Nearer, my God, to thee, nearer to thee!
【主よ御許に近づかん】
嗚呼、妾は“王”の責務を全うできたのだろうか…?
……恐怖はない。
ただ…何やら空しいのじゃ。
妾は誰かの役に立てたのだろうか?
いや…
ユウの思いに答えることができていただろうか?
E’en thought it be a cross that raiseth me,
【いかなる苦難が待ち受けようとも】
「魔獣うごめく“ケルベラス渓谷”。魔法を一切使えぬその谷底は魔法使いにとって、まさに『死の谷』」
何処か楽しげに語る言葉も血肉を喰らわんと大顎を開ける化物の群れの叫びも気にはならない。
気になるのは己の存在意義と…
still all my song shall be, nearer, my God, to thee.
【汝が為に我が歌を捧げん 主よ御許に近づかん】
「古き残虐な処刑法ですが…この残虐さをもって、ようやく魔法世界全土の民も溜飲を下げることとなりましょう」
「歩け!!」
「触れるな下郎。言われずとも歩く」
Nearer, my God, to thee, nearer to thee!
【主よ御許に近づかん 主よ御許に近づかん】
冷たく薄暗い王宮に生まれ、
後はただ…
奪い奪われるだけの日々。
…その終着がここだというのなら…それもよい。
この死が人々の安寧にとって意味のあることを、せめてもの慰みとしよう。
Though like the wanderer, the sun gone down,
【放浪の中 日は暮れゆき】
ただひとつ、心残り…
ナギ。
そなたの顔を、もう一度だけ…
主らと過ごした戦いの日々だけが、なぜか暖かだった…
darkness be over me, my rest a stone.
【闇の中 石の上で身体を休める】
亡き父王はこう言った
“人の生もこの世界も、全ては儚い泡沫の夢に過ぎぬ…”
と。
暗い牢獄の中でその言葉を幾度となく繰り返した。
あの時の妾は言った。
“仮初の命?泡沫の夢?それで民が幸せになるというのならそれが覚める必要なない!!”
と。
今もその思いは変わってはおらぬ。
だが、今はその言葉に縋りたい…
Yet in my dreams I’d be nearer, my God to thee
【ただ夢見るは 主よ御許に近づかん】
ならば、これも…
きっとただの悪い夢。
さらばじゃ、ナギ…
そして、ユウよ。
今こそ、主よ御許に近づかん。
Nearer, my God, to thee, nearer to thee!
【主よ御許に近づかん 主よ御許に近づかん】
『誰が迎えに行くかってんだ。あんたの迎えは決まっているだろう?』
ふと、懐かしい声が頭に響いた。
うむ…なんじゃここは…?
ここが地獄か?
もっと恐ろしいモノかと思うておったが…
何やらあたたかで…
力強いものに抱かれているような…
ゆっくりと瞼を上げた先に映っていたのは…
「え…」
凄惨な地獄の風景などではなく…
「ナ…ギ…?え…?」
もう一度会いたいと思っていた者の姿であった。
「え…?なぜ主が…地獄に…?アレ?」
「バーカ。あんたを助けに来たんだよ、アリカ」
「え…?なぜじゃ?」
ピキッと目の前のナギの額に怒りが浮かぶ。
そこでようやく気が付いた。
まだ、妾は死んではおらぬのだと。
「なっ…なぜ…なぜ主がここにおる?」
止めどなく溢れてくる疑問と困惑の言葉は尽きることはない。
なぜ?ナゼ?何故?
どうして?ドウシテ?如何して?
「なぜ…ふわっ!?」
何度目かも分からない疑問の言葉を口にしようとしたところで、ナギが妾を抱えたまま魔獣の攻撃を避ける。
一匹の魔獣の攻撃を皮切りに次々と魔獣は襲いかかってくる。
「答えよッ!!なぜじゃ?愚か者め!!いくら主でも自殺行為じゃ!!」
魔獣たちの攻撃を避け続けるナギの息はどんどんと荒いものになっていく。
「魔法の使えぬこの場では主も普通人じゃろ!!こやつらの攻撃、一撃でもかすれば即死は免れぬ!!」
魔法の使えないこの谷底ではいくらナギといえど只人であるはずじゃ。
一人だけならまだしも妾を抱えてなど…
「無謀にも程がある!!何を考えておる、このトリ頭ッ!!」
「確かにな。これまでで一番やべぇ状況かも…だッ!!」
そこでナギはまた魔獣の攻撃を大きくかわす。
「けど、クリアの景品がアンタだってんなら…このスリルも悪かねぇぜ!!」
「な…何を言うておる。妾はなぜかと聞いておるのじゃッ!!なぜここまでの危険を冒して妾などを助ける!?無意味な行為じゃ!!」
先の言葉に若干赤くなったけれども、すぐにナギを捲くし立てる。
どうして…
「ハッ、忘れたのかよ?言っただろ!?…どこへだって連れてってやるってな!!」
「!」
そんな、あんなときにした約束をまだ…
「りっ、理由になっておらぬ!!妾はもはやそなたの主君であるどころか王族でもない!!かの戦争を起こした大罪人『災厄の女王』じゃ!!妾の救出に意味はない!!」
そうじゃ。『災厄の女王』である妾を世界を救った『英雄』が救う必要など何処にもない。
「妾の価値はもうこの死にしかないのじゃ!!頼むッ、ここま…まっ!」
ゴスッ。
突如襲われた頭への激しい衝撃と痛みに言葉は遮られてしまう。
「??」
「相変わらずゴチャゴチャうっせぇ~」
疑問符を浮かべながらナギを見つめているとナギは溜息をつくように言葉を漏らす。
「あーもー、言わなきゃわかんねぇかなこの箱入り姫さんは!!理由だぁ!?」
無数の魔獣の口に追われながらナギは走る速度を増していく。
「俺が、アンタを」
バンッ!!
「好きだからに決まってんだろぉが!!」
「は?」
その言葉に思わずマヌケな驚きを上げてしまう。
「…ってオイ。何だよその顔予想もしていなかったって顔だな」
そうではない。
まさかそんなことの為だけに妾のことを…
「…傷つくぜぇ。ったく、何が世界を救えだよ?」
そこまで言うとナギは笑みを浮かべ、
「好きな女の一人も救えねぇ男に世界とか救える訳ねぇだろ、バカ」
「……」
「それにな。ユウに守れって言われてんだ。あいつの最後の言葉を守れねぇとか、どんな顔して会えばいいんだよ」
確かにあの時、ユウはそんなことを言っていた。
もしや、こうなることを見越してナギに“色々”などと言ったのか…?
「で?アンタはどうだ?」
「何!?何がじゃ!?」
「アンタは俺のコトどう思ってんだ?」
「なっ、なぜ妾が言わねばならぬ!?」
「俺が言ったんだからフツー言うだろ」
妾の少し裏返った声にナギは呆れたように返す。
「そ…そうなのか?」
「ああ、それが礼儀だ。一般常識だぜ」
「そ…そうか。し、しかし妾は…」
ナギがどのような答えを求めているのかは理解できておる。
じゃが、妾がはたしてそれに答えていいものか…
「王族であるが故、元々妾に私心は許されぬ。それどころか今の妾は大罪人『災厄の女王』、苦界に落ちた民達の為にもそのようなうわついた…」
ゴス、ゴスッ。
「は、きゅ」
苦し紛れにした言い訳はまたもや頭突きによって遮られる。
その上、今度は二回じゃ。
「何をするのじゃッ」
燃えるような額の痛みに耐え、声を荒げる。
「アンタ、もう王族じゃねぇさっき自分で言ったばっかだろ。それに『災厄の女王』も今さっき死んだ。アンタは自由だ。もうアンタを縛るものは何一つない」
そう言うとナギは妾の身体を下ろし、杖の上に立たせる。
「今のアンタは他の何者でもないただのアリカ。ただ一人の人間だ」
「一人の…人間…」
そのように言われたのはいつ以来だったか…
「そ。そーゆーアリカさんとしてはどう思ってるんだって聞いてんだ」
「な…う…」
思いは既に決まっておるだが、いざとなってみるとどうも口に出すことができない。
「…………そううい意味でなら…まぁ…キライ…という訳でもないがな」
「あーーーーい?何スカーーーーー?聞こえねぇスーー」
「嫌いではない」
「んぁん?声小さいス」
ぴきっ。
何処かイラツキを彷彿とさせるナギの言葉にも一度は耐えたが二度目は無理じゃった。
こうなったら…
「ああ、そうじゃ。この二年間一日たりとも主のコトを考えぬ日はなかったわ!!それがどうした悪いか!?」
「いや、悪かねぇ」
そのままナギのもとに引き寄せられ唇が重ねられる。
それは温かさを感じるもので。
ここにきてやっとまだ“生きている”という実感が湧いて…
「…っ、うっ…うっ…」
「アリカ?」
どうしようもなく涙が溢れ出してしまうのじゃった。
「うっ…ふっ…くっ…」
「アリカ…遅れて悪い…この瞬間しかなかったんだ…」
そのようなことは理解しておった。
それでも、涙が止まることはない。
ただ、止めどなくしたり続ける…
「あーーーーもーー可哀そうに。こんなにヤセちまってよ」
ぎゅっとナギに抱きしめられ、慰めるようにナギは頭を撫でてくる。
痩せてしまったのも当然だ。
牢獄で与えられる食事は最低限しかとってこなかったのだから…
「胸だけは健気に成長したみてーだけどな。俺の為に」
ゴッ。
久しぶりに放つことになった王家の魔力を込めた拳はブランクあけにも関わらずキレは全く変わっていないようじゃった。
「なぁ…アリカ」
「うむ…?」
何ともないように杖の上に戻ってきたナギが声をかけてくる。
「結婚すっか」
またしても妾は言葉を失った。
「…アンタの罪も後悔も……まだ残る民への責任ってヤツも…全部一緒に背負ってやるぜ」
サァァ。
一陣の風が吹き渡り、ナギの言葉が染みわたっていく。
「なっ」
「む…」
こればかりは沈黙が肯定の証というわけにはいかない。
十分な静寂の後、妾は…
「はい」
ユウよ。
主が許に逝くのはまだかかりそうじゃ。
逝くときは必ずナギと共に参ると約束しよう。
サァァ。
再び流れた一陣の風は妾たちのことを祝福しているようであった。
♢ ♢ ♢
Ave Maria, gratia plena,
【めでたし、聖寵みちみてるマリア】
「ガトウさん。死んじゃやだよ!!」
「悪いな。流石の俺ももうダメみたいだ…」
「師匠!!」
胸から流れる血は俺の命が残り少ないことを如実に示しているだろう。
治療をする術が一切ないこの状況ではあともって数分というところであることは確実だ。
尤も治療をする術があったところで変わらない現実だろうが。
Dominus tecum,
【主御身と共にまします】
「タカミチ、後のこと任せたぞ」
「師匠…クッ、分かりました」
タカミチは歯を食いしばりながらもしっかりと頷く。
これならばちゃんとアスナの嬢ちゃんを争いのない世界に導いてくれるだろう。
アスナの嬢ちゃんの境遇はあまりにも不遇過ぎる。
ならば、全てを忘れてただの“アスナ”として生きてもらいたい。
benedicta tu in mulieribus,
【御身は女のうちにて祝せられ】
全ての記憶を失わせることは存在を殺すことと同義であるほどのことだ。
それが俺の一方的な思いから来る願いだということも分かっている。
ユウだったら“ふざけるな!!”と俺のことを殴り飛ばしてくるかもしれない。
だが、アスナの嬢ちゃんはまだ全てを知っているには幼すぎる。
喩え、年齢がその見た目と違っていようが。
et benedictus fructus ventris tui Jesus.
【御胎内の御子イエスズも祝せられたもう】
「さぁ、行け。そろそろ奴らも追いついてくる」
「ガトウさん!!?ガトーさーーーん!!」
泣き叫ぶアスナの嬢ちゃんを連れてタカミチがこの場を離れていく。
いつかアスナの嬢ちゃんが記憶を取り戻す日が来るかもしれない。
その時はせめて全てを受け入れられる強さとアスナの嬢ちゃんを支えてくれる仲間がいることを願おう。
Sancta Maria mater Dei,
【天主の御母聖マリア】
「くそっ、最後の一服もできないか…」
煙草を口に咥えたまでは良かったが、火をつける手段がないことに気付いて悪態をつく。
迫りくる追手の気配はもうすぐ傍だ。
できることなら、ひと思いに殺して貰いたいものだ。
ora pro nobis peccatoribus,
【罪人なる我らの為に】
「っとその前にどうやらお迎えが来てしまったようだな」
霞む視界に映ったのはかけがえもない戦友。
どうやら俺のことを迎えに来てくれたようだった。
「悪いな。最後に一服したいんだ。火、つけてくれるか、ユウ?」
『あぁ、しっかりと堪能しておけ。天国にしろ、地獄にしろ、禁煙だろうからな』
「それはあの世も世知辛いものだな」
ユウは煙草に火を灯すとそのまま俺の懐から煙草を一本引き抜き咥える。
「何だ、お前も吸うのか…」
『今だけだよ』
「そっか、あの世は禁煙だっけな」
nunc, et in hora mortis nostrae,
【今も臨終の時も祈り給え】
「なぁ、神様は祈れば俺の願いも叶えてくれるだろうか?」
『さぁな、暇だったら叶えてくれるんじゃないか?』
「そうか、そうだな…ならば直談判してみるか」
アスナの嬢ちゃんが幸せな未来を迎えられるようにってな。
「じゃあな、ユウ。また会おう」
『あぁ、また、な』
そのユウの言葉を最後に俺は意識を永遠の闇に落とすのだった。
Amen
【アーメン】
♢ ♢ ♢
「ふぅ、ようやく片付いたか…」
私は掃除用具を傍において椅子に腰かける。
家は使わなくなるとすぐに痛んでしまうというが、まさにその通りで適度に手入れをしてはいるものの何処か寂れてしまっているように感じる
「自分のことを“私”と呼ぶようになって随分と経つものだ」
“青山”から“近衛”へと婿養子に入り、話し方も幾分か変わるようになった。
子宝にも恵まれ十分と幸せと呼べる日々であったと思う。
「あれから十数年か…早いものだ…」
写真立てに飾られている写真を見つめながら呟く。
「あの決戦でユウとゼクト殿が逝き、その後にガトウ。そして、ナギ…この写真に写る者も生きているのはついに半分になってしまったな」
ガトウが命を張ってタカミチくんとアスナくんを逃がしたことは耳にした。
できることならば助けに行きたかったが、立場が邪魔をしてそうはいかなかった。
「そうだ、ユウ。“夕凪”を継承できそうな人がいたよ。彼女もまた事情があるのだけどな。才気に溢れ、なによりも私と気の質が似ている。彼女ならば“夕凪”を使いこなしてくれると信じているよ」
ユウがいたのならば彼女に適したように調律をしてくれただろう。
だが、ユウはもういない。
あの時に本当に申し訳なさそうな声の念話が今も深く印象に残っている。
「さて、感傷に浸るのはここまでにして木乃香の様子でも見に行きますか。ユウ、お前が救ってくれた命で私は新しい“未来”を育んでいるよ」
A end of “age” creates new story.
「一つの時代の終わりは新たな未来を築く」
“fate” start running, Silently, Slowly...
「運命は廻り始める。静かに、緩やかに…」
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皆様の様々な意見ありがとうございます。
中には遅いという意見もあるようで。
原作にほとんど触れてなかったので移すタイミングがつかめていませんでした。
4部の始まりで板を移す予定でいきたいと思います。