世直し、前衛芸術、競馬、坐禅、音楽など、なんでもあり

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しき雑談。
 

宇和海の太刀魚釣りの秘訣

2011年01月24日 14時28分54秒 | 趣味
太刀魚釣りというのは、巧い人と下手な人との釣果の差が見事に現れる。
例えば、巧い人が30匹釣っている一方で、下手な人は1匹も釣れないようなことはザラにある。
しかも、下手な人の餌にでも太刀魚は食いつくのだ。食いつくが釣り上げられない。
その面白さが、太刀魚釣りの醍醐味である。

もっとも、沖に船で出て、ルアーで釣る場合は、巧いも下手も関係ない。バカにでも釣れる。
太刀魚釣りの醍醐味は「堤防釣り」にある。中でも面白いのはウキ釣りだ。

{ウキ釣り}
餌は、キビナゴ。目から針を通して背骨の下に針を引っ掛ける。
(一匹目が釣れたら、太刀魚のハラミをカッターで切って共食いさせることもある。餌持ちはこっちのほうがずっといい。一つの切り身で5匹ぐらいは釣れる)
 ウキ下は大体2メートル。太刀魚は鬼のような歯をしているので、テグスでなはくワイヤーを使う。
そこに太刀魚がいれば、すぐにウキが沈む。さて、問題はその後だ。
 素人は「30秒数えて釣り上げる」などといって、失敗ばかりしているが、これにはコツがある。
太刀魚は見かけの割りに非常に臆病な餌の食い方をする。餌を咥えると、一気に飲み込まず、何十秒ももてあそぶのだ。素人はこのときに釣り上げるから逃げられる。
 コツは、ウキが下がったら、糸を軽く緊張させてやり、手首を使って餌を引き込む。つまり餌に逃げさせるアクションをつけるのである。素人にはそれが出来ない。太刀魚の神経質さを知っているだけに、糸を張る、などもってのほかだと思っているのだ。
 しかし結果は逆である。手首を使って餌が逃げるようなアクションをつけてやると、太刀魚は本気で餌を飲み込もうとする。その瞬間の動きを、糸を張っていれば分かるので、その一瞬糸を緩めておいて一気に釣り上げるのだ。

一瞬糸を緩めるのは、餌を飲み込ませるためである。この一連のテクニック=糸を張る、餌にアクションを与える、飲み込みの当たりを察知する、糸を緩める、直ちに釣り上げる、が30匹とゼロ匹の差になって現れる。

釣り上げた後、間違っても太刀魚を手で握って針を外そうとしてはいけない。太刀魚の歯は錐のように鋭く、誤って噛みつかれると、指に穴が開くか、指が落ちる。釣り上げたら、足元に太刀魚をもってきて、足で頭を踏みつけてシメル。そうして完全に殺しておいてから針を抜くのだ。

太刀魚のウキ釣りは最高に面白い。私は初心者の頃は「投げ竿」で太刀魚釣りをしていた。これは後で考えると、大変に誤った釣り方である。神経質なこの魚に微妙なアクションを与えるには、竿先の柔らかい、先調子の竿があっている。竿先が硬い投げ竿などもってのほかなのだ。が、私は硬い竿を使う代わりに、手首を柔らかく使うテクニックをマスターした。その上で竿先の柔らかな竿に変えたら、鬼に金棒のテクニシャンになっていた。ぼろい道具で苦労したあと、いい道具を使うと技の切れが格段に良くなるという事実をこの腕で確かめた。竿は、グレ(クロウオともメジナともいう)釣り用の竿でいい。
 なお、釣りはなんでもそうだが、特に神経質な太刀魚を釣る場合は、糸と竿とを90度に保つことが肝心である。糸と竿の角度が90度以上に広いと、糸を張って行うこの釣り方では、太刀魚が餌を本当に飲み込む前に、糸の緊張が強すぎて「弾いてしまう」のだ。太刀魚は利口なので、餌に少しでも不自然な動きがあると、すぐに餌を放して逃げてしまう。糸を張りながらも当たりが硬くならないように、気持ちを集中しないと釣れない。
 そうそう、「弾く」といえば、ウキにも注意。浮力の強いウキを使うと、それだけで太刀魚は警戒して餌を口から放してしまう。電気ウキを使うのだが、そこにハッポウスチロールの浮力(チューブ状のもの)をつけて、かろうじて海面に浮き上がっている程度に調節すること。とにかく神経質な魚なのである。

{ナマ餌を使ったルアー釣り(引き釣り)}

適当な言葉がないので上のような表記にしたが、ようするにキビナゴをつけておいて20〜30メートル先に投げ入れ、リールを巻いて釣る方法である。
 この方法だと、ウキ釣りの場合と全く違い、太刀魚は餌が生きていると思って一気に飲み込もうとする。だから手ごたえがあった瞬間合わせなくてはならない。
 太刀魚は利口な魚である。ウキ釣りの場合は、それが「餌」だと理解して、針に引っかからないように臆病に餌を弄ぶのだが、この引き釣りの方法だと、キビナゴが本当に泳いでいると誤解して一気に飲み込むのである。
 この方法は、慣れてくるとウキ釣りの倍の釣果が見込める。
竿は、ウキ釣りの時に使う竿の半分ぐらいの長さの「船竿」が一番適している。
 なお、この釣り方で本当にルアーを使う場合もあるが、釣果は10分の一ぐらいに落ちる。ナマ餌を使うのが一番である。

私はナギの日にはこの「引き釣り」を、波の荒いときには「ウキ釣り」を、と分けて釣っていた。波が荒いと餌がよく動き、太刀魚が食いつく確率が高くなるからである。

{料理}

太刀魚は白身で癖がないから、刺身、酢漬け、塩焼き、煮付け、と何にでも合う。また内臓の部分がほとんどなく、ウロコもないので料理がしやすい。
私は東京で飲み歩いていて、太刀魚を扱っている飲み屋に当たったことがない。また魚屋にも置いていない。関東では食べないようだが、実に美味しい魚である。
 私がこの釣りを得意になった初めの頃は、女房は「オカズが出来た」と喜んでいたが、毎回クーラーに50匹も釣って戻ってくると、料理に飽きて、「もう釣ってこなくていい」文句を言うようになった。それで地元の漁師に教えてもらい、「太刀魚のミリン干し」を試してみたら、これが絶品だった。
 その方法は、太刀魚を三枚におろして、酒とミリンと醤油に漬け、カゴに入れて天日干しにするのである。
すると硬い干し魚が出来る。それをヤカンを保温するプレートに載せて軽くあぶり、酒の肴にするのだ。
 これは美味い。時々「アジのミリン干し」などが売っているが、市販のものは甘すぎる。自家製のものはベトツキモなく、タラ以上に香ばしい。

太刀魚の自家製ミリン干しを食いちぎりながら飲んだ故郷愛媛の銘酒「梅錦」の味は最高だったよ。

太刀魚釣りは私の田舎の老人たちの間で最も人気のある釣りである。私も最初はお隣さんの老人に手ほどきを受けた。それで夢中になり、3年たったら私が師匠となってその老人に手ほどきをするようになった。太刀魚に関しては私は故郷で一番の名人になっていました。
 最高で1メートル半ぐらいの大物を釣ったと思うが、それぐらいの大きさになると、背中が金色に染まっていて貫禄があり、食べても抜群に美味しい。
 堤防での太刀魚釣りが出来る場所は関東にはないらしい。愛媛県西南部の宇和海に独特の贅沢な釣りだと思う。

尚、この釣りはゲット時の「引き」が物凄く強烈なので、スポーツフィッシングにも向いているし、中高生の間でも一番人気がある。でも、太刀魚釣りの上手な中高生に出会ったことがない。それだけ、釣りとしては難度の高い、上級者のための釣りである。




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阿佐ヶ谷ロフトA出演決定

2011年01月23日 17時47分54秒 | 雑談
阿佐ヶ谷ロフトAに出演決定
投稿者:那田尚史 投稿日:2011年 1月23日(日)17時39分25秒 返信・引用
以下のように載っています。http://www.loft-prj.co.jp/lofta/
知り合いの人、興味のある人、ぜひ遊びに来て下さい。なお、山崎氏のプロフィールは変更する可能性もあります。
______________________________


2.11(金)【DAYTIME】
建国記念日を考える〜知る人ぞ知る、不思議おじさんのトンデモ授業〜

【出演】
★那田尚史(「ロータス人づくり企画」主催)
評論家。早稲田大学第一文学部文芸科卒業後、同大学院修士課程修了。専攻は映像研究で、主な活動は実験映画、個人映画、小型映画に関する批評・研究。 2001年から早稲田大学や東京工芸大学非常勤講師を勤めた後、2009年度から大学教員を自主退職し「ロータス人づくり企画」を創設。

★鈴木正道(「微笑禅の会」代表)
1950年東京の片隅で誕生。
70年代に護身法、四度加行満行。
スカイヨーガマスターの認定を受ける。
愚妹にて記すほどの学歴無し。
法の一端を垣間見現在発狂の悟りに住す。

★山崎幹夫(映像作家)
1959 年東京都生まれ。1978年北海道大学入学、文化人類学専攻。82年映像通り魔を旗揚げし北海道を巡回上映。83年「海辺の記憶」PFF入選、84年「ゴーストタウンの朝」PFF入選、山本政志監督「ロビンソンの庭」脚本、94年初の劇場用映画「プ」公開。97年山形国際ドキュメンタリー映画祭で「虚港」が特別賞を受賞。2009年度まで早稲田大学第二文学部で講師として学生に映画製作について教授。現在、下北沢のラ・カメラを拠点に、映像作家の山田勇男氏らとともに8ミリ作品を中心に上映活動中。

▼詳細

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建国記念日にちなんで、日本人の起源から、近代の日清、日露戦争や日韓併合、
第二次世界大戦で一体、日本人は正しいことをしたのか、それとも悪いことをしたのか???

現在マスコミで話題になっている領土問題等々を踏まえて、映画、宗教、歴史のスペシャリストたちが熱く語ります。

今の大学の授業では知りえないトンデモ授業です。
トークディスカッションもやります!
どんどん質問してね。
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アオリイカ釣りの秘訣

2011年01月21日 12時06分39秒 | 趣味
日本で最高のイカとされるのがアオリイカである。地方によっては、モイカ、ミズイカ、バショウイカなどともいう。市場価格ではダルマイカというやつがアオリイカより高価だが、味はアオリイカのほうが遥かにうまい。
 私はこのイカに4年ほど夢中になってシーズン(春と秋)になると毎日のように海に通った。
そこでこのイカの釣り方について分析する。(堤防釣りの場合のみ)

1、ルアーを使う方法。
ルアーといっても伝統的な和製の餌木(えぎ)を使う。これは車えびの形を模したもので尻尾の部分に、イカ針が付いている。釣り方に3種類ある。

A.普通のバス釣りのように、水中でユックリとルアーを引っ張る方法。イカが乗ると重くなる。
B.遠投して、一度海底につける。大きくあおって餌木を浮かせる。リールを巻いて手前に寄せる。これを繰り返す。手前になるに従い、あおり方を小さくする。イカの当たりは、竿先のわずかな変化で読み取る。大抵は竿先が浮き上がる。
C.シャクリ釣り。長い竿を使って堤防でシャクリ続けるのだ。餌木は海底から30センチぐらいに届くように調節しておく。ただひたすら、3時間も4時間も竿を上下させる。面白くもなんともない釣り方だが、気の長い人には向いているし、下手に技術を使うよりは、確実に釣れるという利点もある。イカが乗ると、根掛かりしたかのように重くなる。

2、ナマ餌を使う方法。ナマ餌は、主にアジ。他にコダイ、メバルなども使うが、アジが一番食いがいい。さまざまな方法がある。

A.最もポピュラーな方法。アジにイカ針をつけて、ウキ釣りをする。取り込みが難しい。
B.泳がせ釣り。竿をブロックなどで固定し、餌を泳がせる。イカが乗ると竿がグッとたわむ。
尚、この釣りは、しばしばフナを餌にする。(フナは海水に入れても1時間ぐらいは生きている)

C.スットン釣り。これは変わっている。スットンという道具を使う。
まず、死んだアジの尻尾をテグスでくくり付け、海中に放り込む。イカが乗ると、ゆっくり手元までおびき寄せる。そこで、スットンをつける。スットンはテグスに通すようになっており、手を離すと、イカのところまで落ちていく。スットンの先にはイカ針があり、釣り上げる。
 この方法が一番、食いはいい。しかし、スットンをつけて落とすときに逃げられたり、引き上げるときに逃げられたり、とかなりのテクニックがいる。
 またこの方法は、食いがいいだけに、周りの不良釣り人に因縁をつけられる。つまり、釣り逃がしたりしようものなら、「お前が逃がしたおかげで、あのイカはもうこの堤防には寄ってこない」という、変な理屈で文句をいうのである。逃げたイカをそいつが釣る、と決まっているわけではないのだが、そういうおっさんに私は何度も遭遇した。
 所詮、歳をとってアオリイカを釣りに来る男などにロクな奴はいない。そういう不良ジジイが嫌ならこの釣り方は避けるべきだろう。

以上がアオリイカの釣り方のほぼ全てである。イカ針は普通の針と違って「返し針」が付いていないために、取り込みの時には注意が必要である。間違ってもポンピングなどやってはいけない。重みを一定に保って、相手が引けばぐっと我慢して竿をたわませ、あるいはリールを繰り出し、決してケンカしてはならない。
 私が釣った最高が2キロ。逃がしたのは3キロぐらいの大物がいる。これは重くて重くて我慢できず、ケンカしてしまったもの。悔しかった。


この写真が2キロ大のアオリイカ
体長98センチ。ちなみにイカを持っているのは小さい頃の私の娘。画面左から手を伸ばしているのが、私の美人妻?

釣り方の薀蓄を少し垂れると、まあ釣りは大抵そうだが、干潮時と満潮時の潮が止まった時には絶対に釣れない。だから潮の流れているときに竿を出すこと。私の経験では、満潮から干潮になる2時間の間が最適のようである。
 また、イカは満月の時には海面近くに上がってくる性質がある。だからそういう時は、餌木を海底まで沈めず、中層から表層の間を上下させると食いがいい。アオリイカは一回釣り逃がしても、また食いつくので、同じ場所に餌木を投げ込んでやるとヒットすることがしばしばある。


山菜採集では、やはり山芋(自然薯)が最高であり、堤防釣りではアオリイカが最高である。だから、釣り人は目を血走らせてやってくる。その上、アオリイカを釣ろう、などという人間にはあまり紳士はいない。家庭が崩壊したクソジジイやらクソオヤジやらが堤防一杯にぎっしり並ぶ。だからケンカやいざこざがしょっちゅう起こる。ここでちょっと真面目に考察すれば、釣りの快感というものはセックスの快感の代理行為だと見ることが出来る。ピンサロもキャバクラもない田舎の人間にとって釣りは性的快感を発散できる貴重な場である。田舎にはパチンコで身上を潰す人間がしばしば現れるのはこういう事情があるからだ。だから、そういうエネルギーの有り余った人間が堤防に集まり、自然と殺気立つ。アオリイカ釣りに夢中になる人間の多くは40代、50代で、荒くれ男が多い。スナックでオバハン相手にエロ話しているような連中がこぞって集まると思えばいい。
 それで私は、人が集まらない穴場を持っていて、ユックリと一人で楽しむことを好むようになった。
人のいない夜中に釣っていると、怖さも忘れて、朝になったということがしばしばある。



{料理}
アオリイカは面白いことに、釣ったばかりよりも、冷凍して1年たった頃に味が出る、と言われるぐらいに長持ちする。
 刺身を食べて御覧なさい。ほのかに上品な香りが立って、最高だよ。もちろん寿司ネタにも最高。
炊いて食べても独特の上品な香りがある。
 尚、アオリイカは硬い甲羅がない。柔らかくて透明な羽のような背骨があるだけで、身のほとんどを食べることが出来る。


以上、アオリイカの釣り方をご披露した。
関東では千葉の内房で釣れるらしい。12チャンネルの釣り番組を見ていたら、船で沖に行ってアオリイカを釣るのを放映していたが、これは1のCで説明したシャクリ釣り一辺倒で、釣り方としては面白くない。私が得意なのは1のB。イカ釣りは夜することが多いので、竿先の変化を見るのが難しい。そこで懐中電灯を用意しておいて、竿の先に当たるように調節する。この釣り方が一番技術を必要とするし、見ていても格好がいい。また上手になると、この方法が一番釣果が高い。私はとことん訓練したから、宇和海(愛媛西南部)ではベスト3には入る腕前になっていた。調子に乗って、アオリイカを売って商売にしようかと考えたが(2キロクラスなら8千円ぐらいする)、信心深い母が「殺生して商いすると罰が当たるよ」というので諦めた。
 アオリイカ釣りにはボウズがつきもの。一週間通って一匹も釣れない、などということはザラにある。それだけに釣れた時の感動は素晴らしい。万馬券をゲットしたときぐらい嬉しいものだ。しかも、食べて美味しい。
 私は歳をとったらアオリイカの釣れる堤防の近くに別荘を買って、イカジジイと呼ばれて晩年をすごしたい。(年取ってアオリイカ釣りをするのにろくな奴はいない、と言ったばかりだが、私は紳士だから例外ですよ)。ま、とにかくそれほどに魅力的な釣りである。

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ほろ酔い公案(mixiの日記から引用しました)

2011年01月19日 12時56分00秒 | 
有名な公案をアレンジしてみました。答えは決まっていませんので、自由にお答え下さい。

貴方は社会的な地位もあり尊敬されている名士です。麗しい妻子もいます。
そこに、初恋のときに付き合った美女が突然連絡を取ってきて、寂しいから一緒に一泊したい。
と言ってきた。
 これは不倫ですから、女性の亭主に訴えられる可能性もあれば、自分の妻に訴えられるかもしれない。

さて、貴方はどう行動しますか?コメントして下さい。

反応がないので、、私なりの心境を書きます。ナゾナゾと言っても正解があるわけではありません。

家族のある女性が、それまで思いつめているのであれば、必ずなんらかの深い事情があるはずです。もし放っておいて死別などしたら、物凄い後悔をするでしょう。
だから、言うまでもなく抱いてあげます。

但し、私は一応探偵なので、その電話なりメールなりを記録しておき、彼女と出会ってからはICレコーダーで会話を録音し続けます。

で、一泊はしません。ホテルなどで泊まるともし探偵などが尾行した場合、どちらかが訴えられます。抱こうと思えば色々な場所がありますし、どうしても一泊にこだわるなら妻に紹介して空室に寝ませます。
 で、相手の悩みを聞いてそれで済むのならベスト。どうしても抱いて欲しいというなら、その間にはテレビかラジオをつけておきます。室外からの盗聴器は感度が異常に強いので、そういう音を拾ってしまうからノイズだらけで盗聴できませんからね。

私がこういう風に答えるのは、同じような体験をして、会わないでいたら連絡が取れなくなり、大変に気の毒な思いがしたことが一つ。
もう一つは「よさこい節」で、土佐の高知のハリマヤ橋でぼんさんカンザシ買うを見た、のエピソードです。以下wikipediaから引用。

俗名を要という。文政2年(1819年)10月10日、土佐国高岡郡戸波郷市野々村で佐川家家臣江渕要作の嫡男として生まれた(次男との説もある)。五台山竹林寺脇坊の住職をしていた頃、鋳掛屋の娘で20歳年下の大野馬と禁断の恋をする。安政2年(1855年)5月19日深夜、馬と駆落ち、笹口番所の裏道から阿波に入り、讃岐琴平の旅籠に泊まっていたところ、関所破りで捕まる。同年9月、高知城下の晒し場で面晒しの刑を受け、国外追放になる。伊予の亀吉の庇護のもと寺子屋で教えていたが、亀吉の死後その地を離れ、晩年は美川村で慶翁徳念和尚を名乗って生活し、その地で死去。

恋をするならそれぐらいの命がけの恋をせよ。という意味です。ちなみに、よさこい、は「夜さ来い」との説もあります。
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ネコの恩返し

2011年01月12日 10時35分14秒 | 
「見性体験記」に書いていますが、飼い猫の一人が「ネコFIPドライタイプ」という治療不可能な難病に罹り、足は完全に麻痺して動けない、食べれない状態になって、動物病院の医師が火葬して高尾山にあるペット墓地の手配方法から金額まで教えてくれた。
 が、私は、これまで家族を幸せにしてくれたのだからどうにかしようと思い坐禅を組んでいるときにそのネコを膝の上に乗せて治る、治る、と祈り続けました。切れた手足が生えるということはない(植物ならあります)が、邪宗ですら免疫系の病気、例えば癌が治ったという事例は幾つでもある。

2週間後だと思いますが病院に連れて行ったら肝臓の腫瘍も消え、血液検査も正常で医者が驚いていました。(ウソだと思ったら八王子の、とちのき動物病院に聞いてみてください)

その助けたネコが様々な不思議な行動をとるようになりました。詳細は略しますが、毎朝私は朝起きるときに、足か心臓か背中が痛くて目が覚めます。するとそのネコがまさにその一番いたいところに前足を乗せてモミモミしている。今日も、背中の痛いところに足をおいて体を寄せて温もりを与えてくれた。足が痺れているときは血行障害のつぼを揉んでいる。

ネコの恩返しでしょうか。このネコは食が細くて何回か病気になりました。もう一人は大食いで体も大きいけど、餌をやるときは必ず病弱なほうのネコがまず食べる。それまでは実に品良く待っています。じゃれて喧嘩をするときも、この弱いほうのネコが大きなほうのネコの首をかんで勝っています。こっちのほうが位が高いのでしょうね。

以上、事実です。
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自然薯掘りの秘訣

2011年01月09日 10時56分54秒 | 雑談
自然薯掘りの秘訣


私は大学院修了後、10年ほど故郷愛媛で暮らした。
重いアルコール性肝炎と第七頚骨ヘルニアに罹り、静養生活を余儀なくされたのだが、その間に堤防釣りや山菜採集に熱中した。
 簡単に「熱中」という言葉を使っているが、私は少し異常なところがあり、例えば釣りなら釣りで、台風、大風の日以外は「毎日」堤防に「何年」も通う、という癖がある。今日は家にいよう、と決心して眠っていても、夢の中で釣りをして当たりがあり引き上げる、その感触に自分で驚き(実際に釣り上げる動作をしている)、眼が覚めて夜中から車を飛ばして海に向かう、といった具合で、何事にでも極めるまで熱中する癖があるのだ。

ここでは自然薯掘りのコツを記録するが、私の山菜採集は、ヨモギ、フキ、ノビル、ヨメナ、ワラビ、イタドリ、ユキノシタ、セリ、クレソン、ツクシ、クサギ(故郷ではクジュナという)、フキノトウ、タラの芽、そして自然薯の体験がある。
 ヨモギなどと馬鹿にしてはいけない。これは天然のハーブであり、若菜を摘んでヨモギ餅にして食べると最高の香がする。さらに薬草でもある。私は時々、味噌汁にヨモギを入れて飲んだが、確かにアクが強いものの、体調が良くなり、便がウソみたいにスルッと排泄される。便秘の人はぜひ試して欲しい。こんな素晴らしいものが自然にあるというのはなんて素敵な恵なのだろうと思う。(実際に採集してみれば分かるが、いいヨモギを見つけるのは難しい。ヨモギは山地には生えず、田畑の周辺に多く繁茂する。しかし除草剤のせいで最近は見かけなくなった。アスファルトの隙間から立派なヨモギが生えていることがよくあるが、そういうものは全く香がしない。たかがヨモギとはいえ、いいものを見つけるのは結構難しい)
 またノビルは私の大好物で、なんであんなに美味しい野菜を八百屋で売っていないのか不思議で仕方ない。東京では根の部分に味噌をつけて生で食べるようだが、これは塩漬けで食べるのが最高に美味しい。お茶漬けにしたら何杯でもご飯が食べれるし、酒のツマミにも最適だ。また、葱の代わりにウドンの具にして食べると、葱よりずっと香が強く、絶品になる。
 フキもそうだ。愛媛のフキは日本一、と聞いたことがある。私はフキノトウを採取したついでに、見事なフキの株を一つ掘り起こして自宅の庭に移植したところ、数年のうちに庭中フキだらけになり、毎年香の強いフキを頂いたものだ。

さて、自然薯掘りのコツである。
まず、「斜面を狙う」ことである。平野部の山林での自然薯掘りは、垂直に掘らねばならないのでかなりの肉体労働になる上に、特殊なスコップ(筒状の部分の長いもの)が必要だ。
 その点、山林の斜面を掘れば労力は遥かに軽くなる。
私の故郷は山岳地帯なので、片側に谷がある雑木林を狙った。杉や桧の植林された山には自然薯はない。雑木林や、道路沿いの崖などを狙うのである。

自然薯の大きさは、葉っぱの生い茂り方に比例している。自然薯は蔓草で、特徴のあるハート形を尖がらせたような葉っぱをつけている。秋になると黄色く紅葉するのですぐに分かる。それで、多くの人は、その時期に葉っぱを手繰り、その付け根にある茎に目印を置く。飲料水の空きカンを置く人もいれば、割り箸を突き刺す人もいる。
 私はそうしなかった。そんなことをすれば、「ここに自然薯がありますよ」と教えるのと同じである。私は秋のうちに大きな自然薯の蔓草が生い茂るところを覚えておいて、冬になり蔓草が枯れたごろに山に入り、枯れた蔓(つる)の色合いで見定めた。自然薯の蔓は「マムシ色」をしている。つまり、黒っぽい枯葉色の上に小豆色の斑点が散らばっているのだ。このような蔓は他に無いので、慣れてくるとすぐ分かる。

そこで掘り出すのだが、私は山菜採集で山道を歩いていたときに、特殊な「掘り具」を拾ったので、それ一本で済ませた。その道具は特注したものらしく、鋼鉄製の40センチほどの長さで、先端はナイフのような形になっている。これは実に便利だった。
 自然薯というのは意外なことに荒れた土地に生える。表面は小石で、掘ると砂の混じった赤土や黒土に変わって行く。

商売用の自然薯は「絶対に折ってはいけない」ことはご存知だろう。途中で折れてしまえば二束三文になる。私の故郷の僻地ですら、折れていなければ一本3千円以上はする。
しかし、自分で食べる場合には、途中で折れてもいい。むしろ折れると自然薯の白い中身が目だって掘りやすくなるぐらいである。
 大きさも気にすることは無い。私は小さなものは親指程度のものに当たったことがあるが、塵も積もれば山となる、である。10センチ20センチ程度のものを数多く掘りまくることだ。
(私の故郷のある地域で、なんと28キロの自然薯が採れて、新聞に載ったことがある。その場所は、道路の片側が小川で、その川を渡った向こうに捨てられた雑木林の山がある、という地形だった。川には橋が架かっていないのでこういう大物が採れたのだろう)

そういう具合にして、私は軍手とナイフだけを用意して、車で山道を走り自然薯を採取した。まる3年の間、秋から冬になると車を走らせて、大げさに言えば、故郷の車で行ける範囲の自然薯を全部掘ってしまった。
 ここで注意。自然薯はあんな姿をしているが、実に腐るのが早いのである。3日も放って置けばもうダメになっている。それを知らなかったために、私はかなりの獲物を腐らせてしまった。なるべく早く調理することをお薦めする。

蛇足だが、自然薯の食べ方を簡単に解説する。皮をむいてオロシガネで擦る。すり鉢に一定量が溜まったらカツオダシを入れるのだが、ここで注意。絶対に熱いダシを入れてはいけない。自然薯は所詮イモだから、熱いダシに触れると焼き芋のように固まってしまい台無しになるのだ。充分にダシを冷ませて、冷たくなってから、少しずつ入れる。二人でやるのが良いだろう。一人がダシを入れて、一人がスリコギで混ぜていく。さらにそこに生卵を加える。それでまだ味が薄いようなら、ダシか醤油を加えて調節する。ある瞬間に抜群に風味が出てくるので、何度も味見して工夫することである。

以上で自然薯掘りのコツは終わった。最後にマナーを。
まず、自然薯掘りは全て「泥棒」だということを自覚すること。山林は全て誰かの持ち物であり、その人に隠れて山の幸を「盗む」のだから、これははっきりいって泥棒である。海や川には持ち主はいないから堂々と魚釣りを楽しめばいいのだが、全ての土地には所有者がいる。あるいは町の共有林だったり国有林だったりする。
 そういう意味では、余りお薦めできない趣味ではある。私は自然薯を掘っているときは、いつも「持ち主が現れたらどうしよう」と不安で仕方なかった。だから、せめて掘り残した後の穴ぐらいは丁寧に埋め戻しておこう。
 それから、他人の家に行ってご馳走になるときに、自然薯と刺身だけは「遠慮して食べる」のがマナーである。
 私の故郷には11月の終わりに祭りがあり、その際に自然薯粥とハマチの刺身が出るのが定番になっている。一番美味しいのがこの二品なのだから、後から来る客のために、遠慮していただくのがマナーである。
 私が高校のときに、友人の家にお呼ばれしたことがある。そこで出た自然薯粥を、私の、少し頭の悪い連れ合いが、「美味い、美味い」と言って、何度も自分でおかわりして全部食べてしまった。私は見ていて、なんて下品な男だ、とウンザリした。またその自然薯を自ら掘ってきた友人は、カンカンになって怒り、「もうお前は来るな」と言い捨てた。
 私は「チビまるこちゃん」に出てくる大食いの小杉を見ていても腹が立つ。また、私は二匹の猫を飼っているが、そのうちの一匹はオヤツ好きで、私が晩酌に笹かまなどを食べていると、私の膝の上に乗ってニャンニャン鳴いてツマミを欲しがる。やっても膝の上から離れず、次の一切れを欲しがる。もう一匹は近くに座っていて、私が笹かまを千切ってやると食べるが、食べたら元の場所に帰り、静かに待っている。それで私は前者の猫を「乞食」と呼び、後者の猫を「貴族」と呼んでいる。
 稲垣足穂は「男はオカズに文句を言うな」と記している。「武士は食わねど高楊枝」という諺もある。美味しいものはホドホドに、というのが人間の気品というものだろう。

では、田舎に住んでいる皆さん。自然薯掘りという「泥棒」を楽しんでください。くれぐれもバレないように。それから、雑木林にはマムシがいますから咬まれないよう気をつけてくださいね。






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「美人論」書評

2011年01月03日 10時19分13秒 | 書評
美人論(井上章一、朝日文庫、2005年第二刷)


この本を知ったのは、岸田秀の「性的唯幻論序説」を読んでいたときに、「美人が尊ばれるようになったのは明治以後である」といった文句とともにこの本を紹介していたからである。それで数年経ってフト思い出し、本書を購入してみたのだが、岸田さんは勘違いしていたとが分かった。
 ここで書かれているのは、江戸時代の上級武士の間では家柄で結婚が決まっていたので、不器量(面倒なので以下、ブス、と記す)でも結婚できた、ということである。江戸期以前に美人が重宝されていたことは例えば浮世絵を見ても分かるし、「源氏物語」を思い出せば、末摘花がブスにも関わらず光源氏の寵愛を受けた、という記述は、この時代には美人とブスの区別があった証拠である。恐らく、美人とブスの概念は、労働しなくても生きていける富裕階級が生まれた時点からあったものと思われる。
 そういうわけで、岸田さんの記憶違いがきっかけになって入手し、3日間ファミレスでランチを食べるついでに30分ぐらいずつ読んで読了した。以下、引用は一切せずに、記憶に残った部分のみを書き留める(「性的唯幻論序説」はひどい悪文だが、これも面白い本なのでいつか紹介しよう)。

井上氏は本来建築史の専門家で、理科系の人物だから、文章は余りうまいとはいえない。その代わりに非常に分かりやすい言葉で、しつこいぐらい丁寧に書いてある。文献を引用しては、その引用をさらに解説するというスタイルを通しているし、前節で書いたことを繰り返し書く、という癖があるので、一通り読めば、いいたいことが十二分に伝わって、記憶に残る。恐らく私が同じ本を書けば半分の量で終わっていただろう。そういう意味では丁寧な、あるいは原稿代を稼ぐのに都合のいい本でもある。

さて、本書が明治から現代にかけての様々な文献を駆使して証明しようとしているのは、実に単純なことである。それは明治時代に厳然としてあった美人の概念が1920年頃を境に崩壊し、現代では「誰でも美人」、あるいは美人の価値すら否定する風潮が生まれた、という流れである。
 もう少し細かく見てみよう。

明治時代には美人は「柳腰、うりざね顔、色白、おちょぼ口、スズを貼ったような目」という絶対条件があった。色黒の美人や口の大きな美人、丸顔の美人など存在しなかった。このような条件を満たさねばならないために、美人は稀有の存在だった。つまり現代よりも美人ははるかに強いオーラを持っていた。
 それで明治の元勲たちは美人を妻にした。江戸時代は士農工商という身分序列が確固として存在し、武士は家柄格式で結婚相手を決めていたが、明治の元勲は下級武士の出身であり、その身分序列を自分で破壊した階層なので、純粋に、家柄に関係なく美人を求めることに躊躇しなかった。本書には書いていないが、確かに伊藤博文、木戸孝允、陸奥宗光らは芸者を細君にしている。
 家柄も教養も関係なく、単に容色だけで上流階級に入ることの出来る美人という存在は、逆に言えば、上流階級の大多数を占めるブスにとっては脅威であり、嫉妬の対象となる。
 このために、「倫理」「恋愛論「人生論」といったタテマエの言説の場では、美人は「高慢で、好色で、教養の無い、周りに災難を巻き起こす」まるで悪魔のような存在であると定義され、一方ブスは「教養があり、性格が良く、貞節」であると讃えられた。

面白いエピソードを紹介している。「卒業顔」という言葉が流行っていて、それはブスを意味するというのだ。つまり、明治時代に女学校へ通う生徒は、参観日の折などに近隣の富裕階級の親たちが見学に来て、美人の順から自分の息子の嫁にするために、美人は全員中退する。従って女学校を最後まで勉めて卒業するのはブスであり、まして師範学校へいって教員にでもなろうものなら、ブスの中のブスとして軽蔑されていたらしい。当時は職業婦人は卑しい階級とされていたから、なるほどそういうこともあっただろう。女学校の入試面接のときに「あなたは器量が悪いから卒業できるでしょう」と言われた、といったエピソードが残されている。

そういうわけで、この時代は美人とブスとの差が実に明瞭に意識されていた。
ところが1920年頃になると、突然風潮が変わってくる。健康美人、知的美人、といった概念が導入されるのだ。ついでに言えば、日本には「表情」という言葉はもともと無く、明治に翻訳されて1920年頃から使われるようになる。つまり、江戸から明治にかけて上流階級の婦女子は、ちょうど今の美智子皇后や中山恭子補佐官のように、能面顔で表情を表さないのが上品だと思われていたのである。それがこの時代になると、表情豊かであることは良いものとされていく。
 こうしてこの時代になると、明治時代のような固定された美人の概念が民主化、大衆化していく。
その理由を筆者は詳しく書いていないが、恐らくこの時代重工業が発展し、サラリーマンという新中間層が生まれ、都市化が生まれ、大正デモクラシーと呼ばれる風潮が高まったことで、庶民の声がジャーナリズムに反映されていったからだろう。それまでは華族、政治家、豪商、知識人といった一握りの階級の言説(あるいは常識)だけで成り立っていたジャーナリズムに、中間層の声が反映されるようになった。そうすると圧倒的な多数を占めるブスの権利が主張されることになり、「顔面の造作」を示す美人という言葉の意味に、「知性」やら「健康」やらが侵入して、美人の概念が拡散するわけだ。

こうした美人の大衆化が1920年から始まり、現代まで続いていると作者は主張する。現代になると「誰でも美人」であり、さらに積極的に、美人なんて関係ない、という主張すら現れるようになった。それには化粧品産業の戦略もあったと説く。一握りの人間しか美人になれない時代よりも、誰でも美人になれる時代が来るとすれば、化粧品は顧客を飛躍的に伸ばすことが出来る。だからこういう美人の大衆化には化粧品業界の工作でもあるという。

視点を変えれば、「面食い」の男性への批判が強くなり、顔だけで女性を選ぶのは頭の悪い男のすることだ、という主張が常識になる。

そういう美人をめぐる言説の変化を実証してこの本は終わるのだが、後書きを読むと、どうやら作者の井上氏は、実は「面食い派」のほうに味方してこの本を書いたらしい。フェミニストたちへの一種の挑発の本である。ご丁寧なことに、フェミニストにしてブスの代名詞である東大教授・上野千鶴子の解説までついている。井上氏と上野さんは面識があって、トムとジェリーのように仲良く喧嘩している間柄らしい。

以上が本書の解説である。
私は、物心ついてから徹底した「面食い」なので、この本は大いに面白く読めた。とくに明治時代の美人の絶対条件「柳腰、うりざね顔、色白、おちょぼ口、スズを貼ったような目」は、私の好みのままである。明治時代には、こういう厳しい条件がついていたために、タテマエ論として道徳的には批判されながらも、本音論としては、化け物のように美しい、魂を奪われるほどの美人、という女性が存在したのである。このことが私は非常に面白い。現代のように美人の条件が甘くなり、個性こそが美、といわれるようになると、明治時代の美人のようなオーラというか破壊力が消えてしまう。
 面食いの人間にとって今より明治時代のほうがはるかにスリリングで、美人を娶るという喜びがあっただろう。
 ちなみにこの条件を満たすとすれば、美人はちょうど竹下夢二が描く女性のように、線が細く、不幸、薄幸というイメージが取り巻く。事実、当時の美人は「結核好み」と称されていたらしい。例えば次のような顔である。(右の写真は左に着色したもの)

実はこれは「唐人お吉」の19歳のときの写真である。異論もあるが、ほぼ本物とされている。
とすると1860年の写真ということになり、江戸末期である。お吉は下田一の美人芸妓と評判だったので、これが江戸から明治にかけての典型的な美人顔ということになるだろう。
 読者の皆さんはどう感じるか分からないが、私はこの写真と出合った学生時代から、猛烈なお吉ファンになった。向かって右側の切れ長の瞳と眉毛のバランスといい、鼻から口元にかけての幼さを残したセクシーさといい、文句の言いようが無い。
 ついでに言えば、「結核好み」というよりも、私には神経症の影と不幸の影が感じられる。実際、お吉は50歳のときに(明治24年)アル中+ホームレスになって、川に飛び込んで自殺した。
 こういう異常な強度を持つ、化け物のように美しい女性を私は愛し、哀れに思う。

人生は日常体験のほうが圧倒的に多い。非日常の体験というのは年に数回あるかないかである。私は子供の頃から「美が放出するポエジーの魔力」に取り付かれ、芸術学修士になった(なってしまった)。思い起こせば、医者になるチャンスも弁護士になるチャンスもあったのだが、「医者は病人と老人の相手。弁護士はトラブル解決業。俺は美を追求する」と豪語して、とうとう貧乏研究者になってしまった。
 そういう美に取り付かれた人間にとって、庶民には決して手の届かない、特権的で、徹底エリート主義で、神々しい魔力を放つ、魂を奪われるほどの美人、という存在は、これほど有難いものは無い。私は麻薬は嫌いなのでやらないが、芸術、自然、美人の中に、ごく稀に「非日常」と出会う。その瞬間のためにこの退屈な日常を生きているのだ。

もし近所にお吉が住んでいたら私は妻子を捨てても、その行く末が心中であろうがホームレスの道だろうが、躊躇無く、彼女を愛することに賭けてもいい・・・・・・・・というのは大嘘である。
 「超絶全面批評」の熱心な読者ならご存知だろうが、私は青春を「日本版カサノヴァ」のように費やしてきた。一夜限りの恋を数えれば、恐らく100人近い女性と逢瀬を楽しんだ。その中にはこういう別格の美女も数人いた。しかし最後に落ち着く先は失望と惰性である。美人とは所詮顔の造作のバランスでしかない。諸行無常を悟るために、昔の禅の観法には「九想」というものがあり、私が図で見たものは、美女が老醜を晒し、死体となり、肉体が腐り、野犬に食われ、骨だけになってバラバラに散る、というイメージを坐禅をしながら頭に描いたという(現在でこういう修行をしているところは無いだろう)。
 このように、所詮は無常の美ではある。

しかし、美が無常であるからこそ、私は美を愛し、美人を愛する。お吉さんが今生きていたなら、せめて一緒に酒を飲みたいものだ。
(お吉はハリスの妾となったために、唐人とかラシャメンと言われ、溺死体も「触ると指が腐る」と丸二日も放置された。しかし、ハリスは胃潰瘍だったし、おまけに50歳を過ぎた肥満体で生活習慣病にかかっていたに違いないから、私はハリスはお吉を性的対象として扱わなかったと思っている)

ともかく「美人論」は面白かった。多分この解説で大切なところは全て語られているが、お薦めの一冊である。

蛇足だが、ミスユニバースという世界一の美人を決める権威あるコンテストでさえ、現在は大衆化してしまい、顔で決まるのではなく、語学力、知性、健康などが重視されている。去年「知花くらら」という日本人が準ミスに選ばれて、私はあの程度の顔なら掃いて捨てるほどいるのに、と思ったが、今年日本人でミスユニバースに輝いた何某(名前さえ思い出せない)などは、率直に言ってブスの部類に振り分けられるほど下品な顔で驚いてしまった。このブスと比べると知花くららのほうが圧倒的にまだましである。全く嘆かわしいことだ。私はミスユニバースではなく「ブスユニバース」と呼ぶことにした。キリストは「義人はいない。誠に義人はいない」と嘆いたが、わたしは「美人はいない。誠に美人はいない」と嘆こう。美人の大衆化など化粧品会社の企業戦略以外の何者でもない。

降る雪や 美人は遠くなりにけり






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恩師の思い出

2011年01月01日 20時40分54秒 | エッセー
いま正月の午後8時20分。忘れるといけないからここにメモします。
微笑禅の会の会員名簿はないかと探していたら名刺を入れる厚いファイルが出てきました。
大切な会員や愛国者の名刺はどこかに別に保存したのでしょうが、新保昇一先生の名刺が出てきたので、懐かしくなり電話しました。
 なんと25年前の早大院生のときの恩師なのに覚えていてくださった。
この人は、早稲田学院の英語の先生から大学で教えるようになり、教授法が判っている人で剣道の達人。当時名誉教授で現在80歳です。

 学生時代にも英語だけの授業をイギリス貴族に教えてもらったけど、院生になってからこの先生の授業をとることにしました。それで、「私は先生の授業についていけないかもしれませんが、出来るだけの努力はしますのでよろしくお願いします」とオリエンテーションで挨拶して2年取った。
 そしたらこの先生が僕を級長みたいにして、「立ち上がれ、先生に礼」等々を全部僕に任せてくれた。

 早稲田というのは、先輩が後輩の面倒を見る、という感覚で指導してくれる。損得は無い。だからこの先生と何回も飲んだ。
 ところがバカな同級生がいて、この先生を侮辱した。するとさすが新保先生、「俺とやるか、表に出ろ」と言った。教え子のバカはひたすら謝った。

そういう先生だから懐かしくて電話したわけです。案の定、お酒を召し上がっていらっしゃって、「俺たちの時代の早稲田は終わったよ。お前も体を大事にしろよ」等々、返事をしていただいた。ありがたくて涙がこぼれました。

私はこれから本格的に飲むので、このこと忘れないよう、このブログを備忘録として使います。
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赤い靴の女(相当昔に書いたエッセー)

2010年12月24日 17時19分22秒 | エッセー
学生の頃、朝10時ぐらいの東西線に乗って早稲田から高田馬場まで座っていた。酒に疲れた頭でぼんやりと向かいの席に並んだ乗客の足元を見ていると、正面に真っ赤なパンプスが目に止まった。
 その赤いパンプスはひどく赤土に汚れていた。前夜雨が降っていたわけではないのに、なぜ赤土がついているのだろう、と不思議に思って視線を上げた。
 視線の先に完璧な顔の美人がうつむいて文庫本を読んでいた。まるでゴミ置き場に真っ赤なバラが一輪咲いているかのようで、混雑した電車の中では一際目立ってその女の体の周りが白く輝いていた。
 俺はその女の顔をうっとりと見つめた。東京にはこんな綺麗な女性がいるんだ、と胸をときめかした。すると、女性は顔を上げ、アーモンド色の瞳をきらりと輝かせて私の目を直視し、にっこりと微笑した。俺は胸がどきどきして慌てて視線をそらせた。

高田馬場駅でその女は降りた。後を追いかけたかったが、人ごみにその人は消えてしまった。
 その女性の美貌、微笑した瞳の美しさ、赤土の付いた赤い靴、俺は一目ぼれした。
しばらくは探偵のように、靴に付いた赤土の原因を推理してみた。本当に不思議だ。雨も降っていないのになぜ赤土に汚れたのか。また、東京の土は関東ローム層が堆積しているから黒いのが普通である。赤土があるとすれば特殊な工事現場ぐらいだが、一体彼女は、どこを歩いていたのか。
 なぜか頭の中に、横浜の港の近くで泣きながら泥道を歩いているあの女の姿が映画の一場面のように映った。ちょうど、男と別れてきたんだろう。だから半ばヤケになって、男と視線が合ったときに微笑を返したのではないか、とも考えた。
 あんな綺麗な瞳で赤の他人に目線を合わせて微笑むような、そんな澄んだ心の人間が、この世にいるとは思えない。一体どんな人なんだろう。俺の頭の中は、その女のことで一杯になった。もう二度と会えるはずがないだけに、その恋心は強く、つらかった。

ところが、会うはずがない相手に再会したのだ。
 人でごった返している高田馬場駅の前をぼんやりと歩いていたら、その女が目の前で自転車から降りて、坂の向こうへ歩いていった。その歩く姿を見て愕然とした。彼女は小児麻痺の後遺症でもあるらしく、腰が少し片側に突き出て、足を引きずって歩いていったのである。彼女は身体障害者だったのだ。
 
俺はその姿を見て、胸が苦しくなった。哀れんだのではない。ますます彼女に心を奪われてしまったのである。
 美というものはどこか捩れているほうがいい、と俺は常々思っていた。風呂屋の壁に描かれたペンキ絵の富士山のように完全なプロポーションのものは平板でつまらない。美は乱調にある。あんな美人が身体障害者だというのは、俺にとってはますます魅力的で、更にいえばより性的な存在に思えた。
 それから、人格形成の面から見ても、なに不自由なく育った美人よりも、自分の身体に劣等感を抱いて育った美人のほうが、人生の悲哀を知っている分ずっと人に親切にできるに違いない。最初に会ったとき、俺の目を直視して微笑んだのは、彼女がああいう体に生まれたからではないか。そう思った。
 
注意してみていると、彼女は毎日同じ場所に自転車を止めていた。どこかに勤めに出ているのだろう。ハンドルの前に籐のカゴの付いた特徴のある自転車を見るたびに俺の心は熱くなった。
 そしてついにラブレターを書いた。「あなたに一目ぼれしました。少しの時間でいいから話してください」といった内容の手紙を書いて、いつもの自転車のカゴに入れようとしたのだが、胸がどきどきしてどうしても手紙を入れることが出来なかった。
 俺は自分の小心さに腹立たしさを覚えながら、その人のことを諦めようと努力した。

夜、酔っ払って高田馬場の住宅街を歩いていると、狭い上り坂の途中に洋館風のアパートがあった。そのアパートの前には大きなカリンの木が植えてあって、家の前を通り過ぎると高貴な香りが鼻をなで、何故か俺は、あんな美人はこんな家に住んでいるに違いないと思ったものだ。

赤いパンプスに泥をつけた、美しい障害者。カリンのあるアパートで暮らしている。なんていいんだろう。俺は現実と空想をごちゃまぜにして、その女性のイメージを膨らませ、苦しい胸に自分勝手な絵を描いた。もうこの人とは一生、一言も話すことなくお互いにこの世から消えてしまう。そのはかなく辛い現実の前で、俺は女のようによろめき、胸を押さえて、立ち止まっていた。

それから何年たったことだろう。高田馬場にある公立の図書館に用事があって、広い図書館の中を歩き回っていたときに、視聴覚ライブラリーの受付にあの女が座っていたのである。彼女はそこに勤める職員で、だから毎日駅前に自転車を置いて通っていたのだ。

しかし、俺はそのときもう胸をふるわせることはなかった。そのとき俺は、美人で金持ちで高慢で鼻持ちならない韓国の留学生と同棲していて、肉欲の虜になっていたからである。風呂屋に描かれたペンキ絵の富士山を愛撫しているうちに、俺は赤い靴の女の特別な美しさを忘れてしまっていたのだ。

今、つくづく後悔している。下らぬ肉欲に溺れていた俺の心から、あの赤い靴の女の面影が消えてしまったことを。なぜあの時、受付にいる女性に声をかける気持ちになれなかったのか。肉欲は罪である。臆病は罪である。

本当にもう一生会うことが出来ないあの女。今はどんなくらしをしているだろう。
あなたは、なぜあの時赤いパンプスに赤土をつけていたのですか?
なぜ俺を見て、にっこり微笑んだのですか?
あなたの声を聞かせてください。

(もうこの美女も50代でしょう。光陰矢のごとし)

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自動車事故教習所を作ってみたら

2010年12月23日 13時55分42秒 | 雑談
私は凝り性だ。何かに懲りだすと、最低3ヶ月、大抵は3年間夢中になる。
山菜採集も、釣りも、日曜大工も、3年間は熱病患者のように集中した。
 
自動車の運転もそうだ。免許を取って、最初の一年間は「毎日100キロ走る」ことを実践した。
だから、愛媛県の西南部では、大げさに言えば、「走らなかった道はない」といっていいほど走りまくった。遠くの町のブラインドカーブの角度まで全て覚えていたものである。

ところで、自動車教習所では、法定速度をきちんと守り、絶対に事故が起こらない状況で実技運転をする。だが、実際の道路に出てみると、法定速度で走っていたら、あおられ、追い抜かれ、逆に危険だ。教習所で習っていない状況に晒されるのである。「ウソ、そんなことあり?」と悲鳴を上げる現場ばかりなのである。

だから、私は最初の愛車は「車検2年付き、20万円」のスプリンターを買って、最初の3年間は徹底的に危険な運転を試した。例えば、山岳地帯で、ガードレールの外は谷底の道で、「どこまで左に寄ったらガードレールにぶつかるか」を何度も試した。
 狭い道で対向車と出会い離合するときに、どこまで左に寄ればガードレールにぶつかるか、などという訓練は、教習所では教えない。だから、私は、ガードレールを擦っては離れ、擦っては離れる練習をつんで、車体の左側面の車幅感覚を鍛えたのだ。なかなか擦れないものだ。勇気が必要だよ。
 そうだ。小学校のグランドに女房を立たせて、手を横に伸ばさせ、その手の先にフェンダーミラーを擦らせる、という練習も繰り返し行った。
 自分の身体の延長として車が運転できるようになるための訓練である。

あと、きついカーブの連続する山岳地帯を「左手一本で運転する」練習にも熱中した。これは突然右手が使えなくなったときのための練習である。また、右でも左でも自在に車を動かせるようにするための訓練でもあった。
 おかげで愛媛県の小京都と言われる「内子町」の路地を走るときに大いに役立った。内子の路地は非常に狭く、おまけに車や自転車や人でごった返しているのだ。そういう狭隘な道を右に左にハンドルを切って走る抜けるには、両手で運転するよりも、むしろハンドルの真上を片手で握って走るほうが、とっさの対応に対処できる。ついでにギアはセカンドに入れておくのがいい。急ブレーキや急アクセルが利きやすいからだ。所謂、ドラバビリティーが高くなるんだね。同乗した親戚のおばちゃんが、「お前、運転うまいね。うちの息子はこの道は怖くて入らないよ」と言ってくれたときは嬉しかった。

さて、頭の中で四角い枠組みをイメージして欲しい。その枠組みの中に丸い円がある。その丸い円は四角い枠に接していない。四角い枠の線の上は、事故死に出会う可能性の高い線である。
 丸い円の外と四角い枠組みの間が、危険ゾーンで、丸い枠組みが安全ゾーンだ。自動車教習所では、この丸い円の中だけの運転しか教えていないんだね。だから、丸い円の外側のグレーゾーンを教える「自動車事故教習所」を作るべきだと思っているんだよ。

例えば、ガードレールを擦る練習。それから、オカマを掘る練習。どれぐらいの車間距離をとっていないと危険か、これで教えるわけだ。それから壁に激突する練習。何キロで激突すればどれぐらいの衝撃が襲ってくるのか、体で覚えさせるわけ。
 それから、あえて危険な状況を作ってわざと事故を体験させる練習。例えば「サンキュウ事故」のシチュエーションを生徒には秘密で作っておく。まず100%事故を起こすだろう。そういうありとあらゆる危険な設定を体感させてやれば、普通の教習所を出た人間より、何倍も「安全運転」が身に付くに違いない。
 冗談じゃないんだよ。本気でそういう「自動車事故教習所」があったら、どれだけ事故の数が減ることだろうと思ってる。

こんな発想を抱いたのは、私が実験映画ファンだから、ということと大いに関係している。
実験映画というのは、普通の撮影マニュアルや編集方法からみたら、「事故」みたいなNGカットをいかに修辞法の一つとして応用するか、という世界なんだ。
 例えば、普通は適正露出を決めて、被写体をラチチュードの幅の間において明暗のグラデーションを生み出す。でも実験映画だと、わざと露出オーバーにしたりアンダーにして、目に「交通事故」を味あわせる。
 パンニングだってそうだね。ある一定の速さを超えると人間の目にはチカチカして不快なんだが、実験映像作家はわざとスラッシュパンを多用して、「スピード違反」を繰り返すからね。
 安全な丸い円の外側にあるグレーゾーンの中に表現の可能性を見つけるのが実験映画だ。
自動車事故教習所も同じだね。交通事故ゾーンぎりぎりの運転を知っている運転者は、普通の運転者より遥かにテクニシャンだ。実験映像作家もテクニシャンが揃っているからね

それにしても、日本の交通死亡事故を「一発で半分に減らす方法」があるのに、政府はなぜかそれをやらない。ご存知かな?
 簡単ですよ。「100キロ以上のスピードが出ないようにリミッターをつける」。これだけで死亡事故は半分以上減ります。
 みんなそれを分かっているのに、なぜか実行しない。噂では、政権与党が自動車産業から莫大な寄付をもらっているかららしい。また一説には、「事故回避」のために100キロ以上のスピードがでるように車を作っている、という自動車産業の主張に沿っている、と言われているが、こんなのは嘘っぱちだよ。私は以前毎日のように中央高速を走っていたが、ブレーキを踏んで事故を回避する場面はあっても、アクセルを踏んで事故を回避する場面なんて絶対にないからね。万一あるとすれば、元々スピードオーバーで二台の車が走りあっている時だ。
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