月刊正論:8月号から  
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産経新聞社「月刊正論」からEISへの提供コラムです。
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   拝啓 井筒和幸 監督
 またも「加害・被害者史観」で対立を煽る「パッチギ」の罪深さ

  日本人の「在日」感情を悪化させ、「在日」からはライフチャンスを奪っている(P202〜210) 
 
名古屋大学専任講師●浅川晃広 


 


 2007年5月19日公開の映画「パッチギ! LOVE&PEACE」(シネカノン、井筒和幸監督、以下「続編」)は、2005年1月に公開された「パッチギ!」の続編である。筆者は前作について、「在日朝鮮人の意図的な『異質化』と、それと北朝鮮との関係の隠蔽が、意図的に行われ、『異質化』の正当性を、予備知識のない観客を大いにミスリードしながら訴える映画」であり、「『朝鮮総連翼賛』の宣伝娯楽映画といっても過言」ではないと、拙著『「在日」論の嘘』(PHP研究所、2006年、111頁及び113頁)で指摘した。そうした捏造に基づいて「在日」問題について発言し続ける、監督の井筒和幸氏に対しても、日本社会批判のための自らの社会的発言権を確保しようとするイデオローグの1人であるといった位置づけも行った。

 その際、筆者としては、「パッチギ!」の諸問題について省察した上で、井筒氏が意図的に軽視した、北朝鮮による「壮大な拉致」ともいえる、まさしく現在進行形の国家犯罪である在日朝鮮人の北朝鮮への「帰還事業」について、その「凄惨さと欺瞞性を題材とした次回作に、一刻も早く取り組まれることを期待したい」(拙著、113頁)と提案したのだが、極めて遺憾なことに、この提案は井筒氏に届くことは一切なかったようだ。いやそれどころか、今回の「続編」には、前作に勝るとも劣らない捏造・論理破綻・思想的偏向が表れており、「在日」を題材として、一般の日本国民に対してモラル的高みから、反省を命じるイデオローグ、ないしは「道徳的権威主義者」(moral authoritarian)としての問題性をこの上なく゛向上″させたようである。

 本稿では、「続編」及びそれにまつわる井筒氏の発言などの深刻な問題性について指摘する。

「リアル」という名の壮大な「フィクション」

 まず、「続編」が続編たる所以は、前作が1968年の京都を舞台として、「在日」2世のリ・アンソンと妹キョンジャを巡る物語であったのを、今回は1974年の東京に舞台を移し、両者の「その後」についての物語と位置づけられているからである。役者も、アンソンは井坂俊哉、キョンジャは中村ゆりに交代している。前作は京都の東九条の朝鮮人集住地域を舞台としていたが、「続編」でも同様に、東京都江東区枝川の朝鮮人集住地域が舞台である。

 前作のテーマソングは、北朝鮮でつくられたプロパガンダの色濃い「イムジン河」で、京都の鴨川が暗示的に用いられ、これを日本人と在日朝鮮人との間の溝、越えられない河ないしは壁として設定したのだろうが、これについては井筒氏自身も「全体を通して言いたかったのは、在日コリアンと日本人とのあいだには、明確に『対立』がある、というあたり前の事実」(井筒和幸著『民族の壁どついたる! 在日コリアンとのつき合い方』河出書房新社、2007年、11頁)と明示的に述べている。

 さて、今回の「続編」の意図を、井筒氏は映画のパンフレットで以下のように述べている。
〈――その1974年をリ・アンソンの家族がどう生きぬいたかが、今回の『パッチギ! LOVE&PEACE』の大きなテーマになっていると。
 井筒 そういうことです。だから極端な話、リ・アンソン一家の物語を取り上げているのも、彼らが在日朝鮮人だからじゃない。在日の一家を特殊な存在として描くことが主眼では、まったくないんですよね。むしろ「あの時代をこうやって懸命に生きぬいたファミリーがいたんだよ」ということを描こうと。あるファミリーの苦闘ぶりに焦点を当てることで、我々の社会が抱えている矛盾とか現実をリアルに切り取れればよかったんです〉

 これを額面どおり受け取れば、「続編」では、前作で描いた日本人と在日朝鮮人の明確な対立軸は後退し、「在日」というよりは、むしろ「あるファミリー」の個別のストーリーといった位置づけがなされているようだ。そして、そういった個別のストーリーとすることによって、「矛盾とか現実をリアルに」描き出すことを意図しているようである。

 この「リアル」ということが、「続編」の基本的モチーフのようで、井筒氏はパンフの別の箇所でも「かつて日本社会を生きぬいた1つのファミリーに焦点を絞ることで、さまざまな人間の絆がリアルに浮かび上がってくる」とし、江東区枝川地区の演出についても「リアリティにこだわる監督は、今回も徹底したリサーチを実施。当時の子供たちが着ていた服装から共同売店で売られていた菓子、路地に貼られた映画ポスターまで綿密に再現」と解説されているほか、「1974年の空気をスクリーンに定着させた。そこに住む人間の匂いまで漂うリアルな街の空気感は……井筒ワールドの魅力」と何度も「リアル」という言葉が登場する。

 なるほど、筆者が鑑賞したところでも、当時の朝鮮人集住地区の視覚的な再現については「リアル」にこだわり、ある程度成功したかもしれない。ところが、作品の根幹にかかわる「あるファミリーの苦闘ぶり」を描き、それによって現実社会のリアリティを明らかにしようとする試みは、そもそも作品として成功するとかしないとかの次元の問題ではない。

 なぜならば、井筒氏が「あの時代をこうやって懸命に生きぬいたファミリー」と位置づけるアンソン一家は、あくまでも井筒氏の映画上の想像物、すなわちフィクションでしかなく、実在した「懸命に生きぬいたファミリー」でも何でもないからである。仮に、実在したある家族の――井筒氏にしてみれば、それが「在日」である必然性はないらしいが――生き様を再現したければ、「在日」も含めてさまざまな家族が「実在」していたはずで、「リアル」を前面に押し出しながら、それを表現する題材はフィクションに過ぎないというのでは、当初の問題設定に重大な矛盾を孕んでいるといわねばならない。

 これに関連して、『週刊文春』(2007年5月24日号、124頁)の映画評でコラムニストの中野翠氏は、「ある種の公式見解に縛られすぎでは? 人物像が類型的で話に自由奔放さが感じられない」と喝破し、翻訳家の芝山幹郎氏も同様に「情感描写があまりに類型的」としている。これらは「リアル」でない、極めて「類型化」された描き方に対する違和感の表明だが、「続編」が「リアリティ」とは名ばかりの、単に井筒氏の想像による類型化された登場人物で構成されたファミリーによる「壮大なフィクション」であることを指摘したといえよう。

なぜいたずらに「対立」や「対決」を煽るのか

 当初から、フィクションであれば、フィクションとしての物語を提示すればいいのに、「リアリティ」を装っているのは、実のところ井筒氏が描き出したいのは、実存した人々の生き様でも何でもなく、自らのイデオロギーであり、それを「ファミリー」に焦点を当てるという手法によって、それを覆い隠そうとしているからである。井筒氏は「在日の一家を特殊な存在として描くことが主眼では、まったくない」と表面上は述べつつも、当初から「在日」をテーマとして設定していることは明白である。井筒氏自身以下のように述べている。

〈今度の2作目で描こうとしたのは逃れようのない、「対決」です。内容は見てもらうのがいちばんいいんですけど、「対立」をしっかりと認識した上で、今度は「対決」せざるを得ないのだと。対決というのは、もうそれは「戦争」なんです。だから本当は「パッチギ! 憎悪と戦争」というタイトルでもいいなと、ぼく自身は思ってたぐらいです。日本人と在日コリアンという2者が、より激しく対立していく。ぶつかり合う。だから、戦争になっていく〉(井筒氏、前掲書、18頁)

 何のことはない。やはり、前作と同様に、捏造によって日本人と在日朝鮮人の間にある河や「対立」を意図的に設定しているばかりか、それ以上に、「日本人と在日コリアンという2者」の「対立」、さらには「対決」といった、極めて二分法的な世界を描き出そうという試みに他ならない。その視点から見れば、「ファミリー」や副題の「LOVE&PEACE」は、井筒氏のイデオロギー的な問題設定を隠蔽しようとする言葉にすぎない。井筒氏の「対立」や「対決」を必要以上に強調する姿勢は、現実の「日本人と在日コリアンという2者」の状況を反映したものではない。むしろ井筒氏は、意図的に「対立」や「対決」を捏造し、煽動しているように思える。すなわち、日本人と在日朝鮮人の間の対立軸や「差別」構造を、捏造まがいに再生産し、それによって、そうした状況に対する「異議申立者」としての立場を自ら作り出そうとする意図があると解釈すれば、先述した矛盾は解消され、意図と結果における整合性が生じる。

 現実として問題がないのであれば、それに対して「異議申立」をする必要はないのだが、井筒氏のように「対立」や「対決」を強調する人物の存在意義がそこにしかないとすれば、むしろ問題が解決されることへの危機感の表明とも考えられる。このことは次に述べる、歴史的事実の明らかな捏造という点に如実に表れている。

あまりにも酷い事実誤認

「続編」は、日本人と在日朝鮮人との「対立」を「対決」や「戦争」にまで発展させようという意図に立脚しているようだが、井筒氏は、そうした構図に合致するようなさまざまな「歴史的事実」を、映画公開と時期を合わせるようにして刊行した前掲書(『民族の壁どついたる! 在日コリアンとのつき合い方』)であますところなく展開している。

 同書は、「14歳の世渡り術」とする一連のシリーズの1冊のようで、現在の日本の若い世代に呼びかけを行うもののようだ。井筒氏は「はじめに」で、「日本人と在日コリアンの人々のあいだに何があったのか。その歴史を忘れたらいけません。歴史をちゃんと語らなければ、何も前進しないんですよ」(3頁)として、モラル的高みから、「歴史を知れ」と命じている。その上で、「第1章 在日コリアンが生きにくい世の中」「第2章 忘れちゃいけない日本と朝鮮の長い歴史」を展開するのだが、そこに記述されている「歴史」とは、「捏造」の言い換えではないかと思われるぐらいに酷い事実誤認が多数含まれている。

 まず、「在日コリアン」について、井筒氏は日本社会、とりわけ若い世代にレクチャーしようとしているにも拘わらず、基礎的な知識が欠如している。「日本で暮らしている外国人は201万人。そのうち約3割、60万人ほどの人たちが在日コリアンだといわれています」(24頁)と指摘している。井筒氏の「在日コリアン」の定義は不明だが、別の箇所で「日本政府と韓国政府との協議を経て『入管特例法』が成立しました。これによって、在日コリアンは日本における『特別永住』ができるようになったんです」(33頁)と指摘しているから、韓国・朝鮮籍の「特別永住者」を意味するようだ。

 しかしながら、2005年末における「韓国・朝鮮籍の特別永住者」は、44万7805人に過ぎない(入管協会『在留外国人統計 平成18年版』入管協会、7頁)。「60万人ほど」というのは他の、明らかにニューカマーである留学生や家族滞在者、または観光客、さらには在留資格変更によって永住資格を取得した、現在の韓国からやってきた韓国人もが含まれる数(59万8687人)である。「特別永住者」とは、旧植民地出身者及びその子孫に子々孫々まで与えられる特別の在留資格の1つであり、ニューカマーの韓国人は取得できない性格のものである。これは「在日コリアン」を考える際の極めて基本的事項だが、こうしたことすら理解していない井筒氏が「在日コリアン」についてレクチャーしようとは笑止千万である。

 なお、「韓国・朝鮮籍の特別永住者」は、主に帰化による日本国籍の取得によって、年間1万人程度減少しており、2000年末と比較して、5万9624人減少している。

 次に、「サンフランシスコ講和条約の発効後、それまで朝鮮出身で日本の公務員の仕事をしていた人たちが、職を失ってしまうということもありました。日本国籍ではないと公務員の仕事に就けなかったので、日本国籍を失ったことによって、朝鮮出身者は公務員の仕事をクビになってしまった。もしくは職を辞するしかなかった」(34頁)も明らかに史実に反する。井筒氏は、「公務員になるためには、日本人としてあらためて『帰化』する必要がありました。でも、そんな急に言われても無理だったのです」として、フィクションの世界で勝手にその理由を捏造しているのだが、まさに「そんな急に言われても」を可能にしたのが歴史的事実である。

 これについては、拙著『「在日」論の嘘』第七章において指摘しているので、詳述しないが、韓国政府との合意の上で「在日」の国籍喪失措置が確定的となった段階で、当時日本政府は現職の朝鮮出身公務員に対して、申請書の添付書類として単に「申請者の所属する部局長の証明をもって足りる」とする簡便な手続きによって講和条約発効と同時に、帰化を許可し、就労が継続できる配慮をしていたのである。実際にこの措置によって、1952年4月28日付で、朝鮮出身者52名を含む合計71名の帰化が許可されている。

 さらには、「朝鮮学校(韓国系の民族学校もふくめて)の運営は、ほとんどが在日コリアンの同胞による寄付でまかなわれています。普通の日本の学校とは違って、公的な補助金などは交付されていません」(36頁)も、完全に誤りである。朝鮮学校が存する自治体は、他の私立学校に準じる形で補助金を出しており、それこそ、この「続編」でも登場する東京朝鮮第2初級学校(枝川朝鮮学校)を含む外国人学校に対して、東京都から「私立外国人学校教育運営費補助」の名目で助成がなされている。さらに大阪府私学課のホームページには直近の3年間の外国人学校別の助成額が掲載されており、全13校中、実に11校までが朝鮮学校であり、2005年度で総額約1600万円が補助されている。

 ちなみに、東京都にある朝鮮学校は、1949年12月から1955年3月までは、「東京都立朝鮮人学校」として東京都が運営する学校であった。もちろん、前述の枝川朝鮮学校もその1つである。この背景としては、終戦後、在日朝鮮人子弟の大部分は、引続き日本の公立学校で教育をうけていたが、在京の一部朝鮮人は、各種学校を作って、その子弟を「独自」に教育し始めた。

 その後、日本人同様に義務教育を受けることになったところ、学校教育法による私立学校としての認可を受けないでいたため、都側が認可を受ける命令を出し、それに応じないため一旦は閉鎖されたが、その後私立学校としての認可がなされている。1949年10月の閣議決定で、朝鮮人子弟の義務教育は公立学校において原則的に行うこととされたため、東京都もこの方針に応じて、朝鮮人学校在学生を公立学校に分散入学させることを前提とするものの、暫定措置として朝鮮人学校を都立学校として運営することを決定している(「東京都立朝鮮人學校の問題 東京都教育廰黒川學務部長にきく」『親和』8号、1954年5月、6〜7頁)。

 しかし、「その後、朝鮮人側の強い要求により、年々に子弟の数が増加して教室の増築もあり、発足当時在学する子供が卒業するまで(つまり新入学は考えない)との想定は破られ、また教育の内容も、北鮮の人民共和国への忠誠が強く打ち出されて、外部から偏向教育との非難も高まり、今日まで、4年半ばの経過を顧みるとき、当初の都の期待に副わない結果」(7頁)になるという問題があったのである。

 こうした「歴史的事実」は井筒氏の本では全く触れられていない。それどころか、実質的な井筒氏との共同製作者であるシネカノン代表の李凰宇氏は、「続編」の場所を枝川に選定した理由の1つとして、「ちょうど東京都が『第2』に対して校庭の土地返還を求めた『枝川裁判』の時期とも重なっていましたので。映画を観た人に、そういうアクチュアルな問題があることを知ってもらいたいという気持ちもありました」(「パンフ」)などと語ってるが、「東京都立」であったという経緯、それこそ「アクチュアルな事実」については全く言及していない。

 井筒氏の捏造(事実誤認?)や論理破綻はこれだけではない。外国人であるはずの「在日コリアンたちは、日本で生まれ、日本のパスポートも持っています」(井筒、前掲書、40頁)といった完全に意味不明の記述まである。さらに、「在日コリアン」の基本的統計すら理解しない井筒氏には望むべくもないことであるが、入管法の基礎的知識も持ち合わせていない。このことを示すように、「外国人が日本で生活するには入国査証(ビザ)が必要です。いつまで日本にいますか(在留期間)、日本にいる目的は何ですか(在留資格)というのがはっきりしていないといけない」(29頁)などと記述しているが、「在留資格」というのは、「『在留』と『活動』の2つの要素を結び付けて作られた入国管理上の中核概念であって、外国人が本邦において一定の活動を行って在留するための入管法上の資格」(坂中英徳・齋藤利男『出入国管理及び難民認定法逐条解説』(改訂第三版)日本加除出版、2007年、82頁)であって、要するに「在留資格」そのもので、活動内容と活動期間が定められているのである。

「日本にいる目的は何ですか」とは、在留資格そのものではなく、在留資格が定める活動内容のことを意味する。また、査証(ビザ)は、外務省に発行権限があるもので、外国人の上陸の際に必要なものであるが(入管法第6条)、生活(在留)において必要なものではない。

 以上に示したのはほんの一例に過ぎない。「在日コリアン」問題を若い世代にレクチャーしている井筒氏の本からは、無限とも思われんばかりの事実誤認が確認できる。これは映画本編でも示されており、アンソンらの父の故郷である済州島が描かれている場面では、若い女性を、勤労奉仕団体である「挺身隊」であるにも拘らず、あたかも「慰安婦」の如く連行するシーンが含まれるなどの基本的な誤りをおかしている(あるいは意図的な描写?)。

現実の「ファミリー」の事例を知れ

 その一方で現実に存在する「その時代を生きぬいたファミリー」の姿は、井筒氏が深刻な事実誤認やフィクションに立脚して、「対立」「対決」を煽動する自らのイデオロギーに奉仕するために作り上げた「続編」上で類型化された「ファミリー」の姿とは随分異なっている。

 映画では、殊更に、キョンジャの女優としての活動の際に、本名を隠すなどの「民族差別」があったことを強調しているのだが、現実はそう単純ではない。例えば、「在日」2世のオペラ歌手である田月仙氏は、自伝『海峡のアリア』(小学館、2007年)において、朝鮮学校卒業ゆえに受験資格の問題に苦しみながら、何とか1976年に当時の桐朋学園大学短期大学部芸術科音楽専攻に入学した。「入学式は1人で行った。チョン・ウォルソンという名前に、皆が振り向いた」(62頁)と回想している。そして卒業後プロ入りするのだが、「日本を代表するオペラ団体である2期会のオペラスタジオに入所するための試験を受け、合格した。大学のときと同様、本名で登録した」(66頁)のである。このように、まさに井筒氏が描き出す1974年のさして変わらぬ時期において、「在日」で本名のオペラ歌手が誕生しているという現実の世界の事例は、井筒氏にとってはどうでもいいようだ。

 さらに、田氏の現実の「ファミリー」の事例においては、田氏の4人の兄が「帰還事業」によって北朝鮮に渡っている。この「帰還事業」という恐るべき歴史的事実については、なぜか井筒氏の前掲書の「歴史」からは消去されているのだが、現実の「ファミリー」においては、実に悲惨な結果をもたらしたのであった。田氏は、1985年4月、金日成主席(当時)の誕生日の祝賀式典の際に、金日成本人の前でオペラの独唱を行ったのだが、その際、25年間も離れ離れだった兄達に再会している。その再会について、以下のように述べている。

〈25年前、赤ん坊だった私を抱きあやしていた兄たちは、長い空白の歳月を経て目の前に現れた妹を、どんな思いで眺めていただろうか。もし、自分たちも日本に留まっていたのなら、身も凍るような収容所生活とは無縁であったはずだ。十代半ばで母の元を離れた兄たちは、過酷な日々、どれほど母が恋しかっただろう……。あのときの兄たちの思いを想像すると、今でも胸が張り裂けそうになる。〉(109頁)

 田氏のような現実の「ファミリー」は、北朝鮮の「帰還事業」によって引き裂かれ、北朝鮮の兄たちの過酷な経験はもちろん、田氏本人も「胸が張り裂けそう」な思いをしている。井筒氏が、高らかに語る「歴史」とやらから、都合よく「帰還事業」を消去することは、こうした田氏に代表される、「帰還事業」によって北朝鮮体制から塗炭の苦しみを与えられている、数多の「在日」の「ファミリー」の現実を、いとも簡単に消去し、忘却することに他ならない。ここからも、井筒氏にとって関心があるのは、現実に生きぬいた人々でも何でもなく、自らの「異議申立者」としての立場を確立するためのイデオロギーやフィクションであることは明白だ。

 また、「続編」では、結局、女優として大成するというキョンジャの夢が破綻し、最終的には枝川の集住地区に戻るという設定になっているのだが、どうやら井筒氏は、「在日」が日本社会で成功することにも嫌悪感を覚えているようだ。

 そうであるがゆえに、例えば、本名で日本国籍を取得した韓昌祐・マルハン会長の「現実に生きぬいた事例」などは、当初から思考の対象外にあることは、至極当然といえる。韓氏が述べるような「過去のことをあれこれ言うより、差別する人の2倍も3倍も知性と教養を高めて差別を克服すべきです。そういう努力こそが肝要だと私は思います」(韓昌祐・坂中英徳「日本国籍を取得し、政治参画の道を選べ 消滅目前の在日コリアン社会へ」『中央公論』2007年6月号、169頁)という呼びかけから、井筒氏は正反対に位置する人物に他ならないだろう。

 井筒氏が捏造によって「差別」を吹聴する一方で、韓氏は「私が若い在日コリアン達に言いたいのは、外国人差別はどこの国でもある。私もたくさん経験した。しかし、日本人のすべてが、コリアンを差別しているわけじゃない。30年以上も前に、韓国人の青年を信頼して、60億円もの信用を与え、つぶれそうになっても支えてくれた日本人がいたのだと。何事も人物本位だということを自覚してもらいたい」(173頁)と述べている。

 井筒氏は、「対立」「対決」「差別」「排除」をフィクションに基づいて強調することには余念はなくとも、こうした韓氏のような、「信頼」や「成功」の実例には無関心のようである。

在日からライフ・チャンスを奪ってきたのは誰か

 井筒氏の思考様式は、首都大学東京・鄭大均教授の「自叙伝風の作品」である『在日の耐えられない軽さ』(中公新書、2006年)において、厳しく批判されている。鄭教授は、同書の執筆動機のひとつとして「エッセーや小説という形で発表されているコリアンの自叙伝的作品に違和感を覚えたからである……日本統治時代の経験が語られるのは結構なことだが、その時代の家族史の類が、今日流行の加害・被害者史観に平仄を合わせて語られているのが気になる。これでは、せっかくの生き生きと語られた体験も、全体としては、類型的でリアリティに欠けた印象を与えてしまうのではないだろうか」(前掲書、i−ii頁、傍点引用者)と指摘している。

 まさに、井筒氏の描く人物が「類型的」と指摘されているのは、「加害・被害者史観に平仄を合わせ」ているからに他ならない。鄭教授は、最終章の「日本人になる」で自らの帰化経験を開陳し、その上で「左派・進歩系の日本人知識人はかつて差別に対する批判者として、今日では多文化共生の実践者として在日の擁護者を装っているが、彼らは在日が日本社会に統合されることに反対してきたという意味では、在日たちからライフ・チャンスを奪ってきた人々であるともいえる。」(187頁)と喝破している。

 井筒氏こそが、これまでの2回の映画によって、捏造の「対立」や「対決」を煽動し、結果的に、日本人の対「在日」感情を限りなく悪化させることに゛多大なる貢献″を行い、それによって「在日たちからライフ・チャンスを奪ってきた人々」の1人であると結論付けることができるのではないか。

 今回の「続編」によって達成しようとする井筒氏の目的は、冒頭でも指摘したように、単に「在日」を題材として用いることで、そうした被差別者の代弁者としての地位を獲得し、それによって一般国民に対してモラル的高みから命令を発するイデオロギー的な「道徳的権威主義者」としての自己を確立しようとするものに他ならない。

 最大の問題は、そうした「被差別」や「対立」や「対決」は、まさしく井筒氏の数々の歴史事実の誤認(もしくは捏造)に基づくフィクションによって作り出されたものであり、そうであるがゆえに、現実に生きぬいた人々の多様な事例が一顧だにされないことだ。それはまさに、鄭教授が述べるように「ライフ・チャンスを奪う」ことに他ならない。井筒氏に典型的に代表される人々や、その思考様式は決して、日本人と「在日」の関係に良い影響を与えない。日本人も、「在日」も、「現実」を知り、本作のようなプロパガンダが成立する余地をなくすことが重要である。歴史の誤認や捏造によって「憎悪」が煽られ、「日本人と在日コリアンという2者が、より激しく対立していく、ぶつかり合う」というような構図は愚かではないか。


名古屋大学専任講師
●あさかわ・あきひろ 浅川晃広

(略歴)
1974年(昭和49年)生まれ。
在日韓国人3世として出生。
平成8年神戸市外国語大学卒。
9年オーストラリア国立大学留学。
11年大阪大学大学院修士。
同年、日本国籍取得。
在オーストラリア日本国大使館専門調査員を経て現職。
専門は移民政策論、オーストラリア政治社会論。
著書『在日外国人と帰化制度』(新幹社)など。
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