[受賞作] モーロク俳句ますます盛ん ―俳句百年の遊び (岩波書店)
[著者] 坪内稔典 つぼうち・としのり 略歴 一九四四年愛媛県生まれ。俳人、佛教大学文学部教授、京都教育大学名誉教授。「船団の会」代表。主な著書に『カバに会う─日本全国河馬めぐり』『季語集』『柿喰ふ子規の俳句作法』(岩波書店)、『子規のココア・漱石のカステラ』(NHK出版)、句集『水のかたまり』『坪内稔典句集』(ふらんす堂)など。 |
[受賞のことば]-------------------------------------------------------- |
第二芸術論的地平に立つ私は、菊作りと俳句作りの楽しさは同じ、そして俳句作りとパチンコをする楽しさも同じだ、と思うが、意外にも反発する人が多い。自分の好きなものや熱中しているものを、パチンコと同列には置かれたくないらしい。だが、かつてパチンコに熱中した体験からも、それはやはり同じだと思う。肝要なことは、自分の好きなことや熱中していることを絶対化しないことだろう。俳句だって学問だって菊作りだってパチンコだって、とっても楽しい。楽しいという素朴な感情はどの場合にもとても深い。 最後になったが、日頃から敬愛している方々に選考していただけたこともうれしいことだった。目下、「春の風ルンルンけんけんあんぽんたん」の気分である。 |
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[選評]
梅原猛 ●選考委員 |
うめはら・たけし(哲学者) 一九二五年宮城県生まれ。京都大学文学部哲学科卒。京都市立芸術大学学長、国際日本文化研究センター初代所長を歴任。「梅原古代学」を確立し、さらに日本文化の深層を探る。『梅原猛著作集』(全二〇巻)『梅原猛全対話』(全六巻)など著書多数。 |
今年の桑原武夫学芸賞の最終候補作にはレベルの高い作品が多かったが、私は坪内稔典氏の『モーロク俳句ますます盛ん─俳句百年の遊び』を強く推した。題名をみると、もうろくしているのは坪内氏であるのか俳句であるのか曖昧であるが、実際に読むと、坪内氏はもちろん俳句も決してもうろくしていないことがよく分かる。 私が特に興味をもったのは、桑原武夫の「第二芸術論」を実に的確に評価していることである。坪内氏は、「第二芸術論」を桑原の論にかぎらず、次いで出された川端康成、坂口安吾、小野十三郎などの論を含め、それに俳人がどう反応したかを詳しく語る。たとえば、桑原の論を真っ向から否定したように思われる中村草田男などの俳句及び俳論は「第二芸術論」が刺激になって生まれたと坪内氏は論じる。 これはおそらく、「第二芸術論」の文学史的な位置づけをみごとに行った最初の仕事であろうが、それを飄々として行っているところが俳人の俳人たるゆえんであろうか。 |
杉本秀太郎 ●選考委員 |
すぎもと・ひでたろう (フランス文学者・国際日本文化研究センター名誉教授)一九三一年京都府生まれ。京都大学大学院博士課程修了。京都女子大学教授、国際日本文化研究センター教授を歴任。『徒然草』(読売文学賞)『平家物語』(大佛次郎賞)など著書多数。また『悪の花』(ボードレール)など訳書多数。 |
論議の挙句、受賞は一冊になったが、篠田正浩『河原者ノススメ』(幻戯書房)、森まゆみ『女三人のシベリア鉄道』(集英社)もさいごまで残った。映画製作を生業としてきた人がみずからの命の根源に掘りつづけた鉱脈を飽くことなく語る一冊。名高い女流作家三人それぞれの旅の始点と終点のあいだをみずから旅した長大な紀行が批評を包んでいる一冊。 坪内稔典の一冊の字数はこの部厚い各冊の三分の一にも及ばないが、山椒は小粒ながらにピリリと利いている。桑原武夫の「第二芸術論」の隠された半面、即ち芭蕉俳諧の「連衆」を取り拾って、これをつぶてに戦後の俳壇に投げつけた、事の重さを計った人は、これまで現れなかった。京大人文科研での桑原武夫を主(あるじ)とする共同研究会がつねにそうであったように、坪内の「句会」、作品が作者を作る構造を忘れぬ「句会」にも、つねに笑いが溢れているだろう。柳田国男の「笑の本願」はこうして息を継ぎ、「俳句」によって人はことばの手ざわりを知り、破格に触れ目を細める。 |
鶴見俊輔 ●選考委員 |
つるみ・しゅんすけ(評論家) 一九二二年東京都生まれ。ハーバード大学哲学科卒。四六年『思想の科学』創刊同人となり、一 |
桑原武夫は、戦後も続く老人支配に抗議して、「第二芸術論─現代俳句について」を一九四七年に書いた。それから六二年、坪内稔典の『モーロク俳句ますます盛ん』は二〇〇九年に発行された。今度の発言は、前の桑原説の延長線の上にあり、俳句に向けるまなざしは、桑原とちがってあたたかい。日本人の平均寿命は、前の時代には予想できないほど延びた。 日本の近代は、若いうちに成功と失敗とが分かれる制度をもっている。東大入学十八歳はその後の人生を約束する。今のように長生きすることになると、引退後なにをしたらよいのか。俳句は、老人の日本語をみがく機会を与える。子規、漱石、とんで寺山修司、上野千鶴子は、若い年代に俳句に踏みきって、それぞれの道を歩んだ。現代の老人はおたがいの長寿にふさわしい道をつくるだろうか。俳句研究の先達柳田国男のように、非凡に心を奪われず、平凡の偉大を信じて。 |
山田慶兒 ●選考委員 |
やまだ・けいじ(科学史家・京都大学名誉教授) 一九三二年福岡県生まれ。京都大学大学院文学研究科修士課程修了。京大人文科学研究所教授、国際日本文化研究センター教授を歴任。『黒い言葉の空間』(大佛次郎賞)『朱子の自然学』『混沌の海へ』など著書多数。現在、龍谷大学客員教授として古典籍研究に携わる。 |
かねてわたしは疑問に思っていた。俳句はいっこうに面白くない。それにしても、あんな面白くないものを、あれほどたくさんのひとが、あきもせずに作りつづけているのだから、俳句の世界にはきっと、ひとを惹きつけてやまないなにかがあるのだろう。 そのなにかとはなにか。坪内稔典さんの『モーロク俳句ますます盛ん』を繙くといきなり、俳句は句会で生まれる、句会が俳句の作者を作る、俳句の読者はつねに俳句の作者である、といった言葉が目に飛び込んできて、半分腑に落ちた。「俳句レッスン1から10」にいたって、俳句の面白さをついに得心。俳句の書き手にはなれそうもないが、読み手にはなれるかも知れぬと、俳句疎遠人に思わせる、著者の俳句の捉え方と話術はみごとである。俳句好きにも俳句嫌いにもすすめたい作品。 なお選にはもれたが、篠田正浩さんの『河原者ノススメ』、森まゆみさんの『女三人のシベリア鉄道』も、受賞作と甲乙つけがたい力作だった。 |