某月 某日
この世界に転生した、という夢を見続けて今日で六年目
ようやく【日本語】を完全にマスターしたので、今日から日記を書いてみる事にした
体は幼児であるが大人の頭脳を持つ私だ、もっと早くマスター出来ると思ったのだが【現実の世界】の常識が邪魔をして、結構な時間をかけてしまった
全く、妙な所で現実味のあるせか……もとい、夢である
クロガネも早く起こしてくれないだろうか、六年間も夢を見続けるなんて寝坊どころの騒ぎでは無いぞ?
まぁ、夢なのだから大抵の事は起こりうるか。うむ、夢だものな
そう、夢なのだ、夢に違いないのだ
夢夢夢夢はっはっは……
…………分かっている、無理のある理屈という事は分かっている
私とて馬鹿では無い、六年この夢の中で生きてきたのだ……薄々は気付いている
だがそう簡単には受け入れられ無い、受け入れられる筈が無い
だってそうだろう?
簡単に認めてたまるものか
―――「異世界だか未来だかに、前世の記憶を持ったまま転生しました」等と言うふざけた現など
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海鳴市
それが私とその家族が住む家がある町の名だ
そこは海に隣接した町で海辺は勿論、山もあれば丘も有り……果ては温泉まで備えた、まさに全色ガードをマスターしたパラディンのような町である
私の(この世界、否! 夢での!)父はこの町で一般衛士……もとい、サラリーマンと呼ばれる平凡な会社員として働いている
母は専業主婦で、兄弟は居ないしペットも居ない
「つまり、今の私は完全なる一人っ子である」
「……どうしたの? いきなりそんな事……」
「あ、いや何でもないよ、母さん」
どうやら日記の内容が口から漏れていた様だ
すると、その言葉を聞いていたらしい父が嬉しそうな声を上げる
「分かった! 暗に妹か弟が欲しいという催促を」
「違うから自重しようよ父さん自重しようよ」
すごいな自重なんて難しい言葉良く知ってたなぁ流石母さんの息子だいえあなたの息子だからようふふ
……中が良いのは結構な事だが、所構わずいちゃつくのは止めて欲しい
私は人目のある所では【子供】を演じている
まだ10にも満たない幼児が、「私」などという一人称を使い大人の振る舞いをするのは流石に無理があるだろうと感じたのだ
最初は自分の素性を素直に話してしまおうかとも考えていたが……六年間、彼らの息子として過ごす内にその考えはきれいさっぱり消滅した
彼らが私を【息子】として愛してくれる内に、私もまた彼らを【両親】として愛していたのだ
「…………いや、だから夢だって……この状況は夢だってば……!」
まぁそんな訳で、私はこの夢が覚めるまで彼らの息子でいようと決めた
そんな他人に知られたら少し恥ずかしい事を考えていると、両親のいちゃつき声が……何と言うか、ピンク色の空気を纏わせている事に気が付いた
……自重して欲しい、本当に
両親の教育上不適切な場面を目撃するのは流石に気が引けるので、そちらに目を向ける事無く2階の自室に向かう事にする
「……じゃあ、部屋に戻ってるから」
「ねぇ、フロントガードちゃんは弟と妹どっちが」
「戻ってるから」
最後まで聞かずに階段を上がる
……これは誠に不思議なことなのだが、会う人会う人その全員が私の名を前世の……しかも間違った呼び名で呼ぶ
両親でさえ自分達が付けた名前で呼ぶ事が無いのだから全く持って意味不明
その日一日、私は世の理不尽への考察を続けながら部屋に籠っていた
■ ■ ■
次の日の昼、私は近所にある公園に来ていた
まだ学校に通っていない私は、毎日公園での自主トレーニングを日課としている
流石に6歳の体では出来る事は限られているものの、長い冒険者生活の中で習慣となっていたので、やらないと逆に調子が悪くなるのだ
薄い木の板を使って工作した自作の盾を構え、パリングやバックガードといったパラディン時代に使っていたスキルを新しい体に覚えさせていく
前の体の時の様には上手くいかないが、それでも迷宮一階の雑魚相手には十分通用するだろう
……まぁ、この夢には迷宮もモンスターも存在しないが
下らない事を考えた、と私は盾を振るスピードを速めていった
ちなみに、フロントガードは意地でも覚えたくない
一通りの練習をこなした後ベンチに座り、一息
「……やはり、一人では効率が悪いな」
それはそうだ、パラディンのスキルは一部を除き「相手の攻撃を防ぐ」ために有るのだ
攻撃役をやってくれる者が他に居なければ、その練習効率は著しく下がってしまう
さすがに両親に「六歳児の子供に攻撃を加えて下さい」などと頼む事は出来ない
前はクロガネが攻撃役をやっていたが……まぁ、クロガネがいない今、それは仕方のない事と割り切るしかないだろう
……友達? はて、何のことだろうか
「……考えてみると、前の体の時も人間の友は少なかったな……」
私の友人、その殆どが人以外の動物だった気がする
人の友人で覚えているのは、クロガネを抜いたギルドメンバーの三人きりだった
それ以外の人物の顔は全く思い浮かばない、浮かんで来るのは迷宮内で仲良くなったリスやモグラばかりである
……何故だろう、私は割と社交的な人間だった筈なのに
「…………クロガネ」
ぽつり、と
相棒であり親友でもあった忠狼の名を呟く
クロガネは私の子供の頃からの付き合いで何時も私と行動を共にし、楽しい事も辛い事も共に経験してきた
もはや私にとっての半身と言っても良かったかもしれない
……結局、私が最期に会ったのもクロガネだった
あの後クロガネは生き延びる事ができたのだろうか?
今となってはどう頑張っても知ることは出来ないが、それが無性に気になった
「…………今日はこれくらいにしておこう」
そっと溜息を吐き、首を左右に振る
全ては終わってしまった事、今更の話だ
ベンチから腰を上げ、大きく伸びをする
背中からパキパキと良い音が鳴り、何となく満足感に包まれる
そのまま上半身を左右にひねり、体操を続けていると
「………………うん?」
体をひねった拍子に、ベンチの陰に目が向いた
そこに何か気配を感じ目を凝らしてよく観察してみると、黒くて丸いビー玉の様な何かが落ちている事に気づく
「何だ、これは……?」
最初は動物のフンかとも思ったが、妙な光沢を放つそれはフンとはまた別種のものだ
気になって手に取ってみると、まるで宝石の様な質感をしており―――その真っ黒な輝きは記憶の中の何かを疼かせる
私はこの球体に懐かしさを感じている……?
しばらくそれを見つめていると、突然その黒い玉がチカチカと明滅し、
<<It is after a long absence, and it is a venturer>>
「うわっ!?」
いきなり聞いた事も無い言語で声を発したため、驚きのあまり黒い玉をとり落としてしまった
<<Treat it a little more carefully>>
黒い玉はその事に抗議するかのように声を発する
「……お前は何者だ?」
盾を構え、黒い玉に向かい警戒態勢をとる
……傍から見るとなかなかシュールな光景だが、気にしている場合でも無い
<<Have you forgotten me?>>
「何を言っているのか分からない! 私にも分かる言葉で喋ってくれ!」
チカチカ
<<我を忘れてしまわれたのですか?>>
黒い玉の発する言語が、私にも分かる言葉に変換される
だが、これは……
「……貴様、その言葉は……!」
<<はい、ハイ・ラガード公国の言葉です>>
「……もう一度問う、貴様は一体何者だ!?」
この夢の中にハイ・ラガード公国は存在しない
それは公国の言葉を話せる者も存在しえないという事だ
だというのに、この黒い玉はいとも簡単にその存在しない言語を操っている
……?
・私と旧知であるような素振り
・ハイ・ラガードの言語を知っている
・主人に接するような敬語
・そしてその黒い色
―――私の中に、一つの仮説が生まれる
もしかすると、この黒い玉は……!
「もしやとは思うが、まさかお前は……」
<<思い出していただけましたか?>>
心なしか黒い玉の声が嬉しそうに弾む
その反応で、確信する
「……やはり、そうか……」
再び出会えた嬉しさで、涙が落ちそうになる
もう二度と会う事は出来ない……そう思っていた
何故こんな姿になってしまったのかは分からないが、その程度では私達の関係になんら問題は無い
「随分と姿が変わっていて、お前がクロガネだと分からなかっ」
<<はい、お久しぶりのキマイラです>>
―――地面に叩きつけ、シールドスマイトで粉々にぶち割った