ドキュメントにっぽんの絆

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ドキュメントにっぽんの絆:/1 失踪 19年後の便り

 ◇会いたくて会えなくて 残した妻子、償う時間を

 12月22日夜。四畳半一間のこたつで、嘉一(よしかず)さん(55)は東京スカイツリーのイラストをあしらった年賀はがきに向かっていた。20分あまり考え、ゆっくりとペンを動かした。「19年間の償いを少しでもしたいと思います。一日でも早く会えるよう頑張ります」。妻と一人娘を残して蒸発し、死んだはずの嘉一さんが初めて書いた年賀状。新しい年への願いを込めた。

 国が発行する官報の「失踪宣告取消」欄には、失踪宣告を受けて死亡したとみなされながらも、その後に生存が確認された人の氏名が並ぶ。嘉一さんの名はこの欄にあった。

 11月14日。私は失踪者の実態を取材しようと、神奈川県大和市のワンルームマンションを訪ねた。郵便受けは粘着テープで塞がれ、表札もない。「客が来たのは初めて」。突然の訪問に驚きながらも嘉一さんは応じた。取材に答えるうちに封印してきた思いが込み上げてきた。「謝らなければと思い続けてきたけれど、まだ勇気がない。この気持ちを家族に伝えてほしい」

 嘉一さんは高校卒業後、2年間の信用組合勤務を経て、群馬県藤岡市で父が営む運送会社に入った。83年に28歳で結婚。翌年、会社は約2億円の負債を抱えて倒産し、その3カ月後に娘が生まれた。

 再起を期した嘉一さんは建築会社に入った。時代はバブル景気に沸いていたが、負債整理を抱えながらの慣れない仕事。逃げるようにパチンコに走り、再び膨れ上がった借金は200万円になった。

 単身赴任手当を返済に充てようと、東京の本社に転勤。だが、逆にパチンコで借金は膨れ、ヤミ金からの取り立ての電話が職場にもかかるようになった。「もう妻に顔向けできない」。思い悩んだ末、91年7月の早朝、社員寮を抜け出した。36歳だった。

 運転免許証や保険証が入ったバッグは駅のコインロッカーに捨てた。すべてのつながりを絶ち飛び込んだのは、運送会社で夜中に宅配便を仕分ける仕事だった。19年間の失踪生活は日本経済の低迷期と重なる。職場には事情を抱えた人たちが流れ込んでは消えた。誰も身の上を語らず、聞こうともしない。嘉一さんも「田村」の偽名で通した。

 妻子への思いが募ることもあった。「再婚しただろうか」「娘はどんな子に育っただろう」。ベルトコンベヤーの小包に故郷の地名を見つけると胸が締めつけられた。

 保険証もなく、歯槽膿漏(のうろう)で歯が抜け続けても痛みに耐えるしかなかった。今は下の奥歯4本が残るだけだ。食は細り、体重は80キロから60キロに減った。部屋で独り、静かに酒を飲むのがささやかな楽しみ。「体が続く限り働いて、ひっそり死のう」と決めていた。

 戸籍が抹消されていると知ったのは半年前。所属する派遣会社が変わり、住民票を求められたのがきっかけだった。役所で住民票を申請すると、10年前に亡くなった父の相続手続きのために叔父が申し立てた失踪宣告が02年に確定していた。「自業自得だ」。自嘲するしかなかった。

 私は藤岡市に向かった。元妻(55)と娘(26)は以前と別のアパートに2人で暮らしていた。嘉一さんの消息と謝罪の言葉を伝えると、元妻は「今さら何を」と絶句した後、「元気でよかった」とつぶやいた。「死んだと思うようにしていた」と語る娘の目に涙があふれた。

 元妻は、昼間は工場、夜は飲食店で働き娘を育て上げた。「お父さんがいれば、こんな思いをしなくて済んだのに」と風呂場で娘を抱き締め泣いたこともあった。失踪の数年後、裁判所に離婚を申し立て、旧姓に戻った。母子手当がなければ生活できなかった。

 11月22日。嘉一さんは元妻と娘のアパートに電話をかけ、「長い間、本当に申し訳ないことをしました。娘を今まで育ててくれてありがとう」と留守番電話に入れた。番号は昔と同じ。「待っていてくれたのかも」。胸が張り裂けそうになった。その2日後、初めて持った自分名義の携帯電話を2時間かけて操作し、娘にメールを送った。しばらくして「お仕事頑張ってください」と返信があった。

 「これから仕事か」「声が聞きたくて」。12月15日、空白を埋めるように連日電話やメールを繰り返す嘉一さんに元妻が言った。「(娘が)簡単に許しちゃいけないと言っている」。与えた痛みの大きさを思い知った。

 独りぼっちじゃ生きていけない--。張り合いのない生活に光が差し、嘉一さんは当たり前のことに気付いた。少しずつ貯金も始めた。「許してくれなくてもいい。春になったら会いに行こう」【川辺康広】

      ◇

 「ドキュメントにっぽんの絆」は、家族や地域のつながりが薄れていく今の時代を生きる人々と記者が共に歩き、人間の絆を考えるシリーズです。各回で取り上げる人々は今後も継続的に取材し、続編を随時掲載していきます。=つづく

 ◇不明7年で「死亡」宣告

 行方不明者の捜索支援や家族のケアをしているNPO法人「日本行方不明者捜索・地域安全支援協会」(東京都)には毎月30~50件の相談が寄せられる。同協会の古内栄・事務局長は「30~40代の男性が失踪するケースが増えている」と指摘する。以前は借金や異性関係など理由は明確だったが、最近は動機が見当たらない人が目立ち、独身が長く引きこもった後に消息を絶つケースが多いという。

 警察庁によると、09年に捜索願が出た家出人は8万1644人。年代別では10代22・8%▽20代17%▽30代15・3%▽70歳以上14・3%▽40代12・1%と続いた。動機は家庭関係のトラブル22・2%▽疾病関係16・1%▽事業・職業関係12・4%など。

 捜索願が出た家出人は10万2880人だった02年以降、7年連続で減少しているが、同協会は「実数ははるかに上回る」とみる。その理由を「電話やメールがたまにあれば、捜索願を出さない家族が増えている」と分析する。

 民法は生死不明の人を法律上、死亡したとみなす「失踪宣告」の規定を設けている。生死不明が7年続けば家族ら利害関係者が家裁に申し立てることができる。生存が判明した場合、本人などの申請で宣告が取り消され戸籍が復活する。最高裁によると、09年に認められた「失踪宣告」と「失踪宣告取り消し」の総数は、90年以降最多の2234件だった。

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毎日新聞 2011年1月1日 東京朝刊

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