・なんとなく「いいかげんな食事」で済ませると、
満足感がないものだから、
あとでついつい、また妙なものを
だらしなく口に入れることになるんですよね。
でも、「おいしいおにぎり1個」というのは、
それなりに食べた気になるものなのです。
つまりそれは、「いいかげんな食事」とはちがうらしい。
あんまりおもしろいとも思わずに、
点けっぱなしのテレビをだらだら見ていると、
これも、満足感がないせいか、
ちっとも楽しんだという気がしません。
おもしろい濃いめの映画なんか観たら、
そのあと休むにしても、仕事するにしても、
気持ちよく取りかかれるんですよね。
そう考えると、長い時間、
だらだらだらだらとやり続けるような仕事は、
終わったとしても、気持ちのいい達成感がなくて、
気分よく「さぁ、休もう」と言えないような気がします。
本気で取り組んで、「やった」という気がする仕事は、
休むことも、しっかりできるような気がするんです。
ぼくが、休み方がへただというのは、
だらだらと「いいかげんな食事」のような
仕事の仕方をしているせいなのかもしれない‥‥。
とか、ぼくは言ってますけれど、
このようなことを書きはじめた動機は、
じぶんの仕事のやり方だとか休み方への反省ではなく、
「なんかいいかげんなもの食っちゃったから、
口も腹もこころも満足してないよ、まったく!」
という不満足感にあります。
・ぼくは、どうやら書いたものを整理してみると、
「食う」ことばかり考えているらしいです。
家庭での会話も、6割ぐらいは「食う」ことですし、
旅でも、ただの外出でも、
「なに食おうか」あるいは「なに食わせようか」を、
ひっきりなしに考えているような男です。
いや、ただそれだけのことでして、御免なさいよ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
臨時で、土鍋が追加されています。チャンスでありますよ。
満足感がないものだから、
あとでついつい、また妙なものを
だらしなく口に入れることになるんですよね。
でも、「おいしいおにぎり1個」というのは、
それなりに食べた気になるものなのです。
つまりそれは、「いいかげんな食事」とはちがうらしい。
あんまりおもしろいとも思わずに、
点けっぱなしのテレビをだらだら見ていると、
これも、満足感がないせいか、
ちっとも楽しんだという気がしません。
おもしろい濃いめの映画なんか観たら、
そのあと休むにしても、仕事するにしても、
気持ちよく取りかかれるんですよね。
そう考えると、長い時間、
だらだらだらだらとやり続けるような仕事は、
終わったとしても、気持ちのいい達成感がなくて、
気分よく「さぁ、休もう」と言えないような気がします。
本気で取り組んで、「やった」という気がする仕事は、
休むことも、しっかりできるような気がするんです。
ぼくが、休み方がへただというのは、
だらだらと「いいかげんな食事」のような
仕事の仕方をしているせいなのかもしれない‥‥。
とか、ぼくは言ってますけれど、
このようなことを書きはじめた動機は、
じぶんの仕事のやり方だとか休み方への反省ではなく、
「なんかいいかげんなもの食っちゃったから、
口も腹もこころも満足してないよ、まったく!」
という不満足感にあります。
・ぼくは、どうやら書いたものを整理してみると、
「食う」ことばかり考えているらしいです。
家庭での会話も、6割ぐらいは「食う」ことですし、
旅でも、ただの外出でも、
「なに食おうか」あるいは「なに食わせようか」を、
ひっきりなしに考えているような男です。
いや、ただそれだけのことでして、御免なさいよ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
臨時で、土鍋が追加されています。チャンスでありますよ。