だいたいさ、そりゃ、過去のすべての期間の全取引所の全銘柄の株価とか、そういうデータベースにされたら、リソース厳しくなるのでダメだけど、あるトピックにまつわる多少の一覧記事なら、あって何の害もないわけ。RTされるくらいの項目なんだし、価値ない相応しくないと思う奴は見なきゃいいだけ。
二度とこんな提案して、記事破壊行為をすんな、という趣旨で厳しく諭しておいたが、この前TWしたように、こういう輩がはびこるのは、創立者のジミー・ウェールズがもともとそういう紙の百科事典志向で、ちゃんと土台の方針を明示できなかったアンポンタンだから。
だいたい記事まるごと削除したがる連中て「百科事典としての品質を高めるため」とか「ウィキペディアは名鑑ではない」からとか方針持ち出してくるんだけど、僕それ熟知してるわけ。何故なら、日本語版のその文章、英語版から翻訳したの僕だからな(爆) そんで、君それ意味わかってる?と諭す。
「記事の品質を高める過程で削除も必要」「おもしろいがWikipediaには相応しくないとおもう」とか言うのだけど、だから、排除によって得られる「具体的なメリット」「合理性」を示せ、と言っても、手持ちの材料、名鑑でない、くらいしか具体的なもん持ってないので、なんも返してこないわけ。
記事もこれ以上発展する見込みはないから「とりあえずいったん」みたいな事言うのだけど、そもそも一覧記事なんで、長さだけ膨らんでも別にいいし、現状だけでも十分価値あるとおもうが、彼はそう思わない。結局、排除のメリット示せずに、この本見つけた加筆してみる、とか、やればできるじゃない。
その一覧記事、たまたまここでRTされてるのを見かけて、もしや!?と思いノート確認して、その排除提案を発見できたから救済できたけど、そうじゃなかったら賛成票投じてるアホが提案者含めて3人おったからあのまま消されてただろうと思う。結構そうやって、おもろい記事の芽は摘まれてるのが実態。
そういう記事が排除されて、結果得られるものとは、排除を提案したり賛成したりする連中の「あーすっきりしたー」っていうカタルシスのみなんだね。そのRTされてた面白い記事は二度と復活してこないだろう。で、今ラッキーなことに存続してるわけだが、それでなんか不都合はあるかな?なんもないよ。
フェアネスのために補足しておきたいが、排除の理由としてよく挙げられるのは「特筆性」。これは百科事典であるので、なんでもかんでも掲載OKてわけじゃなくて、「特筆に値する」みんなで共有して意味がある情報の足切りラインを設けてるんだね。
僕のスタンスは、「なんでもあり」にならないギリギリのところの「特筆性」足切り基準であり、厳密にブラックリスト方式をとるし、事実、方針もそう読めるが、ジミーが削除主義者なので、あんまりこの辺はしっかりしてない。むしろ特筆性ありを『満たす』というホワイトリストでやってる連中が多い。
なんでそもそも「特筆性」っていう基準があるかっていうと「なんでもあり」になっちゃダメってことなので、論理的には「なんでもあり」じゃなかったらいいんでしょ?というブラックリスト方式になるはずだが、「特筆性」を「満たす」という言葉遣いでホワイリスト方式で運用されてるのが多い気がする。
僕が翻訳した(他にも翻訳者は数人いて、参加した)「ウィキペディアは何でないか?」というのは、その名称のとおりNG集であり「ブラックリスト」だ。なぜこの翻訳改訂に多大な労力を割いたのか?というと、まさにここを厳密にコントロールしておかないと、記事の排除もコントロールできないからだ。
たとえばね、翻訳改訂する以前には「ウィキペディアはニュース速報ではありません」というNG項目があった。これは原文では、さっきの「特筆性」つまり、すべてのニュースアップデートを逐一加筆して掲載するところじゃないですよ?百科事典なんだから!っていう意味。そういう項目があった。
それをだね、ヘッタクソな初期の翻訳者(そいつと僕は別件で対立することになった)が、「ニュース速報でない」と訳したもんだから、それ「特筆性」「なんでもありじゃないですよ?」っていう本来の意味が「時事的なもんを加筆するのは控えよ!」みたいな意味に歪曲されて、削除するアホが続出した。
たとえば、『四川大地震』。これ英語版じゃ、事象発生後、24時間で何百もアップデートが繰り返され、多数の利用者により、あらゆる情報が蓄積され整理が繰り返されて、秀逸な記事に仕上がった。さて、日本語版じゃ何が起きたか?「ニュース速報ではありません」過剰編集禁止、保護凍結。
極めて愚かなことであるが、「ウィキペディアは何でないか?」に書いてあることだ。「ニュース速報ではありません」って、と言われて正当化。何かがおかしい?って気づく常連なんぞ極少数。ほぼ居ない。WPの日本語版コミュニティってしょせんそんなレベルだ。今でもそのレベルは変わってない。
「ニュース速報ではありません」というのは、長期間はびこっていた元凶みたいなすくなくとも誤解を招きやすい悪訳であり、時事に関することは、全部情報が出揃ってから5年後に書き始めったっていい、とかいうお馬鹿さんが続出。はあ?っておもうけど彼らは本気。
そして、この醸成された愚かな風潮は、時事だけでなく、コンテンツにまで波及することになる。TV番組、映画、音楽、コミック、あらゆるものがリリース後に書け、それまでは「性急な編集なので保護する」とかね。これ実際に仮運用されたの。そんで案の定、管理者馬鹿だから、暴走しちゃった。
さすがに、なんでもかんでも記事が保護されて、それ加筆しようとした利用者は方針違反だってブロックされるとか。編集者が身動き取れなくなったの。あたりまえだw なんかおかしいってやっと気付き始めて、その性急保護の方針はお蔵入りになった。
日本人ルールつくったり守ったりするの大好きなの。だからすぐ、これはいけないからルール作ろう!とする。和を尊ぶので、ルール守らない!って利用者排除するのも大好き。結局がんじがらめになって破綻した一例がその性急保護の方針。ちなみにこの方針牽引して適用して暴走した管理者は首になった。
いずれにせよ、「ニュース速報ではありません」ってのが、諸悪の根源である、と思ってたので、こいつを僕は無くそうと思った。だから、ウィキペディアは何でないか、の翻訳改訂しなおして、そのブラックリストに暴走要因が紛れ込んでいないか、削除主義に悪用されないか、徹底的にチェックした。
Wikipedia(日本語版だけでなく英語版その他全部含む)の長大な日々の議論の非効率性の原因の半分以上は、創立者ジミー・ウェールズの愚かさが原因。実はあの人、紙の百科事典出身で、思想主義の根幹は排除、削除主義のくせに、ネットで成功しちゃったので、包摂か削除か、初期設定ぶれてる。
かんたんにその初期設定の愚かさが追認できる例として、ウィクショナリー http://goo.gl/bOFe その他の兄弟プロジェクトがある。みんな知らないでしょ?これ失敗してるが故にGoogleの検索になかなか上がってこないから。 なぜこんな失敗しでかしたのか?
ウィキペディアは次世代のネット百科事典である、とぶちあげながらも、やっぱ紙の百科事典、辞書という区分けにしばられていたから。両者の差異は基本的に紙という物理的リソースに起因するポータビリティでしかない。つまり、情報量多いのは結構だが、百科事典持ち運べない、すぐ情報探せないとか。
ネット百科事典というか電子化されれば、百科事典と辞書のポータビリティ、検索の問題は解決されており、事実みんなウィキペディアを旧来の紙の辞書替わりに使ってる。ウィクショナリーという情報量少ないのは見向きもされてないんで、失敗して、事実みんな知らない。
ウィキペディアのみが大成功し、その他の別プロジェクトはもう失敗した、と言い切って問題ないとおもう。十二分に実験期間はあるので。ウィキトラベルにしても「観光」セクションというふうに、ウィキペディアの内部で体系化すれば済むことであるが、そうならなかったのは、やはり分離、排除の論理。
Wikimedia's Wales gives up some top-level controls CNET News - http://goo.gl/aSGq 昨年5月こういうニュースがあった。彼がトップレベルコントロールを「諦めた」。そう、彼ずっと独裁権限維持しようと必死。
ウィキペディア、ウィキメディアは、いっつも大々的な寄付を募っており、それは「公共のものだから」と自分のあの有名な顔写真はってキャンペーンしてるわけだが、「公共のもの」であるのに、自分はずっと特別権限維持しようとしてるんだね。まっとうな奴ではない。少なくとも立派な人物じゃないよ。
さっきのCNETの記事によると、Commonsで共有されてるエロ画像、ポルノグラフィックなイメージが英語版の記事にちょくちょく採用されていて、おそらく「百科事典の品質を守るため」に手当たりしだいに独自権限で削除したらしい。それがコミュニティの反発を食らい引き摺り下ろされたみたい。
つまり、これも彼が、削除主義者、排除主義者である顕著な事例であり、いい加減コミュニティが前々からその辺論争してたが、もう抑えきれなくなった、ってことだろう。本来ならば、もうさっさと自主的に降りるべきだが、それもつい最近までできなかったようだ。
結局、創立者がこういう削除主義、排除主義、管理者の横暴、権威化みたいなことを自らやってるアホなんで、初期設定からウィキペディアってそういう運営環境になってるわけ。ここは削除排除主義じゃありませんよ、とバシッとあれば、無用な議論の大半は不要だし、管理者の暴走、喧嘩もなかっただろう。