象と王道政治
☆★☆★2011年01月16日付

 「伊達直人現象」と呼ばれる、漫画の主人公を名乗った児童福祉施設への寄付行為が全国で相次いでいる。最初はランドセルだったが、その後は学用品やおやつ、現金など贈り物の内容も多彩になっている。
 気仙地方では、児童施設だけでなく高齢者施設にも贈り物があった。贈り主を見かけた施設職員によれば若者だったようだが、「いいこと」がこれだけの広がりを持つことには感動を超えて、驚きさえ感じるほどだ。
 自分が育てられた施設に、レスラーとなってから恩返しする漫画の主人公と、それにあやかっての伊達直人行動。一方、同じナオトでも菅直人首相を主人公とする政治の世界はもやもや続き。
 14日に発足した菅改造内閣。新閣僚の中に、昨夏の参院選前に自民党から飛び出して新党を結成し「打倒・民主党」の旗を掲げた人物が、一転して「妥当・民主党」とばかり大臣に返り咲いた。これには呼ぶ方も呼ぶ方だが、呼ばれてやってくる方もやってくる方だと感じざるを得なかった。
 政界の摩訶不思議な状況が続く
からこそ、匿名のプレゼント運動が多くの共感を呼んだとも考えられる。しかし、この報道の中で気になる点もある。施設の中には、子どもたちの生活費確保がギリギリ。むしろ恒常的に地域の奉仕で運営が成り立っている所が少なくないということだけに、基本的な運営費確保こそが大切と思わされた。
 贈る側にとっては、自分の行為がよく実感できるということもあるだろう。これは、海外で教育や医療を受けられない子どもに、そこに直接赴いた協力や支援で実感できるということにもつながる。
 それは称賛に値する行為であり、力のある国ならもっと増えてしかるべきと思う。しかし、国内でも医師や介護要員が不足。さらに、一見平穏そのものに見える高齢世帯にも重い課題が隠れている場合もある。子がないわけでもないのに跡継ぎがいない家庭の増加、それは何が原因でどうするべきなのか。
 実は、この普通に家庭を維持したり、仕事をしたりができにくくなっているのが現実でもある。若者が就職先を確保でき、高齢者も希望を持って生活できるような政策が、何よりも求められている。
 菅首相は「その声を待ってました。我々の改造内閣は、そのためにこそ安定的な財源確保と開かれた日本として経済の活性化をはかり、若者の雇用の場も確保します」と言いたいところだろう。しかし増税や平成の開国≠ノは、まずやるべきことをやってからでないと、国民は納得しない気もする。
 増税前に何をすべきかは、民主党の政権公約を読めば分かるはず。貿易立国の日本として開国が避けて通れないという主張も理解できるが、その前に1次産業について、何のための個別所得補償かを再確認しながら、しっかりとした準備も必要となる。
 ある意味、政治や国家というのは空気のような存在の時こそ理想なのかもしれない。それが失われて初めて、その存在のありがたさに気づくからだ。今日、政治に対して何かと風当たりが強いのも、裏を返せばそれだけ政治の出番が待たれているからだと言える。
 「隗(かい=自分)より始めよ」の言葉もある。国民生活に疲弊感がある中では、まず国会議員が自らの定数を減らし、外郭団体への天下りを前提とした官僚制は抜本的に見直し、国家公務員給与のカットも即実行すべきだ。
 政治家と官僚が自ら血を流した姿勢が国民の目に映れば、必ず一定の支持率はあるはず。ねじれ国会恐れるに足らず。政策の中身と期待される効果、そしてマイナス部分にも2フレーズだけでなく、しっかり説明を重ねる姿勢を貫けば世論が味方につき、野党の反対にも限度が出てくるはず。
 政治に信頼を取り戻し、将来を見据えた政策を着実に実行するには、小手先の数合わせは不要。政治は常に王道あるのみだ。(谷)


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