(cache) 卒業論文 第3部 第2章
   

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第2章 アイドルとフェティシュ

 

最後にアイドルとフェティシュの関係について考察していきたい。

元々アイドルはidolと表記し、崇拝や崇拝される対象という意味がある。

その意味が若者に人気のある、主に若手の有名人を指すようになる。

日本独自の発展としてはデビュー時から自らアイドルと名乗る点が挙げられる。

近年のアイドルとは、グラビアアイドルはもちろんのこと、女子アナやジュニアアイドル、

女優業をメインとしたアイドル女優やバラエティーアイドルが主として確立されている。

さらに細分化すると農ドル ※1、鉄ドル ※2、株ドル ※3、イラドル ※4などがあり、

スポーツ選手などもグラビアDVDを販売し、アイドルとして取り扱われることが多い。


※1 農業するアイドルの意。

※2 鉄道が好きなアイドルの意。

※3 株をするアイドルの意。アイドルと兼業して株取引を行う。

※4 イライラさせるアイドルの意。話し方などで人をイライラさせることが主な目的である。

 

 

 

第1節 idolからアイドルへ

 

『フェティシズム論とブティック』の中でやすいゆたか氏と石塚正英氏が対談をしている。

以下は「アイドルからフェティシュへ」と銘打った内容の引用である。

 

 

今度は千坂(恭二)さんが芸能記者の経験を生かされて、松田聖子論を書かれたんです。

ただし、ド・ブロス的な読みとは関係なく論じられています。

松田聖子という存在が単なる交換可能なアイドルではなく、

「松田聖子」という存在がありさえすればいいというところまで、行ってしまっている。

だから、人気が落ちないというわけです。もう神みたいになっているという意味で、

フェティシュになっているんじゃないかというわけです。 ※1

 

 

松田聖子(1962-)とは1980年にデビューしたアイドルである。

当時のアイドルにはキャッチフレーズが付けられており、松田聖子は「抱きしめたいミスソニー」であった。

1980年代前半のアイドルは「手に届かない遠い存在」であり、庶民の羨望の対象だった。

 

松田聖子は今も存在する「ブリッ子」というスラングを定着させた。

また、異性のみならず同性からもファンが多かったエピソードとして、

松田聖子の髪形を真似た「聖子ちゃんカット」と呼ばれるものがある。

松田聖子の髪形を真似して女子中高生はもちろんのこと、

松田聖子よりも後にデビューする後輩アイドルまでもが影響を受け、同じような髪形にしていた。

松田聖子自身が「聖子ちゃんカット」をやめてショートカットにした際も、

後追いのようにショートカットにする女性が多く存在した。

つまりファンとして松田聖子を応援していた者は意識せずとも彼女のことを崇拝していた、

つまりは崇拝対象としていたことになる。  

 

石塚はやすいの説に対して以下のように返答している。  

 

 

フェティシュは殉死するような関係で、松田聖子対自分じゃなくて、松田聖子が完全に自分の中に入ってしまっているから、

実際の松田聖子がどうするかに関係なく、松田聖子の息が切れたら、

自分も終わるというような対象になってしまっているんでしょうね。 ※2

 

 

石塚の見解はこうである。

ブラウン管や雑誌を通じて松田聖子にファンとして惹きつけられた者が、自分と松田聖子という崇拝対象を重ねるようになる。

つまりは、自分の全てをアイドルという崇拝対象に委ねてしまう。

ファンがよく言う「准(崇拝対象であるアイドル)のために命を懸けています」や

「准のいない世界なんて考えられない」などといった言葉からも崇拝対象と同一化している意が汲み取れる。

 

それでも、アイドルとは所詮偶像なのである。

ある個人ブログに興味深い文章があったので引用させていただく。

 

 

アイドルのもう一つの意味は「偶像」です。(中略)

偶像と向き合っていくうちに、いつしか人はそこに自分を委ねきってしまうのです。

自分がアイドルに重なってしまう錯覚に陥るのです。 ※3

 

 

アイドルと同化し、身を委ねるということは、依存するあまりに自己を喪失するということにもなる。

アイドルという崇拝対象は人を惹きつけ、歌やパフォーマンスで何かしら熱いメッセージを届けたいと思う。

しかしながら、ファンを惹きつけることはできても、「逆に自分らしく生きるようには押し出すことができなかった」 ※4と

推測することができる。

この内容は崇拝対象の消滅から読み取ることができる。

 

1998年5月2日に亡くなった元X JAPANのメンバーであるhide(1964-1998年)が亡くなった際には、

自殺と報道されて群発自殺(後追い自殺)を図ったファンがおり、

元X JAPANのメンバーが自殺を思いとどまるように記者会見を開いたこともある。

また、2001年にとんねるずの番組内で構成された野猿というグループが解散(撤収)を発表した際は、

女子高生が投身自殺を図っている。

時代を遡れば歌手の尾崎豊(1965-1992年)やアイドル歌手の岡田有希子(1967-1986年)が亡くなった際には

ファンが自殺を図った事は有名である。

1986年5月6日のスポーツニッポンでは彼女の故郷で追悼音楽界が開かれたこと、

ファンのインタビューについて書かれており、

「このあと、岡田さんの自殺が社会的に大きな影響を与え、

自殺が連続する風潮にストップをかけようと服部さんが作詞、作曲した「ユッコの分まで生きようよ」も披露され、

駆けつけたファン代表も合唱に参加して、岡田さんの死を無駄にせず、生き抜いていくことを歌で決意表明、

新たな涙を誘っていた。」と書かれている。

このように自殺を防ぐために歌を作るほど、群発自殺が行われたという事実を知ることができる。

 

内野悌司によると群発自殺とは以下の自殺を指して使われる。

 

 

   1.複数の人が次々と引き続いて自殺していく現象(連鎖自殺)

   2.複数の人がほぼ同じ時期に同じ場所で自殺する現象(集団自殺)

   3.特定の場所で自殺が多発する現象(自殺の名所での自殺)  ※5

 

 

崇拝対象の喪失の際には1の「複数の人が次々と引き続いて自殺していく現象」が当てはまる。

内野によると、学校にて自殺が起こった場合には「自殺した人とのつながりが強い人ほど、

「どうして自殺してしまったのか」と考えてしまいがちで、

その人の命を救うために自分に何かできたのではないかと自責的な気持ちになったりする。」 としているが、

これを自殺(喪失)したのが崇拝対象だった場合、つながりこそ一方的なため、

第三者からすると弱いつながりとして考えてしまいがちであるが、崇拝している本人にとってはとても強いものである。

だからこそ「どうして死んでしまったのか」と考え、

分離してしまった自己を再度同一化するために自らも命を絶つのではないだろうか。

 

崇拝対象の消滅は身を委ね、投影し、同一化したファンの自己でさえも奪い去ってしまう。

自己を奪われ、生きる目標を失った者が対象者を失ったこの世界(現実)に対して絶望し、

その崇拝対象が存在するであろう「あの世・天国・来世」へと自ら向かおうとし、死を選ぶのであろう。


※1 石塚正英 やすいゆたか『フェティシズム論のブティック』、論創社、1998年、P68〜69

※2 同上 P69

※3 牧師の部屋 http://ushioda.exblog.jp/

   2009年6月14日 「アイドル(偶像)に頼るな」より抜粋(2009年11月17日現在)

※4 同上

※5 内野悌司「群発自殺」(『現在のエスプリ』488号)、至文堂、2008年、P154

 

 

 

第2節 1990年代以降におけるアイドル像、今後のアイドル像

 

1990年から現在のアイドルについても考察していく。

この時代は松田聖子のような「手の届かない遠い存在」というスタンスから

「素人のような共感の持てる身近な存在」がアイドルになるという真逆のアイドルが誕生するようになる。

女子大生アイドルブームを経て、このようなアンチ松田聖子スタンスのアイドルとして誕生したのが

80年代に一世を風靡したおニャン子クラブであり、その系統を引くアイドルグループとして挙げられるのが、

つんく♂(1968-)がプロデュースしたモーニング娘。だったり、秋元康(1956-)がプロデュースした秋葉原を拠点とするAKB48である。

現在でもこのようなアイドルグループは多く存在し、モーニング娘。の所属するハロー!プロジェクトでは

他にもBerryz工房や℃-ute、フジテレビのテレビ番組『アイドリング!!!』内で結成されたアイドリング!!!、

AKB48の姉妹プロジェクトのSKE48などが挙げられる。

 

このような一般人からアイドルとなった人の特徴としては、

身近な存在であるが故に「私でもアイドルとして脚光を浴びることができるかもしれない」という印象を与えるようになった。

このような印象は外見(美貌)の質を高めることになるが、同時に「手の届かない遠い存在」といった崇拝性は失われてしまった。

 

そして熱愛報道等によるスキャンダルで所属メンバーの脱退、降格が行われる。

これは、ファンという崇拝者がアイドルという崇拝対象に裏切られた形となる。

熱狂的な崇拝者も中には多く存在するが、崇拝者に裏切られる回数が多くなることでその対象に対する偶像性は薄らいでくる。

 

このように崇拝対象に裏切られた崇拝者が次にどのような行動に出るか。

それはド・ブロスが定義したフェティシズムに対する攻撃の面である。

崇拝対象が生身の人間であるため古代人のようにフェティシズムを焼いたり叩いたりして壊すことができないため、

空想的に破壊活動を行う。

有名人は自分の情報を発信し宣伝するためにそのアイドルの公式ホームページやblogが運営・公開していることが

ほとんどであるが、そのような場所をいわゆる中傷文で「炎上」させたり、

本人や事務所に向けて中傷文を記載した手紙を送りつけるなどといった嫌がらせという形に

攻撃性を見受けることができるだろう。

 

見方を変えると、アイドルという対象の捉え方も崇拝ではなくなってきたように感じられる。

先ほどアイドルグループとして紹介したモーニング娘。は結成時のメンバーこそ福田明日香(1984-)の14歳が最年少であり、

所属メンバーの大半が18歳前後であった。

2009年12月6日現在のモーニング娘。の所属メンバーの最年少は光井愛佳(1993-)の16歳であるが、

平均年齢は19歳前後と高校生アイドルとして位置づけられる。

AKB48はメンバー数が多数存在し、研究生をAKB48に組み込んで考えていいのかが不明なため平均年齢は出さないが、

メンバー最年少は藤本紗羅(1997-)で12歳であり、1990年前半の年齢でメンバー構築されている。

Berryz工房や℃-uteは所属メンバー全てが1990年以降に誕生している。

2004年から活動が始まったBerryz工房では最年長でも清水佐紀(1992-)の(当時)13歳であり、

2005年からの活動の℃-uteでも元メンバーの梅田えりか(1991-)が(当時)14歳あるといった低年齢化が進んでいる。

女性アイドルだけが低年齢化しているのではない。

ジャニーズ事務所でもHey! Say! 7やジャニーズJr.に低年齢化が顕著に見られる。

特にジャニーズJr.では小学生から所属して、バックダンサーとして活動することが多い。

 

自分の年齢より一回りも下回っているアイドルを応援するということは崇拝の意味合いではなく、

「成長が垣間見られた」ことに喜びを感じるようになっていると考えられる。

そのために、成長期を迎え、日々大きくなっていくアイドルをわが子のように見守っていくという

親のような心境で声援を贈っているのではないか。

ジャニーズファンの間ではジャニーズJr.時代から応援し、グループを組んでデビューした古参と呼ばれるファンと、

グループデビューが決まってからファンになったという新参は対立しており、

成人の日に明治神宮で行われていたジャニーズ成人式では古参のファンが前列で、

そこからファンになった人が年度順に前から詰めていくというファンの間でのみ通用する暗黙のルールが存在する。

一見すると、成人式を迎えたアイドルを崇拝しているという構図も成り立つが、

ジャニーズJr.時代に目をつけて応援し、デビューが決まった時にファンになった新参を卑下する。

もはやアイドルに崇拝という意味合いがなくなりつつあるのが読み取れる。

 

最後に崇拝対象に裏切られた崇拝者がどこに行きつくのか。

それは生身の肉体を持たないアイドルである。

ヴァーチャル・アイドルとして共通して想像しやすいのが『初音ミク』であろう。

初音ミクとはクリプトン・フューチャー・メディアという会社が発売している音楽ソフトのキャラクターである。

パソコン一つあれば自分が作詞、作曲した曲を初音ミクという架空のキャラクターに歌わせることが可能となり、

抑揚やこぶし、タメといった本物の歌手のような歌い方をさせることも可能となる。

初音ミクの声を当てているのは歌手ではなく声優であり、その声優も大人気声優を起用したわけではなく、

この初音ミクのヒットをもって名前を覚えてもらったような人が声を当てている。

 

森川嘉一郎は初音ミクについて「年を取らず、プロデューサーに枕営業していたりせず、

スキャンダルを起こしてファンの夢を壊したりせず、大金持ちと婚約して現金さを露呈させることもなく、

どこの馬の骨とも知れない男とできちゃった婚をしたりすることもなく、

不眠不休で歌うことのできる、アイドルの理想形である。」 ※1と述べている。

近年のように、すぐ熱愛発覚や妊娠引退による脱退、解散が行われる生身の崇拝対象に比べると、

崇拝者の理想通りに活動し、裏切られることがないヴァーチャル・アイドルに視点が向くことも理解できる。

初音ミクの他にも同種として、アイドルの育成を対象とした『THE IDOLM@STER』 ※2というゲーム

(アーケードゲーム ※3から家庭用ゲームへと移植)が登場し、

各地で「プロデューサー(表記する際には自らを○○Pと表記する)」が

自分の育てたアイドルのランキングを上げるために日夜ゲームセンターの筐体に向かう姿が話題となった。

たかが二次元のキャラクター、たかがゲームソフトという言葉ではもはや片づけられない域にまで達している。

 

偶像は時代によって変化している。

秋葉原系と位置付けられ「萌え」というスラングを生みだしたオタクと呼ばれる人たちの中には現在、

生身の人間を恋愛や崇拝の対象としないために倒錯と思われているが、

今後はそのような状態が逆転し、生身の人間を崇拝すること自体が倒錯と思われる時代が来るのかもしれない。


※1 森川嘉一郎「オタク文化の現在(12)アイドルの理想形」(『ちくま』)、筑摩書房、2008年、P40

※2 2005年にナムコ(現バンダイナムコ)にて稼働が開始されたアーケード型シュミレーションゲーム。

   個性豊かな9人(組)のアイドル候補生から1〜3人を選び、

   いかに多くのファンに支持されるアイドルへプロデュースする事が出来るかを競う。

   プレイヤーは「新米プロデューサー」となり、ネットワークを使用して全国規模でランキングを競う。

   のちにXbox 360やプレイステーション・ポータブル(PSP)といった家庭用ゲーム機にて販売された。

※3 ゲームセンターで稼働するために製造されたゲームのこと。