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☆★☆★2011年01月27日付 |
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鉄砲の銃身を作るには鉄棒の中心を削ってくり抜けばいい。だが、そんな機械のない時代、たとえば種子島が作られた460年も前、その銃身を生み出すためにはどんな工夫が行われたのか?▼種子島に漂着したポルトガル人が持っていた銃を、領主の命で家臣が真似て作ったのが火縄銃の最初といわれるが、正円の筒を作れといわれたら削ることしか思い浮かばない現代人には、別の方法などとても考えつかない。しかし現実に種子島(火縄銃)ができあがったのは、鉄の板を曲げ継ぎ合わせて作られたはずである。しかし要求されるミクロの精度にどう応えられたか?▼そんな疑問を抱き続けていたら、昨日の日経新聞に答えが出ていた。老舗企業を取り上げる「200年企業」という好評の連載の中でこの日は、「紀州筒」と呼ばれる火縄銃をつくり続けている和歌山市の「出来助本店」が取り上げられていたのだが、そこで当主が火縄銃の製作工程を明かしている▼それによれば、銃身は板状の鋼を筒に丸め、帯状の鉄でぐるぐる巻いて鍛造と熱処理を繰り返して作るとある。考えるだけで気の遠くなるような作業だが、その出来ばえは「最新の解析装置で撮影しても継ぎ目が見えない」ほどだというから、その匠の技術には恐れ入る▼日本人は真似て作るのは上手でも独創性に欠けるとよく言われるが、実用化させるのが得意ということは、そこに独創性があるからだ。よって今後の日本は技術移転した相手先に追い抜かれても苦になどせず、次なる独創性で勝負に出ることだろう。 |
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☆★☆★2011年01月26日付 |
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日本を追い抜いてGDP世界第2位への大躍進を遂げつつある中国をまだ「途上国」としてODA(政府開発援助)を続ける必要があるのだろうか?日本国内世論は結論が出ている。NOとだ。だが、逆もある。それは〈助平根性〉という以外にない▼昨日の「フジサンケイ・ビジネスアイ」紙が1面で「対中ODA不要論台頭」という見出しで取り上げているその記事によれば、世界2位の経済大国に3位の日本が援助を続けるのは「不自然」だというのが不要論の根拠だが、飽くなき軍拡を続ける一方で実際の「途上国」に対しても資源確保をエサの援助を続けるなど、もはやまともな対象たり得ない▼対中ODAが始まってから32年。この間、円借款、無償資金協力、技術協力を合わせて3兆6000億円以上もの巨費が投じられている。同記事はこれらの援助によって総延長5000`を超える鉄道が電化され、1万d級以上のバースが60カ所も整備されたと伝えている▼だから「もはや施しを受けるような国ではない」というのが大方の認識なのだ。その分を本当に援助が必要な国に回すべきというのが正論というものだろう。だが、丹羽中国大使が対中ODAの増額を政府に具申したように、なお継続を求める声が中国ではなく日本国内にあるという事実ほど奇っ怪なものはあるまい▼それは中国に進出した企業がビジネスをしやすくするためにという観点からで、要するに「鼻薬」をかがせようというわけだ。援助を受けてもそれが日本からと明かしもせず、感謝の気持ちもないような相手に「追銭」をする必要などどこにもあるまい。 |
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☆★☆★2011年01月25日付 |
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「腰が重い」というのは、不精で行動が鈍いたとえだが、生物学的にも腰が重いと動作が緩慢になるのは道理。だからキビキビするためにはウエストを引き締める必要がある。で、そのためにはどうするか?というヒントを新聞記事で発見した▼「しょっちゅう立てば健康になるかも」というタイトルのついたこの記事によると、ひんぱんに席をたつことがウエストを引き締め、心臓病やメタボリックが原因の病気になるリスクを軽減できる可能性がある―との研究結果をオーストラリアの学者グループがまとめたという。つまり「腰が軽い」とウエストまで細くなるというわけだ。身に覚えがありませんか?▼同国クイーンズランド大学のジュヌビエーブ・ヒリー氏らこの研究グループは、デスクワークが人体に与える影響を幅広く調べた結果、席を立つ頻度が増えるほどウエストは細くなり、健康に好ましい影響を与えるとの「驚くべきデータ」を得た。デンと腰をおろして動かないくせに「もっと細くなりたい」というのは欲張りというものらしい▼デスクに座ったままの時間が長いと、ウエスト周りが大きくなって血中脂質量が上がる一方で、善玉コレステロール値と蛋白炎症マーカー値が低下する―という専門的用語の理解はさておき、4800人を対象に集めたデータが物語るこの結果を理論的に考えると、要するに「横着は体に毒」ということだろう▼電話番やお茶くみ、伝令などで走り回る職場の新人はそのためにスリムでスタイリッシュだが、腰の重くなったベテランたちがどうなるかは、〈因果応報〉というもの。造物主は公平なり。 |
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☆★☆★2011年01月23日付 |
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輸入材に押されて主役の座を長年明け渡してきた国産材にようやく日が当たってきた。国産の杉・ヒノキ製材品の取引価格が高騰していると21日付の日本経済新聞が伝えているのを読んで、思わずほっとするものを感じた▼この背景には、住宅着工が回復基調にあることを見逃せない。長期不況でマイホームの熱はすっかりしぼんでしまったが、一方で団塊の世代の持ち家志向といった追い風もあるはず。そうかあらぬか、大都市の戸建て住宅や分譲住宅、注文住宅の柱などに高級感を出すため国産材を採用するメーカーが増え、木材自給率の向上を目指す国の政策も後押しして、需要が拡大しているというのだ▼国産材が冬を迎えたのは一にも二にも価格が安い輸入材に押されたことに尽きる。昭和40年代には70%台だった木材自給率が平成14年には18・2%まで落ち込んだのだから、食料自給率どころの比ではない。おかげで山は荒れ、林業は衰退の一途をたどった▼国産材が見直された最大の原因は、原油価格の高騰で輸送経費がかさみ、輸入材が割高になったことだが、材質そのものや在来工法の良さが見直された、つまり古来の伝統に回帰したことも要因。柱や梁などいわば家の中心となる部分には、やはり「本物」を使いたいのが人情というものだろう▼国産材見直しに拍車がかかり、自給率が上がれば森林も手入れされるようになる。不遇だった「山持ち」が元気になれば、やがて再び美林がよみがえるようになる。そうなることを期待してやまない。 |
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☆★☆★2011年01月22日付 |
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「どこまで続くぬかるみぞ」状態なのが日本の借金財政だ。借金だらけで金がない。ないからまた借りる。こうして雪だるま式に借金が増え続けていけば、やがて破綻の時がくる。どこかで手を打たなければならないのだが、国政を託された側にはその〈当事者意識〉がない▼まさに〈ないないづくし〉で自転車操業を続けるこの連鎖を断ち切るには、大手術が必要なことは誰もが認めるところだろう。いずれ遅かれ早かれ増税は免れまい。なぜなら国債は決して〈打ち出の小槌〉ではないからだ。日本の国債は9割を自国民が買っているから安心というが、借金は借金であることに変わりはない▼そこで民主党すらちらつかせざるを得なかった「消費税」が視野に入ることは時間の問題だろう。与謝野馨氏がその〈専門家〉として迎え入れられたことはその布石と見て間違いあるまいが、その与謝野氏が昨日のインタビューの中で「増税は政治の中で最も困難な部分。そのためには政治家自身が先に痛みを知る必要がある」と述べていたが、その通り▼まずは国会議員の定数削減を政治家自身がやってみせることだ。1人3億円もかかるといわれるこの経費を減らしてみせ、返す刀で〈金食い虫〉を徹底的に排除、整理することである。政治改革、行政改革、機構改革、その他改革と名の付く〈電車〉は止まってばかりいるが、これを動かさないことには誰も電車賃を払わない▼まずは猫の首に誰が鈴をつけるかが注目されるが、1人としてその勇気がなく、運転席から降りてしまったら、この電車は暴走したあげくに脱線、転覆し、車内は地獄図絵となるに決まっている。 |
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☆★☆★2011年01月21日付 |
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昨日の昼の番組で「越前打刃物」の中継をしていて、すっかり見入ってしまった。1本、1本手作りする打刃物は当然、金額も張りなかなか手が出せないが、やはり本物が欲しいなという気にさせられた▼わが家には何本も包丁があるが、いずれもなまくらで、常時使っているのは普及品。地金は鉄だからすぐサビが出るのが難点。当初はサビが浮くと砥石で研いでいたが、段々横着になってヤスリ式の研ぎ棒で済ませるようになった▼東京の合羽橋や築地には刃物屋が軒を並べていて、飾ってある包丁を見るだけでワクワクし実に楽しい。1万円の包丁すら持っていない者が、何万円もする逸品に手をだすわけがないが、しかし心の中では「いつかはクラウン」よろしく「いつかは打刃物」と願っている▼日本の包丁が世界的に評判がよいのは、切れ味で優れる日本刀の伝統が生きているからだ。幕府が倒れ仕事を失った刀鍛冶たちが野鍛冶となって包丁や鎌を打ち出したのだから、切れないわけがない。しかし時代と共に安い大量生産品が出回るようになって、手間暇かかる打刃物は高級品として別の道を歩むようになる▼打刃物といっても現代では鎚を振るってトンテンカンとやっているわけではなく、機械動力やガス、回転式砥石などが使われて合理化されているが、しかし原理原則はきちんと守られていて、本質的伝統は大切にされている。さて、料理の腕が上がるまではと戒めている憧れの包丁が手に入るのはいつのことだろうか? |
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☆★☆★2011年01月20日付 |
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「暖衣飽食」を戒められて育ったというよりは、そもそもぜいたくなどしたくてもできない時代の申し子たちは、冬でも厚着をせず、寝るときも暖房の世話などにはならなかった▼だが、それも若いうちだけのこと。加齢とともに寒さが身にしみるようになり、あれほどいやがっていた電気毛布のお世話になることも抵抗を感じなくなるようになる。「伊達の薄着」に耐えられなくなって厚着を始めても「神経痛の予防のためだよ」と言い訳はきくが、電気毛布だけは抗弁できない▼しかし寝室には暖房がないのだから、それぐらいは大目に見てもらうことにし、昨年からこの「文明の利器」を利用している。ただ、確かに暖かいことはいいにしても、室温や体温を測りながら熱量調節をできないので(最新型はできる?)そのおしつけがましさが気になるのはいかんともしがたい▼だが、この冬はなぜか事情が一変した。温度を最高にしても暖かくならず、それどころか薄冷えさえするのである。これは毛布の能力が追いつかないほど今年の寒さが厳しいためだろうと考え、人に会うたび「いやぁ、今年の寒さは格別だねぇ」と同意を求めていた。むろん歳のせいも考慮はしての上だが▼だが先日、今夜は冷えそうだからと、あらかじめ電源を入れ、ふと温度調整目盛りの横を見たら、なんと切り換えスイッチが「2時間」を指していた。その下には「15時間」とある。つまり毛布は2時間だけ作動していたのだった。どうりで寒かったわけだ。15時間に切り替えたら、あの性格は変わっていなかった。 |
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☆★☆★2011年01月19日付 |
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月曜日午後9時からのBS放送「吉田類の酒場放浪記」は、小欄必見の番組で、どんな銘酒が登場しようと画面ではただの水だから、普段は脇役である肴の方にいきおい注目が集まる。この楽しさ!▼17日の番組に登場した4軒の酒場のうち、東京・新宿に近い笹塚の「井口」という店で、あまりお目にかかれない一品を吉田さんに差し出した。鹿のタタキ(刺身)で、産地を問われて店主が「岩手の〈ごしょう山〉というところから」と答えた。そんな山はないからこれは明らかに「五葉山」だろう。正確に言え!▼鹿肉といえば、日本ではまだ食肉として認知されていない。あのバンビの可愛らしさが目に浮かび食欲が起きないからだろう。あの赤身の色も独特だから、どうしても食わず嫌いにさせてしまうようだ。しかし欧米では専門のレストランがあるほど好まれるのは、食習慣の差というものであろうか▼旧三陸町では、この〈豊富な資源〉を活用して売り出そうと努力したが、長続きしなかったのは関係者の努力不足というより、舌の慣れを変えられなかったためだろう。そもそもハンターたちは、自分が美味いところだけを取って、その他だけをよこすから誰も食欲をそそられないのだ▼いつかは骨付き、皮付きのモモをもらって往生したことがある。そうではなく食肉としてきちんとした管理の下で提供すれば「五葉山」のブランドで十分に売れるはず。北海道では馬肉と鹿肉のセットを「馬鹿もん」として売り出し、大人気のレストランがあるが、そう、われわれだって鹿爪らしくしている場合ではないのだ。 |
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☆★☆★2011年01月18日付 |
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前回は聞き逃した知人が「今度は絶対に行く」と語っていたその第九演奏会は、全席完売と知っていたが、当日も満席だったのは前回の評判が大変よかったからに違いない。そして今回も合唱団は前回以上に気合が入っていた▼今年は県内でもあちこちで地元手作りの第九演奏会が開かれ、あるいはこれから開かれようとしている。ベートーヴェンの全9曲に及ぶ交響曲のうち「合唱付き」と題されたこの名曲は、その壮大さゆえに国内のオーケストラが年末を飾るフィナーレとして競うように演奏する。しかし小欄はレコードやCDで、あるいはテレビでお茶を濁していた▼それが生の演奏で聞ける〈耳福〉〈眼福〉に浴せたのは、前回、つまり一昨年の演奏会が新装なった大船渡市民文化会館「リアスホール」で開催されたおかげであった。地元の老若男女が集って結成された合唱団が、地元生まれあるいは地元にゆかりの、あるいは同じ県内出身の歌手4人をソリストに迎え、プロのオーケストラである仙台フィルの演奏と共に堂々歌い上げる「歓喜の歌」は、激しく胸に迫ってきた▼その思いを再び味わいたく今回も出かけたのだが、感動は前回と少しも変わらなかった。ひな壇に並ぶ合唱団のメンバーには顔見知りが沢山おり、それだけで一つの時代の到来を思ったのだった。生のオーケストラを地元で聞くことなど思いもよらなかった時代に、地元合唱団が「歓喜の歌」をドイツ語で歌うなど誰が想像しただろうか?▼第九演奏会でははるかに先輩の釜石市から聞きにきたという人が「驚いた。素晴らしい出来だった」と絶賛していたのがすべてを物語っていた。 |
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☆★☆★2011年01月16日付 |
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かってはお家芸としていた造船、家電などの製造・生産技術を中国や韓国にお株を奪われ、このところ精彩を欠いているものづくり日本だが、どっこい底力はなお十分。国内自動車大手3社が「燃料電池自動車(FCV)」の量産車を27年までに販売すると宣言したのもその一つ▼自動車大手だけでなくその燃料を提供するエネルギー業界など13社が揃って打ち上げたこの共同声明の中では、燃料電池車普及のネックとなる「水素ステーション」を同年までに100カ所設置するという計画が盛り込まれている。まずは東京や大阪、名古屋、福岡の4大都市圏の市街地や高速道路にあるガソリンスタンドに併設する▼水素ステーションは現段階で設置コストが1カ所あたり6億円と高額だが、27年度までにこれを2億円程度に低減する方針だから、普及が進めばやがて地方でも設置が可能となるだろう。燃料由来の電気も消費せず、排出するのは水だけという燃料電池自動車は「究極のエコカー」と呼ばれるが、ケタはずれの開発費が要求され、価格が数千万円台のレベルにあった▼だが、トヨタ自動車が2015年までに日本と米、独などで発売を計画している市販実用車は415万円程度になる可能性が高く、そうなると普及に拍車がかかり、その相乗効果によってやがてはガソリン車に取って代わる時代が到来しそうな予兆がある▼価格の不安定さ、温室効果ガス排出など、化石燃料がその欠点のため降板する後に、新しいスターが表舞台に登場するのも指呼の間に迫りつつある。 |
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