今場所を含めて、大相撲に変化の時期が来ている。そんなことを感ずる人は、少なくはない。こうした変化は突然訪れてくるものではない。
先行が先に走って、次第にその後を本番の変化が訪れてくる。
こうしたことを一番わかり易いのは、他でもない具体例をあげることだろう。そういった具体的で一番わかり易いのは、他でもない、稀勢の里に受けた白鵬の二敗である。
白鵬が一気に先頭を突っ走っていた頃、一種の怪我負けのような敗北はあっても、それが二、三番土俵上に繰り返すことなど考えもしなかっただろう。
ある意味で、白鵬の強さは一種の絶対性を示していたのだ。それに、なんかの都合で負けることがあったとしても、後を引くことなど誰も考えても見ようとはしなかっただろう。
だが、生身の人間のすることだから、絶対ということはあり得ないと、いつも計算の中に置いておかなければならないはずなのだ。
その意味からすれば、相撲ファンの痛い思い出として、白鵬が今場所でみせた脆さに関しては、先行事象があったということなのだ。
それは三役常連の、実力、それこそ、日々新たにされる変貌を見せつけられることだし、先行ランナーとして一歩も二歩も先を行く者として、追いかけられる者だけが背負わされるものだといえよう。
そんなことをひと言でいえば、この大相撲では立ち止まることは許されない。立ち止まればそこで落伍者として、追いつけないはずだった大差を消し去ることになりかねない。そして、今場所、白鵬が示した意外な脆さは、存外後を引くものなのかもしれない。 (作家)
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