我々は一年間、ヨーロッパ演劇の歴史を扱って行く。多くの皆さんにとって、演劇は芸術の主要なジャンルではないだろう。他方、テレビドラマを通じて、演劇は我々にとって、自覚しないにせよもっとも身近なジャンルになっている。いわば、身近になるにつれて、演劇はその芸術的重要性を失っていったかのようである。
しかし、演劇とは実際に何なのか?
そこには三つの構成要素が存在するだろう。
この三点を念頭に置きつつ、古代ギリシアにおける演劇の起源と成立を見ることにする。
この三つの要素の中で、もっとも重要なものは「役者」である。役者は自分ではない何かに扮して、その人(ないしもの)として語り、行動する。こうした存在はいかにして生まれてきたのだろうか。洞窟壁画はすでに獣の皮をかぶり扮装する人間を描いている。そこに宗教的儀式の介在を見るのは容易である。実際、ギリシアにおいても、また他の文化圏においても、演劇はその起源に関して何らかの宗教祭式と結びついている。多くの文化圏で、宗教的熱狂のもとでの憑依が見いだされるのである。人は憑依の結果神になり、神として語る。これが演劇のきっかけだったと考えても良いだろう。これをimpersonation(扮演)と呼ぶ。
しかし扮演だけでは演劇の成立ではない。それはまだ宗教的儀式なのである。憑依された人がたとえばディオニュソスという神の名前で語ったとして、人々が彼をディオニュソスだと考え、みずからその祭式に参加しているかぎりでは、彼は何ら「演じて」いる訳ではない。ディオニュソスという神の名前で語ったとしても、彼の言葉がもはやディオニュソスの言葉ではなく、したがって人々は宗教祭式に参加しているわけではないという場合に初めて、そこに演技が生まれる。演劇は祭式の解体なのである。
しかし、人々が信仰を失って初めて演劇が生まれるというわけではない。役者への神の憑依が真実だと考えられなくなり、人々が役者の言葉を神の言葉として聞かなくなるというだけで充分である。人は役者の言葉に従うのではなく、それを享受するのである。
演劇を生み出す枠組みそのものは長く宗教的であり続けた。それは、したがって、今日のように日常的な場ではなく、特殊化された、非日常的な時空を必要とした。古代ギリシアにおいて、演劇は基本的に年に何度かの楽しみ、ディオニュソスの祭に際して上演されたのだし、中世のヨーロッパにおいても、何度かの祭日が演劇のための場だった。
だが、人はなぜ、そうした場に集うのか?多くの演出家・俳優・観客は、優れた上演に際して、観客はたんなる傍観者ではなく、演劇を作ってゆく参加者になって行くと証言している。そこには独特の交流があり、見ず知らずの人々がいわば一日だけの共同体を作って行くのである。宗教的祭式のように最初から参加者として場に集うのではなく、場のある作用を受けて、能動的に参加してゆくこと、そこに演劇の醍醐味を見いだすことができるだろう。
古代ギリシアにおいて、演劇を生み出した宗教は、ディオニュソス信仰だった。ディオニュソスは線文字Bでも言及されているギリシアの古い神格で、それにもかかわらず、公的な祭式が営まれるようになったのは比較的新しいと言われている。神話においては、ディオニュソスは自分の神格を認めさせるためにギリシア中を放浪したとされるし、また、多くの町で危険視されていたようにも描かれている。
その理由は、ディオニュソスが、酒の神として、人間の非理性的な部分と密接にかかわる点に見いだされる。ディオニュソスはまた、一度八つ裂きにされて死に、また生まれ変わったという神話を持ち、生と死の循環を象徴する神でもあった。生と死の循環は植物栽培から人間に培われた観念である。死はその中に再生の契機を含む。この観念が古代ギリシアにおいてトラゴーディア(悲劇)を生み出した。
トラゴーディアはもともと、人々が集まってディオニュソスを祝いその物語、特に生と復活を歌った合唱歌「ディテュランボス」から生まれた。アリストテレスは、「ディテュランボスのリーダー」から悲劇が生じたと述べている。単にディテュランボスから、ではなく、ディテュランボスのリーダーから、と述べられているのは、ここで初めてimpersonationが生じたからだと考えられる。我々に知られるディテュランボスにはこの要素が欠けているのである。そしてimpersonationを始めて、トラゴーディアという名前のジャンルを作りだした人物として今日に伝わるのが、テスピスである。
この半ば伝説的な人物は、紀元前六世紀後半に活動し、そのもとで、悲劇は爆発的な勢いで進歩を遂げた。もはや扱われる話題はディオニュソスの生涯に限られず、広くギリシアの伝説から取られ、語法も洗練され芸術的ジャンルとしての荘重さを備えるようになった。
ただ、テスピスのトラゴーディアに欠けていたものがあった。「劇的対話」である。役者が一人しか存在しないテスピスのトラゴーディアにおいては、役者はimpersonationを行なったものの、劇的行動を対話によって進展させることは出来なかった。むしろそれは、合唱隊(コロス)を前にしての「叙述」だっただろう。
アイスキュロスとソフォクレスによって二番目・三番目の役者が導入されて初めて、トラゴーディアは行動を劇的に、つまり行動によって再現することが出来るようになった。それは悲劇になったのである。そして、ギリシア悲劇は、その後一貫して、三人という俳優の数を守る。
こうした劇的再現によって悲劇は何を描写し、何を訴えようとしたのか。アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの代表的な芝居を取りあげて、検討してみたい。