きょうのコラム「時鐘」 2011年1月25日

 亡くなった漫才の喜味こいしさんは、不思議な声の持ち主だった。ドスの利いた塩辛(しおから)声、浪曲や演歌が似合う声だが、兄の夢路いとしさんと、穏やかな春風のような笑いを披露した

2人は高座で「僕」「君」と呼び合った。漫才を愛する関西や北陸の庶民には縁遠い言葉遣いだが、筋目正しい日本語である。美しい言葉遣いが、こいしさんの悪声を個性あるツッコミに変えた。精進あっての芸の力であろう

この国の首相も、残念ながら美声には縁遠い。きのうの国会演説も「イラ菅」のあだ名が何度も頭をかすめた。最大野党の党首の声も、同様にかん高い。あくまで印象だから異論、反論はあろうが、世にもてはやされるのは、もっぱら「低音の魅力」である

声も顔も、親からのもらいものである。が、40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て、と言われる。声もそうだろう。こいしさんは、生まれ持った悪声を芸の力で生かしてみせた

「今度こそ熟議の国会」だそうである。かん高い声同士が「この国のため」とやり合っても、騒々しいだけに違いない。そんな予想を、たまには見事裏切ってもらいたい。