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天声人語

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2011年1月24日(月)付

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 日本車の名前は数あれど、マニアが語り明かせる名跡となるとそうはない。その一つがスカイラインだ。7代目までの開発に携わり、あまたの伝説を残した桜井真一郎さんが亡くなった▼出身のプリンス自動車には、ゼロ戦などを手がけた男たちが集い、1957年の初代スカイラインは「飛行機屋が凝った作品」と評された。代々に脈打つスポーツ魂は、桜井さんが足回りを任された2代目からで、もっぱらサーキットで培われた▼初代より小さな車でレースに挑むにあたって、桜井さんは上級車種の大型エンジンを積むべく、量産型の車体を20センチ伸ばす奇策に出る。かくて生まれた2000GT、通称スカGはイメージを決定づけた▼日産に吸収合併されても、技能集団の遺伝子は3代目に引き継がれた。中でもレースを意識した「GTR」は国内無敵の走りを誇り、今も日産の看板だ。4代目は排ガス対策などで重くなったが、「ケンとメリー」の粋な宣伝でよく売れた▼販売戦略から、桜井さんは「スカイラインの父」にされた。本人は職人の頭領を自称し、「伝える手段は図面のみ」と、鉛筆の線がきれいに引けるまで新人をしごいたという。それでもオヤジさんと慕われ、桜井学校からは逸材が輩出した▼「やれるだけやって、車づくりに心血を注いだ満足感を持って死にたい」。享年81。言葉通りの、うらやましい開発人生である。ケンメリのCM曲でも聴き直し、天に駆け上る丸型テールランプを見送りたい。この耐久財が夢や憧れでありえた時代が、また遠くなる。

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