主席公選で日米裏工作 親米候補の当選狙う

復帰前68年 外交文書を公開

2010年12月23日 09時34分この記事をつぶやくこのエントリーを含むはてなブックマークLivedoorクリップに投稿deliciousに投稿Yahoo!ブックマークに登録

 【東京】日米両政府が1968年の琉球政府初の主席公選で、親米とされた西銘順治候補を当選させるため協調して“裏工作”をしていたことが、22日公開された日本の外交文書で明らかになった。当時盛り上がりつつあった国政参加問題を西銘氏の功績に見せるための協議や日本からの援助、公害対策などを選挙事情を優先して行っていた実態が記されている。

 中には米側が自民党に、選挙資金のてこ入れを促していたと示唆する公電も含まれており、なりふり構わず選挙に介入し、自らに有利な候補を当選させようとしていた両政府の実態が浮き彫りになった形だ。

 同年6月10日の外務省北米課と在日米大使館との協議では、米側が「国政参加を認める目的は主席公選において西銘候補に有利に働く材料を提供すること」と強調。9月24日には国政参加問題をいつ取り上げるかで両政府が腹合わせも行っていた。この時点で選挙活動にあまり積極的でなかった対立候補の屋良朝苗氏に対する効果も考え、10月の選挙戦後半で打ち上げたいとした米側に対し、日本側が異論を唱える様子も記録されていた。

 また日本側が8月15日、本土の自民党が準備中の、公害対策などを柱とする沖縄対策の内容を米側に伝えたのに対し、米側は「主席公選における西銘候補がもっとも弱い地域は嘉手納基地周辺と認識」しており「選挙対策上の意味からも(同基地周辺での)公害対策は重視している」などと説明したとされている。

 6月18日の下田武三駐米大使の公電では、スナイダー米国務省日本部長らが日本側に「沖縄への選挙資金送金方法改善について(自民党に)申し入れた」と伝達していたことも記載されていた。これらの工作にもかかわらず、11月の公選では屋良氏が当選した。

 一連の文書ではこのほか、公選に当たり政府の沖縄事務所職員が頻繁に沖縄の公務員や政党・団体、報道関係者らと接触し、選挙情勢や屋良氏の動向などを探った公電が多数含まれており、現在の外務省沖縄事務所との関係でも議論を呼びそうだ。

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