前のエントリでお話した、梶川ゆきこ県議の
「ミニスカートは売春婦」発言は、ようは彼女にとって、
そうしたいでたちが不快だ、ということなのかもしれないです。
http://twitter.com/yukiko_kajikawa/status/21594064470155264
========
イタリアの地方でミニスカートが禁止された背景には、
町中で売春婦が目立って不快な気分を
人々に与えたのかもしれません。
========
快・不快というだけでしたら、カチカンの問題、
ということでよいと言えるのかもしれないです。
ところが、そこにとどまらない(「売春婦」と表現することで、
差別意識が現れていることのほかにも)大きな問題が
あるのではないか?、という指摘があります。
「性的人間?」
「ハイヒールで否認して」
「ぜう/じゃう」
というのは、女性のファッションに「性的な意味」があると、
読み取っていることが考えられる、ということです。
これはそこに「性的な意味」を読み取る人がいるから、
そうした働きをするのであり、もともとはファッションに
「性的な意味」など通常はない、ということです。
すなわち「ファッションはセクシュアルな意味を
(誰かによって)読み取られることによってのみ、
セクシュアルなサインとして機能する」わけです。
そして、既成道徳的な人たち(エントリでは、
「マッチョな男権主義者」と表現されている)は、
そうして読み取った「性的な意味」を、
「不道徳なもの」として、抑圧しようとするべく、
女性のファッションに禁欲的になるわけです。
梶川氏の場合、「売春婦」という性風俗産業を
「レッテル」として貼付けた上で、
ミニスカートを好ましくないものとしています。
よって、ミニスカートに「性的な意味」を読み取り
それを抑圧する考えの痕跡があるかもしれない、
という可能性は、ありえないことではないわけです。
さらには、ある特定のフェミニストにも
(「思考の構造が単純な」とかっこつきで限定している)、
女性のファッションに「性的な意味」を、
読み取る人たちがいたらしいのです。
そうした人たちは、女性のファッショナブルないでたちを、
男性や男社会へこびているとして、
抑圧にかかったこともあったようです。
ここへ来て、前述の「マッチョな男権主義者」と、
「(思考の構造が単純な)フェミニスト」の方向性が
皮肉にも重なることになります。
男のかたにはぴんとこないみたいなのですが、
おしゃれをするとか着飾るというのは、
自分がやって楽しいとか、自分のためだったりするのですね。
男性の眼を意識してとか、男性の気をひこう、
というわけでは、べつだんなかったりします。
したがって、女性のファッションに対して、
禁欲を要求するのは、本来そこにない
「性的な意味」を読み取って、女性の自由を
拘束することになるのだと思います。
(実際、女性の衣服に自由度がある社会のほうが、
女性が解放されているように、わたしは思います。)
梶川氏がツイートで引き合いに出していた、
イタリアの地方都市でのミニスカート規制法案は、
もちろん、女性の市議たちからの反対はあって、
やはり「女性の自由を束縛する」と猛反発です。
性暴力の被害者女性に対しても、「そんな滑降しているから」とか、「そんな格好であんな場所に行くから」などと言う言葉が平然と投げつけられますね。
それなら、海水浴場は大変な暴力の巷になるはずですが。
「誘うような格好をする女のほうが悪い」と言うのは、完全に、男の方の理屈ですね。
私だって、ミニスカートから伸びる、きれいな足を見たら、むらむらするけど、だからすぐに性暴力、というわけではないです物。
まあ、ファッションの根本は女同士の戦いだってことを男が理解できなかったり女自身がそれを忘れてたりすれば「規制まっしぐら」だろうなぁと思います。女のメンタリティを持つ(または知る)男も最近見かけるので性別にかかわらず彼らにはそこら辺理解されていそうです。