現状を認識したとき、私が感じたのは深い絶望だった。
なぜなら、私がこの世界の住人であるということは、即ち、私は『正史』の人間の空想によって生み出された存在ということ。
物語が終焉し、『正史』の人々が忘れると同時に消え去ってしまう、そんな儚い存在なのだ。今の自分は。
あのゲームの知識が正しければ、であるが。
あのゲームの前作においては、物語に花を添える、単なる敵役に過ぎなかった白装束達。
なるほど、今なら彼らの気持ちを少しは理解できる。
定められた終焉を迎えるよりは、自らの意思で世界を破壊したい。
正史の操り人形ではなく、一人の自立した存在として存在したい。
そんなところなのだろう。
まぁ、あのゲームの内容はかなり忘れてしまっているので、間違っている可能性もあるのだが。
だが、いくら私が絶望しようと、この世界は動いていく。
そして、その流れは否応なしに、私を巻き込んでいくのだった。
この世界は、私にとってゲームの世界だ。
また、世界の管理者達にとっては数多ある外史の一つであり、この世界に暮らす人々にとってはただ一つの世界である。
この世界を簡単に説明するなら、主要な武将の性別が逆転した三国志。
また、その出来事、時系列も正史や演技と異なっている部分が多い。
そんな、ある意味で不完全な世界なのだ、ここは。
そして、正史の人々の幻想によって作られたが故に、何時かは消えてしまう世界でもある。
そんな世界で暮らす私は前世の記憶を持っている。
1990年代から2010年代までを平凡に暮した人間の記憶だ。
その記憶の中で、この世界は恋姫無双・真恋姫無双と言う名前でゲームとして存在していた。
だが、その記憶すらも、正史の人間による想像によって形作られたものである可能性が高いのだ。
「なぜか登場しなかったあの有名な武将が存在して、しかも現代人の記憶を持っていたら?」
なんとも、なんとも、いかにも人々が妄想しそうな内容ではないか。
つまるところ、ここはそういう外史なのだろう。
故に、私は家に引き籠った。
私は正史の人々の思い通りに動きたくなかったのだ。
おそらくではあるが、最も正史の人間達の思惑を外す行動は、私が死ぬまで家に引き籠っているという結末だろう。
前世の記憶をこの世界の知識と共に持たせている以上、正史の人間は私に何かをさせたい筈なのだ。
つまり、私が何もしなければ、それは私が自殺する以上に、正史の人間を落胆させる筈なのである。
動きがない、動きが全く同じな、そんな物語ほどつまらないものは存在しないのだから。
口うるさく厳格な両親も、私が家の侍女達を使って商業で大きな成果を上げると、私が家に引き籠っていることに何も言わなくなった。
これは、私が「これ以上私に文句をつけるのなら、この才能を逆方向に使って、家を破産させる」などと脅したからなのだが。
あの武将の名前をもらっているだけあって、この頭脳はチートだ。
おそらく、情報戦でこの私に並ぶものはこの世界において殆ど居ない。
現代社会での情報に対する感覚と、この優れた頭脳の組み合わせが、そう私を形作っていた。
その結果が、情報を巧みに使うことによる、圧倒的なまでの商業的成功だ。
しかも、情報を使って裏から操作していただけなのだから、私の情報は外には殆ど漏れていない。そのはずだった。
だから、私がミスをしたのだとしたら、それは両親を見誤っていた、それに尽きるのだろう。
「終、貴方にお客様が来たわよ」
私が十六歳になり、それからしばらくの時が経ったある日。私の部屋へ来るなり、姉は私にそう告げた。
勉学に励む、という名目で屋敷に引き籠っている私にお客様?
自慢にもならないことだが、この世界において私の知り合いと言える人間は、家族とその家族に仕える侍女達ぐらいだ。そのぐらい、私は他人と知り合うということを避けてきた。
その上、地位目当てに近寄ってくる(我が家は長い歴史を持つ名門なのである)人間は、父や母が事前に排除してくれるので、私を訪れる人間など居ないはずなのだが。
「誰が来たの?」
大きな疑問と僅かばかりの好奇心を覚えた私はそう尋ねた。
「曹巨高さまの娘さんよ。え~と、名前は何て言ったかしら?」
その言葉に私は眼を見開く。
そんな私を姉は意外そうに見つめた。
「貴方がそんなに表情を動かすなんて珍しいわね。
彼女と何かあったの?」
そんな姉の質問に、しかし私は答えなかった。
…流石、恋姫世界。黄巾の乱の前に、曹孟徳が訪ねてくるとか、時系列が滅茶苦茶だ。
そう、曹巨高(曹嵩)とは、曹孟徳(曹操)の母親(正史では父親だが)なのだ。
そしてこの世界において曹孟徳に姉妹はいない。
つまり、訪ねてきたのは間違いなくあの曹孟徳だということである。
「はぁ」
私は軽くため息を付いた。
そんな私の様子に姉は表情を険しくしてもう一度、質問をしてきた。
そんなに今の私の様子が意外だったのだろうか?
「本当に、彼女と何かあったの?」
「いえ、特には。
私は風邪をひいてしまったので、残念ながら今日会うことはできないと伝えておいてください」
私は仮病を使うことに決めた。おそらく、今、曹孟徳に会っても、私にとって良いことなんて何もないだろうから。
問題は正史補正が入っている場合、刺客が送られてくる可能性があることだが、そこは史実通りずっと臥したふりをしていればなんとかなるだろう。
「わかっ…」
私の言葉に頷こうとした姉は、しかしその視界に新たに入った人物によって、その行動を中止せざるを得なかった。
姉の行動を止めた三人の乱入者。その一人が、全ての者を平伏させるような覇気を撒き散らしながら、悠々と私に近付き、そして言った。
「はじめまして、司馬仲達。
私には貴方が風邪をひいているようには見えないのだけれど?」
そう言って、彼女は獲物を見つけた肉食獣ように笑った。
金髪クルクルのツインテールに、髑髏を意匠した髪飾り、紺と紫を中心とした衣装、苛烈さと可憐さを内包した表情、そして、身に纏っている圧倒的なまでの覇気。
あのゲームで大まかな容姿を知っていなくても、おそらく私は彼女が誰であるか解っただろう。
それほどまでに、彼女、曹孟徳の存在感は大きかった。
「そう?
私は貴方に会いたくないと思ってしまう。そんな病に罹っているわよ」
私はその存在感に負けないように、軽口を言った。
曹孟徳といえども、所詮は彼女も自分と同じ正史の人間の幻想によって作られた存在。
そんな思いが私にそうさせていた。
「貴様!華琳様になんという暴言、生かしてはおけぬぞ」
私の言葉に、曹孟徳の後ろいた女性が怒気を放ちながらそう叫ぶ。
彼女が夏候元譲(夏候惇)なのだろう。姿といい、曹孟徳に心酔しているところといい、ゲームとそっくりだ。
「やめなさい、春蘭」
刀を抜き、それで私に斬りかかろうとする夏候元譲を曹孟徳が止める。
「しかし、華琳様、こやつは…」
「私はやめなさいといったのよ、春蘭。
部下がすまなかったわね。仲達。
それで、貴方の病は何時頃治るのかしら?」
なおも私に斬りかかろうとする夏候元譲を曹孟徳が強い視線と口調で止める。
その上で、私にそんな質問をしてきた。
「残念ながら、治るみこみはないのよ。だから帰ってもらえないかしら?」
私は、軽口を続けた。
「貴方に治せないというのなら、私が無理矢理にでも治すまでよ。
司馬仲達、私に仕えなさい。この世ならざる才を持つと家人から恐れられ、僅か数年の間で司馬家の財をここまで増やしたあなたの才能、こんなところで眠らせて置くには惜しすぎる。
その才、我が覇道の為に役立てなさい」
強大な存在感と全ての者を平伏させるような覇気。流石は、覇王。そう言いたくなるようなカリスマを持ってして、彼女は私にそう述べる。
なぜ、私が司馬家の財を増やしたことを曹孟徳が知っている?
その疑問は即座に私の中で答えが出た。
そのことを知っているのは、侍女と両親と姉のみ。
そして、その中で、侍女と姉にはそのことを隠さざるを得ない理由がある
ならば、答えなど決まっていた。
おそらく、私を恐れた両親が私のことを曹家に売り渡したのだ。
曹孟徳がここまで勝手に入り込んできたこともそれで説明が付く。
あの脅しが両親にとってそれほどに怖かったのか。あるいは、これが正史からの補正なのか。
唐突に私は笑いたくなった。
まさか、物語と関わらないようにと、家の中で引きこもる為に行ったことが、曹孟徳を呼びだしてしまうとは。逆効果にも程があるというものだ。
なんという迂闊さ。どうも私は自分の名前と才能に溺れ過ぎていた様だ。
だが、私は曹孟徳に仕える気はない。そんな、いかにも正史の人間が考えそうな行動を行うなどまっぴら御免だ。
そう思った私は、曹孟徳の後ろに彼が居ることを確認して、早々に諸刃の剣であるジョーカーを切ることに決めた。
「やめた方が良いと思うわよ。
ねぇ、天の御使いさん、貴方もそう思うでしょう?」
私は曹孟徳の後ろに居る、唯一の男性にそう声をかけた。
良く見ると中々にイケメンだ。流石、エロゲーの中でも有数のハーレム主人公、北郷一刀である。
この時期に曹孟徳の側に居るということは、真の魏ルートなのだろう。
しかしそんなことは私には関係がなく、重要なのは、彼が私のジョーカーの効果を何倍にも倍増させるという事実だった。
「司馬仲達は、曹家に破滅を齎す。違っていて?」
私は笑ったような演技をしながら、そう言葉を続ける。
それに対して、北郷一刀は面白いぐらいにうろたえた。
「何で、それを君が…」
彼は私を問い詰めようとするが、その行動は曹孟徳の鋭い眼差しによって止められる。
そして、私はそんな北郷一刀の行動を待っていたのだ。
彼の行動は、私の言葉が事実であると言っているも同然なのだから。
「貴方は、自分が私の国を滅ぼせるとでも言いたいのかしら?」
曹孟徳から発せられる覇気がより一層強まった。
夏候元譲も、今にも斬りかからんとばかりに殺気を放っている。曹孟徳が手で止まるように指示しなければ彼女は即座に私に斬りかかっていただろう。
私の姉などは、気圧されて壁際まで下がってしまった。
「さてね。私はある人物にそう占われただけだし、詳しいことは御使い様が知っているのでは?」
もちろん、そんな占いをされたことはない。
しかし、それは私以外の誰にも解らないことなのだ。
そして、この場合はそれだけで十分。
「占いを信じるなんて、可愛いところもあるのね」
「貴方と同じことよ。孟徳」
占いというのは、信じる人が居るからこそ役立つのだ。
曹孟徳が天の御使いである北郷一刀をそうして利用しているように。
私が曹家を滅ぼすと占われたということは直に曹家内部に広まるだろう。
それを認めるような行動を天の御使いが取ったという事実と共に。
仮に広まらなかったとしても、私が広めればいいだけだ。
そして、その時、曹孟徳に忠誠を誓う人間は間違いなく私を排除しようとするはずだ。
その占いが指し示す可能性を恐れて。
だからこそ、曹孟徳は今ここで私を登用することができなくなった。
私を登用しても、いずれは彼女の忠臣たちに殺されてしまうと解ってしまった以上、人が持つ才能を愛する彼女は私を登用することができなくなる。
「なるほど、そういうこと。
その結果、自分が殺されるとは考えなかったの?」
それは当然考えた。史実の曹孟徳も司馬仲達に登用を断られた後、他所に逃げるようなら殺せと命令した刺客を司馬仲達に送り込んでいるのだから。
「さて、ね。
はたして天はそんな運命を私たちに与えるかしら。
もっとも、それならそれで、私は構わないのだけれどね」
そう、実の所、私は死んでもかまわないと思っている。
占いを恐れられたが故に、殺される司馬仲達。
少なくとも、そんなことをさせる為に私が居るとするなら、私に前世の記憶がある意味がなくなる。
つまり、私に前世の記憶がある以上、正史の人間は私にもっと別のことを期待しているのだ。
ならば、そうやって私が死ねば、それは正史の人間達の思惑を外すという、私が望む結果となる。
私はある意味で壊れているのだろう。正史の人間に対する反逆、それが命よりも優先されることとして私の中に根付いているのだから。あの絶望感はそれだけの傷を私の中に作っているのだ。
「私も嫌われたものね。命を対価とした賭けで、登用を断られるのだから」
「それだけ、貴方を恐れているということよ。曹孟徳」
そう、私は曹孟徳を恐れている。史実を知っている私は、彼女ならば私を任官させてしまうかもしれないという思いを捨てきることができない。
「ふふふ、いいわ、今日の所は引いてあげる。
けれど、何時か貴方を私の下に跪かせてあげるから、覚悟しておきなさい」
そう言って、曹孟徳は供を引き連れて、部屋から出ていく。
これが、私と曹孟徳の初めての出会いであった。