“いとこい”の愛称で親しまれた兄弟漫才コンビ「夢路いとし・喜味こいし」の喜味こいし(本名・篠原勲=しのはら・いさお)さんが23日午後1時38分、肺がんのため大阪市内の病院で死去した。83歳だった。しゃべくり漫才の最高峰として活躍し、“漫才の教科書”とも呼ばれる存在だった。2003年に実兄の夢路いとしさん(享年78)が亡くなってからは一人で活動。古典落語のように語り継がれる名作漫才を数多く残し、昭和の名漫才師が旅立った。
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昨年1月、体調不良のため病院で診察を受け、肺がんが発覚した。その場で本人にも病名と病状は知らされたが、こいしさんは手術せずに入院して抗がん剤治療を受けることを選択。しかし、今年に入ってから体調が思わしくなくなり、21日に容体が急変。23日に妻や娘らが見守る中、眠るように静かに息を引き取った。
最後まで仕事に意欲をみせていた。肺がん発覚後も入退院を繰り返しながら仕事現場へと足を運んだ。最後の仕事となったのは昨年12月2日に大阪・NHKホールで収録された番組「満員御礼!寄席芸ワールド」。曲芸、マジック、落語家の余芸など、今では語る者が少なくなった寄席芸を、こいしさんが豊富な知識で解説。数年前から担当していた番組は、この日がくしくも最終回で、マネジャーによると「収録日は体調も悪くなく、スムーズに収録を行っていた」という。
こいしさんは埼玉県生まれ。旅一座の家庭に育ち、幼少時から2歳上のいとしさんと舞台に立った。37年に荒川芳丸に入門。荒川芳博・芳坊の名で子供漫才を始め、48年に「夢路いとし・喜味こいし」に改名した。
45年には新兵教育を受けていた広島で被爆。77年には膀胱(ぼうこう)がんを患い、人工膀胱で生活するなど波瀾(はらん)万丈の人生だったが、ひょうひょうとボケるいとしさんに翻弄(ほんろう)されながらも、こいしさんが的確なツッコミを入れる芸風で関西演芸界の重鎮となっていった。
93年には兄弟で紫綬褒章。2003年9月にいとしさんが死去して以降は、上方演芸会の“ご意見番”としての講演や、映画「ホノカアボーイ」(09年公開)に出演するなど存在感をみせていた。
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