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[22833] 【習作】血溜まりのクドー(アークザラッド2二次創作・転生オリ主)
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:0f1f5dee
Date: 2010/11/17 05:13
習作。
転生オリ主。
強キャラ。
厨ニ文章。
ゲーム準拠。
既プレイ推奨。
どう足掻いても厨ニ文章。

以上、注意書き。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:0f1f5dee
Date: 2010/11/02 04:34
眼下に広がる灯の一つ一つをなぞっていく。
緑、赤、黄、そして白。
どれもこれも街明かりのそれと言うには目にきつ過ぎる。
空を見上げた。
黒が一面に広がるその空には、所々に煌めく星の光。月の光。
そしてその黒の中に蠢く雲。蠢く白。
目を細める。見えたのは巨大な飛行船だった。

心がざわついた。

再び眼下に眼をやれば、その光景がやたらと輪郭を帯びてくる。
航空灯、誘導路、滑走路、少し遠くに聳え立つのは管制塔か。
ふと空に響く轟音に釣られて空を見上げる。
先ほど見えた白い飛行艇がエンジンとプロペラを回しながら高度を下げつつあった。
唸る風。身に纏う外套と衣服と包帯を靡かせる。

心がざわついた。

耳が遠くなるほどの音が次第に小さくなり、飛行艇の中からは大勢の乗客が。
いや、どちらかというと兵隊か?
全身を黒で塗りつぶした兵隊服。肩に背負われた銃。どれもこれも見慣れた物だった。
見慣れ過ぎた者共。

≪あれか?≫
≪運命の時≫
≪キヒヒ……始まるみてぇだな≫

幾つもの心がざわめいた。

内に溢れる様々な声共に一喝する。
それぞれ無言と謝罪と愚痴を飛ばして黙りこくった。
どれもこれも曲者ばかり。
しかしこれがなくては何も出来ない。

この身をすっぽりと覆う灰色の外套が一度大きく揺らいだ。
その下の胸元に取り付けられた5本のナイフを手でなぞる。
幾人もの血を啜ってきたナイフ。
おそらくは最も忌避されなければならない手段そのもの。
だが何の因果か、俺はそれに慣れてしまった。

≪お? 乗っ取っていいか?≫
≪止めておけ、軟弱者≫
≪あァ? 犬っころは黙ってろよ≫

心情が筒抜けと言うのは決して心地良いものではない。
外套。衣服。包帯。皮膚。その下にいる輩が小うるさく吠える。
一匹はそれなりに協力的だ。
一匹は攻撃的だが阿呆だ。
一匹はあまり喋らない。むしろ先ほど聞こえた声が久々の声だったかもしれない。

心がざわつく。

だが揺れることは許されなかった。揺れればこいつらが喰いにかかる。
人を名乗るのならば、迷いも、躊躇も、葛藤も必要なものだろう。
だが、それ許されるほどの境遇に立つことは出来なかった。
自己を明確に認識した時点で、既に逃げ場はなかった。
故に、襲いかかる全てをねじ伏せようと決めた。

≪けっ、分かってるっつの≫
≪ふっ≫
≪…………≫

恨もうとは思わなかった。
こういう理不尽がまかり通るのが、この世界だったから。
いや、むしろ俺が生きていた世界でもこのような闇はあったのかもしれない。
平和を嗜むことに溺れていただけで。
だとしても、この世界は俺にとってあまりにも――――。

絶望しかけた。
しかけた、だけだ。
すればよかったのかもと稀に考えることがあるが、そのような邪念など一秒も続かない。
それほどに俺は救われた。

だが、彼女らは、彼らは救われない。

≪へへへっ、血溜まりクドー、今此処に反逆せんってかァ?≫
≪それを見届けるために我らはいる≫
≪運命の、時≫

故にそれだけは……友だけは救うと決めた。
例え彼らが救いを求めないとしても、例えそれが崩壊の兆しを含んでいても。
ただ、俺のために。
ただ一つ執着出来た心のために。

爆音。

それに続いて瓦礫が崩れ落ちるような金属音も聞こえた。
さらには誰かの悲鳴も。
合間に銃声。
先ほど飛行場に着陸したばかりの飛行艇を見やれば、人影が二つ。
逃げる誰かと、追う誰か。

片方は知識と記憶にしかない。
つまりは逃げる方。
片方は、記憶と知識と、そして縁があった。
俺を繋ぎとめる縁の一つ。

飛行艇の中に入る二つの影の内、追う方ばかりを見つめていた。
彼の後ろに靡いていく赤のターバン。浅い黄緑の外套。
管制塔のてっぺんより眺める彼の顔は、まだ見えない。
やがて二つの影に一つの影がいつのまにか加わり、飛行艇の甲板にてそれぞれは相対した。
そういえば背丈の小さい獣の姿もある。

始まる。
始まるぞ、血溜まりクドー。
既に歯車は狂っている。
何を恐れるものか。
この日を俺は待ちわびていたのだ。

空にこの身を躍らせる。
足を付けるのは遥か眼下の飛行艇甲板。
ただの人間には耐えられない衝撃がこの身を襲うのだろう。
あそこにいる三人は凄腕ハンターと魔女と正当な血筋を持っていただろう混ざり物。
ただの人間には介入することも許されない闘争が始まるのだろう。

この腐った身体を叩きつける風が俺を襲う。
果たして風に靡く外套の音に気付いたのはハンターか、魔女か、獣か、混ざり物か。
ハンターはこちらに気付くと同時に、背後から襲いかかる魔物を槍で捌いた。
ジャイアントバット、だったか?
混ざり物が召喚した魔物故にか、その力は羽虫の如く。

破砕音を立てながら甲板に着地。
同時に魔女の傍にいた獣が俺に向かって吠えた。
魔女は俺に気付いて身体を震わせた。
俺は見る。
他の誰でもない、そのハンターの姿を。

「おい、こいつも追手の一人って奴か?」
「ち、違う、と思う。あんな人は見たこともないし」

ハンターと魔女が互いに此方を警戒した。
彼らを挟んだ向こう側。
混ざり物は、俺の姿を捉えるなり悲鳴を上げた。
絶望にも似た悲鳴だった。

「ヒッ……お、お前っ! く、来るなっ! 来るなよ!!」

恐慌に陥る混ざり物と俺だけが状況を理解出来る。
ハンターと魔女には分からないだろう。
混ざり物が地べたを這いずるようにして飛行艇よりその身を投げ出そうとした。
しかし――――。

すまんな。
確か、アルフレッドとやら。
知識と記憶だけでは、お前を助ける選択肢は取れないんだ。

瞬間、風を切る音。
ハンターと魔女の間を縫うようにして線を残す銀色は、混ざり物の額に赤をぶちまけた。

「あがっ……あ、あァ……ねえ、さ……」

悲しげな断末魔と共に、アルフレッドは大の字のままに倒れて事切れた。
外すわけもない。
幾度もこのナイフは肉を突き、切り裂いてきたのだから。

「なっ……」

声にならぬ戸惑いを上げる魔女を尻目に、ハンターはその鋭利な槍の先を俺に向けた。
やがて薄暗がりにはっきりと見えてくるハンターの貌。
童顔なそれは俺の待ち望んだヒーローの顔。
その身が構える牙は、全てを燃やしつくす紅蓮の炎。

その瞳は、俺の思い出の中にある紅のままだった。

やがて俺の背後よりぞろぞろと現れる、黒のスーツに身を纏った男達。
槍を向けられながら感傷に浸っていた俺の隣に並び、空気の読めないことを言う。
魔女の獣なぞは、そんな俺と黒服に唸り声を上げている。
魔の住人がそのような気高い心を持つ。
俺も魔女の下僕になれればそのような心を持てるのかと考えた。

黒服が言ったのは諦めろだの、娘を渡せだの、ハンター風情が、だの。
よく聞いていなかったから記憶にも残らなかった。
ただ銃を突きつけ、甲板の端まで追いつめて行く黒服。

「私……そっちに行きます」

ふと、魔女が――――儚げに笑いながら肩を落とした。
彼女とハンターの『今現在』の関係は記憶している。
飛行船ジャックの犯人を追ってきたハンターが、たまたまその道中で拾った火中の栗。
それを巻き込むなどと……おそらくは心優しいだろう魔女にはできなかった。

にやりと汚らしく笑う黒服に眼を顰めるが、俺は動かない。
記憶でもなく、知識でもなく、俺は彼がどうするのかを分かっているから

多勢に無勢の状況の中。
おぼつかない足取りで黒服へとその身を預けようとする魔女に呆けていたハンター。
こちらに近づいてくる魔女の表情はよく見える。
諦めの表情。
チラリと俺の方を見ると、彼女はもう一度身体を震わせた。

「俺を……」

風が吹く中、ハンターが、彼が、炎が声を漏らした。
俺の待ち望んでいた声だった。
そして炎は、ただがむしゃらに吼えた。

「俺を見損なうんじゃねえ!!」

エルクよ。
あの白い家で友になった炎のエルクよ。
俺のことは覚えているだろうか。
俺の事を思い出してくれるだろうか。

まるでヒーローのようにその魔女を掻っ攫ったエルクは、鉄線を伝って一気に遥か遠くまで逃げて行ってしまった。
そしてそれを無様に止めようと銃を乱射する黒服。

「クドー! 何故止めなかったっ!」

やがて飛行場の奥へと姿を消していった彼らの後を眺めていれば、黒服が俺に叫んだ。
怒号。戸惑い。そして少しの恐怖を。
どうせすぐにばれることだろう。
俺は物語を加速させるためにさっさと真実に近い事を話してやる。

「炎使いのエルク。白い家。ガルアーノ様に言えば分かるだろう」
「白い家……? 何のことだ」
「さて……俺も少々度肝を抜かれただけだ」

もはや俺に向ける黒服達の声など届かなかった。
先ほど見たエルクの顔を、声を、もう一度思い出す。

≪あれが、エルク、ねぇ。ただの餓鬼じゃァねえのかい?≫

小うるさい心の一つが思い出を邪魔する。
だがその言葉は頑として否定してやろう。
彼は、ただの餓鬼じゃあない。

物語の主人公とでも言えばお前達には分かりやすいのだろう。
彼をただの絵本上の人物と見るには、少々深くかかわり過ぎた。
所詮幼少の頃の数か月ではあるが。

≪さて、物語通りに動くのだろうか≫

もう一つの心が言う。
動くはずがない。
断言出来るほどに、俺は既に色々と狂わせてしまっている。
だからこそ、俺が動かねばならない。

≪決意≫

そうだ、その通りだとも。
俺の望みはただ一つ。

友を救う。
それだけだ。








[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:d5cc582e
Date: 2010/11/23 05:09
東アルディアをさらに東部と南部に分かつアルディア橋より北。
一般にはプロディアス市長が住んでいる豪邸などと認識されているが、はたして真実は。
どちらにしても一般市民には縁の無い所だ。
何より入口に立ついかつい黒服の警備員は、好んで来客をもてなすような輩でもない。
そしてそこに住むプロディアス市長もまた。

「逃がした?」
「は」

豪邸の一室である市長室。
黒光りする椅子に座ったまま、俺の目の前で面白くなさそうな顔をする男がいる。
瞳を探らせない赤茶のサングラスと乱暴に加えられた葉巻。
ギャングかマフィアの親玉を感じさせるいかついスーツ。
悪役の三点セットを身につけるのは、話題の市長・ガルアーノ。

「お前ほどの者がたかがハンターに後れを取るとは思えんが」

こちらの失態をねめつけるように紫煙を吐いて先を促すガルアーノ。
どうやら今回のことはこいつにとってもそれなりに痛い出費だったらしい。
何せガルアーノの進めるプロジェクトには必要な人材だったから。

キメラ・プロジェクト。
馬鹿げた企みではあるが――――まぁ、複雑な所だ。

エルクによって奪われた魔女の名前はリーザ。
フォーレス国の伝説に名を残す『ホルンの魔女』の生き残り、だったか。
その血筋はガルアーノのプロジェクトにとってこの上ない材料になるのだろう。

「我らの邪魔をしたハンターのことですが……私の記憶が正しければ、炎使いかと」
「炎使い……? まさか、あの脱走した……」
「ほぼ確定かと。プロディアスのハンターズギルドで炎使いと名乗っていたようです」
「ク、クククッ……そうか。そうか!」

俺にとってはさも幸運を得たりと笑う目の前の男を嘲笑せざるを得ない。
顔を絞って腹の底から笑うガルアーノに眼を細める。
包帯の合間より見えた視界に映る奴の顔は醜悪だった。

どちらにしてもこれで舞台の幕が上がる。
この東アルディアで起きる演目はそう多くない。
どれもこれもプロローグに過ぎず、本舞台はあの忌まわしき白い家。
それまでに演者の立場を盤石にするのが俺の役目だ。

「で、足取りは?」
「ハイジャック事件の影響でプロディアスに戻るようなことはないでしょう」
「インディゴスか?」
「魔女を連れながらではそう遠くには行けないかと。部下の一人が手傷を負わせています」
「殺してはいないだろうな?」
「無論」

ククッと口角を吊り上げて笑うガルアーノに、俺は無言。
嫌悪感を隠すことなど既に慣れた。
しかし物語の始まりに俺の心を浮かれているのか。
少し身体が揺れれば、外套の下のナイフがカチャリと揺れた。

やがて命令を待つ俺を放って受話器を取り出したガルアーノ。
話した内容は……まぁ、分かりやすいものだ。
白い家への連絡。手駒の要請。凍結プロジェクトの再開。
そんなにエルクの消息を知ったのが嬉しいか、ガルアーノ。

「サンプルMは沈黙。Jはヴィルマーと共に消えた。お前は……まぁ、使えるが」
「…………」
「フハハハ……。奴の力は本物だ。知っているだろう?」
「レポート上での話であれば。あの時の私は、未だ力も知らぬ餓鬼でした」

鼻を鳴らして俺の顔に葉巻の煙を吐くのは、機嫌がいいのか、悪いのか。
気の利いた台詞が欲しいのであれば、同じ狂気に見舞われた研究者にでも告げればいい。
エルクの帰還を知れば、白い家の奴らは諸手を上げて狂喜乱舞するのだろう。
吐き気を催すほどに邪悪だ。

どちらにしてもエルクを見つけたガルアーノはどうするのか。
おそらくは炎使いと魔女のどちらも手中にするために、それなりに慎重に動くのだろうが。
いや、慎重ということではないな。
まるで狩りをするかのようにゆっくりと楽しむつもりか。
いかつい髭面を徐々に歪ませていくガルアーノを見ながら、俺はそんな予感がしていた。

「適当に捨て駒でもぶつけておけ。足止めにもなるまいが……」
「釘づけには出来る、と?」
「空港を抑えつけておけばそう遠くには行けまい。それよりも殉教者計画の方だ」

忌々しそうに舌打ちを鳴らすガルアーノではあるが、所詮エルクのことも偶然の話。
ハイジャック事件の真の目的とは別にある。
そもそもは殉教者計画の要である女神像の輸送こそが本来の目的だったのだ。

この世界の中心。この世に蔓延る悪の巣窟。
そんな腐った国であるロマリアからの贈り物。
女神像を起点に始まる殉教者計画。
その流れを円滑にするための空港占拠だったのだ。
しかし、物語の流れは本筋通りに『アルフレッド』の反乱に。

「計画の遅延は認められない。貴様が空港占拠の舵を取れ。失敗は許さん」
「式典の開催は?」
「二週間後だが三日以内に終わらせろ」
「御意」

占拠と言っても空港の係員を全て魔に取り入った部下達にすげ替えるだけだ。
まあ、元の係員はご愁傷様と言うしかないが。
やりようによっては暗示を掛けるだけで済むかもしれない。
所詮俺に残された良心の呵責に左右されることだ。

さも成り金が好みそうな椅子にふんぞり返るガルアーノに一礼。
これ以上交わす言葉などないと部屋のドアに手を掛ければ、背後に声が掛かった。

「貴様から見て、エルクはどうだった?」
「……手強いかと」
「クックック……手強い……手強いか!」
「…………」

それはエルクのことを考えた狂笑ではない。
その嘲笑は俺に向けられたもの。
言ってしまえば白い家で苦楽を共にした俺の立場を突いてのことか。
どうしようもないほどに嫌な奴ではあるが……。
さも自分の思い通りに動いていると考えている辺りが無様だ。
笑ってやりたいのはこちらだよ。ガルアーノ。





空港占拠の指揮を任されたとはいえ、俺が直接空港に出向くことは出来そうもない。
そもそも傍から見える俺の容姿は、その全てを包帯で巻かれたミイラ男。
アリバーシャやアララトス辺りであれば俺の姿も珍しくはないだろうが、ここは都会だ。
表だって動くのにはこの姿は目立ち過ぎる。

他の魔物やキメラモンスター然り、ある程度の擬態能力を持っていればいいのだが……。
あいにくこの身はプロトタイプだ。
人の生活の中に溶け込む様な目的には作られていない。

故に黒服の部下達を使うしかないのだが、面倒な話だ。
幻術を扱える部下には任せているが、面倒だと言って空港関係者を皆殺しにしかねない。
そもそもロマリアの威光を笠に着れば、そこらの一般人など簡単に引かせるだろうに。
いや、ハイジャック事件のおかげで厄介な警察の輩が出回っている影響もあるか。

全くもって魔法と魔物が蔓延る世界だと言うのに、こういうところはどこだって変わらない。
むしろ高層ビルを連ねるプロディアスの街が異様に思えてしまう。
何故にこうもアンバランスな世界に俺は生きているのだろうか。
――――無用な思考。愚痴のようなものだ。

兎にも角にも俺が考えなければならないところはそんなものではない。
物語の流れに乗ることになる人物達。
エルクとリーザは流れ通りにインディゴスに身を隠しているだろう。

空港の占拠など片手間でも三日以内で出来る。
そんな折に、部下より一つの報告が上がった。

「情報屋?」
「……女だ。どうやらガルアーノ様の周りを嗅ぎ回っているらしいが」
「殺したのか?」
「ふん……権力を持つ者に纏わり付く馬鹿など、一々構っていられるものか」

俺の言葉にさも不愉快と言わんばかりに答える黒服。
部下と銘打ってはいるものの、俺に対する風当たりは強い。
俺がもしもキメラプロジェクトの成功例だとなれば、こんなこともなくなるのだろう。
だが、実際にクドーという存在は……。

どちらにしても闇に手を染め、そのまま溺れる輩から受ける態度になど興味はない。
いずれ殺す三下など放っておけばいい。
むしろ無用な同情を抱かずに済んで楽なものだ。

「おい、聞いているのか?」
「…………その女の名は?」
「シャンテ。酒場で歌い手として働いているところも見られている」

少しばかり考え事に回した頭を目の前で苛立つ黒服に向ければ、女の名を答えた。
予想通り、か。
……物語どおりなのか。





プロディアスの街はロマリアの中心街に負けず劣らずの大都市だ。
多くの人間が住みつき、東アルディアの玄関口として観光客を受け入れる下地もある。
勿論、冒険者のそれらを受け入れるものも。
『金さえあれば何でもやる』と言われるハンターが生まれたのもこの街だ。

故に武器屋や鍛冶屋、さらにはこの世界でも一番大きなハンターズギルドもある。
つまりは、それなりに物騒な姿をした荒くれ者もいるということだ。
無論こんな大都市で、ガルアーノの眼が光るこの都市で調子に乗る馬鹿はいないが。

そんな大都市の中心部より滅法外れた路地裏。
大きければ大きいほどに影の濃くなる裏の街であれば、俺の姿もそう目立つものではない。
優雅な都市の裏側で蠢く悪の匂い。
その匂いのどれほどが、俺のよく知る腐臭を漂わせているのだろうか。

魔に属する以外で悪党を名乗る者は結構少ない方だと理解しているのだが。
盗みを働く。誰かを殺す。人を騙す。
分かりやすい犯罪とは、大抵にして人間が起こすものだった。
俺の世界ではそうだった。

しかしこの世界は俺のそれよりも厳しく、危険がすぐ隣に潜む世界だ。
モンスター、魔族といった分かりやすい悪がいる。
ひょっとしたら、俺の世界よりもこの世界の方が罪を犯す割合は低いのかもしれない。
必要悪のつもりなのか。どちらにしても無意味な思考だ。

≪まァた、わけわかんねーこと考えてやがる≫

心の奥底。
鬱陶しい一匹が嘲るように零した。
馬鹿をそのまま声にしたような音に、こちらも腹立たしくなる。
しかしこいつの言う通り、世界の仕組みを考えることなど無意味過ぎた思考だ。

≪ヒトが悪を為し、悪が魔を為すか≫

あまり喋ることのない一つの声を流しながら、路地裏の一角にある小さな建物に入る。
ドアノブに手を掛ければ軋んだ音を立てて開く。
中は物置のようになっており、ただ小さな蝋台があるだけだった。

≪けけっ、お前ん所じゃ雅って言うんだっけか? それとも粋ってやつか?≫

相変わらず小馬鹿にしたような声。
幾度こいつを逆に喰ってやろうかと思ったことか。
いや、既に喰っているのか。

周りを見回しながら他に光源となる物を探しても、目当ての物はない。
電気の通っている街でこの灯りはどうにかならないものか。
…………いや、これから会う人間に俺の姿をつま先から頭まで知られるよりはいいか。
暗がりであれば、俺の姿も妙におどろおどろしいだけだ。

≪シャンテ。主が出会う一人目であろうか。どちらにせよ、感慨深い≫

やけにバリトンの利く一つの声が心に落ちる。
一番協力的であり、なおかつ理性をきちんと保っている声ではあるが、こいつは傍観者だ。
馬鹿も鬱陶しいが、俺の行動一つ一つを観客のように見るのもまた、鬱陶しい。

――――この世界の住人から見れば、俺もまた一種の傍観者に過ぎないのか。
灰色の画面に映し出されるこの世界は、悲しみも苦しみも等しく俺の娯楽だった。
ナンセンス。
ああ、全くもってナンセンスだ。

しばし蝋台に火を付けたままシャンテの来訪を待つ。
結局彼女と交渉するのは部下を通すことなく俺が行う事にした。
彼女の行動を直接操れるのは利点であるし、他の横やりも気にせずに済む。

胸に付けているナイフの一つを取り出し、彼女が車でしばし弄くる。
包丁は握っていても、ヒトを切るナイフを持ったことはなかった。
しかし、今となってはこの通り。
曲芸師のようにそのナイフを掌で躍らせる。
躍らせている手は肌色のそれなぞ一部も見せず、その全てが白い包帯だった。





◆◆◆◆◆





今この世界の裏ではどす黒いほどの闇が蠢いている。
幾つもの国家や大陸の裏で蠢く闇に気が付いている勇者は少ない。
気付かずにそのまま闇に埋もれた国も少なくない。

闇の名はロマリア。

世界でも一番に発展している超大国であり、それが誇る軍事力は各国を遥かに凌駕する。
闇が緩やかに入り込んだのは、この国が最初であった。
果たしてその過程に一体何があったのか。
そもそも闇がロマリアを狙ったのは何故か。
今となってはそんなな始まりの話などどうでもいい。
結果として、そのロマリアが闇に染まり、そして世界が闇に埋もれようとしている。

無論光を担い、世界を救おうという勇者もいる。
エルクとリーザもまたその戦いに巻き込まれ、いずれ光を担う人物だった。
英雄譚では珍しくもない光と闇の戦い。
これからもその戦いは激化していくのだろう。

そしてクドーは、闇に佇む存在であった。
その住人になってしまった。
彼が生まれたのは白い家。
闇の中で猛威を振るう四将軍。その中の一人であるガルアーノの居城であった。

クドーは生まれるなり自分の運命を呪った。
彼がただ闇の中に生まれた凶児であるのならば、傲慢なままに生きたのだろう。
しかしクドーには、誰にも知られぬ秘密があった。

転生者。真実の一部を知る者。
この世界に生きる光と闇の物語を、彼は知っていた。

そして今、彼は血溜まりクドーという異形の身でガルアーノの下にいる。
獅子心中の身として一人世界の流れを征しようとしている。
彼が望んでいるのはただ一つ。
友を助けることのみである。

果たして彼は光に立つ者か。
それとも闇に立ってしまう者か。

彼はそれを気にしたことはない。
どちらに立とうとも、彼が願い、そして動く理由は変わらないのだ。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:925e2f22
Date: 2010/11/06 17:39



恐る恐るといったように開かれたドアの音に気付き、そちらを見やる。
足音もドアを開ける音も静かに、同時に漏れてくる外の世界の光。少しだけ眼が眩んだ。
そして光を背負いながら現れたのは、深い青のドレスに身を包んだ妙齢の美女。
蒼の瞳と大きな輪のイヤリングが特徴的だった。
俺の記憶と知識にある姿と変わらない、勇者のうちの一人。

「ブラッド、でいいのよね?」
「シャンテ、だな?」

偽名は必要だが、合い言葉など必要だとは思わなかった。
戸が閉められ、薄暗がりが戻る中で相対する美女と異形。観客など集まりそうもない演目だ。
小さな光源が支配する部屋の中でも、目の前の彼女が歪めた表情はよく見えた。
……既に弟が此方側にいるのは知っているか。それとも俺の姿は醜悪だったか。

「で、依頼の話なんだけ、どっ……!?」
「動くな」

シャンテがため息を吐くかどうかの合間。
一気に間合いを詰め、彼女の首元にナイフを突き付ける。
椅子から立ち上がる物音も、気配も、ただナイフが空を走る音だけしか残さない。
銀色の光るナイフと、金色に光る彼女のイヤリング。蝋燭の火を反射して、互いの顔を照らす。
シャンテの息を飲む音が鮮明に聞こえた。

「…………」
「嗅ぎ回る相手を間違えたな」
「……これでも分は弁えているつもりなんだけど」
「弟」

震える声で言葉を選ぶ彼女には申し訳ないが、もはや逃げ場はない。
物語ではそうなる予定だ、などと言い訳するつもりなどない。
ただ俺の目的のために巻き込み、そしてあなたの努力を無駄にする。
――――俺が、無駄にする。

心の中。
愚図共が騒ぐ。
視界が、ぼやける。

俺の言葉にシャンテはしばし呆然とするが、堰を切ったかのように俺へ手を伸ばした。
既に俺の突きつけたナイフになど意識がいっていないのか。
無論その手を抑え、彼女と真っ向から瞳を合わせる。
真実、その瞳は怒りに満ちていた。

「返して」
「条件を付ける」
「返して!」
「騒ぐな」

握るナイフに力を込め、甲を首に押し付ける。
口は閉じられ、腕の力が抜かれたというのに、その瞳だけは揺らがない。
まるでエルクの炎のように燃え上がっているようにも見えた。
心が締め付けられるような沈黙の中。逸らすことのない互いの瞳。
俺はナイフを彼女の首から外さぬままに言葉を連ねた。

「お前と同じように、此方を嗅ぎ回る奴がいる」
「…………」
「インディゴスに身を隠している少女と少年の二人組だ」
「……殺せと?」
「二週間後にプロディアスで開かれる式典の会場に二人を誘導しろ。それだけだ」
「そうすれば、弟は……アルはっ!」

怒りを燈しながらも、縋る様にして声を荒げる。
彼女にとって何よりも大事な家族。自らの半身とも言えるだろう愛する弟。
条件をいくら付けようとも、シャンテは歯を食いしばり頷くのだろう。
どれほどの罪を背負うとも、前に進むのだろう。

≪クッ……クククッ……≫

失せろ。
ざわめくな。
人間のように迷うな、クドー。


「ガルアーノ様の周りでその命を投げ出していたお前を拾ったのは此方だ」
「ぐっ……」
「だが、前向きに考えてはおく」
「外道っ」

吐き捨てるように投げ掛けられた言葉は、何一つ反論し得ない罵倒だった。
そして、何よりも的を射ていた。
そうだ。そうだとも、血溜まりのクドー。
今更、だ。

いやらしいほどに醜悪な笑みをシャンテに返す。手本なら上司に一人いる。
唇を噛み、白くほどに握りしめられた両腕を垂らし、彼女はただ睨むだけ。
待っていたと言わんばかりに、心の三つはそれぞれ笑う。嗤う。嘲笑う。

「仕込みが欲しいのなら言え。部下の2,3人なら貸してやる」

逃げ出す様にして、逃げ惑うようにして。
暗がりの部屋を後にすれば、彼女の泣き声が聞こえたような気がした。





余計な情報は渡さない。
余計な命令も与えない。
ただ式典会場という舞台に役者を与えれば、後は役者の問題だ。
俺が手を出す意味はなく、これ以上は歯車を軋ませることになりかねない。

徐々にエルクとリーザはシャンテの誘導によって此方側に気付き始めるのだろう。
キメラ研究所であった白い家での記憶。
背後で暗躍するガルアーノの影。
そして、記憶の底に沈んだ思い出がよみがえる。

先を考える。先を考える。
既に歯車は狂っているというのに、俺は歯車をひたすら回す。
俺の望みが叶う時。
その時まで回っていれば――――それでいい。

アーク。
この世の闇を光でもって照らしだし、人々に希望を与える勇者。
明確な意思を持って闇を打倒せんと世界を廻る勇者。

殉教者計画の一部を知り、式典当日に奇襲をかけてくるのだろうか。
それとも、ただ単にガルアーノの手を潰すために来るのか。
運命の日。
エルクはシャンテに誘われて舞台に上がるだろう。
アークも舞台に駆け上がるのだろう。

不安だ。
果たして物語通りにエルクはあの孤島へと辿り着くのだろうか?
シュウは? リーザは? …………ジーンは、元気にやっているのだろうか。

だろう。だろう。だろう。
確定出来たものなど一つもなく、俺の知識などどこまで通用するのか分かったものではない。
しかし勇者ではなく、闇でしかない俺には伸ばせる手が濁ったままだ。

ガルアーノより情報を貰う。
話によればロマリア近辺で動いていたアーク一味が飛行船で他大陸へと渡ったようだ。
淀みなく、物語は動いているようにも思える。

シャンテという手駒を得て、式典会場にエルクたちをおびき寄せる旨を話す。
無論ガルアーノは喉を鳴らして笑った。
何一つ失敗を可能性に求めていない、傲慢な奴。
既に弟が死んでいる事を話せば、さらに声を上げて奴は笑った。

もう少しだ、クドー。
もう少しだけ、運命に抗い、死ねることに歓喜しろ。
誓いの時は近い。

ミリル。もう少し待ってくれ。





◆◆◆





魔とヒトを掛け合わせ、そのどちらよりも強い力を持った存在を生み出す。
キメラプロジェクトの内容は大体にしてそんなところだった。
魔にしか持ち得ない強靭な身体。ヒトにしか持ち得ない知能。
このプロジェクトの始まりはそんな単純な試みでしかなかった。

だが闇の手腕を持って加速したその研究は、もっとおぞましいものへと変貌していく。
元々倫理観などあってないような研究だ。
どのような変化を遂げたとしても、根本は変わらないだろう。
キメラプロジェクトは、人間という種にとって忌むべくことだ。

しかしこの世界には、それを好む人間がいる。
貪欲に求められる『力』。
人間という弱者の立場から逃れることによって得られる充足感。
それに惑わされる愚者は、存外に多い。

「……裏切っただと?」
「第7世代のプロトキメラだが、元々は単なるチンピラに過ぎない奴だ」
「…………」
「よくある話だ。適当に処分せよとの命令だ。分かったらさっさと行け」

部下であるというのに、黒服の言葉はどこまでもその関係を考慮しない。
ガルアーノから得た信頼と信用は確かだと自負するが、下からの嫉妬には構っていられない。
兎にも角にも、そんな命令を受けて俺は『ウィルの岩場』へと足を踏み入れた。

被検体であるサンプルF……通称『フラッド』と呼ばれる男が組織を裏切った。
元々ガルアーノの手駒の一つに入っていたらしいのだが……馬鹿な話だ。
黒服の言う通り、珍しくもない話。
キメラプロジェクトによって与えられた力に酔い、溺れた。

岩場と称されるに相応しく、視界を塞ぐ俺の背丈以上の巨大な岩が散らばる広場。
いつもはへモジーやロックといったモンスターが戯れているが……。
それらの姿など何処にもなく、血の匂いだけがやけに漂っている。

樹木一つ生えていないただの広場だというのに、岩のせいで死角が多い。
右手にナイフを一つ握り、ただその岩場の中心まで足を進める。
構える様な真似などしない。
曰く、釣り餌。
眼先の力しか見えていない馬鹿ならばすぐに喰いつく。

「へっ……この馬鹿がッ!」

ほら、こんな風に。

背後に聳え立っていた岩の一つ。
その影から剣を振り上げ襲いかかってきたのは、写真で確認した被検体サンプルF。
奇襲だというのに雄たけびを上げるそれに呆れつつも迎撃する。

ただ力任せに俺の脳天に振り下ろされる剣を半身でかわす。
背後からの奇襲とは言うものの、避ける瞬間には既に俺は奴を正面に捉えていた。
半身のみ逸らして回避したためか、俺の目の前を風圧が流れる。
外套を掠らせず、衣服を掠らせず、包帯を掠らせず。
ただ無様にその無骨な剣は地面に罅を入れた。

サンプルF。フラッド。
素体となった人間に異能はなく、掛け合わされたものは『ナイトマスター』だったか。
ただの人間が得たのは強靭な体。眼にも止まらぬ剣技。
成程、ここら一帯で調子に乗るには十分な力だ。

「ケッ……一撃でやられてりゃ済んだものを」
「…………」

少しばかり間合いを開けるために後ろに跳んだフラッド。
血がべったりとついたそれを愛おしいかのように舐めるのはお約束か。
余程ヒトを、ナニカを殺すのがお気に召したようだ。

フラッドが俺に向ける視線は敵と判断した鋭いそれではない。
まるで狩りの獲物を見る様な残忍で、そして生温かいそれ。
ナイトマスターとしての剣技などどこに忘れてきたのか。
ただ単純にそれを振り下ろし、そして薙ぎ払うことしか考えていない。

「うおらァ!!」

突進。
そして袈裟斬り。
無論、当たらない。
バックステップ一度でかわせる。

そういえばナイトマスターの力を受けているのならば、幾らかの能力も使用できたはずだ。
例えば補助魔法のストライクパワー。
例えば力を一気に解放するチャージ。
剣士でありながら遠距離攻撃を可能とする振り下ろし、エクストラクト。
だがフラッドはただ我武者羅に剣を振るうばかり。

これならキメラにしない方が幾分マシというものだろう。
無論、その悪しき心によって通常よりも地力が上がっているのだろうが。
キメラプロジェクトの過程で分かった事実だ。
ヒトの悪意が深ければ深いほどに、負の感情が濃いほどに魔はその力を増す。

ふん。
どこにでもありそうな理論である。

≪ヒトが悪を為し、悪が魔を為す≫

フラッドの剣閃を苦も無く避けていけば、心の一つが口を開いた。
ボキャブラリーの少ない奴。
こいつは、面白くもないことしか言わない。

「く……避けるんじゃねぇ!」

横薙一閃。屈んで避ける。
苛立ったような怒声と共に放たれたフラッドの剣は、やはり当たらない。
眼を瞑っていても避けられるだろう。

肩で息を吐き、剣を地に突きたてたまま此方を睨むフラッドをしばし見つめる。
頭に湧いたのは、憐れみ。哀れみ。
もういい。終わらせよう。

たった一歩。
彼からは瞬速としか思えぬ疾さでフラッドの懐へ潜り込む。
呆けたような声。少しだけ引けた腰。動かない剣。
その全てを置き去りにして俺はただ、右手のナイフを彼の胸へと突き刺した。

「……あ?」

刺されたことにようやく気付き、間抜けな声を上げるフラッド。
俺の耳元に近かったからか、その声はしっかりと聞こえた。
もはやヒトの音色など残さない、しゃがれた声。血の匂い。

「ポイズンウィンド」

それらを鬱陶しく払うように、俺は呪を唱える。
刺しこまれたナイフを起点に吹きすさぶ風。毒を孕んだどす黒い風。闇の力。
そして――――フラッドの身体は内側から爆ぜた。

断末魔など残さない。
ただ足や、手や、頭や、剣や。
その全てがバラバラとなって空に飛びあがるのを、俺はその真下で眺めていた。

≪相変わらず綺麗に殺す≫

この殺し方を心の一つは綺麗と言う。
部品が舞い、命が舞い、血が舞うこの有様を。

黄土色の地面に残ったのは、凄惨な姿に変わった部品と血。
その血溜まりの中心に、俺はいた。





[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/16 20:24
あの時と変わらぬ夜。
運命の日と同じく、雲も疎らな夜。
ハイジャック事件などという物騒なことが起こっても、プロディアスの夜は変わらない。
街行く人々の群れはそれぞれ家路に向かい、荒くれた男たちは酒場に向かう。

ただ一つ違うところがあるとすれば、プロディアスの街からでも見える女神像の存在か。
建てられたのはアルディア空港の南にある孤島。
式典スタッフたちによる過剰なライトアップに晒され、街からでもよく見える。
風に流されるゴミクズの中に、適当に丸められた式典宣伝のチラシがあった。

そんな式典会場の裏方として、俺はいた。
雑用を任されたわけではない。
ただガルアーノの右腕として。
ただガルアーノが企みを成功させる所を見せられるため。

ガルアーノに失敗の予感は存在しない。
それほどに女神像に備え付けられた洗脳装置は完全であるらしい。
ロマリアが密かに企む『殉教者計画』の試験として選ばれたのが此処、プロディアスだった。

≪しかしガルアーノというのも哀れだな≫
≪クケケ……見る限りじゃあ、ただの小物だな≫
≪お前と同じくな≫

裏からでも聞こえてくる会場の人々のざわつきを影から見つつ、心の声に呆れた。
最初こそ恐怖しか抱かなかったガルアーノも、5年も共にいれば慣れる。
そして慣れていけば成程。
奴は真実小物染みた性格をしていた。

異常な自尊心の塊。
人間にも勝るとも劣らない貪欲なそれ。
不必要な加虐心に溺れやすく、そしてまた調子にも乗りやすい。
ただ唯一恐れるとなれば……何だろうな。

≪見た目じゃァねェか?≫

げらげらと汚く笑いつつ、それなりに正鵠を射る一つの心。
同じく裏側で式典の打ち合わせをしているガルアーノを見やる。
なんだかその姿は魔物と言うより、権力に溺れるただの人間のようにも見えた。
魔に属する者が打ち合わせと言うのも、なんだか笑える。

表情に出さずしてその光景を眺めていれば、ガルアーノが此方に気付き近づいてきた。
自然と、崩していた体勢が直立不動に変わる。
俺の身体は既に俺はガルアーノの狗らしい。

「エルクの話は確実だろうな?」
「はい。インディゴスから離れ、既にプロディアスの街に」
「クッ、クックック……馬鹿な奴らめ」
「…………」

腹の底から来るものに耐えるようにして笑うガルアーノ。
だがこの自信も分からぬわけではない。
それほどの信頼を寄せるほどに、女神像の洗脳効果は絶大で、事実エルクも囚われかけるのだろう。

鍵はアーク。
ロマリアから齎される情報の中に、ロマリアの研究所の一つが彼によって落されたというものがあった。
そこは女神像が製造された研究所。
作戦の概要を知る一般兵も多かったとなれば――――。

来る。
物語に変更はない。

舞台の流れを知り、歯車を操っているのは自分だと俺は思っている。
しかしその実、歯車を回すのは彼らに過ぎない。
俺はただ、その歯車が歪む度に手を伸ばしているに過ぎない。

アークが来なければ俺の企みなど水泡に帰し、シャンテが上手く動かなければ意味はない。
俺はただ、歯車が回るのを見ているだけ。

プロディアスの空にはまだ、あの飛行船の姿はない。





崩れ落ちる女神像。
式典会場にいた人々はパニックに陥り、そこら中で悲鳴が響き渡っている。
その人々の瞳には、既に虚ろな色など存在しない。

石塊が降り注ぐ会場の中で、此方側の魔の者たちもまた慌てふためいていた。
空に浮かぶはシルバーノア。
けたたましいエンジン音を鳴らしながら、その合間に聞こえる轟音。
眼を眩むばかりの雷光は絶え間なく女神像に降り注いていた。

「くそっ……あと少しのところで」
「どうされますか?」
「フンッ、今は退くしかあるまい。余計な邪魔が入ったな」
「御意」

苦虫を噛み潰したようにして顔を顰めるガルアーノの横の立つ。
すでにパニックとなった会場では俺の姿も目立つようなことはないだろう。
俺の声を聞いてか聞かずか、ガルアーノはそのまま会場から退いてしまった。

だが、今はそんなことなどどうでもいい。
ただシルバーノアの姿をじっと見つめたまま動かなくなっているエルク。
リーザとシュウの呼びかけにも答えず、ただ見上げる彼を見て確信する。

エルクは動く、と。

現にエルクは本来の目的であったガルアーノのことなど気にも留めず、どこかへ走り去っていってしまった。
無論、仲間であるリーザ達の声など聞きもせず。

未だ破壊された女神像の破片が降り落ちる中。
シュウだけが此方を、俺の方を見ていた。

「…………」

やがてどこかへ走っていくエルクに追随するかのように、シュウとリーザも走っていく。
順調に歯車が回っているようで結構だ。
だがしかし、この後のエルクの行動は本当に大丈夫なのだろうか?

アークたちの乗るシルバーノアに遠い記憶の残滓を感じ、暴走するエルク。
その無茶な行動は彼らをとある孤島へと導き……エルクは、記憶を取り戻す。
あまりにも運に任せた流れではあるが、確信はある。

エルクがヤゴス島に辿りつけないわけがないと。
この世界が勇者を中心に回っていると言うのなら、あの島での出会いは絶対だ。
――――ヴィルマー博士には申し訳ないと言う他ないが。

ジーンよ。
お前は、どうするのだろうか?





◆◆◆◆◆





まどろみの中。
エルクはただ観客と化していた。
眼下に映る光景は、自分の失われた記憶の中にある一つの場面。
まだ剣を握る力もない子供。背丈も今よりだいぶ低い。声も――――まだまだ若い。

今でこそ一級ハンターを務めているエルクではあるが、未だその年齢は15歳と4カ月。
自分の素性を知らない大人から見ればまだまだ子供であり、そしてそれは正しい認識だった。
それ故か、エルクは子供扱いされることを嫌う。
そも、子供としてはあまりに危険な環境と過去にいる子供だ。
子供じゃないというよりは、子供であっては生きていけなかった。

そんなエルクの眼前には今よりも子供だったころの自分がいる。
クレヨンで絵を描いていた。
砂場で城を作っていた。
――――とある女の子を好いていた。

ノイズが入る。

エルクがそのノイズに瞳を絞れば、目の前の景色は変わっていた。
そこでエルクは気付く。
成程。これは夢かもしれない。

正解。
だが眼の前の光景にエルクの胸は締め付けられた。

銀色の髪をした小生意気な少年。
真っ黒の髪をした陰鬱そうな少年。
金糸の髪を振りまいて笑う少女。

その誰もが自分に大事な人だと理解しているのに、エルクは彼らの名前を知らない。
昔の夢を見たことは数えきれないほどもあった。
一緒に過ごしていた部族の皆を殺された夢。
白い壁に囲まれながら、見知らぬはずの子供と戯れる夢。
助けを願う、少女の、声。

ノイズ。
ノイズ。
ノイズ。

割れる様な頭の痛みと、どこまでも締め付けられる胸の痛み。
頭を抱えるようにして蹲ったエルクの前には、先ほど見た黒髪の少年が立っていた。
救いを求める様にして手を伸ばすエルク。
ただ少年は、子供ども思えぬ力でその手を握った。

「守る。守ってみせる。だから――――」

俺達を救ってくれ。
黒髪の少年の声を聞けば、エルクの意識は深く深く沈んでいくのだった。





◆◆◆◆◆





「待ってくれ!」

叫び声と共にエルクは上半身を飛び起こした。
滝のように流れる汗。
握りしめられたシーツは酷い皺が出来ている。
そして、蒼白の顔。

エルクが夢を見ると、大抵にしてその目覚めは悲惨なことになる。
兎にも角にもいつもの夢だと気付いたエルクは、少しずつ息を整え始めた。
そして周りに眼を向ければ、徐々に妙な現状にエルクは首を捻った。

ベッドに寝かせられているという状況。
目に入る部屋の内装は今まで見たこともない様な木製で、なんだか原始的で。
ふと柱に眼を向ければ、動物の骨のようなものも飾られていた。

「…………どこだ?」

つい漏れてしまった疑問に答えるものは誰もいなく。
そこでようやくエルクは自分の周りにシュウとリーザがいないことに気付き――――思い出した。

数少ない記憶の中に刻み込まれた白い飛行船。
燃え上がる様に熱くなっていった自分の頭。
二人の制止の声すら聞かずに乗り込んだヒエン。
そして。

そこまで思い出せば、ふと何処からか足音のようなものが聞こえてきた。
その音はエルクの寝ていた部屋よりも下。
ぱたぱたと階段を上がってくるような音に、エルクは少しばかり身構えた。
そしてやってきたのは。

「エルク? 目が覚めたのね!?」

エルクを見るなり慌てたようにして嬉々とした声を上げるリーザだった。





「そうか……悪かったな」
「ううん、いいの。それに、シュウさんもすぐに見つかるわ」

此処に自分が眠っていた経緯をリーザから聞けば、エルクはその顔を顰めざるを得なかった。
無理をさせたヒエンはオーバーヒートによって墜落。
運よく此処、『ヤゴス島』と呼ばれる孤島に墜落したものの、シュウの消息は不明。
ヒエンそのものも何処に墜落したのかは不明で、リーザとエルクの二人は海岸に流れ着いていたのだとか。

そしてそんな自分達を助けてくれた人の住む家がこの家らしい。
九死に一生を得る。
そんな偶然に胸を撫で下ろすエルクだったが、同時に自分の暴走に酷く落ち込んだ。

シュウがあの墜落で死んだとは言い切れない。
そもそもシュウはエルクにとって育ての親であり、戦闘の師匠でもあった。
自分達が生きているのに、彼が死ぬはずがない。
そんな勝手な自信があるエルクだったが、やはり自分の仕出かしたことのツケは大きい。
大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせつつも、リーザに向ける顔色は良くない。

「魘されてたみたいだけど……大丈夫?」
「ん? ああ……ちょっと、夢をな」
「えっと、記憶喪失っていう?」
「多分な……嫌なことしか思い出さないけど、何だろうな」

ひょっとしたら楽しかったことも、と言いだそうとした手前、再び下の階から聞こえる足音が。
話を遮られたことにちょっとだけ顔を膨らませたリーザにバツが悪そうに頭を掻くエルク。
どちらにとっても重要な話だったのかもしれない。

そして下から現れたのは、肩よりも長い銀色の髪にきざったらしい笑みを浮かべた少年。
ひょっとすればエルクたちと同い年とも思える若さに、しばしエルクは意表を突かれた。
しかも、その少年。ニヒルな笑みが似合うほどの美少年だった。

エルクは本能で察する。
こいつ、苦手かもしれない。

「よっ! 寝ぼすけさん。身体の具合はどうだい」
「……ああ。なんとかな」

一見軽薄そうなその態度に、エルクはあるはずのない感情を抱いた。

懐かしい。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/09 17:04




ヤゴス島唯一の村であるユドの村。
その中のちょっと外れた場所にある大きな一軒家の庭にエルクはいた。
家の前にあるベンチに座りながら絶え間なく貧乏ゆすりを繰り返す様はどう見ても不機嫌のそれ。
彼の目の前で遊んでいるリーザともう一人の少女を眺めつつ、エルクはため息を吐いた。

庭の中でリーザとままごとのようなものを遊んでいる少女の名前はリア。
何でもエルクを救ってくれた少年の妹分らしく、エルクが目を覚ました時は諸手を上げて喜んでいた。
南国育ちの健康そうな日焼けした肌と、活発そうにそこらを走り回る様はどこにでもいる子供。
リーザもその元気に何かと振りまわされていた。
さらに一緒にいたパンディットはモフモフされていた。

が、そんな騒がしいリアのお陰でエルクの機嫌が悪くなったわけではない。
彼の不機嫌の原因は、そんなリアの兄貴分である『ジーン』のせいである。
何を隠そうあの銀髪の美少年の事なのだが……。

「…………ちっ」

リーザとリアが遊ぶ和やかな雰囲気の中、エルクの舌打ちが場を乱した。
首を傾げて彼を見るリアと、エルクの行動を人差し指を立てて注意するリーザ。
エルクは頭をがしがしと掻いて誤魔化すしかなかった。

別段ジーンが何かをしたわけではない。
確かに軟派な男のようでエルクの嫌いなタイプなのは事実だが、所詮印象の話だ。
現にエルクをからかった様な物言いは『まだ』ない。

だがエルクには何か引っかかるものがあるのだ。
ジーンという名前。
その銀色の髪。
その性格。
ひょっとすれば他にも幾つもの違和感が上がってしまうほどに。

喉の奥に小骨が引っかかったような気持ちの悪い心地。
どこかで会ってないかとジーンに聞けば、こんな孤島に来たことがあるのかと笑われた。
それもそうかと納得しかけたが、結局エルクの居心地の悪さも治らなかった。

「まだうだうだやってんのか?」
「……当の本人に言われてもな」

どうにもならない違和感に頭を悩ませているエルクの傍。
家の中から現れたジーンが呆れながら彼の隣に立った。
日光を背後から受けて暗がりに映るジーンの顔を見上げれば、エルクはどことなく不快になった。
なんだかこいつに見下されるのはムカつく。
愚痴る様にしてそのまま立ち上がれば、無理矢理に無表情を作って答えた。

「で、あんたの言うじーさんってのはもういいのか?」
「あー……シュウ、だっけか? 俺が見た時はあんたら以外に誰もいなかったけどなぁ」
「そんなはずない! 絶対に此処に来てるはずなんだ」

ジーンのそっけない言葉に喰い下がるエルクに、庭にいたリーザとリアも耳を傾けていた。
目を覚ましたエルクが最初に気に掛けたのは、未だ姿を見せないシュウのこと。
一緒にヒエンに乗っていたのだからこの島にも一緒に流れ着いているはず。
そう考えたエルクであったが、ジーンの話を聞く限りそんな事実はなく。

行方不明。

顔を強張らせたエルクを察してか、ジーンは自分の爺さんに何か聞けば分かると申し出た。
何でもジーンとリアの保護者であり、しかも村の中では博士と呼ばれる立場の人物なのだとか。
一体それがシュウの消息と何の関係があるのかと思ったエルクだったが、人手は多い方がいい。

というわけでジーンに頼んでその博士と話すべく、待機中というわけだった。
そして話をつけたとジーンもエルクを呼びに来たのだが……。
ジーンの苦い顔にエルクはただ首を傾げた。

「いやぁ、うちの爺さん、ちょっと人見知りが激しくてなー」
「歓迎されてないのか?」
「速攻で帰れって言われたらごめんな」

手を合わせて謝るジーンに、エルクは面倒なことになりそうだと息を吐いた。





エルクとリーザが連れられてきたのはジーンの家の地下。
一軒家の地下室と言っても、博士と呼ばれている者の有する場所故か随分と大きい。
音を立てつつ階段を下っていけば、エルクの目に入ったのは島の雰囲気に似合わぬ機械類の部品だった。

「メカニックか何かの博士なのか?」
「いや、特に専攻してるもんはないかな。むしろ生き物の生態とかに詳しい」

エルクの答えにジーンは被りを振って答えた。
そも、ヤゴス島の文化に比べれば、アルディアにある何か一つでも持っていけば珍しがられるだろう。
生物学だろうが機工学だろうが、少しでもかじっていれば博士と呼ばれるに値する立場には立てる。

「おーい! じーさーん?」

響き渡るジーンの声に答えはない。
ジーンが探し人を見つける間にもエルクとリーザは部屋を見物していた。
大きな机に広げられた設計図のようなもの。本棚に並んでいる様々な書物。
リーザが書物に興味を惹かれたらしく、エルクからすれば文字が並ぶそれに抱く興味は微塵もない。

「あっれー? 下に降りててくれって言ったんだけどなー……」
「いないのか?」
「いや、奥の部屋にいるかもしれないけど」
「じゃあ、そっちを探せばいいだろ」
「お、ちょ、ちょっと待ってくれ!」

やがて顔を苦くしながらぼやくジーンにエルクは面倒くさそうに答えた。
そしてジーンの制止の声も聞かずに、部屋の奥に見える大きな広間へと足を踏み入れた。
その大広間にあったのは墜落したはずのヒエンの姿。
所々装甲が剥げている部分もあったが、拙いながらも修理された跡もある。

「ヒエン? 何で……」
「ジーンが修理してくれたの?」
「いや、あーっと、まぁ、なんつーか」

茫然としながら愛機を見上げるエルクと、恐る恐るジーンに聞くリーザ。
当のジーンはバツが悪そうに言葉尻を誤魔化しては眼を泳がせていた。
そして、ぬらりとヒエンの内部よる現れた壮年の男。
白い髭をたくわえたその男は、エルクたちの姿を見るなり顔を顰めた。

「……ジーン。何故彼らを此処へ入れた」
「爺さんが約束通りあっちの部屋に居てくれなかったからじゃんか……」
「ふん……で、何の用だ」

たったそれだけの会話を交わしただけで、エルクもリーザも歓迎されていない空気を感じた。
低く低く響き男の声は、不機嫌なそれ。
リーザは内心で明るいリアとジーンの保護者が本当に彼なのか疑ってしまった。
それほどに博士と呼ばれる男のエルクたちを見る視線にはきついものがあったのだ。

「本当は連れの一人についていろいろ聞きたかったんだが……俺のヒエンを修理してくれたのか?」
「別にお前達のことを思ってやったんじゃないわい。面倒事に巻き込まれん内に出て行って欲しいだけじゃ」

怒っていいのか悪いのか微妙な答えをする男に、エルクとて少しばかり困ってしまう。
その脇ではジーンがやれやれといった風に頭を振っていた。
どっちにしても修理してくれるというのなら拒否する理由はない。
しかし、エルクにとって重要なのはシュウの行方である。

「なぁ、アンタ」
「小僧にアンタ呼ばわりされる謂れはない」
「……じゃあ、なんて呼べばいいんだよ」
「……ヴィルマー。村じゃ博士で通っとる」

どこまでも自分達は嫌われているらしい、とエルクはその態度に反発する気さえ失せた。
この調子ではおそらくシュウについても協力してくれることはないだろう。
隣で苦笑いを浮かべるジーンとちょっとだけ悲しそうな顔をするリーザをちらりと見る。
どうやらここでこれ以上やれることはないと、エルクは黙って踵を返した。
その時。

「はかせ! たいへん! たいへん!」

村の住民が悲鳴を上げながら部屋に飛び込み、重くなりつつあった空気を吹き飛ばした。





◆◆◆◆◆





ヤゴス島東・封印の遺跡と呼ばれるモンスター達の住処。
そこに足を踏み入れたエルクとリーザとジーンの三人は、魔物特有の湿っぽい空気に気を引き締めた。
リーザの傍にいたパンディットがグルルと喉を鳴らし、威嚇するように一度吼えた。
彼らの目の前には既に巨大な蝙蝠が此方に襲いかかろうと飛びまわっている。



村の住民によって齎された事件とは、庭先で遊んでいたリアがこの遺跡に遊びにいってしまったということだった。
ヴィルマーからも入ってはいけないと言いつけられていた封印の遺跡は、子供の生き残れる場所ではない。
その事実に顔を真っ青にさせながらヴィルマーは膝から崩れ落ちた。

「リアは、儂にとって……」
「爺さん、諦めるには早すぎるぜ?」

目が虚ろなままに零すヴィルマーの姿に、ジーンは一歩彼に近づくと笑って声を掛けた。
そして後で話の流れを見守っていたエルクとリーザに視線を向ける。

「俺達三人がいれば遺跡のモンスターなんて軽いもんさ」

その言葉に少しだけ目を見開くエルクと、一つ頷くリーザ。
どうにも意表を突かれたエルクに、ジーンは囁きかけた。

「うちの妹分を助けてくれるってんなら、爺さんも協力してくれるかもね」
「見損なうんじゃねえよ。誰かの危機を黙って見ていられるほど腐ってない」
「……すまない」



そして今、エルクたちはこの遺跡の中でリアを見つけるべくモンスターたちを蹴散らしていた。

「炎の嵐よ! 全てを飲み込め!」

遺跡の奥より這い出てきたミイラの姿をしたモンスター『マミィ』。
強力な腕力を持って殴りかかるそれに、エルクの唱えた魔法が火焔を以って襲いかかった。
ファイアーストーム。
地面ごと巻き上げるようにして炎の渦がマミィを取り込み、やがてその身体を消し炭にした。

「へぇ……すげーな、その魔法って」
「こちとらハンターの中では炎使いって名で通ってるんでな!」
「エルク! あんまり調子に乗らない!」

ジーンの言葉に胸を張るエルクだったが、その背後で狙いを定めていたバットにリーザの短剣が刺さる。
見事命中して地に落ちるそれを視界に入れれば、エルクは一度鼻を鳴らして槍を構えた。
ジーンは憎たらしい笑顔を浮かべていた。

「んじゃ、こっちも負けられねーな」
「え?」
「まぁ、見てなって」

エルクの油断にプンスカ怒っていたリーザだったが、そんな彼女を安心させるようにジーンが前に躍り出た。
彼が定めた相手は、未だ虫けらのように空を舞う複数のバット。
ジーンはその中心に向けて両手を翳し、そして唱えた。

「風の刃よ! 全てを斬り裂け!」

遺跡内部に届かぬはずの風がバットを中心に渦を巻き、やがて対象を遺跡の壁や地面ごと切り裂いた。
その力にリーザは眼を丸くして驚き、エルクは口笛を一つ吹いてにやりと笑った。
ウィンドスラッシャー。
やがてその風の余韻を受けて長い髪を靡かせるジーンの姿は、まるで絵画のように似合っていた。

「ま、こんなもんよ」
「この島には風使いの部族でもいたのか?」
「……いや」
「それよりもリアちゃんを助けないと!」

両手をギュッと握り二人を急かすリーザの姿に、エルクとジーンは力強く頷く。
何にしてもこの遺跡に住むモンスターは彼らに敵うような強い種族は存在しない。
不安なく階段まで走り抜けていく彼らを阻むものなどありはしない。

ただ一つ、リアが今でも無事にいることだけが唯一の不安要素ではある。
そんなリアが進行形で魔物に追い詰められている遺跡の中層。
壁に埋め込まれた一体の機械が、少女の危機にその相貌を光らせていた。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/16 20:22



見慣れた部屋。見慣れた玩具。見慣れた景色。
俺の始まりであった場所はいつだって白のままだ。
連れられてくる子供達を『保管』する大広間。

小さな砂場。色鮮やかな滑り台。散らばったクレヨン、絵本。
どれもこれも俺のいた世界では珍しくもない子供の遊び道具。
例え世界が変わっても子供の欲する物は変わらないのかと、どこか懐かしさの様なものも感じる。

だがこの大広間には、その主役たる子供達の姿はない。
あれから4年。いや、5年だっただろうか。
ただ一つの救いを求め、大勢を変えることを捨てた事実は、重い。

この広間に居ない子供たちは、揃って『調整』を受けているのだろう。
既に手遅れ。ただ戦力として安定する為の道具となり果てている。
見た目はそこらの子供と変わらないかもしれないが、一つその皮を剥げば……。

夢想した。

未来の知識を得て、大きな流れに近い場所を漂う凡人が抱きやすい夢があった。
悲しむ人を救い、起こるはずだった悲劇を変え、全てが上手く収まる終焉を。
別段、珍しくもない。
愚者は叶うはずの無い夢を見るものだから。

だが現実の俺は、どこまでも臆病で。
現状に悲観し、未来に悲観し、終わりに怯えた。
もしも、もしも、もしも。
現状から逃れる度に、またしても夢想に逃げ込む。

白い部屋。
俺は、一人だった。

他の子供達とは違い、俺はサンプルの名で呼ばれることはなかった。
プロト。
それが俺の名前だった。

無論、前の世界で元々持っていた名前以外で呼ばれることに、俺は眉を顰めた。
そんなこんなで俺がささやかながら起こした反抗は、周りの子供にこの名前で呼んでもらう事。
クドー。
久藤だったから、クドー。

今思えば下の名前の方が良かったかもしれないが、少しばかり日本人の名前はこの世界で異質だ。
タロウとか、ツトムとか。
俺を管理する研究員に前世関連の事を気取られるのは怖かったから、そんなことを気にしていた。

どこかで前世の残滓を残そうとする。
周りに疑問を抱かせないように調整しつつ、自分を保とうとする。
しかしそんなもの、長くはない。

この世界での自分の立場を考えれば、結局は同じ結論に辿り着く。
死ぬ。ただそれだけ。
いや、ひょっとしたらキメラの実験台にされ、自我すら失うのではないだろうか。

怖い。
怖い。
怖い。

そんな中、彼らが来た。

勇者と。救われなかった者と。救われなかった者と。
精神年齢を考えれば、俺の半分も生きていないかもしれない子供たちに、縋りついた。
助けてくれ。あの悲惨な物語の中でも希望を失わない心で、俺を救ってくれ。

彼らといた時間は、そんなに長くない。
二カ月も無かったのかもしれない。
だが、必死に俺は彼らと共に過ごした。

つまらないお遊戯。
つまらない話。
つまらない価値観。

前世であれば笑ってしまいそうな子供達との触れあいも、俺にとっては癒しだった。
ちょっとだけ先輩風を吹かせて、大人気ない話を教えてやったりするのも楽しかった。
時折感じる彼らの強さと、暖かさに嫉妬してみたりもした。

冷静に把握していく現状。
そんなことが出来るようになったのは、彼ら知り合って一カ月。
そして、違和感を抱き始めたのもその位の時だった。

プロトと呼ばれる自分。
この世界に何故俺がいるのか。
特殊な子供がこの施設に入れられる事実を鑑みれば、俺の身体ももしや。

徐々に、徐々に、俺は情報を集め始める。
そして知る。

プロトの由来を。
プロトの正体を。





◆◆◆◆◆





「ヴィルマーが?」
「はい」

再び俺はプロディアス西にあるガルアーノの屋敷へとこの身を置いていた。
アークによって女神像が破壊され、そのおかげで東アルディア一帯に広がる殉教者計画が一時頓挫したせいで、ロマリアも足踏みしたのだろう。
一時俺は白い家へと戻され、休息も兼ねて身体の調整を行っていた。

そして白い家の研究員から聞く、ヴィルマー博士の話。
何でもガルアーノ直轄のキメラ部隊の情報部が、彼らの居場所を掴んだらしい。
無論、俺の流した情報に乗って、だ。

そもそも博士の隠れ住んでいる場所は孤島であるヤゴス島。
発着場の一つもなく、どこかの国と交流しているわけでもないあの島に、ロマリアの手が届くことはない。
と言っても、物語の流れでは何の因果かエルクがいる時期にばれていたが。

「今すぐヤゴス島へ部隊を送ることも出来ますが」
「……ふん。秘匿のために消すか。それとも再び研究に戻すか」

葉巻を荒々しく噛みちぎったガルアーノは、椅子にふんぞり返りながら火を付けた。
いつもより吐く煙が多く、そして彼の顔もしかめっ面のまま。
どうにもアークの邪魔が入ったせいで、ガルアーノの機嫌は底辺を突っ切っているらしい。
そういえば先ほどは受話器越しに、誰かに向かって唾を吐いていた。
おそらくはアンデル。

「お前が知っている通り、今のキメラ研究は新たな段階に向かおうとしている」
「機械、ですか」
「もはや世界に散らばる希少な能力者を集める必要はない。機械とはそれ以上に頑強で、優秀だ」
「…………」
「お前のように、ただ命令を遵守するという意味でな」

溜めこんでいる剣呑を吐きだす様にして紫煙を吐く。
ただ棒立ちで突っ立っている俺に向かって向ける笑みは醜い。

「そもそもエルクの事もただの偶然。得ることが出来れば儲けもの程度の話だ」
「…………」
「クドー。どうにも貴様はあいつにご執心が過ぎるな」

サングラス奥に鈍く光るガルアーノの瞳が、俺を射抜く。
さすがにエルクがガルアーノとの接点を見出してからは積極的に動き過ぎただろうか。
いや、それでもロマリア側に不利益になるような動きはないはずだ。

「ガルアーノ様。私が今の力を得るために願った事を覚えておいででしょうか?」
「……クッ、ククク、クハハハハハ!! そうか! そうだったな!!」

俺の言葉を聞くや否や、脇にあった机を大きく叩きながら笑うガルアーノ。
面白くてたまらないと言う風に乱れて笑う彼に、俺は出来るだけ無表情を向ける。
出来るだけ、出来るだけ。

「ククッ……友を置いてまんまと逃げ仰せ、表の世界で幸福を貪る者を許しはしない」
「は」
「ジーンはヴィルマーに連れ去られ、エルクはハンター家業、ミリルはただの眠り姫か」
「…………」
「そしてお前は……ククッ……そんなにも醜い姿で生きている!」

椅子から立ち上がり、本当に嬉しそうな顔を浮かべて俺に近づくガルアーノ。
外套の中にぶら下げられたナイフが鳴る。
顔に撒かれた包帯越しにもガルアーノの紫煙は通ってくる。

俺の中に居座る心の幾つかは言っていた。
人が悪を為し、悪が魔を為すのだと。
ならば。

「裏切り。嫉妬。素晴らしいな。我が右腕よ」
「滅相もありません」

おそらくはそれこそが魔の最も好む在り方。
負の感情に溺れ、闇に片足を突っ込んだような人間こそが餌。
ならばロマリアで王の位にいるあの人間は、何よりも魔の餌となり得る人材だろう。
……まあ、今は関係のない話だ。

「ガルアーノ様。そのジーンが、恐らくはヴィルマー博士と共に居ると」
「成程な。ならばヴィルマーもジーンも取り戻さねばなるまい」
「そしてジーンもキメラへと」
「……そこでジーンを消すと言わないお前の忠実さを買っているのだよ、儂は」

既にガルアーノの興味は異能者から機械へと向いている。
故にまだ。どうにかしてガルアーノの興味を再び戻さねばならない。
エルクに。ジーンに。ミリルに。

甘ったるい言葉を選び、機嫌を直してもらうことを前提に紡ぐ。
既にガルアーノは歓喜の中にいた。
それほどまでの俺の闇は面白いものなのか。
――――所詮、それは表側だけだと理解できないのが彼の小物らしさ故か。
確かに俺の中には負の感情が渦巻いているが、そんな単純なものではない。

「しかし当のエルクはあの式典以来姿を見せていません。彼の所有する飛行船も何処かへと」
「構わん。既に奴は儂に狙いを付けているのだろう? ならば来るだろうよ」
「では今は、ヴィルマーとジーンを?」
「そうだ。ヤゴス島へ部隊を送れ。くれぐれもその二人へは丁重に、な?」
「御意」

さて、準備は出来た。
流れを信じるのならば、エルクは既にあの島に居るのだろう。
そして、ジーンもまた。

いや、ジーンは此方が動かした歯車の一つだ。
ヤゴス島で元気に生きているという情報は独自に得ているが、彼が戦いに加わるかどうかは別だ。

まぁ、それでも。
彼もまた勇者の一人になり得る者。
羨ましい限りだ。





◆◆◆◆◆





場所は変わってヤゴス島。
既に陽は落ちかけ、夕焼けを浴びた海の浜辺にエルクはいた。
夕焼けを浴びても尚、彼の瞳は赤く燃え、地平線の向こう側をじいっと見つめていた。

彼が此処に居る。
既にリアの救出は完了していた。

ジーンとリーザ、そしてパンディットと共に遺跡内部を駆け抜けた彼らは、その中層にてリアを見つけていた。
しかし彼らが駆け付けたのは、今にも遺跡内に蔓延るマミィ達が手を伸ばしている瞬間。
リーザが短刀を構え、遠距離からエルクとジーンが魔法を放とうと言う時にそれは起こった。
後ずさる様にして壁に背を付けたリアが頭を掛けた時、その背後の壁に埋もれていた何かが光を放ったのだ。

その光はリアを囲んでいたマミィを吹き飛ばし、エルクたちはその光景に唖然とするしかなかったのだ。
泣き喚くリアを抱きしめながらほっと胸を撫で下ろしたジーンが呟いたのは『機神』という言葉。
何でも壁に埋もれたまま光放ったこのガラクタがそう言われるオーパーツらしいのだ。

(どうみてもオンボロにしか見えなかったけどなぁ……)

夕焼け空を眺めながら、エルクは一つ息を吐く。
無事にリアを助けることが出来、なんとかヴィルマーの信用を得ることは出来たものの、やはり釈然としない。
何にせよ、リアの無事に破顔したヴィルマーとエルクは、とある交換条件を結んでしまったのだから。

ヒエンを完全に修理してやるから、あの『機神』をここまで運んで来てくれ。

何が悲しくてモンスターの蔓延る遺跡からあのオンボロを運ばなければいけないのか。
しかしシュウの情報が手に入らず、この島にいる理由も無くなりつつあったエルクには渡りに船。
リアの懇願もあってか渋々エルクはそれを受けることにしたのだ。

「お、こんなとこにいたのか」
「お前か」
「んだよ。そう邪険にしなくてもいーんじゃねーの?」
「じゃけ……何?」
「あー……お前ってあんまり頭の中よろしくない系?」

へらへらと笑いながらやってきたジーンに向けるエルクの表情は厳しい。
しかしジーンにとっても悪口ばかりは通じるエルクに苦笑を浮かべるしかない。
ちょっとばかりの沈黙が続き、どうにも嫌な空気が流れてしまっていた。
そんな空気が流れる中、慌てたようにしてジーンが口を開いた。

「そうそう! 飯の時間だってんで探してたんだ」
「あ? あぁ、そうか。わりぃな」
「いや、リアも大勢で飯食えるって喜んでるしいいってもんよ」

キラキラと夕陽を受けて靡く銀色の髪。
エルクの視線はやはりその珍しい髪の色に向いてしまっていた。
どこか、記憶の片隅に残してきてしまった様な虚無感に苛まれる心。
エルクの表情は、やはり厳しい。

「なぁ、俺って嫌われるようなことしたか?」
「……いや、多分してないと、思う」

故にジーンの問いかけは道理であった。
まるで子供のように道理の通らない感情にエルク自身が苛つき、ジーンが首を傾げる。
いや、ジーンの方もそれはそれで違和感を感じていた。
何しろ彼は――――。

「あのさ……本当に俺たちってどこかで会ったことはないのか?」
「…………」

今度はエルクの問いかけに、ジーンは沈黙を返した。
さざ波の音がただ耳に残り、遠くでカモメの鳴く声がする。
ジーンは、決心したかのように一つ息を吐き、重苦しく言葉を連ねた。

「確かエルクは、記憶喪失ってやつだったよな?」
「ああ」
「実は、俺もなんだよな」

照れくさそうに、苦そうに笑いながら頭を掻くジーンにエルクはしばし呆然とした。

「俺が気付いた時はこの島に爺さんと一緒に辿りついててさ、そん時にはまだリアもいなかったかな」
「そ、そうなのか」
「爺さんに記憶の話を聞いても全然答えてくれないし、俺はなんかすっげー魔法が使えるし」

そこでジーンはやれやれと両手を上にあげ、首を振った。
諦めの表情とも言うべきか。そこか疲れているようにも見えた。

「今じゃ幸せにやってるけどよ……なんか、気味が悪いとは思うね」
「何が?」
「俺の過去だよ。隠そうってことは……碌でもないことなんだろうなって」

地平線の向こう側を見つめるジーンの横顔をエルクはじっと見る。
――――見覚えがある、その横顔。

揺れる。
揺れる。
揺れる。

視界が揺れる。

「まぁ、たまに夢で見るんだけどな。昔っぽいこと」

繋がる。
ばらばらに点在していた記憶が、繋がっていく。
既にエルクの視線はジーンに、そしてその向こう側に。
約束を交わした、あの男の子に。
――――あの、女の子に。

「白い部屋と、男の子二人と、女の子一人が見えて……俺はそこで目が覚めて、泣いてるんだ」

ジーンがエルクにゆっくりと、ゆっくりと視線を戻す。
エルクは、口を、手を、目を震わせ、声を零した。
ただ万感の思いを込めて一言。

「ジーン」

その瞬間、ジーンの頭にノイズが走った。



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Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/18 16:04




「えーっと……」

石壁に囲まれた遺跡の中を進む人影が三つ。そしてそれに追随する動物の影も一つ。
その集団の戦闘を行く男二人の後ろで、リーザは困惑していた。
気まずそうに眉をハの字に曲げたまま、先を歩く二人を見やればパンディットも心配そうに喉を鳴らす。

無論モンスターの蔓延る遺跡内で油断する様なパーティーではない。
戦いとは無縁だったリーザもここ最近ではすっかり慣れ、エルクやパンディットの援護なしでも対一で対応できる。
そもそもこのヤゴス島の封印の遺跡内で、彼らを脅かす強力なモンスターはいないのだ。

そんな中、リーザの浮かべる困惑の理由とは。
それはエルクの態度にあり、そしてジーンの態度にもあり。

ずんずんと先を進む男二人は確かにリーザにとって頼もしいのだが、様子が余りにもおかしいのだ。
事あるごとに双方共に互いの動きやら表情やらを見定め、じいっと見つめた後に無言で歩きだす。
互いの様子を観察していると言うか、なんと言うか。

どちらにしてもその異様な状況にリーザは困惑を覚え、そして気味の悪さも覚えていた。
男二人が互いを気にし、しかし言葉には出さない。
煮え切らぬ空気。

(も~……何なんだろ)

腰に手を当て、困ったようにパンディットに視線を向ければ、彼女の愛犬もまた困惑したように声を上げていた。



彼らが遺跡内に再び入っている理由は勿論、ヴィルマーとの約束を果たすための機神発掘。
リーザ自身としては初めて見るロボットに好奇心が少しばかり疼いていたのだが、そこはやはりモンスターの巣窟。
ひょっとしたら封印されている魔物が、などという不安も抱いていた。

しかし昨日の夕食時からエルクとジーンの様子が目に見えておかしいのだ。
エルクは前にも増して無口になり、ジーンは軽口を言う気配すら見せない。
ぼーっとしていた所をリアに話しかけられて意識を戻すジーンなど、余りに不自然過ぎた。

無論、リーザはその変化を双方に直接聞いてみた。
しかし返ってきたのは納得のいかない曖昧な返答。
エルク曰く。何でもない。
ジーン曰く。何でもない。

さすがのリーザもこれには眉を顰めた。
しかし此処でずけずけと喰い下がるわけもいかず。
もやもやとしながら一晩過ごし遺跡内に再び入る準備をしていれば、昨晩と変わらぬ二人の姿があった。

だからといって遺跡探索に影響が出たかと言えばそうでもない。
相変わらずエルクの槍技は冴えに冴え、放つ炎は遺跡内のアンデッドを容赦なく屠っていく。
ジーンはジーンで自らの役目を知っているがごとく、飛びまわるバットを風の刃で切り裂いていった。

パーティーとしては何一つ文句のないメンバーではある。
前衛をパンディットに任せ、中衛前衛を入れ替わりながらジーンとエルクが動く。
後衛には勿論リーザが。
最初こそ女の子に前衛は任せられないという過保護な理由からの決定だったが、今となっては重要な援護役。
これほどにバランスのいいパーティーはないだろう。

なのに何故こんなに妙な違和感を抱きながら戦わねばならないのだろうか。
度重なる戦闘に少しだけ疲弊の影を見せたパンディットにキュアをかけながら、リーザはため息をついた。

といっても変わり映えのしない遺跡を歩けばうんざりしつつあるのはエルクたちも同じ。
機神の階へ降りる頃には既に二人の様子もいつもと変わらぬものになっていた。



「なんだか面倒なことになってきたな」
「同感。爺さんもさすがにあのポンコツに手を出すのは止めた方がいいと思うけどなぁ」
「で、でもあのロボットさんを助けないとヒエンが……」

三者三様。
といってもエルクとジーンの内容は同じようなものではあるが、目的である機神が埋もれた壁の前に三人はいた。
目的の機神は相変わらず壁の中で不気味な眼を光らせ、完全に機能を停止しているのかどうか微妙なままの姿でそこにある。

所々壁の土が削れているのは、面倒だと言い放つなり力づくで掘り起こすと提案したエルクのもの。
手持ちのソードで全力の剣撃を叩きこめば、壁がほんの少しだけ欠けただけで、エルクの手を痺れさせるばかりだった。
脳筋。ぼそりとジーンは呟いた。

しかしそれが功を為したのか、動かぬはず機神が目と思われる部分を金に光らせ、言葉を発した。
グロルガルデがどうだの。七英雄がどうだの。封印された力がどうだの。
はっきり言えばエルクたちにとって意味不明な単語の羅列であり、そもそも機神はヒエンに対するただの交換条件に過ぎない。

その言葉の大半を聞き流した後、結局彼らに重要だったのは『そこから出られるか』ということである。
知能の高そうな物言いと見識の深さを感じさせる言葉を話す機神であったが、残念なことにそれを聞く人間には興味のないことだった。
そしてそんな興味の抱けない話の中に、今は朽ちつつある機神の力を取り戻す部品の話があった。

パワーユニット。

何でも同遺跡内の最下層に封印されるユニットを使えば、機神自ら壁より抜け出ることが出来るのだとか。
そもそも、この壁そのものが機神を封印する術式が掛けられているらしい。
うさんくせー。ぼそりとジーンは呟いた。

しかし自ら解決策を提示し、さらにその鈍重そうな身体をわざわざ誰かの手で運ぶ必要がなくなるのであれば是非はない。
面倒だ。止めた方がいい。などと愚痴を零すエルクとジーンの尻を叩くようにしてリーザは二人を急かした。
年齢こそ三人揃って同じように見えるが、その実、何だかリーザが姉気質のようなものを時折見せる面子であった。





◆◆◆◆◆





手強い。
狭い遺跡内にも関わらず、その翼を広げ飛び周るガーゴイルと死神を捉えつつエルクは思った。
今まで出会ったモンスターはどれも貧弱なバットか、動きの遅いアンデッド。
アンデッドの不死能力によるしぶとさは面倒だったが。

エルクが手に持つ槍は基本相手の間合いにより攻撃することを前提にした装備だ。
マミィの格闘戦。バットの急襲。
どれも一般人からすれば驚異のものだが、凄腕のハンターのエルクからすればただ猪突猛進してくる獲物の群れでしかない。

しかし、今エルクたちが相手をしているのは、空を飛び、さらに槍まで装備したモンスター。
さらに遠距離から魔法を仕掛けてくる死神。
成程、確かにパワーユニットを守るにしては十分な戦力だ。
ふとエルクは納得したように視線を隣に戻せば、ジーンもまた面倒そうにため息をついていた。

「全く……あのオンボロくんは何なんだかね? こんな訳の分からん魔物まで襲ってくるし」
「どっちにしたって倒すことには変わんねーだろ」
「ま、そうだけどよ」

眼の前にいきり立ち、逃さぬとばかりにじりじりと間合いを測る魔物の群れを前に二人は軽口を叩く。
エルクは槍先を若干上に上げたまま構え、ジーンは既に魔法の準備に入っている。
パンディットはその牙の生えた口に冷気を溜め、リーザは短刀を投げる体勢に入っている。

遠距離からの一斉掃射。
狭い遺跡内であるからこそ、ジーンの魔法やパンディットのブレスは効果を発揮する。
逃げ場の多い屋外では矢鱈めったら魔法を放っても当たらないだろう。

「グロルガルデ様ノ敵に死ヲ!」

魔物の内の一匹。
エルクたちが降りてきた最下層にあったパワーユニットの前で番人の如く立ちふさがった死神が吼えた。
グロルガルデ。エルクたちにはまるで関係の無い話である。

「なぁ、リーザ」
「なぁに?」
「ぐろるなんとかって知ってるか?」
「ううん。知らない」

エルクとしては学が足りず、ジーンとしては孤島の住人。
唯一見識が高そうなリーザでも知らないとすれば……そもそもオンボロのことなんて誰も知らないか。
エルクは自身で納得すると開戦の声を上げた。

「さぁ、かかってこい! お前ら如きに時間なんざ取ってらんねーんだよっ!」

それを聞くや否や、ガーゴイルの二匹が低空飛行をしながら飛びかかってくる。
狭い狭いとは言ったものの、さすがに天井近くを鬱陶しく飛びつつけられれば厄介だが、どうにもそこまでの狡猾さはないらしい。
所詮モンスター。
ガーゴイルの特攻に合わせてコールドブレスを吐いたパンディットを横目に、エルクはにやりと笑みを浮かべた。

「オオオオオォン!!」

聞く人間の心すら奮い立つ咆哮と共にパンディットが吐いたブレスは、湿っぽい遺跡内に冷気の渦を作っていく。
地を、空気を、そしてガーゴイルを凍らせていく吹雪。
一撃でガーゴイルを氷の彫像にするほどの威力ではないが、確かに突貫してきたガーゴイルの動きが鈍った。

「逃がさねぇ!」

追撃。
両手を前に向けたエルクは即座に魔法を唱え、炎の嵐を創り出した。
ファイアーストームによる氷と炎の連携。
視界と動きをコールドブレスによって鈍らせ、動きの止まったガーゴイル達を燃やしつくす、なんともえげつない攻撃。

耳に障る断末魔を上げながら灰へと変わっていく二匹のガーゴイル。
弱い。
エルクが呟けば、薄くなった炎の壁の向こう側から天上付近を飛んでくるガーゴイルが視界に入った。
二度も真正面から突っ込んでくるほど馬鹿ではないらしい。

「リーザ! ナイフ!」
「え? あ、うん!」

叫んだのはジーン。
背後にいるリーザに振り向くことなく手を伸ばし、短刀の何本かを貰い受けた。
既に事細かに説明がいるほどちぐはぐな連携をしてしまうチームではない。
ただそれだけでリーザはジーンの言う事が理解出来た。

投擲。
ジーンとリーザが投げたナイフは未だ手の届かぬ高度にいるガーゴイルの翼へと吸い込まれるように投げられた。
その光景に、そういえばジーンは刃物の扱いに優れているということを思い出したエルク。
それよりも何だか同時にナイフを投げる二人の姿が何だかお似合いのように見えたのが、心にささくれを作る。

「ギャッ」

短い悲鳴。
見事に深々とガーゴイルの翼に刺さったが、それでもすぐさま地に落ちるほどの手傷を負わせたわけではない。
しかし既にジーンは行動を始めていた。
ナイフによる投擲と同時に――――魔法の詠唱。

「斬り裂け!」

腕を横に薙ぎ払えば、少しばかり高度を下げたガーゴイル二体を巻き込むようにして刃の嵐が巻き起こる。
ウインドスラッシャー。
既にガーゴイルの悲鳴など聞こえない。そんな隙さえ許さない。

火に焼かれた羽虫のように無様に地に落ちたガーゴイル。
絶命させたというわけではないが、それでも既に虫の息であった。
そこへ。

「私に任せて!」

未だ息の根の止まらない二匹に自然と舌打ちが漏れ出たエルクが振り向けば、何やらリーザが見覚えのない魔力を手に宿していた。
すぐにジーンにも疑問を視線で投げ掛けるが、どうやらジーンにもリーザのやろうとしていることは分からないらしい。
そんな一瞬のやり取り。
気付けばリーザが地面に両手を押し当てて叫んだ。

「アースクエイク!」

リーザの声に応えるように地響きが鳴り、地にひれ伏していたガーゴイルを突如現れた土の突起が勢いよく弾き飛ばした。
いつのまに新しい魔法を。
驚愕に眼を見開くエルクと、口笛を吹きつつ笑うジーン。

「いつまでもお姫様じゃないみたいだな、エルク?」
「……にしてもえげつねー追撃だとは思うけどな」
「ははは……はは」

えへんと胸を張るリーザを見ながら、ジーンとエルクは乾いた笑いを漏らしていた。
いつ使えるようになったのか。
元々地面に埋もれたマミィや、この状況でなければ使えないガーゴイルやバット相手では機会がなかったのだけか。
どちらにせよ、すっかり彼女もハンター顔負けの力を有していた

もはや敵は少しばかり焦ったように鎌を振り下ろしてくる二匹の死神のみ。
魔力の強い厄介な敵ではあるが、前衛を失くした死神にもはや耐えられる術はない。
エルクたちの勝利は決まった様なものだった。

そんな圧倒的な戦闘の流れの中、ジーンはどこか胸に刺さる想いを感じていた。
元々風使いとしての素質を持っていたものの、この平和な島国では戦いを経験する機会は少ない。
彼の剣術もユドの村にいる商人に師事を乞い、ヴィルマーの手伝いになれれば程度に考えていたものだった。

モンスターと戦うのが好きなわけでもないし、そもそもそこに愉悦を見出すほど戦闘狂でもない。
それなのに、エルクと共に闘うと何故か心が躍る。
後ろに女の子であるリーザを守る様に剣を構えると、あるはずもない闘志に火が付く。

彼の頭にノイズが走った。

果たして自分が戦う事を決めたのは、これが最初だっただろうか。
まるで白昼夢のように頭の中をフラッシュバックしていく場面の中、彼は確かに見た。
誰か一人の女の子を救うべく、守るべく、三人で誓いを交わす瞬間を。

今はまだ戦闘中。
そんな訳の分からない現象に、ジーンは頭を振って切り替える。
自分の隣にはエルクと、そしてパンディットがいて、後ろにはリーザがいる。

足りない。
ジーンはなんとなく思った。





◆◆◆◆◆





既にエルクたちの戦闘は圧倒的な蹂躙で勝利を迎え、跡はユニットでロボットを引き上げるだけとなった頃。
ヤゴス島に近づく小型の飛行船の姿が空にあった。
ヒエンのそれと同じか、少し小さいくらいの飛行船。

ユドの村でもその姿に気付く者はそれなりに少なくなかったはずだった。
しかし村人は既に一度そのような事態に遭遇していた。
無論エルクの乗ってきたヒエンのそれである。

だからか。
村人たちはその飛行船にちょっとだけ驚いたものの、すぐに冷静さを取り戻していた。
故に、ヴィルマーへの報告も遅れる。
そもそもヴィルマーは今現在ヒエンの修理中で地下に籠っており、他の誰かの声が聞ける状態ではない。

ただ一人、家の傍で独り遊んでいたリアが胸騒ぎを覚えた。




[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/21 16:55




五年前。
キメラプロジェクトの糧となる能力者を集める白い家には、一人の少女がいた。
施設の目的に違わず、強力な異能を持って暮らしていた彼女がガルアーノの眼に止まるのはそう遅くはなかった。
どこに住んでいたのか。家族は。その幸せな記憶は。
白いに家に攫われた次の日、彼女はその一切を奪われた。

なんと残酷な話だろうか。
なんと惨いことだろうか。

しかしその少女は記憶を失う前と変わらず、いつだって笑顔を振りまいていた。
自分を世話してくれる担当者の心を和ませたこともあった。
同じ境遇に苛まれる子供を拙い言葉で慰めたりもした。
悲劇の中に居ながら、その笑顔に影はなかった。

そんな少女と特に仲が良かった者がいた。
炎の子と、風の子と、闇の子。

最初に仲良くなったのは闇の子だった。
そもそも闇の子は白い家で暮らす子供たちの中で、最初から此処にいる子供らしく、様々なことを知っていた。
そして、誰よりも絶望に濡れた瞳をしていた。

次に仲良くなったのは風の子だった。
白い家に来た当初は、自分の記憶がないという現状に少しばかり困惑したのは当然だった。
しかし、記憶が消されても風の子の楽観的な性格は変わらなかった。
笑顔が二つ。風の子と少女が仲良くなるのは早かった。

最後に炎の子が来た。
少女や風の子と同様に記憶を消され、炎の子はそのことに悩み、そして悲しんだ。
そして荒れもした。
そんな暴れん坊を少女が放っておくわけがない。
怒りに任せ荒れる炎の子を、少女はゆっくりゆっくりと優しさで包んでいった。

記憶を消され、攫われた。
そんな惨たらしい事実の中、4人は『友達』になった。

そしてある日。
炎の子と少女が、真実を覗いた。





◆◆◆◆◆





ガルアーノと二人で並び、目の前に聳え立つ鉄の巨人を見上げる。
鉄臭い倉庫のような大部屋に配置されたその巨人は、所々にパイプやらコードやらが飛び出ており、どことなく鈍重そうな印象を思わせる。
所詮『彼女』を繋ぎとめる棺のようなもの。
空想のように空を自由に飛び周る機能など付いていない。

「……未だサンプルМは眼を覚まさない、か」
「…………」

腕組みをしたまま渋面を浮かべるガルアーノの視線は、その巨人の頭部に向けられていた。
その頭部にはひと際多くのコードやら何やらが繋がっており、その装甲も肩部や胸部と比べると遥かに厚い。
白銀色をした頭部の奥はコックピットのようになっており、そこには一人の生体動力が組み込まれている。

生体動力の名はミリル。
巨人の名はガルムヘッド。
白い家に配置された最新の迎撃兵器のようなものである。

「宝の持ち腐れとは言わぬが……ただコアにするならば他に代用が利く」

濃い顎鬚をなぞりながらガルアーノは独り言のように呟いた。
ガルアーノの言う通り、ガルムヘッドを起動させるには強い魔力を宿した人間が必要である。
となれば白い家でも最強の能力者として知られるミリルはそれに合致する人材だろう。
しかし、ガルムヘッドはミリルを使うほど重要な兵器でもない。

宝の持ち腐れ。確かにその通りだろう。
わざわざ物言わぬコアになるよりも、俺と同じように人型のままの兵器となる方がミリルの価値は上がる。
だがそれは出来ない。

「五年前、だったか……エルクが逃げ、ミリルが意識を閉じたのは」
「は」

倉庫の外から聞こえる研究者たちの声や足音を聞きながら、ガルアーノの話に相槌を打つ。
相変わらずこの施設にいる研究者たちは寝る間も惜しんで研究に勤しんでいるらしい。
害悪にしかならない、狂気に囚われた研究者たち。
果たして元は人間だったのか。それとも元々魔物だったのか。
どちらでもいいか。

「エルクとジーン。これは別にいい。所詮小僧である奴らなど儂の手からは逃れられん」
「問題はミリル、ですか」
「コアとして使用するならこのままでも構わん。限界までガルムヘッドの性能を引き上げればいいのだからな」

カツリ。
一歩ガルヘッドに近づけば、鉄製の床が音を鳴らした。

「だがミリルの力はそれ以上のものがある。こんな鉄くずでは収まらない力がある」
「……意識の覚醒方法に心当たりが」
「ほう……言ってみろ」

初めてガルアーノの視線が此方を射抜き、その瞳に宿る期待に内心でほくそ笑んだ。
俺がやらなければならない、最も重要なこと。
それを遂げるには、どうにかしてガルアーノに俺の方法に賛同させなければならかった。

ジーンが抜けた穴。
狂った歯車をそのまま回せねばならない。
止まることだけは許されない。

「やはりミリルの意識化にあるのはエルクの存在かと」
「友情か? どちらにしてもくだらん要素に過ぎん」
「いえ、愛情でしょう」
「……くだらん」

ガルアーノが俺に寄せた期待は一気に霧散した。
だが引き下がるわけにはいかない。
さもつまらなさそうに懐に手を入れたガルアーノに構わず、言葉を連ねる。
彼が懐から出したのはやはりというか葉巻であった。
――――兵器庫である此処で火を使うのか、こいつは。

「まだ材料として管理されていた頃、二人の関係は私やジーンとのものとは明らかに違いました」
「いよいよもってくだらんな。正義の味方が来るのを待っているとでも思っているのか?」
「白馬の王子様、といったところでしょう。事件当時のレポートにも記載されていました」
「何だと?」
「『エルクが必ず助けに来てくれる』。錯乱する彼女を保護した警備兵が聞いています」

俺の発言に少々考え込むようにして黙りこくるガルアーノ。
静寂が広がる倉庫内において、この男と二人でいるのは心が擦り減る。
視線をガルムヘッドに向けた。
見上げた先に居た巨人は、当たり前ではあるが動く気配さえ見せない。

「…………それで?」
「現在、エルクの記憶もほとんど覚醒しかけているといっていいでしょう。故に彼がガルアーノ様に近づく目的というのも」
「ミリルを救うためか? ……ふん。所詮お前の推論でしかないな、クドー」
「ならば確かめますか?」
「ほぉ……」

紫煙一吹き。黒一色で染まる倉庫内に灰色が漂う。
ガルアーノの興味がミリルから俺の案へ動く。

「どちらにせよ、エルクとリーザを捕獲し、エルクをミリルの前にでも突きだせば結果は分かるでしょう」
「…………」
「それでなくとも、逆にエルクたちをこの白い家に誘い込むのも一つの手かと。リスクの高い手ではありますが」

ガルムヘッドに向けていた視線をガルアーノに戻せば、彼は既に悪巧みを巡らせる瞳をしていた。
どこまでも濁った黒い瞳。
サングラス越しでも理解できるその邪悪に、しばし震えた。

「……ミリルの改造は既に終わっているな?」
「はい。意識さえ覚醒すれば洗脳して自由に使役出来る上、個体の特性を失わない程度の強化を受けています」
「ククッ……ククク、ハハハハハ!」

嗤うガルアーノを、俺は嗤う。
心で。
心の奥で。

「クドー」
「は」
「エルクとリーザを白い家におびき寄せることは可能か?」
「彼らは既に小型の飛行艇を所有しています。ある程度の情報を流せば此処に来ることは可能でしょう」
「そうか、そうか!」

喜ばしいことだ、ガルアーノ。
俺も、お前と共に嗤ってやりたい気分だ。

「クドー、貴様が案内人になってやれ。手段は問わない。白い家に辿り着く道を用意しろ」
「……その過程でエルクを捕獲することは?」
「駄目だ。奴には足掻いて足掻いて、此処にその足で来てもらわなければならん。それこそくだらん愛情やら正義感やらに誘われて、な」
「…………」

変わらない。この男は本当に変わらない。
他者の苦しみや悲しみに愉悦を見出し、その上で踏みつぶすことを至上の喜びとする。
どこまでも小悪党の、それでも俺達の命を握っている怨敵。

まぁ……何にせよ歯車を回すことはどうにか出来そうだ。
本来の流れであったのかもしれない『斬り裂きジーン』。
その代わりに動く必要があったのはかなり前から懸念していた問題だったが、この流れならば不安はない。

ガルアーノから下された命令は容易い。
ただエルクたちを白い家に案内すればそれでいい。
おそらくは今頃ヤゴス島に辿り着いた俺の部下を蹴散らし、ヴィルマーの話から大よその記憶を取り戻すだろう。
その後にアルディアに戻ってきた彼らを俺が誘導すればいい。

果たしてジーンは。
それだけが唯一の不安要素であるが、それに反して一つの期待もある。
ひょっとすればジーンも、エルクの傍で戦ってくれるのではないのだろうか。
再びジーンとエルクとミリルが共に笑い、隣り合って戦う日が来るのではないのだろうかと。

どちらにせよ、もう少し時が経てば次第に分かることだ。
それ以上に俺にはやるべきことがある。

シャンテ。
再び彼女を利用し、大きな流れに巻き込むことになる。
いや、彼女もまた勇者の一人だったか。

再びガルムヘッドの頭部を見つめる。
直接見るには久しいミリルの姿がそこにはあるのだろう。

もう少し。
もう少しだ。





◆◆◆◆◆





東アルディア首都、プロディアス。
女神式典で起こったアークによる女神像破壊事件による騒動も鳴りを顰め、人々がそれぞれの日常を取り戻しつつあった。
それでも空港ジャックやアーク襲撃などの事件が続発したせいで、ハンターズギルドは警戒態勢を保ち続けている。

プロディアス市警という犯罪に対する公式の組織が存在するものの、腕っ節の強さや対応の速さはハンターの方が優秀だ。
先の空港ジャックの事件とて、寝起きのエルクがそのまま解決に迎えるフットワークはたいしたものだろう。
金さえ払えば即座に対応すると言う評判は確かなものである。

そんなハンターズギルドプロディアス支部の建物内に、一人の中年男性が足を踏み入れた。
何やら胡散臭そうな人相と片眼鏡が特徴的なその男の名は、ビビガ。
エルクのアパートの大家にして、あのヒエンを改造したりして過ごしている変人であった。

ハンターでもない彼がギルドに踏み入れたことに、ギルド内で屯していたハンターはしばしその眉を顰めた。
何せハンター内におけるエルクの評価は真っ二つに二分されるのだ。
力任せではあるが事件の解決率に価値を見出す者。
所構わず炎を撒き散らすその戦闘やら、単純な思考に嫌悪感を抱く者。
そんな後者の評価を下す者からすれば、エルクの関係者であるビビガに向けられる険しい視線は当然のものかもしれない。

しかし当のビビガはそれを知ってか知らずか鼻歌を歌いながら飄々と歩を進めるのみ。
周りの視線など柳に風と言った感じにギルドの受付に声を掛けた。

「ちょっと聞きたいんだが」
「人探しの依頼か?」
「……わざわざハンターの消息くらい依頼でなくてもいいだろうに」

勝手知ったるが如く。
ビビガの質問を聞いてか聞かずか、受付の男は唐突にそう切り出した。
世間話さえ始めた本題に少しばかりうんざりとした表情を浮かべるビビガに、眼鏡をかけた青髪の受け付けは一つ息を吐いた。
そもそもハンターギルド側とて、ビビガの依頼内容におけるハンターの消息に頭を痛めているのだから。

無論そのハンターとはエルクのこと。
何せ彼は空港ジャックで行方不明になってみたり、ヒエンに乗ったまま行方不明になったりで此処最近は本当に酷い。
基本的に一人のハンターが消息を絶った所で気にはしないギルドであるが、問題の人物がエルクというならば話は別だ。

「うちのヒエンを持ってったままどっかに行きやがってな。ひょっとすればあいつだけでも帰ってきてるとは思ったんだが」
「いや、インディゴスの方にもそう言った話は来てないな……そういえばシュウもいなくなったって話も出てるんだが」
「あぁ? シュウの奴もいないのか……ったく、おじょうちゃん連れたまま何処行ってんだあいつ」

ぼやくようにして受け付けのテーブルに肘を突いてぼやけば、受付の男は白い眼でビビガを見ていた。
ただ管を巻くだけならさっさと帰れということなのだろう。
といってもやはりビビガはそんなことなど気付かずにあーだこーだと、エルクについて愚痴を零しているのだが。

「俺がせっかく調整してやったヒエンを勝手に持って行きやがって……しかもそん時に俺を高圧電流の金網に突き飛ばしやがるしよ」
「高圧……? 何やったんだアンタ」
「うちのヒエンに手を出す奴は許さねぇ、って話さ。ま、エルクのことがわかったら教えてくれ。暇でしょうがねぇ」

手をわきわきと動かすビビガに受付の男は気味の悪いような物を見る目で見送った。
何でもビビガの趣味は機会弄りらしく、大家として暇を持て余している時間は大抵それらを手にしているのだとか。
ヒエンの改造もその一環なのだろう。

兎にも角にもエルクの消息を知りたいのはギルド側も一緒。
彼のような手練がいないせいで討伐されていない指名手配者も多くアルディアに潜んでいる。
ふとギルドの壁に貼り付けられ手配書に眼を向けた受付の男は、ギルド出入り口の扉に手を掛けたビビガに声を掛けた。

「最近じゃあ何だか奇妙な殺し方をして世間を騒がす奴もいる、用心しとけよ」
「はん、このビビガ様に勝てる奴なんていねぇが……どこのどいつだ?」
「『血溜まり』って呼ばれてる奴だ。まだ姿も見られてなくてな。殺された人間は揃って床一面に血をぶちまけている」

ピクリ。
ビビガの肩が少しだけ上がった。

「……ご、護身銃くらい持ってくか」
「そうしとけ。趣味の改造でも以って強力な奴をな」

少し小走りで去っていくビビガの背を見ながら、受付の男はもう一度手配書を見る。
血溜まりと記載された手配者の写真は、未だunknownを表す黒一色のままだった。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/26 23:11



「っっっ…………っくあぁー!!」
「ファイトだ……ファイトだ、俺」

封印の遺跡入口。
太古に作られた遺跡に相応しい石塊のモニュメントが立ち並ぶ草っぱらに、エルクの奇声とジーンの絞り出すような声が響く。
湿っぽい遺跡内から出た彼らを眩いばかりの日光が照らすが、彼らの気を晴れ晴れとさせることは一切ない。
むしろ蒸すような熱帯特有の茹だる様な暑さに、慣れているはずのジーンでさえも鬱陶しさを感じるほどに辟易していた。

彼らを疲弊させる原因は、疲れて座り込んだ両人が背に預けている赤錆びた鉄塊。
どことなく人型を思わせる形をしたソレは、エルクたちが目的としていた機神『ジークベック』であった。
といっても今はエルク達によって引き摺られるだけの動かないガラクタ。
そもそもパワーユニットさえあればあの壁より出ることが出来ると言ったのはどこの誰だったのか。

無論エルク達が何かを仕損じたわけではない。
遺跡最下層にて襲いかかってきた魔物を蹴散らし、その奥に安置されていたユニットを見事回収。
その足でジークベックの埋もれる中層に戻れば、当初の話通りにジークベックは壁より自力で這い出たのだ。

しかしその後がどうにもかっこの悪いことになってしまっていた。
七英雄がどうだの、古代の機神がこうだのと意気揚々に這い出たはいいものの、所詮は機械。
長い期間埋もれていたせいか、すぐにジークベックは機能を停止させてしまった。

「だ、大丈夫?」
「あぁ……いや、まぁ、女の子には無理させらんないさ。ははは……」
「…………」

一人乾いた笑いを浮かべながら空を仰ぐジーンの言葉に、どことなく罪悪感を滲ませつつ心配するリーザ。
どちらにしてもこの『ガラクタ』と化した物を運ぶには、リーザの腕力は心許ない。
此処まで辿り着く道中でもリーザは何度も彼らに声を掛けていた。

そんな二人のやり取りの隣では、エルクがパンディットを恨みがましそうな目つきで睨んでいた。
当のパンディットは呑気に後ろ足で頭を掻いており、エルクの視線など意に介していない。
いくら魔獣とはいえ、四足歩行のパンディットに物を運べと言うのは少々意地汚い。
ロープでもあれば別だったが……どちらにしてもエルクの奴当たりめいた視線に意味はなかった。

「村から応援でも呼んでそいつらに持ってってもらった方がいいんじゃねぇのか?」
「駄目だよ。これは私達が受けた依頼なんだし。ほら、えと、エルク、ハンターだし」
「ちぇっ。このポンコツ……転がしていってやろうか」

疲れたままに拳を振り上げたエルクは、一瞬何かを考えてそのままジークベックを蹴り上げた。
鈍い音立てたものの、ぐらりとも揺れずに相変わらず動かない機神。
これでは胡散臭い骨董品どころか、情けない鉄くずの過ぎないのではないだろうか。
ジーンもまたうんとも寸とも言わない機神の姿をジト目で見つめていた。

そんな機神運搬の休憩中。
コレを村まで運ばなくてはならないことに一向にやる気も出ない彼らの下に、村の方から走ってくる人影が見えた。
まだエルクとリーザは村でお世話になって数日程度。その人物が何者かまでは分からない。

ジーンから見れば、その人物は時々助手と称してヴィルマーの研究に首を突っ込んでくる変わった村人だと分かった。
名はポポ。
ちょっとだけ寒そうな頭といかつい顔つきに似合わず中々にファンシーな名前の男。
わざとらしいくらいに肩を上下させて現れた彼は、息を整えるなりジーンの肩を掴んで緊迫した表情を見せた。

「ジーン! たいへん! たいへん!」
「ちょっ、まっ、落ち着けって!」

そのままジーンの肩を激しく揺らしながら涙目まで見せるポポの姿に、ジーンは冷や汗を浮かべつつも何とか彼を抑えようと努めた。
中年の男が涙目でたどたどしい口調を話すのは中々に厳しい。
エルクは二人のやり取りを見ながらそんなことを考えていた。

しかしポポの口から語られたその『たいへん』なことを聞いた時、エルクの表情は一変した。

「はかせのところにへんなやつらきた! なんか、くろいふくきてるやつら」

何故。
エルクとリーザは困惑の表情を浮かべ、それを見たジーンは即座に察した。
こんなポンコツを運んでいる余裕などないと。





◆◆◆◆◆





ヴィルマー。
彼はロマリアのとある研究所で生物学と機工学を嗜む一介の博士に過ぎない男だった。
元々偏屈な性格ではあったものの、良心や常識を忘れず研究に没頭する良き科学者であった。
科学者としての博識な頭脳こそ一線を画するものを持っていたとしても、ただの科学者にしか過ぎない男。

そんな彼が、闇に飲まれかけたのはいつの話だっただろうか。
ロマリアが闇に飲まれた時か。
彼がその科学を手放すことが出来なかった時か。
それとも、ガルアーノという男がやって来た時か。
何にせよ、ヤゴス島で平和に過ごすこのヴィルマーという男には、決して孫娘には話せない秘密があった。

「止めて! おじいちゃんをいじめないで!」

ヴィルマー博士の家の地下。
あのヒエンの修理工房と化した大広間に、リアの金切り声が響いた。
苦しそうに膝を突くヴィルマーを庇うように、その小さな身体で侵入者達を真正面から睨みつける。
しかし侵入者である黒服の男たちはそれを鼻で笑い、憤怒と苦悶の入り混じった様な表情を浮かべるヴィルマーを見下ろした。

「博士、探しましたよ。随分とね」
「ぐっ……帰れ! 貴様らに用などない!」
「そういうわけにもいかないのですよ、博士」

震える声を荒げるものの、黒服の男たちはどこまでもその醜悪な笑みを崩さない。
ヴィルマーの意思など元々聞く意味がないというのに、ねめつける様にして言葉を連ねるだけだった。
そんな中、恐怖に折れず大きく手を広げて黒服の男達の前に立ちふさがるリアの行動は、少なからず黒服達を苛つかせた。

その笑みをさらに歪ませ、黒服の一人が懐より銃を取り出しリアにそれを向けた。
何をするのか、何を言いたいのか。
さっと顔を青ざめたヴィルマーがそれを察するのは早かった。

「止めろ! 止めてくれ! リ、リアには、手を出すなっ!」
「さて、止めるにはどうすればいいか、分かりますね?」
「ぐっ……この、外道共が!」
「ふん……ああ、それともう一つ。サンプルJ、ジーンはどこにいるのですかねぇ?」

せめてもの反抗と吐きだした言葉に黒服はさも楽しそうに嗤った後、目的のもう一つを切りだした。
強張りながらも、その可能性を思いついていたヴィルマーは内心で舌打ちをしながらも眉を顰めるだけで留めた。

予期していた事態だった。

あの『施設』から逃げ出し、その過程で託された一人の子供。
あの子供を、ジーンを見る度に自分の罪を見せつけられるようでヴィルマーは苦しんだ。
この孤島に逃げ込み、全ての闇を忘れて生きるのに、あの風の子供は自分を苦しめる罪の具現でしかなかった。
それでも、ジーンという男は笑顔を忘れぬ男だった。

やがてリアという孤児を引き取り、孫として共に過ごし、新たな生活に生きて行く中でそんな自分の弱さと向き合う事も出来た。
何一つ罪もない子供に憎しみをぶつけようとする自分の弱さを認め、彼もまた大人が守るべき子供なのだと。
守るべき息子なのだと。

震える身体に鞭を打ち、黒服達を睨みつける。
戦う力など持っていない。
罪から逃げ出した男。
それでも、愛しい子供たちを守ることだけは、その誓いだけは違えない。

「…………そんな男、知らん」
「それはおかしい。おかしいですねぇ……あなたが組織から逃げ出した時、サンプルJを連れて行ったことなど分かっているのですよ?」
「知らん。サンプルJなどという者など知らんし、そもそもこの島にそんな男などいない」
「……強情な老いぼれめ」
「もう一度言う。儂はそんな者など知らん。ただ、大切な者を守りたいだけだ」

眼の前で足を震わせながら立つ小さな身体を抱きしめ、もう一人の子供の顔を思い出す。
どこまで能天気で、どこまでも笑顔を絶やさないおかしな子供。
戦う手段を覚え、爺さんを守ってやるんだと頼もしい笑みを浮かべたあの息子。
罪と向き合う機会をくれた、あの、大切な――――。

ヴィルマーはゆっくりと立ち上がり、一歩、黒服たちの前に進み出た。

「儂の大切な者に手を出してくれるな……そちらに、行こう」
「おじいちゃん!?」
「くく……最初からそうしておけばいいのですよ、博士」

苦笑を浮かべ、リアの頭をその無骨な手で何度も撫でた。
惜しむように、愛しむように、優しく撫でた。
すまない。
ヴィルマーは、今はこの場にいない一人の息子に声を届け――――。

「風の刃よ! 全てを切り裂け!」
「なっ……ぐあああ!」

ヴィルマーと対峙していた黒服達の一番後ろ。
大部屋入口に最も近い所に立っていた男が、突如現れた竜巻に切り刻まれながら地面に叩きつけられた。
竜巻を唱えた声はどこまでも届くほどに澄み渡り、なおもその声色に烈火のごとき怒りが込められていた。

「おにいちゃん!」
「……どこの誰かは知らないが、家族に手を出すっていうのなら容赦はしない」

リアの言葉に、低くその意思を露わにしたのは銀色の髪を靡かせる男。
未だ竜巻の余波を受けて靡くその長髪の奥に、深緑の瞳を湛えた一人の息子が立っていた。





◆◆◆◆◆





サンプルJ。
その言葉を聞いた瞬間に、ジーンの頭に雷鳴のような衝撃が走った。
ヴィルマーの危機にこの大広間へと掛け込み、遠くに見えるヴィルマーとリアを視界に収めたその瞬間のことだった。

しばし様子を見ながら絶妙のタイミングで横合いから殴りつけるか、それともまず二人の安全を確保する為に特攻するか。
5人の黒服が背を見せる光景を前にして、ジーンは少しばかりその駆け足の歩を緩めたはずだった。

広間に続く廊下の一角に重ねられた木箱を影にして黒服達の様子を見やる。
ヴィルマーの危機に頭が瞬く間に沸騰したせいか、既にエルク達のことなど気にせず村の真っただ中を突っ走っている。
故に未だジーンの傍にエルクはおらず。
自身の愚かさに唇を噛んだジーンであったが、それと同時上階よりエルク達と思われる足音がかすかに聞こえてきた。

(5人……エルクたちと一緒なら、やれる)

腰にぶら下げた短めの剣の柄に手を掛け、おそらくは碌な話をしていないだろうと予期される黒服達の声に意識を傾けたその時だった。

サンプルJ。

ズキリ。
あからさまなほどに視界がぶれ、こめかみに痛みがはしる。
眼を絞り、苦痛に歪めたジーンの表情には確かな困惑があった。

フラッシュバック。
あるはずの光景が、失ったはずの光景がぶつ切りにその深緑の瞳に映る。
海辺でエルクと話した時と同じ、エルクとの関係がギクシャクし始めたあの時と同じ違和感。喪失感。

(くそっ……何だよ、何なんだってんだよ、これはっ!)

今すぐ叫び声を上げたくなるほどの痛みが、切なさが心を苛ませる。
すぐ目の前では大切な家族が虐げられているのではないのか。
家族を救うために此処へ来たのではないのか。
なのに、何故、こんな、見知らぬ少年と少女の姿が――――。

「ジーン」
「っ! あ、ああ……来てくれたのか」

気がつけば物影で蹲る自分の肩に、心配そうな表情を浮かべたエルクが手を掛けていた。
その後ろには同じく心配そうに顔を歪めたリーザと、黒服達のいる大広間の方に静かに静かに唸り声を上げるパンディット。
既にジーンの頭の痛みは消え去っていた。

「ヴィルマーさんは?」
「あそこだ。黒い服着た奴らもいる」
「あいつら……やっぱり」

どちらにせよ、この人数ならば、エルクと共に剣を振るえるのなら突撃しても構わない。
腰から抜き去った剣と、仄かに魔力を帯び始めたジーこそがその相図だったのだろうか。
凛々しい瞳で敵を射抜き、一つ頷けばリーザとエルクもまた頷いた。

詠唱。

ジーンの放った魔法は、確かに一人の黒服を吹き飛ばしたのだ。





◆◆◆◆◆





「なぁ、じいさん……あいつらは」
「…………」

既に黒服達はエルク達によって速やかに撃退され、その残骸すら灰になって消えていた。
怒りに燃えるジーンの力故か、それとも現れた黒服との関係に力が入るエルクの力故か。
どちらにしてもその人型の身体をモンスターへと変えて襲いかかってきた黒服など、ほとんど彼らの相手にならなかった。
瞬く間に葬ってくれたお陰かヴィルマーにも大した怪我はなく、今は泣きじゃくるリアを抱きしめながら一人俯いていた。

ジーンの問いかけにヴィルマーは沈黙を続けるだけだった。
そして、エルクとリーザの視線にも。
何故ガルアーノの手先である黒服達が此処に居るのか。
誰も彼もがヴィルマーの言葉を待っていた。

「博士。あいつらは……ガルアーノの手下だよな?」
「…………」
「答えてくれ。何故あいつらがアンタを狙っているんだ」

思いがけない所で現れたガルアーノの影。
幸か不幸か。
偶然に不時着したはずの孤島にて見つけたガルアーノへの手掛かり。
エルクの問いかける口調にも力が籠っていた。

「奴らは……キメラ研究所の者たちじゃ」

苦しそうに歯を食いしばりながらも答えたヴィルマーの言葉に、エルクとリーザ――――そしてジーンが目を剥いた。
再び意味不明な光景が過るジーンは、頭を片手で押えながらも後に続くヴィルマーの言葉をひたすらに待つしかない。

この心の痛みは何だ?
この光景は何だ?
この、記憶は何だ?

すでにジーンの表情には常の軽薄そうな笑顔などどこにもなかった。
しかしヴィルマーがポツポツと話していく数多の真実は、エルクにとってもジーンにとっても看過出来ぬ事ばかりだった。

キメラ研究所。
モンスターの力を軍事運用することを前提に発足した、ロマリアの研究機関。
その研究は人としての倫理観など既に崩壊しており、その過程で主となったのは『人とモンスターの合体』という狂気染みたものだった。

人には魔物にない特別な力がある。
精霊に干渉する古い部族の血筋が為せる業。
古来より伝わる鍛錬にて鋼のような肉体と闘争に優れる人種。
伝承に伝わる神とも魔とも言われる御業の数々を行使する人物。

そんな人間特有の異能に眼を付けたキメラ研究所が人間とモンスターの合体に手を出すのは道理であった。
たとえそれが多くの屍を生み、数えきれないほどの悲劇を生みだすとしても。
既にそのようなものを悔いる価値観などこの機関には存在しない。

「ワシは……研究員の一人としてそこにいたんじゃ」
「爺さんが、か?」
「ああ」

まるで懺悔するかのように途切れ途切れに零される真実の中、ジーンの悲しげな声が落ちた。
そんな非道な機関に、自分のかけがえのない育ての親が。
気難しいながらも優しかった自分の親が。
――――キメラ研究所と言う言葉を聞くたびに過る嫌な予感が。
その全てがジーンに影を落としていた。

「だが儂は……そんな研究の非道さに気付き、そして逃げ出したんじゃ」

言いながらヴィルマーはジーンの顔を見つめる。
言うべきか、紡ぐべきか。
既にそのような選択肢など取れなかった。
一度首を横に振ると、決心したかのように未だ戸惑いを見せるジーンに告げた。

「ジーン……お前も、そのキメラ研究所の、白い家に拉致されていた子供の一人だった」
「…………」
「白い家……白い家だと!?」

真実に口を真一文字にしたまま押し黙るジーンに代わって、声を荒げたのはエルクだった。
ヴィルマーの傍に足早に駆け寄り、力強くその老人の肩を掴みながら先を促す。
一つ一つ。点と点が繋がっていく。

「そうだ……白い家……博士! 俺は其処に居たんだ!」
「お主が?」
「ああ。俺だけじゃない……もっとたくさんの子供たちが掴まっていて……ジーン!」

勢いよくエルクが振り返った先。
未だ黙ったままのジーンに今度はエルクが声を荒げた。

「お前だって居たはずなんだ。俺たちは……クドーとミリルもいた!」
「クドー……ミリル……」
「俺は、俺は思い出したぜ……あいつらが、ミリルが待ってる!」

叫ぶエルクの声が徐々に遠くなっていくのをジーンは感じていた。
その闘志を燃やす様に深紅の瞳を輝かせるエルクを前にして、多くの真実を認めようとする自分がいた。
キメラ? 白い家? 記憶喪失の理由? クドー、ミリル?

単語と共にぐるぐると廻る失ったはずの光景。
その光景すらも徐々に黒で埋め尽くされ、意識が遠ざかっていく中、ジーンは懐かしい少年の声を聞いた。





――また皆で笑えるといいな、ジーン――





そのままジーンは意識を手放した。



[22833]
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/11/29 19:10




インディゴス西にある明りの一つも灯らぬ寂れた街。
立ち並ぶビルの割れた窓ガラス、中途半端にぶら下げられた看板、道路上に何故か散乱しているボロボロの家具。
どれを見ても、この『廃墟の街』と言われる場所に人が住んでいる気配など感じさせないものだった。

街の名前もなく、ただ廃墟などと称される以前は一体どのような街だったのだろうか。
肌寒い風に吹かれながらタイヤの無い車が不法投棄された道路を進めば、肌の泡立つような嫌な気配に晒された。
魔物、と言うわけではないが、碌でもない者共が住みつくには絶好の空気。環境。
指名手配された魔物を追っては、ハンターたちがこの廃墟に来ることも少なくない。

となればガルアーノの部下の部下という輩達もそうなのだろう。
所謂下っ端たちが作戦会議やら連絡の受け取りやらを企むには丁度いい場所ということでもある。
無論ガルアーノ本人やその位に近い幹部がこんな埃と油臭い廃墟に立ち寄るわけもなく。使い捨てにしか過ぎない部下が集まるだけなのだが……。

≪キヒッ、予想はついてんだろォ?≫

頭の悪そうな声が心の中で響いた。
胸にストンと落としてくれるような優しさなど欠片もない、棘だらけのしゃがれた声。
耳に聞くのではなく心で聞くためか、その鬱陶しい声はよく響く。

≪シャンテの歌声にはまるで届かぬな≫
≪ケッ……テメェの涎だらけの口から出る遠吠えよりはマシなんだよ≫
≪…………何だと?≫
≪ほれ、言って見やがれ。ワンワンってなァ≫

貴様、と心のもう一人が叫ぶのは早かった。
心を三つ飼っているとはいえ、所詮それは思念だけの話。
俺の腐った身体の内側で心の持ち主だった輩が牙を剥き、腕を振るう事など出来はしない。
つまりこの小うるさい者共はただキャンキャン騒ぐだけしかできないということ。

同情など欠片も抱いてはいないが、肉体を喰われ、ただ思念だけが残るのは暇で仕方がないのだと思う。
故にこいつらは言葉を連ねるのを止めない。
…………残り一つの心のようにただ黙ることもできはしないのだろうか。

事あるごとに戯言を吐く心。
俺の行動に様々な感情を浮かべ思案する心。
ただ佇む心。

どれもこれも唾棄すべき者共だというのに、その個性ははっきりと確立している。
俺の力。
俺の餌。

≪で、だ。大将。部下が次々消えてるってのは此処でいいのかい?≫

おそらくはこめかみ辺りを震わせながら牙を剥いているだろう心の一つを無視し、汚い声がつまらなさそうに話しかけてくる。
事の次第はこうだ。
女神像の式典を終えた数日後から、この廃墟の一角をアジトにしていた部下の数人が消息を絶ち始めたのだ。

まるで影に引き摺られるようにして一人、また一人と部下達が人数を減らし、つい先日にその全てが何処かへと忽然と消えたのだ。
おそらくは何者かによって殺されたのだというのは想像に難くない。
だがその遺体や戦闘の跡すら残さないというのが不気味だ。

≪魔に属するものが、影より伸ばされた手に怯えるとは情けない≫
≪同感だァな。うちの大将みたく根性の一つでも見せねェもんかね≫
≪…………≫

それこそ同感ではある。
この異変そのものに恐慌する部下も少なくなく、仕方なくこの俺が担当することになったのだが、ほとほと呆れざるを得ない。
常では力の弱い人間を痛ぶり嘲笑っている輩が、このような状況になるとすぐに顔を青ざめるなどと。

≪強く、強く、そして弱く≫

わけのわからないもう一つの心の言葉は無視することにした。
こんなものに頭を捻っても意味はない。
都合のいいように受け取るだけだ。

相も変わらず寒々とした風の止まない路地裏通りを、外套をはためかせながら先へ進む。
部下達がアジトとしていた小さ雑居ビルはこの道の先。
どこからともなく奇襲をかけられそうな、死角だらけのごちゃごちゃとした道に自然と視線が彷徨うが、特に問題はない。
もし奇襲され、凶刃が俺の首元を通っていったとしても――――。

詮無い懸念だ。





◆◆◆◆◆





直に辿り着いたアジトに変化はないかと調べてみたが、特に変わったところは見られなかった。
連絡を取り合うための無線機。
キメラ強化されている部下達の体調を整えるための医薬品。
机の上に乱雑に置かれた偽物の指令書と、多くの暗号が立ち並ぶパソコン、機械類。
アジト、というには異存ない設備と備品がごちゃごちゃと散乱する部屋の一角で俺は首を捻った。

部下達が消息を絶ったのはこのアジト近辺に違いない。
キメラ処理をされた兵には例外なく自らの居場所を組織に知らせる発信機が埋め込まれており、その消失が今回の問題を提起する証拠にもなったはずだ。
故にこのアジトに何者かが押し入り、部下達を殲滅されたというのが予想されていた顛末なのだが……。

強盗ではない。そも、そんな輩にやられるほどにキメラというのは弱くない。
確かこの廃墟周辺に現れた手強い魔物……指名手配されたのは、『リーランド』だったか?
いや、確か奴は少し前にキメラプロジェクトの被験者となり……。
ああ、そうか。エルクに倒されたのだったな。

どちらにせよ偶発的な侵入者にやられたという線は薄い。
だとしてもアジト内に荒らされた形跡がないと言う事実が、計画された襲撃であるという線を薄れさせる。
そもそも偽物とはいえ、指令書に手を出した形跡が全くないというのも……。

刹那。

ミシリと何処からともなく床を踏みしめる音が聞こえた瞬間に身体を仰け反らせた。
手にしていた薄汚れた指令書が宙に舞い、黒色の影は俺の上半身があった場所を唸り声と共に通り過ぎて行く。

どこに隠れていたのか。
奇襲そのものとも言える攻撃を紙一重でかわした俺は、そのままバク転を二度ほど繰り返して襲撃者との間合いを取った。

≪ヒュウッ! サーカスでも食っていけるぜ、大将ォ≫

襲撃者にではなく、相も変わらず軽口を止めない此処の一つに舌打ちを一つ。
光源の少ない薄暗がりの中で相対した襲撃者は、俺の予測と違わぬ人物であった。

身体を影に紛れる黒装束で多い、銀色の短髪を怪しく揺らめかせながら鋭い瞳を此方に向ける男。
背中に見える重装備を背負いながらも放ってくる体術に、無意識ながらに舌を巻いた。
そのどれもがただの人間が出せる動作ではない。

「…………」
「…………」

既に俺はバク転と同時に一本のナイフを胸元から抜き去っており、その襲撃者は未だ無手のまま。
といっても彼のことだ。
そのうち何処からともなくマシンガンを取り出したり、いつのまにやら時限爆弾をセットされていてもおかしくはないだろう。

「……血溜まり」

一体どこからその情報を得たのか。
『血溜まり』という名を轟かせるために色々と動き回ったが、そのどれもに俺の容姿を直結させる情報など漏らした覚えはない。
その証拠に未だハンターズギルドの手配書も真っ黒なままだったはずだ。

なのにこの男は、ハンターとして一流であると知られるこの男は即座に俺の正体を見破った。
これでは俺がガルアーノの右腕として動いているということもばれているのではないかと――――自然と、顔に笑みが零れた。

「何がおかしい」
「……クッ、いや、な」

シュウよ。
ここであなたが俺に追いついたというのは、僥倖以外の何物でもない。
そろそろあなたと個人的に接触を図りたいと思っていた頃だったのだから。

「ハンター、シュウ」
「…………」
「どこまで知っている?」
「言うとでも思うのか」

思ってはいない。
物語で語られる勇者の中でも、ひと際シビアな考えで知られるこの男に、柔な交渉など通るはずもない。
そして殺戮ばかりに慣れていたこの俺が、そんな交渉事に長けているわけでもない。

本当ならば味方の一人でも作りたい。
だがしない。
今更意味不明な真実を羅列して、物語に軋みを作る意味などない。

シュウよ。
あなたは正義の味方で、勇者で。
そして俺は悪で、敵でいい。

にやついていた笑みを止め、真正面にナイフを構える。
それが合図であるかのように、俺たちは互いの腕を振り下ろした。





◆◆◆◆◆





所詮知識だけの話ではあるが、シュウが刃物や鈍器の類を得意とする様な人間ではないというのは分かっていた。
いや、ロマリアの特殊部隊にいたなどという過去が本当であれば、そういった武器類に関する扱いも慣れているという可能性はあるのだろう。
しかし彼が好むのは手甲や具足のような、超接近戦に流用できる格闘武器のようなもの。
現に俺のナイフを受け止めたのは黒装束と同じく、真っ黒に塗り固められた鉄製の小手であった。

特に力を入れたわけではないが、そのような武具に何度も小ぶりなナイフで切りつけるという選択肢は取れない。
相手の防御をすり抜ける様にして切り付けねば、いくら5本の余裕があったとしても手持ちのナイフが全て駄目になってしまう。
……そんな攻撃が彼に通用するとはまるで思えないが。

小手に受けたナイフを受け流す様に身体を半回転させたシュウが放ってきたのは回し蹴り。
拮抗していた力をそのまま利用する形でこちらの体勢を崩し、尚も強力な一撃を放ってくる。
先ほど俺を奇襲してきたときに放った攻撃の正体はこれか。
瞬時に屈むことで頭のすぐ上を通ったその蹴りは、頭そのものをふっ飛ばさんまでの速さと重さを持っていた。

≪うへぇ……こいつが人間だって言うんだからおっかねェ≫

次の攻撃行動に移り始めていたシュウの身軽さと、戦闘中だというのに黙らない心の声の両方に眉を顰める。
当たり前の話ではあるのだが、シュウは俺に対して手加減というものが見られない。
もし俺をただ殺すという目的で襲いかかってきたというのなら……なんだかシュウの目的がよく見えない。

ガルアーノの手下を殺し、やがて来る幹部レベルから情報を取り出すべく動いているのかと最初は思っていた。
しかし彼の苛烈な攻撃は情報を手に入れるために半殺しにするというよりは、即座に抹殺することを目的にしたようなもの。
……ひょっとすれば『血溜まり』である俺も、所詮下っ端と思われているのだろうか。

≪主よ。たかが人間の生を脅かす殺人鬼程度の者が、闇に潜む大物にはなり得まい≫
≪ま、確かに大将の賞金もまだ大したことねェしなァ。2000ちょっとだったか≫

相手は俺を本気で殺しに来る一流のハンター。
しかし俺に彼を殺すと言う選択肢など取れず、双方共に致命傷を負わないままに調整しなければならない。
シュウ相手にそんな難易度の高いことなど、骨の折れるというレベルではない。

それこそ、命を掛けねばならないくらいに。

シュウが此方の首筋を狙い、放ってきた手刀をギリギリの速さで腕を差し出し、受ける。
ただ包帯で包まれているだけの素肌に近い俺の腕は、嫌な音を立てながらギシリと歪んだ。
この身もある程度の強化を受けているというのに、防御力という点では何一つ安心出来る要素が存在しない。
そもそも俺は真っ向から切り合う肉弾戦の魔物よりも、影に紛れて奇襲離脱を繰り返す暗殺型の個体だ。

故に身に纏う装備も最低限。
大立ち回りをするための大剣やシュウのような重火器など有していない。
――――故に、魔法というモノが俺にはあるのだが。

≪主の魔法は、手加減や軽傷を望めるようなものではない≫

既に分かり切ったことをしたり顔で言う心の一つに頭が沸騰しかけた。
いや、確かに手加減という意味で使用出来る『ポイズンウィンド』もあるのだが、それを使用した後に毒に犯されたシュウをどうするのだ。
わざわざ解毒剤を用意する理由が思いつかない。

「シッ!」

低くしなる様な声と共にナイフを一つシュウ目がけて投擲するも、忍者のように分身を伴いながら避けられる。
魔物の中に存在する『ニンジャ』と彼の間に一体どんな関係性があるのやら。
手加減などというハンデを背負いながらシュウを圧倒せねばならないという現状に、徐々に俺はため息すら吐くまでにうんざりとしていた。

そんな俺の態度を疑問に思ったのか、やがてシュウは此方への警戒を解かぬままに口を開いた。
隠密行動故か、彼の口元は装束によって隠されていたが。

「解せん」
「……何がだ」
「何故貴様は手を抜いている。何故俺を生かそうとする」

さすがにばれるか、などと内心で頭を振る。
ただ生かそうとするだけなら、生け捕りにして何やらよからぬことをするという確信を取れるだろう。
しかし俺のそれはもはや手加減という話ではない。

シュウの攻撃を余裕なく交わし、元々掠りもしない攻撃にさらに手心を加え……そもそも殺気すらない。
滑稽なまでにその実力と目的が合致しない様に、シュウが疑問を抱かないはずがなかった。
そして何より。

「毒を以って対象をバラバラに殺害するという貴様の手口に合う戦い方ではない」
「殺した後にバラバラにする。そういうこともあるかもしれない」
「ほざけ。そも、ただの殺人鬼が何故このアジトに関わる。貴様も……」
「…………」

ああ、成程。
別に奇襲でも何でもなく、シュウもまたこのアジトの様子を見に来ただけだったのか。
つまり、偶然に俺と彼が鉢合わせしてしまい、そのまま戦闘に移っただけ。
となれば何故俺を『血溜まり』と知っているのかが疑問だが…………。

どうでもいいか。
シュウが此方に対する情報を多くは持っていないというのが好都合。
これならば多少なりとも俺の思う通りに物語を動かすことが出来る。

既に骨が砕け、ただぶらぶらと揺れるだけだった右腕など眼中になく、浮かんできてしまいそうな笑みを抑えることで俺は必死だった。
おそらくシュウはエルクの所在についても未だ情報を得てはいないだろう。
今はエルクの帰還を信じ、自分に出来ることをただしているだけといった所か。

「シャンテ。白い家。キメラ」
「……?」
「ハンター、シュウ。お前が調べねばならないことはそんなところだ」
「どういう意味だ」

こちらの言葉に眼を細めたシュウ。
じり、と間合いを測る様に構え、すぐに飛びかかってきそうなままに此方を睨む。
論点をずらせ、隙を作れ。

「直にエルクが戻ってくる」
「何だと!?」
「この地で踊るのもあと僅か。かの地で救済が為されることになるだろう」

少しばかり、『台詞』を言うことに高揚した。
この世の流れを裏から全て操っていると勘違いするかのような、全てを掌に握っている様な優越感。
隙なく殺気を纏わせていただけだったシュウの顔に困惑が浮かんだ瞬間、何もかもが成功している様な錯覚を覚えた。

――――もう、俺は、どうしようもないほどに狂っている。

そんな感覚を覚えれば、俺の中にいる心たちが一斉に笑いだした。
言葉の少ないこいつも、いつもは冷静を気取るこいつも、常と変らぬこいつも嗤い出す。
揃って俺も嗤ってしまいたい衝動に駆られた。

駄目だ、嗤うな。
まだ嗤ってはいけない。

「……B-2棟。042号室。パスコード『アークザラッド』」
「……何?」
「覚えておけ。ただ覚えておくだけでいい。何よりも、エルクのためにな」

託さねばならない言葉を、伝える。
詳しいことなど話す必要はない。
これだけを言えば、頭のよいシュウならば適当に理解して答えに辿りついてくれるだろう。

ただ戸惑いのままに隙だらけの身を晒すシュウを一度見やり、俺の背後にあった窓より即座に身を投げ出す。
こちらを呼びとめる様な怒鳴り声と共に、幾つもの弾丸が風切り音を鳴らしながら俺の身体を通って行った。
被弾したのは胸か、腕か、足か。

≪人間だったら死んでるな、これ≫

いかにも自分が痛そうに顔を顰める心を放り、少ない血を流しながらひたすら走る。
点々と廃墟の街に垂れ流す血はそのうち止まり、俺の身にあった幾つもの傷も、折れたはずの腕もすでに元通りになっていた。

便利な身体。

全てをねじ伏せ、全てを屠る力すら持てなかった。
だが選択肢は多かった。

真っ向から叩き潰すか。
魔の御業に身体を浸すか。
獣の如く四肢を得るか。

そのどれもが使いこなせるとは思えなかった。
そもそも元の俺は戦いのない世界で生きた軟弱者。
戦いという世界に放り込まれれば即座に腰が引ける。
すぐに捻り潰される。

故に、選んだ。

再生能力。
不死性。
アンデッド。

それに特化した存在が『血溜まりのクドー』。
多くの魔を、人を喰らい、命を蓄え、何度でも這い上がる。
出生の特殊性から、何体もの魔物と合体する術を得た固体。

数え切れぬほどの魔を取り込み、おぼつかない汎用性と絶対的な不死性を誇る個体。
故に――――。

間に合えばいい。
ただ救済の時まで、間に合えばいいのだ。






[22833] 十一
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/12/07 23:43


ジーンが意識を失ってその場に倒れ伏した時より数刻後。
瞳を閉じたまま魘されるジーンをベッドに眠らせ、それを囲むようにしてエルク達は沈黙を保っていた。
隣のベッドでは黒服達の襲撃で心身を疲弊させていたリアも寝息を立てている。
二人の子供を眺めていたヴィルマーも、一つ安心したようにして息を吐いた。

とりあえず一人の怪我人も出さずに事を収めたものの、未だ多くの疑問が残っている。
いや、疑問と言うよりは問題だろうか。
ジーンの出生、過去。
ヴィルマーが隠していたキメラ研究所との関係。
完全に思い出したエルクの記憶。

そして、これから。

考えなければならないことなど無数にあった。
そんな多くの問題に思案していたのかしていないのか。
ただ黙ったまま虚空を眺めていたエルクが独り言を呟くように口を開いた。

「白い家では……いつも4人で一緒にいた」
「?」
「俺と、ミリルと、ジーンと、クドーと……みんなガキだった」

首を傾げたリーザとただ視線を向けただけのヴィルマー。
エルクは照れくさいのか頬を指で掻きながらも、まだまだ子供だった頃の記憶を語り始めた。
懐かしさに少しだけ声も柔らかに。

「ミリルはお節介だし、ジーンは生意気だし、クドーはなんか根暗だし……」
「でも、仲がよかったんでしょ?」
「わけのわかんねぇ場所だったけど、あいつらと居る時は本当に楽しかった」

エルクが思い出したのはどの場面だったのか。
一度首を横に振ると、エルクは眠っているジーンの顔を見つめ、しばし言葉を失った。
いや、その表情は怒りに満ちていた。

「そんな中、俺とミリルは……仲間の子供たちがモンスターに変えられる所を、覗いちまったんだ」
「子供を……モンスターに」
「…………」

そのおぞましい事実に身体を震わせたリーザに、足元にいたパンディットが安心させるようにその身体を押し付ける。
ヴィルマーは苦虫を噛み潰したように顔を歪めたまま、無言で掛けていた老眼鏡を上げた。

「まだまだガキだった俺達は動転して、すぐに逃げようって話になったんだ。ジーンとクドーも連れて」
「…………」
「でも隠れてた俺達はすぐにばれて、ジーン達を連れる余裕もなく……俺を逃がすためにミリルも囮になって」

気付けばエルクは無意識のままに固く拳を握りしめていた。
肩を震わせたまま俯き、自分だけ助かってしまったことに自分自身に怒りを抱いていた。
助かっておきながら、今の今まで記憶を失いのうのうと生き続け。
しばし後悔に身を震わせ、強く強く歯を食いしばる。
次に顔を上げた時、エルクの顔にはただ一つの決意が浮かんでいた。

「博士。俺は白い家に行かなくちゃならねぇ。まだあそこには助けを待っている奴らがいる」
「…………」
「ジーンを助けてくれたことには感謝する。過去を忘れていたいのも分かる」
「…………ワシは」
「だけどっ! 俺は、もう……逃げてらんねぇんだ」

既にその瞳に後悔はなく。
既にその瞳には深紅の炎が燃え上がり。
これを勇気と呼ぶのだろうか。
彼を勇者と呼ぶのだろうか。

「教えてくれ。白い家ってのは何処にあるんだ?」
「…………」
「博士っ!」

一度ジーンの方をちらりと見たヴィルマーは肩を落としたまま、エルクの声に応え始めた。

「西アルディアの何処か。移転してなければ今もその場所は変わらないじゃろう」
「西アルディア……」
「ただ詳しくはワシも知らん。もっと詳細を得るためには」
「ガルアーノの野郎に直接聞けってわけだな!?」

両手の拳をガシリと叩き合わせたエルクは、ようやく道が開けたと獰猛な笑みを浮かべた。
その様に思案した面持ちで黙り込むヴィルマー。
リーザもエルク同様目的の輪郭がはっきりしてきたことに喜ぶが、どことなくヴィルマーの態度に違和感のようなものを感じていた。
まだ何か、隠しているような、そんなものを。

「ヴィルマーさん……その、まだ何か?」
「ジーンのことだがな……こいつが記憶を戻したら、おそらくは」
「ジーンがどうかしたのか?」
「お主らについていくだろう。友を助けようとするだろう。そういう奴じゃ」

魘され、少しばかり息苦しそうにしていたジーンもようやく落ち着いたのか。
リアと同じように胸を上下させながら安らかな寝息を立てている。
ヴィルマーはそのゴツゴツとした手で、ジーンの頭をクシャリと撫でた。

「正直な話……ジーンはとある人物から託された子供なんじゃ」
「とある、人物?」
「クドーじゃよ」
「クドー……って、どういうことだよ!?」

唐突に明かされた事実にエルクは声を荒げてしまった。
当然の如く眠りついていたリアはぐずり、今にも起きてきてしまいそうに身体を捩らせた。
しかしエルクの驚きも当然であり、リーザもまた話の要領がつかずに首を傾げていた。

「えと、クドーくんって、エルクと同じ白い家に入れられてた子供じゃないんですか?」
「リーザの言う通りだ。あいつは俺達と同じ子供で……どうやってあいつが博士に」
「どこから嗅ぎつけたのか知らんが機関から逃げ出そうとするワシに、眠ったままのジーンを押し付けてきたのが、あやつだった」
「……どういうことだ?」

未だ子供で、研究員であるヴィルマーに近づく術もないはずで、そもそもジーンを連れてくる過程も不明。
エルクには何が何だか、一体クドーが何をしているのか分からなくなっていた。

「ワシが白い家に派遣されてきたのは、おそらくお主が脱走した後なのじゃろう。必要以上に施設の警備が厳重にされておった」
「それは……そうかもしれないけどよ」
「ミリルという存在も直接関わることはなかったが知っておる。無論クドーという男も」
「じゃ、じゃあ、クドーは何してたんだ?」

既にエルクに冷静さなど欠片もなかった。
縋る様にしてヴィルマーに詰め寄り、早く先を話せと急かす。
ただその態度と裏腹に、ヴィルマーはただひたすらに悲しそうな眼を浮かべていた。

「ガルアーノ直属キメラ部隊所属。個体名『プロト』」
「…………あ?」
「いや、そもそも彼はキメラじゃない。彼はもっと別の……」
「……ふざけんなよっ!!」

ただ悲鳴にも似たエルクの怒号が響き渡るだけだった。





◆◆◆◆◆





遠い記憶。





暗がりの中に居た俺は、ただひたすらに現状を理解することに躍起になっていた。
前世か。憑依か。転生か。転移か。
ありとあらゆる可能性に思いを馳せ、そして諦めた。

身に覚えのない部屋。
身に覚えのない身体。
身に覚えのない他人。

ここが俺の知る物語の世界と知ったのはいつだったか。
研究員が俺に向ける視線の歪さに気付いたからか。
申し訳程度に渡される絵本の内容を曲解した時か。
そこらに散らばる単語が俺の知識に引っ掛かった時か。

どちらにせよ、死にたいと思ったのは早かった。

元々俺が入れられていた部屋は、多くの子供たちを遊ばせるような大きなものではなかった。
むしろ何処となく牢屋を思わせる様な簡素すぎて味気ない部屋。
ベッドと、机と、あとは――――あまり覚えていない。

ただこの世界における『俺』という存在は、研究員のそれらから見ても歓迎されないものだと理解した。
食事を運んでくる係員と言葉を交わすこともなく、定刻に合わせて検査に来る白衣の男の態度もそっけない。
孤独。
この施設で行われるであろう惨たらしい実験よりも、そんなことに心を削っていた気がする。

やがてある程度の時を無駄に過ごし、係員に連れられていったのはあの知識にあった大きな部屋であった。
そこでようやくにして俺は、本来の物語の流れよりも早くに存在しているのだと察した。
次々に部屋に入ってくる虚ろな目をした子供達。
誰も彼もが記憶を失い、そして研究員に名前で呼ばれることはない者達だった。

俺は知っていた。子供達の大まかな立場を。
君たちは強い力を持っていて、悪者に攫われて、記憶を消されて、直にモンスターに変えられてしまう実験体なんだよ。
未だ俺という存在がキメラプロジェクトにとってどういう立ち位置にいるのか理解出来なかったが、子供たちの中で最古の者だということは理解できていた。

自然と、頼られることになった。
絵本の朗読。描かれた絵を褒める。転んで泣いた者を宥める。
それが続いたのは一週間か、それとも一カ月か。

それだけで『孤独』というものを克服したのだろう。
既に俺は新たな贅沢に味をしめ、何故こんなことになったのだと今更に現状を恨み始めた。

子供の世話なぞしていられない。
このままじゃキメラにされる。
誰か俺を助けろ。
……何故転生?

転生云々の不満が最後に来てしまう自分に、失笑する時もあった。
無論その全てを解決することの出来る手段というものも存在する。
すなわち、自殺。
食事の時に渡されるフォーク辺りを首に突き刺せば、おそらくは死ねるだろう。

だがやらない。
だって、あんな尖ったものを首に刺すなんて、怖いじゃないか。
血は出るだろうし、即死出来ないから痛いだろうし、そもそも死ねるかどうかも微妙だし。

――――俺は未だ、平和な世界に生きていた人間のままだった。

鬱鬱とした中でしばらく無意味なままに生きてきた俺は、ある日、唐突にして思いついた。
物語にあった勇者たちの話。
おそらくはもう少し時が経てばこの施設に連れられてくるだろう子供達のことだった。

エルク。ジーン。ミリル。
どのような過程で白い家に運ばれてくるのかなど知らないが彼らは来る。
前世で得ていた知識通りになるかなど分かったものではないのに、俺はとにかく彼らの来訪を盲信した。

そして彼らは来た。
俺は一体どれだけ喜んだことだろう。
どれだけ狂喜したことだろう。

彼らと共に居れば、エルクと仲良くなれれば、エルクと共にいれば――――。
やがてこの忌まわしき施設から逃れられるチャンスが来る。
人間のままで、辛いかもしれないけど、この世界で生きることが出来る。

まずは身の安全を。
おそらくは不可能かもしれないけど元の世界に戻る方法を気ままに探すのもいいかも。
どこが一番平和だろうか。
やはりエルクというキャラクターに半ば寄生する形で生きるのも。
いや、そうなれば物語に巻き込まれる可能性が……。





――――未だ俺は、プロトと呼ばれることに疑問はなかった。





◆◆◆◆◆





エルク。
ジーン。
ミリル。
そして俺。

俺達が白い家で過した時間はそう多くない。
互いに同じような悲劇を有したまま、笑顔を失くさないように日々を過ごしただけ。

時に喧嘩をするジーンとエルクを俺が窘め、それを聞きつけたミリルが頬を膨らませて怒る。
眠れないと駄々を捏ねるミリルに俺が絵本を読み、それを悔しく思うエルクが文字を習い、それをジーンがニヤニヤ笑う。
ミリルのことをエルクが好いているという事実をジーンが察し、それに俺が苦笑し、エルクが顔を赤くし、ミリルが首を傾げる。

仲の良い、4人だった。
しかしその友情は、俺にとってただの手段に過ぎなかった。

自分が救われるため。
自分の安全を確保するため。
生き延びるため。

前世からの経験で嘘をつくことには慣れていたこともあってか、彼ら3人の中に紛れ込むのは容易いことだった。
子供という生き物の鬱陶しさに我慢しながらも表で暗い笑顔を振りまき、ただひたすらに運命の日を待ち続ける。
子供たちの純粋な優しさに時折胸が締め付けられるようなことがあっても、俺の目的は変わらなかった。

未だクドーと名乗らず、プロトと名乗っていた頃の話。
与えられた不可解な名前を名乗ることに疑問がなかった頃の話。

俺は、とある研究員から真実を告げられた。

その真実は、俺が目を背けていた様々なことが叩きつけられる、全ての『答え』だった。
何故俺はプロトと呼ばれる。
何故俺は初期の頃から此処に居る。
俺も何かしらの異能を持った一人なのか。

アイデンティティの消滅。
根本の崩壊。
そして、開き直るきっかけでもあったのだろう。

既にエルク達を踏み台に生きることなど眼中から消え失せた。
その結果、ただ何もかも失った俺をヒトとして繋ぐものが、エルク達と紡いだ偽りの友情しかないのだと気付いた。
あまりに皮肉な、そして笑える事実。

それと同時に怒りを覚えた。
ただ一つ執着出来る彼らとの友情が、そう遠くない未来、エルクを残して完全に破壊されるのだということに。
キメラとして改造されるジーン、ミリル。
しかも二人揃ってエルクの前で非業の死を遂げると来た。

それで?
傷つきながらもエルクは立ち直って?
結局生き残ったのはエルクだけで?

ああ、ふざけている。
全くもってこの世界は、物語はふざけている。

世界の危機。
死んでいく人々。
破壊されていく環境、精霊。

そんなものどうだっていい。
ただ唯一、俺が執着出来る存在が死に行く運命など、認められるわけがない。

ジーンをヴィルマーに託したのも、別にジーンのためではない。
ミリルが救われるように動くのも、別にミリルのためではない。
エルクに救う機会を与えることも、別にエルクのためではない。

その全ては、俺がクドーとして、何かを成し遂げられたという結果を得るためのもの。

ただひたすら自分の願いのために、欲望のためだけに動く。
成程。
確かに俺は、光ある世界に生きる人間ではなく、闇に生きる魔物なのだろう。



魔物。



何のことはない。
俺とは、プロトとは。
キメラプロジェクトの前身として行われた研究で生み出された――――。

人間の女性に産ませた魔物の子だった。

単純でより力のある『合体』という手段が主流になるより前。
魔と人の混血を生み出すという実験で生まれた半人半魔。
多くの犠牲者と廃棄される胎児の中で唯一生き残った存在。

それがプロト。
故にプロト。

――――認めない。
あんな醜悪な存在と俺が同義などと。
ただ誰かを傷つけることしか脳のない、闇に蠢く者などと。

故に俺は求む。

人間である証として、ただ一つこの世界で作り上げた偽りのモノを。
迷う必要などない、甘ったるく、分かりやすい友情を。
他の何を犠牲にしてでも、あの子供達と紡いだ縁を守り抜いてやる。

ただ俺が人間だと思いこむためだけに。

人間であるが故に、何一つ生死の境を彷徨う世界に生きていなかった故に狂っていく俺の心。
人間である証を望む。人間『らしい』心を、縁を。
しかしそれを望めば望むほどに俺は生き残る術として魔を取り込み、人を殺し、世界を操ろうと画策する。
ヒトを、離れていく。

矛盾。

ただコントローラーを握り、この世界の行く末に一喜一憂していた俺はどのくらい残っているのだろうか。
いつ俺は、俺でなくなるのだろうか。
もはや親の名など覚えていない。前の世界にあったであろう友人たちの声など覚えていない。

エルク。
ジーン。
ミリル。

絶対に死なせはしない。
死んでも、守ってやる。
軽々しく死ぬなどと、この俺が許さない。






[22833] 十二
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/12/04 17:31




「どういうことよ!」

相も変わらず謀を企むにはうってつけの廃屋内で、その寂れた場所に似合わぬ青いドレスに身を包んだ美女が声を荒げた。
俺への怒りを隠すことなく、目の前に申し訳程度に存在しているテーブルを力強く叩きつける。
眼に宿るのは憤怒。常は妖艶であるだろう整った顔を歪ませる様は、否が応でもその感情を思い知らせた。

罪悪感があるかどうかすら、俺にはもう分からない。
そこに疑問を抱くことが出来るから、ひょっとすれば俺はまだ人間で居られているのかもしれない。
詮無い思考だ。

「私はっ、私は言われた通りにエルク達をっ……」
「そこに疑問を挟む余地はない。が、いつ私がすぐさま弟を解放すると約束した?」
「なっ……」
「勘違いするな。お前の要望を受ける義理などこちらにない。お前は、命知らずにもガルアーノ様の周りを嗅ぎ回った排除される者でしかない」

善などそこにはない。
俺の言葉は一字一句違わず悪が語るもので、それでも折れずに言葉を連ねようとするシャンテとの差に無意識に失笑が漏れた。
詫びも、贖罪も、裁きも、俺は求めていない。

「だが次の命令をこなせるならばあるいは」
「くっ……約束しなさい。それをこなせばアルを返してくれると」
「何度言わせるつもりだ。お前にそんな権利など……いや、権利はあるのか?」
「何ですって?」
「正当性も、権利もお前にはある。だが私達はそれを理解せぬ集団なだけだ」
「…………外道」

――――さて、もはやそんな言葉に心を迷わせるのにも飽いた。
その殺意を俺に向けるシャンテに今回の命令を事細かに説明する。
無論、その流れは本来の物語の流れを踏襲する形ではあるのだが。

ガルアーノの企みに合わせる形で彼らを誘導するには、少々のアレンジが必要だろう。
本来であればキメラ化したジーンが現れ、シャンテによってエルク達はガルアーノの館に誘われる。
無論ガルアーノなど居るわけもなく、その場でジーンが死に、贖罪と復讐にためにシャンテが勇者の一人となる。

随分と阿呆な話だ。
そもそもあの流れにおけるガルアーノの行動は、全てエルク達に対する執拗な嫌がらせによる様なものに過ぎない。
友と友を戦わせ、一人の女を道化にし、その舞台を眺める醜悪な客。
不安や絶望を煽り、闇に落そうとするその所業は闇に蠢くものに違いないとはいえ、そんなものに愉悦を求めるのは下の下、三流のすることだろう。

どちらにせよ、そんなくだらぬ趣向があるために俺が付け入る隙があるというもの。
ガルアーノの目的は、エルク達を白い家に誘き寄せること。
先日における献策にて、決戦の地へと役者を集める道を繋げることには成功している。
すなわち、こんな場所で余計な劇などおっぱじめる意味などない。
さっさとエルク達に手紙の一つでも寄こして白い家の場所でも教えてやればいいのだ。

≪つまんねェ。つまんねェぞ大将≫

心の言葉は無視。そもそも面白い面白くないで俺が動いているわけではない。
しかしある程度の舞台を整えねばならないという懸念はある。
シャンテがエルク達と共に進まねばならないという本来の流れがあるから。

白い家へと続く西アルディアのサルバ砂漠か、それともかえらずの森か。
そこを突破して白い家に来るとしても、研究所内で待ち受けるモンスターやキメラを撃退するには彼女の力がエルク達には不可欠だろう。

ガルアーノを筆頭とする下らない魔物たちの眼には止まらないであろう彼女の力。
傷を治し、魂を浄化させ、犠牲の名の下に行われる癒しの力。
その異能の方向性故にガルアーノの眼に止まらなかったシャンテ。
闇ではなく光に生きる彼女であるからこそ、エルク達にとってその存在は大きな力になるだろう。

「故に……」
「……?」
「いや、何でもない」

俺から発せられる命令を待ち、表に出ていた怒りを腹の底に収めつつあったシャンテは、俺の言葉に怪訝そうに首を傾げた。
暗がりの中でもその妙齢の美女たる美しさは損なわれない。
蝋台の光によってぼんやりと照らされるその顔に、動きに、どこかしら抱擁感を思わせる母たる影を見せるのは幻覚か。
――――これほど憎しみの瞳を向けられているというのに。

≪彼女もまた≫

ああ、分かっている。





◆◆◆◆◆





鉄を叩くような小気味よい金属音が響き渡る様に続いていく。
時に何かを削る様な音と共に鳴る、火花が散るような弾ける音。
ヒエンの修理という行程において響くこれらの音は、上階で眠るジーンやリアにとっては少々鬱陶しすぎるものであった。

といってもそんな喧しい音を度々研究のために立ててしまうヴィルマーの下で暮らす彼らには、ある程度慣れている節があった。
現にリアは未だベッドの中でクマのぬいぐるみを抱きしめながらも口元から涎を垂らしている。
黒服達の来襲という恐怖を味わっているにも拘らず、その寝顔は中々に図太いものを感じさせるのかもしれない。

無論ジーンも、とは言いたいところであったが、今現在彼は修理に汗水を流すヴィルマーを眺めながら、ぼんやりと作業机の上に腰かけていた。
ヒエンの置かれる大部屋に響く音など気にも留めず、その視線は、意識は全く違う世界に飛んでいるようにも見える。
心此処に在らず。
その隣では、ヴィルマーがヒエンの修理のために拵えた設計図とにらめっこをしながらエルクがうんうんと唸っていた。

「これでも持ち主のつもりだったんだが……さっぱりわかんねーな」

ヒエンを駆り、その操縦方法を習ってからそれなりに乗りこなしてきたはずの愛機が描かれた設計図。
所々のパーツやら何やらはなんとか理解出来ても、ヴィルマーが描いたその設計図をエルクが理解することは出来なかった。
ヴィルマーが天才なのか。それともエルクがあれなのか。

眉を顰めながら設計図と睨みあうことを諦めたエルク。
彼がヴィルマーの方に視線を向ければ、リーザが差し入れと称してサンドイッチやらコーヒーやらを手渡していた。
苦笑しつつもそれに被りつくヴィルマー。
随分とこの島に来た時に抱いた第一印象とはまるで違っている。
エルクはその姿にどことなくヒエンの世話を任せているビビガのことを重ねた。

「博士も機械オタクとかいうんじゃねーだろーなぁ?」
「…………」
「なぁ、ジーン」
「……ああ、そうだな」

別に応えなくてもいい、何でもない話のはずだった。
そのまま無視されてもそれでいいし、いつものように軽口を叩かれてもエルクに怒る気などなかった。
既に互いに消失していた記憶は戻り、空白だった5年の月日を埋める様にして言葉を交わすことだって望めたはずだった。

自分の話を聞いているのか、聞いていないのか。
生返事を返すジーンに、エルクは開きかけた口を真一文字に閉じ、再び修理作業へと戻ったヴィルマーに視線を戻した。
互いに向ける視線の先は同じだと言うのに、二人が見ているモノはまるで違う。
ただエルクに出来ることは待つことだけだった。

「…………」
「…………」

沈黙。相も変わらず沈黙。
心此処に在らずとは言うものの、ジーンの深緑の瞳には虚ろなものも失意のものも浮かんではいなかった。
ただそこにあったのは、戸惑い。
そして決意を逸らせるような焦り。

既に記憶を取り戻したジーンではあるが、彼にはこのまま島でのんびりとエルクの動向に祈りを捧げるという選択肢など存在しなかった。
幸か不幸か自分にはエルクと共に闘う力があり、救うべき縁があり、それらに負けない強固な意志すらも存在した。
ぼんやりとしている暇などない。
今すぐにヒエンの修理を手伝い、そのままアルディアに乗りこんでガルアーノの顔面に剣を叩きこんでやってもいいほどだった。

しかし、空白の5年は長過ぎた。

エルクのように戦いという血生臭いものに近い生活を常とするハンターとして生きたのではない。
平和な島の、優しい家族の下、充実した生活を堪能してきた。
しかし自分の失った過去は、この長閑な島に似合わぬ壮絶なものであり――――。

(俺は……戦えるのか?)

実力に疑問を抱くものなどいないはずだった。
エルクも、リーザも、そしてパンディットも既に仲間だと認めてくれている。
しかし、信用できない。
今まで呑気に過ごしてきた自分が、大きな組織を相手に戦い切ることが出来るのだろうか。

「……何だろうな」
「何がだ?」
「何でクドーは……俺だけを逃がしたんだろうなって」

ポツリ。
ジーンが誰に言うでもなく呟いた言葉に、エルクが聞き返した。
エルクとて悩まざるを得ない、クドーの動向。

「半人半魔って言うけどよ」
「ああ……」
「はっきり言って、知ったこっちゃないって感じだよな」
「まぁ、結局のところ、友達だからな。あいつ」

過去を否定する意味などないと、二人は理解していた。
クドーの出自がどうであれ、自分達は短い期間の中で友としての契りを結び、絶望の中で笑いながら生きてきたはずだったのだから。
今更クドーの正体を聞かされても、彼が友であるという事実には何一つ変わりはなかったのだ。

「とっくにガルアーノの下で動いてる奴がさ、俺を逃がしたってことはさ」
「ああ」
「まだ、間に合う、よな?」
「…………ああ」

否が応でもなく、縋る様な声が出てしまうジーンに、エルクは苦々しい顔をしながらも頷いた。
あいつは俺達を覚えているのだろうか。
あいつを助けることは出来るのだろうか。
あいつは、俺達に――――。

嫌な考えを遮る様にして再び鳴り始める金属音。
鉄製の工具面で顔を隠しながら火花を散らせるヴィルマーの後ろで、リーザが周りに散らばったガラクタをせっせと片づけ始めていた。
少女の力では少々おぼつかないその作業を、男二人はただぼうっとしばし眺めていた。

どれほどその光景を眺めていただろうか。
突然長い銀髪をぐしゃぐしゃと掻きまわしたジーンが、疲れたような表情を浮かべながら吐き捨てた。

「……止めた」
「は?」
「悩むのはもう止めにするってことさ」

片眉を吊り上げながら間抜けな声を出してしまったエルクを笑うように、腰かけていた作業机から飛び下りるジーン。
その顔には既に陰鬱なものなどなく、常の胡散臭いようなニヒルな笑みがあった。

「ミリルも、クドーも、何もかもが5年前で止まったままだ」
「ああ……」
「どいつもこいつも俺を蚊帳の外においたまま動いてばっかじゃんか……助けられてばっかりじゃんか」

両手を上げたままやれやれと首を振れば、茫然とするエルクに、ジーンはにやりと口元を吊り上げた。
腰に下げていた剣を鞘から抜き放ち、まるで曲芸のように一回転させ、勢いよく足元へと突き刺す。

「エルク。お前は言ったな。ミリルとの約束を果たせていないって」
「……ああ。あいつは、俺を待ってるんだ」
「なら俺は願いを叶えていない……俺たちはな、また皆で笑いあえなきゃいけないんだ」

昔を懐かしむようにして遠い視線を虚空に向け、その記憶の中にある言葉の真意を思い出し、ジーンは少しばかりその表情に影を浮かべた。
悲しそうな顔でその言葉を告げたクドーは、このことを予期していたのか。
散り散りになって記憶を失うことを恐れていたのか。
――――それすらも、ジーンは知らない。だから。

「確かめなきゃいけない。何もかもを、だ」
「……そうだな」
「ミリルがピンチだって言うんなら助ける。クドーが苦しんでいるってんなら救う」
「ああ!」

既に悩むことすら愚かなことであった。
悩んでも、悩んでも、悩んでも。
常に救われ、何も分からぬままにあの白い家を後にしたジーンが知るものは少ない。
自分もまた、因果を持つ者だというのに。

「仲間外れっていうのは気に食わないな、俺」
「……助けたい、って言えばいいのに」
「ハッ! どっちにしろ約束したじゃないか、俺たちは」

ジト目を向けられたジーンが思い出した一つの誓い。
ミリルが好きだと知られて顔を赤くするエルクを前に男三人で交わした幼き誓い。
女の子を助けるのは男の子で、男の子が交わした友情は変わらないのだと。

「友達は、助けなくっちゃな?」
「勿論だ」

もはや迷いなどない。
未だ戦いに向ける迷いも、不安も、友と一緒ならば、エルクと一緒ならば乗り越えられる。
その風を阻むものなど何一つありはしない。

「よろしく頼む、エルク」
「こっちこそ、ジーン」

ようやくにして、二人が揃う。
照れくさいものをどこかで感じながらもがっちりと交わした握手に、エルクとジーンは力強く頷いた。
記憶を失い、まどろみの中に生きてきた者が、未来への輪郭を取り戻し始めた瞬間だった。






「ヤゴス島出るっつーのも……リアにどう言い訳すりゃいいと思う?」
「別に普通に言えばいいだろ」
「あいつお兄ちゃんっ子だからなぁ……もし泣かれたら一緒に行くって話は無しな?」
「うへぇ……シスコンかよ」








[22833] 十三
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2010/12/07 23:48




けたたましく響き渡る風切り音とエンジンの唸り声。
ヴィルマーの突貫修理の甲斐もあってか、エルク達の頭上でプロペラを回すヒエンには傷一つない新品そのものの姿を披露していた。
南国然りの快晴と暖かい風を受けてエンジンを回すその姿は、本体に描かれたペイントのせいもあってか、随分と勇ましい。

そんなヒエンの前にエルク達は集まっていた。
見送る形でそれを見上げるヴィルマーと、少しだけ瞳に涙を浮かべたリア。
やはりというべきかその泣き顔を見せられると、既に運転席の隣に座っているジーンの心は痛んでしまう。
せめて自分だけは清々しい笑顔を向けてやろうと思うジーンであったが、常日頃浮かべているニヒルな笑みも今日ばかりは出来そうもなかった。

「ジーン!」
「心配すんな、爺さん! 絶対帰ってくる!」

既に回っているエンジン音のせいでか、ヴィルマーとジーンの交わす声も自然と大きくなった。
耳にズシンと残る重低音のエンジンの向こう側で、互いの耳に残る決意の言葉。
どことなくヴィルマーは一度だけ心配そうな表情を浮かべ、やがてフッと笑ってジーンを見上げた。

「リア! お兄ちゃんな! ちょっと友達助けてくる!」
「うぅ~……」
「後でそいつらにも紹介してやるんだぜ! 俺の妹は世界一かわいい女の子だってな!」
「ホント!?」
「約束だ! そいつらも全部助けて! 俺もここに戻ってきて! また一緒に遊ぼう!」

ジーンの浮かべたそれは軽薄そうなそれではない。
何一つ混じり気のない純粋な笑顔。
優しく、勇ましく、清々しいほどに。
その女性とも見えるほどに整った顔に映えるそれに、リアもまた太陽のような笑顔で頷いた。

笑顔ばかり。
これよりジーンが向かうのは、失った過去を取り戻すための戦い。
一筋縄ではいかず、既に悲劇の陰りを見せている厳しい戦い。
それでも彼らの顔に悲観めいたものは何一つない。

「爺さん! リアを頼むっ!」
「勿論じゃ! 一段落したら必ず戻ってこい! ただ待ってるだけはワシの柄じゃないんでな!」

一体何を企んでいるのか。
エルクの操作によってゆっくりと浮かびあがったヒエンの下で、ヴィルマーは何やらかけていた眼鏡を光らせるような『マッド』めいたものを見せた。
ジーンが連想したのは昨日のヴィルマーが行っていた作業の一場面。
『ポンコツ』なはずのアレをにやにやしながら弄くっているヴィルマーの姿だった。

「おい、ジーン。博士のアレ、何だ。なんかこえーぞ」
「何だか最初話した時と比べると、ヴィルマーさん、何だか楽しそうだよね」
「ははは。今は気にしなくていいさ」

若干冷や汗のようなものを額に浮かべたエルクとリーザに、苦笑いで返すジーン。
既に眼下で見送ってくれるヴィルマーとリアの姿は豆粒のように小さくなり、徐々にヤゴス島の全体も見られるほどに離れていた。
記憶を失ってから一度も出ることがなかった小さな世界。
ただ平和を享受し、悲しい過去から逃げ続けた閉じた楽園。

「…………」
「名残惜しい?」
「まさか。すぐに帰ってこれるさ。絶対に、な」

リーザの問いかけにジーンはやはり満面の笑みを返し、胸を張るのだった。





◆◆◆◆◆





東アルディアという大陸において主要な街として挙げられるのは、大体にしてプロディアスとインディゴスの二都市だろうか。
魔物という存在が人間の営みに近しい所に存在するこの世界では、小さな集合体を作ったところですぐにそういった『人間の敵』に滅ぼされるのが常だろう。
故に街自体はプロディアスを見て分かるように巨大ではあるが、数自体はそう多いわけではないのである。

アルディア飛行場、ガルアーノ市長によるロマリアとの貿易、ハンターズギルド発足の都市。
様々な要因が重なり合って大きくなったプロディアスと比べれば、インディゴスはどうしてもその華やかさに差が出てしまう。
少ない街灯。道行く人々の少なさ。道路上を飛ばされる新聞紙。寂れたアパート群。
プロディアスとインディゴス。
その差は往々にして貧富の差というものがあるのだろう。

といっても別段日々の暮らしをひもじく過ごしているわけでもなく、都市間における貧富の差など気にすることでもない。
他大陸のそれらと比べれば、アルディアという国自体がそれなりに恵まれている国なのであり、世界的にも発展している国なのである。
無論、軍事国家として暴走めいたものを続けるロマリアとは比べ物にならないのだが。

「おおー……おおー……」

そんなアルディアという国から見れば寂れているはずのインディゴスの街に、頻りに視線を彷徨わせる『お上りさん』の姿があった。
銀色の髪を都会の汚れた空気に靡かせ、どこかで見たような枯れ草色の外套を羽織った美系の男子。
その銀髪の少年の後ろでは、ややうんざりしたような表情を浮かべたもう一人の少年がぶつぶつと文句を垂らしながらついてきていた。

「おおっ? ……おおー」
「…………ちっ」

我慢できずに舌打ちを鳴らしてしまったのはエルク。
眼に入るもの全てに好奇心を抱き、しきりに感嘆の言葉を漏らしているのはジーンだった。

仕方がない話なのかもしれない。
何せジーンの記憶の始まりはあの殺風景な白い家なのであり、それから先は文明の利器が少なすぎる孤島で培われたもの。
研究者であるヴィルマーという父の下で暮らしているせいもあってか、他の島民よりはそういった文明に触れる機会はあっても、所詮は知識。
実際にその目で見、その手で触れ、その世界に身を置いた経験はない。

故にこうやって田舎者丸出しでインディゴスの街を歩き回ってしまうのも仕方がないことなのだろう。
それに付き合わされているエルクにとってはたまったものではないが。
人の視線が多いプロディアスではなく、外に出ている住民も少ないインディゴスだったことが唯一の救いだった。

「ん? 何やってんだ、あれ」
「……また宝石泥棒でも入ったんじゃねーのか? あの店、よく狙われてんだよ」

そんなジーンがショーウィンドウの並ぶ店を指させば、そこには何やら仰々しい警官やらテープやらが張られた『いかにも』な光景があった。
インディゴスに唯一存在する宝石店故か、エルクの言う通りにその店はとにかく金目の物を狙う泥棒に付け狙われている。
ハンターであるエルクも何度かその防衛の依頼を受けたことがあるのだが……。

ごたごたとしているその有様を見るなり、エルクは深く深くため息をついた。
確かにハンターとしては金を稼げる絶好のチャンスというかカモではあるのだが、こうも何度も何度も被害にあっては呆れてしまう。
ネックレスや指輪やらで着飾った眼に痛い店長が、甲高い声を上げながらギルドの受付で喚き散らしている光景すらエルクは連想出来た。

「泥棒ねぇ」
「あれか、やっぱあんな小さな島で悪さを企む奴なんていないか?」
「いやいや、たまーに食い物を盗もうとする奴はいたけど、ちょっとのお叱りと罰を受けてはいおしまいって感じだった」
「……ハンターも必要なさそうだな」

平和ボケと言っていいのか悪いのか。
ジーンの言葉に何とも言えない様を感じ取ったエルクは、ただぼんやりと未だに警官たちでごった返している宝石店の入り口を眺めていた。
と、しばしジーンと揃って見ていれば、その宝石店より草臥れた土色のコートを着た中年の男が焦燥した面持ちで出てきた。

「げっ、あれは……」
「知り合いか?」

その姿に眉を顰めたのはエルク。
当然のようにジーンは首を傾げるだけだったが、その中年の男も此方に気付いたのか、しかめっ面を浮かべていた。
互いに苦虫を噛み潰したような、不倶戴天の敵を見つけた様な。
やがてのしのしと此方へ近づいてくる中年の男に、エルクは分かりやすいまでの嫌悪感と共にやれやれと頭を振った。

「戻っていたのか、炎使い」
「戻ってきちゃ悪いか」
「フン……貴様のようなゴロツキなどいない方がマシだ」

開口一番に吐いた言葉は互いに痛烈。
宝石店から出てきたという事は警察関係のものであるということはジーンにも理解出来たが、その物言いは少々その職業に似つかわしくない。
エルクのことだ、どうせ生意気の一つでも言ったんだろうななどとジーンは一人で結論付けた。

「リゼッティ警部。こう何度も宝石泥棒に出し抜かれるってのもどうなんだろうな?」
「きちんとした捜査や捕獲を念頭に置かず、好き勝手力づくで解決しようとするお前らが蔓延るからこうなるというのがわからんのか」
「おいおい、自分達の『怠慢』を俺たちのせいにしてもらっちゃ困る」
「……くだらん言葉ばかり覚えおって」

エルクの言葉に、リゼッティと呼ばれた男はそのいかつい顔をさらに顰め、しばしの間二人は睨みあっていた。
事情を知らないジーンは蚊帳の外。
知らないとは言うものの、なんだか二人は似たもの同士なような気がしてならないジーンだった。

「あー、リゼッティ警部でしたっけ?」
「……エルク。こいつは?」
「知り合いのジーンだ。言っとくがハンターじゃねーからな?」
「フン。貴様の知り合いなど碌な奴じゃないんだろうな?」
「何だと?」
「あーもー! 煽らない煽らない。あとエルク。知り合いなんて言わずに友達って言ってくれなきゃ泣いちまうぜ?」

なんとか場を和まそうと少しだけわざとらしく笑ってみれば、エルクはジーンの言葉に少しだけ恥ずかしそうにしたままそっぽを向いてしまった。
別に友達などと言って紹介することくらい何のことでもないはずなのだが、彼にとっては中々に困難なことらしい。
少年らしいその反応にリゼッティも毒気を抜かれたのか、自分を落ち着かせるように一度息を吐き、ジーンを真正面から捉えた。

「で、何かね?」
「いや、宝石泥棒っていうにはちょっと物々しすぎやしませんかね? 何だか汚れた空気の中に血の匂いも混じってるんですが」
「……おいエルク。こいつも一般人じゃないな?」
「ノーコメントだ。どっちにしろアンタらの世話になるようなことじゃねーよ」

文明の、純粋な自然に長く囲まれて生きてきたジーンにとっては、別段そこまで言われるようなことではない。
風の精霊に愛された異能を以って白い家へと連れ去られた彼には、街中を流れる風の中に鉄錆びた血生臭いものが紛れていることに気付いていた。
文明の進んだ都市へと来たせいで、やや嗅覚が過敏になっている具合もあるのだが。
もしもパンディットがここに居れば、すぐにこの異変に気が付くだろう。

「あ、でも宝石泥棒って言うからにはナイフとか持ってる強盗紛いだったり?」
「エルク。お前らがここに戻ってきて何日目だ」
「一々俺に話を振るなよ……今日戻ってきたばっかりだ」
「ふむ……」

軽めの調子で質問していくジーンだったが、それに対してリゼッティは次第にその顔色を険しいものへと変えていく。
エルクの投げ遣りな答えを聞いた時には、既に顔つきは警部のそれに戻っていた。
しばし顎をなぞりながら思案していたリゼッティは、その鋭い瞳を湛えた表情のまま話し始めた。

「ここ最近アルディアでは『血溜まり』という名の殺人鬼が暴れ回っている」
「血溜まり?」
「床一面に被害者の血をぶちまけることからそう名づけられただけでな。未だその姿も顔も見た奴がいない、のだが」
「……こわー。もしかして其処の宝石店でとうとう捕まったとかそういう話で?」
「いや」

どことなく怒りを腹に溜めた様な低い声を絞り出したリゼッティに、エルクは職業柄聞き耳を立てる他なかった。
そんなあざといエルクの様子など気にかけることなく、リゼッティは続々とその詳細を話し始めて行く。
彼ら警察側も捜査の手詰まりというものを感じているのかもしれない。

「今まで顔も見せなかった奴が、堂々白昼の店内に押し入り、強盗を企てることもなく、一人の客を殺害した」
「模倣犯、ってわけじゃねーな」
「ナイフでその客の心臓を一刺し。魔法か何かは知らんが、それと同時に身体の内側から爆発するようにその身体が破裂したらしい」
「うわぁ……」

その有様を連想してか、ジーンは声を漏らした。
戦闘事に慣れているとはいえ、さすがにそのような猟奇的な光景には慣れているはずもない。

「しかも血溜まりはその他の客に向けてこのインディゴスにしばらく滞在すると抜かしやがった」
「……それでアンタらが躍起になってんのか」
「今は目撃者たちにも口止めさせているが……街を見ただろう? もうすっかりゴーストタウンだ」
「前からこんなもんじゃなかったか? インディゴスって」

久々に戻ってきたエルクの感覚が鈍ったのか、ジーンの田舎者丸出しの様子が流されるこの街の雰囲気は、常のものではなかった。
多くの目撃者に見られた故か、人の口に戸を立てられるわけもなく、インディゴスの人々はその話を怖がって引き籠ってしまっている。
ともすればリゼッティの機嫌の悪さも当然の話なのだろう。
その機嫌の悪さとエルクとの仲の悪さが関係しているかどうかは別だが。

「外套や衣服の下に見えた素肌をくすんだ包帯に包んだ異常者だ。火傷なのかは知らんが、今頃ハンターの手配書にも似顔絵は描かれているだろう」
「アンタにしては珍しいな。俺にそんなことを教えるなんて」
「…………」

エルクの言葉にしばしリゼッティは押し黙ってしまう。
そんな彼の様子に、ジーンは余計なことを言わなければいいのに、などとエルクのわき腹を小突いていた。
そしてやがて怒りを噛み殺したようにしてリゼッティはゆっくりと口を開いた。

「俺はな、インディゴスだろうがプロディアスだろうが、あんな殺人鬼が存在するなど許せん。警部という立場を差し引いてもな」
「…………」
「だが既に何人も殺している殺人鬼に真正面から挑み、部下を捨てる様な愚行に走るほど青臭いつもりもない」
「だからハンターの力を借りるってか?」

エルクは腕組みをしたままに聞き返す。
相変わらず此方に滲み出ている様なリゼッティの嫌悪感を感じているエルクだったが、何故か搾り取るように言葉を連ねる彼を悪くないとも思えていた。

「……平和を守るためなら手段は問わん。そういうことだ」
「口止めとか言ってるわりに俺らにペラペラ喋ってたのはそういうことか」
「……好きに捉えるといい」

その言葉を最後に、リゼッティは二人に背を向けたまま再び宝石店の中へと帰っていってしまっていた。
相も変わらず汚れた風が流れるインディゴスの一角に取り残された二人は、何とも言えないような感覚に陥り、顔を見合した。

「……都会って物騒だな」
「ポンコツを掘りにモンスターの巣に向かう研究者よりはマシだと思うけどな」
「ははは……で、どうすんの?」

苦笑いを浮かべたままのジーンに聞かれたエルクは、しばし悩むようにした唸った。
そもそも彼らが此処に戻ってきた目的とはまるで関係のない話だ。
確かにハンターとして、ヒトとしてそういった問題を解決したいという心はエルクにも、ハンターでないジーンにもある。
しかしそれに時間を割く余裕が彼らにあるかと言われれば微妙な話なのであって。

そもそも実際の話、これからどのようにして動くのかエルク達は相談すらしていなかった。
今、ジーンとこの街をぶらついているのも、作戦会議という名の夕食の準備をすべく食料の買い出しに来ているだけなのだ。
今頃彼らのアジトであるシュウのアパートでは、エプロンをしたリーザが腕まくりをしたまま今か今かと食材の到着を待っているだろう。

「大体やることっていったらガルアーノの居場所と、シュウ、だっけか?」
「ああ。とにかく情報を集めなきゃな……こういうことはシュウに任せたんだけどな」
「お前、そういう細かいとこ下手そうだもんなぁ」
「うるせー」

宝石店を横目に本来の目的を果たすべき食料品店へと足を向けた二人。
ズンズンとジーンを放っておきながら歩いていくエルクと、それを慌てて追うジーン。
ゴーストタウン化してしまっているインディゴスの雰囲気に似使わぬ、何とも和やかな空気。

しかしその一部始終を路地裏の影から見詰める一つの人影があったことに、二人は気が付かない。
やがてその影は路地裏の奥へと消えて行く。
路地裏に似合わぬ、深く鮮やかな蒼の影だった。






[22833] 十四
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/14 19:15




インディゴスの街中でリゼッティ警部に遭遇し、そのまま買い出しを終えたジーンとエルク。
見るものすべてが真新しいジーンの好奇心に煽られたせいか、拠点であるシュウのアパートに着いたエルクの表情は何やら焦燥染みたものが浮かんでいた。
どさりと重たげに下ろした買い物袋から転がる果物やら野菜やら。
フローリングを転がるそれを半眼で辿れば、その先にはエプロンをしたリーザがぱたぱたとこちらに駆け寄ってきていた。

「おかえり」
「ああ、今戻った」
「お、その格好似合ってんぜー、リーザ」

自分の苦労も知らずにそんなことをのたまうジーンに、エルクがイラッとしてしまうのも仕方がないのかもしれない。
顔を赤くして照れるリーザと一人盛り上がるジーンのやり取りから視線を外せば、部屋の入口で番犬の如く丸くなっていたのはパンディット。
尻尾を左右に揺らしてのんびりとする有様を見やれば、エルクの頭には自分のアパートに預けた『茶太郎』のことが浮かんだ。

(そういえばビビガの奴にヒエンのこと何にも言ってねーな)

勿論ヤゴス島からアルディアにはヒエンに乗ってきたのだが、それをビビガには伝えていない。
あの高台にあるヒエン置き場に機体を置いてきたのだが、それを報告する為にプロディアスに近づくのは少々危険な選択だろう。
ガルアーノと本格的に争い始めた現状で人の眼に映るようなことは避けたいエルクの考えだった。

(ま、そのうち勝手に気付くだろ)

などと都合のいいことを並べてみても、実のところエルクはビビガのことなど忘れていただけに過ぎなかった。
ビビガよりも、ハンターの仕事において成り行きで預かったペットの犬が先に思い出すあたり、彼の扱いが分かる。
所詮エルクにとって機械貪りが大好きなおっさんの一人に過ぎないビビガだった。

「おい、エルク! 聞いてんのか?」
「ん、わりぃ。ちょっと考え事してた。で?」
「いや、リーザのことだよ。どーよ。あのエプロン姿」

ジーンが馴れ馴れしくエルクの肩に手を掛け、指を指した方を見れば、エプロン姿のリーザが買い物袋を抱えながらキッチンの方へと消えていった。
同世代の少女だというのに、その後姿だけでもやけに家庭染みた雰囲気を漂わせる彼女に、エルクはしばし見とれてしまった。

おそらくは元々住んでいた村特有の民族的な衣装。
肩から背中にかけてかなりの露出を含んだ衣服だと言うのに、リーザが着込むそれはどことなく清楚なものを感じさせる。
金糸のような長い髪を後ろで結び歩くごとに優雅に揺らし笑顔を浮かべれば、どことなく聖母のようにも見えるのだろう。

「…………」
「なんだろーなー。俺達と同世代とは思えねーよなぁ。包容力っつーかなんつーか。リアもああいう風になってくんねーかなー」

ただ見とれるエルクと、何やら妄想を膨らませながら虚空を見つめるジーン。
容姿で言えば女性にも引けを取らぬものを持っているというのに、ジーンの言動はどことなくアレだった。
そんなジーンの言動と違って、どことなく『本気の様子』が見て取れるエルク。
横で呆けるエルクの姿に、ジーンはにやりと笑った。

「エルクー! ジーンー! 嫌いなものとかあるー?」
「もうリーザの作る物だったら何でも食える! ……ってエルクが言ってる」
「なっ、てめぇ! 何でたらめ言ってんだ!」

キッチンの奥から聞こえてくるリーザの声に、ジーンは嬉々として出鱈目を答えてみせた。
茫然としていた割には、ジーンの言葉にすぐさま痛恨の一撃を腹に入れるエルク。
おぉぅと唸ってその場に蹲るジーンを見下ろして、エルクは慌てたようにリーザへ訂正を申し入れるのだった。

「あ、あれだっ! ニンジン食えねぇ!」

その訂正も情けなかった。





◆◆◆◆◆





結局のところ彼らの晩御飯は当たり障りのないカレーライスに決まっていた。
どうにもニンジンの抜けたカレーは味気ない。
といっても料理好きなリーザが作るそれに、エルクもジーンも満足に舌づつみを
打っていた。

そんなこんなで腹ごしらえも済み、これからどうしようかとテーブルを囲んで話しあう三人。
食事時の団欒にはない真剣な表情が揃っていた。

「で、どーすんのよ。正直な話ガルアーノって言われても俺にはピンとこなくてね」
「東アルディアを治める首都プロディアス市長ってのが表向きの肩書きだ」
「式典の時に遠巻きに見えたよね……なんかいかにも怖そうで、その、えーと」
「マフィア?」
「そんな、感じかな?」
「ま、悪者ってわけね」
 
頷いていいのかどうか分らないエルクの例えにリーザが苦笑い、ジーンが単純に眉を顰めた。
マフィアとは簡単に言ってみたものの、エルクの中ではそんな甘いものではないことを痛感している。
ハンターの仕事で稀に見掛けるギャングやマフィア程度では、比較することすら馬鹿馬鹿しい話だった。

「とりあえず俺達の目的は……」
「どした?」
「??」

兎に角自分達の目的を明確にすべきだと思い、それらを口に出そうとした手前、エルクは口を開けたまま固まってしまった。
当然のようにその様子に首を傾げる二人。
エルクの深紅の瞳に映っていたのは、まだ幼げな表情を残して此方を見つめるリーザだった。

――――果たして、彼女を巻き込んでいいのか。
唐突にエルクの脳裏に走った声は、自らのものだった。

本当に今更の話であった。
空港ハイジャック事件からほとんど成り行きのように共にいるリーザ。
半月ほどを共に過ごし、互いに背中を預けていたパートナー。

ハンターとして生活し始め、炎使いとして戦い始めたエルクの横には誰もいなかったはずだった。
遠くぼやけて見えていた過去の記憶。孤高を好む自らの性格。闘いの日々。
シュウという保護者はいたものの、彼を隣にしていたのは一年か、二年か。
兎にも角にもエルクは一人でいることが多かった。

冷めているとも、言えた。

今にしてエルクは思う。
他のハンターと連携することもなく、ただひたすらに炎使いとして名を轟かせたのは一種の逃避だった。
失った記憶の果てで抱えた、『誰かを守ること』への拒否感。
ミリルを守れなかったことに苛まれる罪の記憶。恐れ。

一人であれば何も失うものはないという逃避。
そんな無意識の恐れの中で見たあの飛行場での光景は、全ての始まりだった。


――――私……そっちに行きます――――


幾人の黒服とナイフを構えた包帯男を前にして儚げに笑ったリーザが、ミリルとダブった。
一気に湧き立つ身体中の血と、その時は理由の分からぬ激情と震えを覚え、エルクは吼えた。

あれこそが全ての始まり。
無意識に抱いていた誰かを守る恐れを打ち砕き、踏み込むことを覚えた日。

それを考えれば、エルクがリーザを疎んじる理由は何一つ存在しなかった。
何より目の前で助けを求める者を見捨てる選択肢など、元々エルクには存在しない。
感謝している。単純に言えばエルクこそがそれをリーザに感じていた。

「ねえ、エルク? どうしたの?」
「おーい、エルクさんやー……リーザ、デコピンやっちまえよ」
「ええっ? い、いいよ……」

目の前で呑気な会話を続ける二人を見ても、エルクの中に湧いて出た疑問は留まることを知らなかった。
ジーンならば分かる。そもそもにして互いにミリルとクドーを救うことを決心した仲だ。
ならばリーザはどうなのか。
パンディットという魔獣を操る異能を持っていたとしても、本来は戦いを好む人間でも、得意な人間でもない。

リーザを守るために黒服の男達を追い、その果てで自らの記憶を取り戻し、為すべき誓いを思い出した。
今、自分達がやっていることはリーザを守る戦いではない。
――――リーザを巻き込んでいい戦いじゃあない。

やがてうんざりとした顔を浮かべながら徐々にエルクの顔に手を伸ばすジーン。
その途中でエルクはゆっくりと口を開き、半ばジーンを無視する形でリーザの方を向いた。

「あの、よ。リーザ」
「なぁに?」
「えっとだな……」
「…………」

しかしエルクには話すべき言葉が見つからなかった。
相変わらずガルアーノに狙われているのは自分達だけではない。
リーザを守るためにも共にいなければならない。
しかし、今から自分達は危険な敵の縄張りにまで手を出さなければいけない。

瞳を絞り苦しそうに顔を歪めたエルクに、ジーンも空気を呼んで伸ばし掛けた手を下ろした。
しばし続く沈黙の中。
意を決したようにして口を開いたのはリーザだった。

「戦うから」
「リーザ」

琥珀色の瞳の奥にあるそれは、エルクのものともジーンのものとも変わらない決意のそれ。
揺らぐことのないその瞳で射抜かれたエルクは、ただ口をつぐむしか出来なかった。

「今度は、私が助けるから」

ただその一言にどれだけの思いが込められているのだろうか。
いつもの幼げで優しい表情を残しつつも、リーザはその瞳をエルクから逸らさなかった。

「私もね。ちゃんとあるんだよ? 戦い理由」
「……そうか」
「大丈夫。パンディットもいるし、ジーンも、エルクだっている」

ただにこりと笑ったリーザが、少しだけ震えていたエルクの手を包み、力強く言葉を連ねた。

「一人じゃ、ないから」

その隣でふふんと鼻を鳴らして胸を張るジーン。
どことなく馬鹿にしたような感じのするそれに、エルクはいつもの調子を戻しつつ一つ息を吐き、思い知らされるのだ。

(また、救われた)

しかし、それがどこまでも心地良かった。





◆◆◆◆◆





ようやくにして今後の動きについて話し始めた三人であったが、彼らが必要としたのはやはり情報であった。
エルク達がしなければいけないことと言えば、勿論白い家への侵入であるが、まずは場所を知る人物と接触しなければならない。
それに忘れてはいけないのがシュウの行方だ。

「生きてるとしてもさー、何で表に出てこねーの? そのシュウって人」
「多分行方不明を利用して情報を集めてると思うんだが……」
「ギルドに行って依頼してみる?」
「……ハンターが人探しでギルドに、か」
「別にいいんじゃねーの? むしろハンターの仕事に興味津々な感じです。はい」

どこか楽観的なジーンに半眼を向けつつも、ギルドに向かうのはある意味有効だともエルクは思えた。
情報を集めると言えばハンターズギルドは有用であるし、同じハンターであれば誰かがシュウの行方を知っているかもしれない。
そして何しろ。

「金も稼がないとな」
「世知辛いね」
「世知辛いなー」

はぁ、とため息の重なった三人の後ろ。
夕食に出された餌の入っていた皿を舐めていたパンディットが、ふと顔を上げた。
パンディットが顔を向けた先は部屋の入口。
それに気付いたエルクが早々に立ちあがり、玄関口の壁際に身体を寄せた。

「神経質すぎねぇ?」
「一応俺たちは追われてるんだ。用心に越したことねーだろ」
「…………」

その言葉を受けてごくりと喉を鳴らしたのはリーザ。
続いてジーンは部屋にあるソファーに眼を向け、そこに立て掛かっている自分のナイフを視界に入れた。

やがて聞こえてくる誰かの足音。
エルク側が用心しているというのに、その足音は忍び足を感じさせるようなものではない普通のもの。
パンディットも別段唸り声を上げる様な事はしなかった。

しかしその足音の人物が目的にしているのは、どうやらこの部屋に間違いないようだった。
エルクの構えるドアを挟んだ向こう側に止まり、軽くドアの鳴る音が響いた。

「誰だ?」
「ホントに戻ってきてたのね」

短いエルクの問いかけに返って来たのは、どことなく妖艶な響きを持ち合わせた女性のもの。
その声の正体に気付いたのはリーザだった。

「もしかして……シャンテさん?」
「その声はリーザね? というか開けてよ。一応あれからいなくなったあなたたちのことを探してたっていうのに」

どことなく疲れたような様子を感じさせるシャンテの声に、エルクはゆっくりとそのドアを開けた。
そこにいたのは前と変わらず豪華な青のドレスに身を包んだシャンテの姿。
エルク、リーザと姿をきちんと確認して微笑めば、その先にいた見知らぬ一人に首を傾げた。
つまりはジーン。
そしてジーンもまたシャンテの姿を見ながら大きく息を吐いた。

「あら、美少年」
「すっげー美人」

あからさまに鼻を伸ばしたまま呟くジーンとどことなく怪しく笑うシャンテ。
先ほどまで用心に神経を尖らせていたエルクとリーザは、一気に脱力せざるを得なかった。






[22833] 十五
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/18 20:00



ガルアーノの屋敷にて俺に宛がわれた一室で、ただ黙々と書類に目を通していく。
自分の身体に関するレポート。キメラ強化された部下達の統括。これから行われる作戦の概要。
ファイルに綴じられた多岐にわたる書類を捲っていけば、俺の眼に止まる草案が一つあった。
といってもそれは前々からガルアーノ本人に提案されている案件である。

それは俺の身体をさらに機械化させるという試み。
元々キメラとしては極限まで強化され、今現在も命をストックすべく様々な魔を取りこんでいるこの身体。
はっきりいってしまえば機械の入り込む余地はないようなものである。
こんな状態でさらに身体を改造すれば一体どうなるのか。

(……まぁ、いい結果にはならないだろうな)

パチパチと明りが点滅する蛍光灯に視線を上げ、少しだけ気だるくなった首筋を伸ばす。
スペック上では不死を誇る身体だというのに、ただの人間だった頃の記憶が疲れというものを感じさせる。
所詮気分的なものだった。

どちらにせよガルアーノが何故俺にこの案を出してきたのかは容易に想像できた。
確かに俺は奴の望みを須らく叶え、さらにその右腕として十分な結果と信頼を得てきている。
しかしガルアーノは満足しない。するわけもない。

さらなる結果を望むその姿は、欲望の尽きぬ人間のようだった。
ガルアーノが元々魔族に連なる者なのか。それともキメラに影響されて堕ちた人間だったのか。
なんとなく他の四天王からの評価を見るに、後者の様な気がしてならない。

興味のない話ではあるが。

兎にも角にもガルアーノの提案を突っぱねるか、それとも一連の望みを託して受け入れるか。
俺の身体が壊れるから、などと言ったところで奴は納得などしないだろう。
説得するのならば、はっきりとメリットとデメリットを提示した上で納得させなければいけない。
貴重な配下であるだろう俺にそんな綱渡りをさせるのは……まあ、エルクやミリルがようやく手に入るだろうという事実に興奮気味なのだろう。

――――それとも、彼らが手に入れば俺は用済みか?

その考えに至れば、無意識に俺の顔が凶悪に歪むのを感じた。
声を出さぬように肩を震わせて笑い、手に持ったファイルがしきりに揺れた。
どこまでも楽観的な奴だと笑い飛ばしたくなる感情に囚われる。

宝物を前にしてはしゃぐのはガルアーノも俺も同じだった。
執着していたものが成就される瞬間を待ち侘び、高笑いの準備をしているかのように唇を舐める。
俺は、俺たちは、この世の全てが自分の思い通りになると信じている。
数多の失敗を経験し、数えきれぬ挫折を思い知りながら自分自身を盲信している

阿呆と呼べばいいのか、小悪党と呼べばいいのか。
ファイルの中に綴じられているエルクに関連する情報を纏めながら、俺はやがて機械的にそれらを眺め始めた。





◆◆◆◆◆





エルクを取り巻く物語の流れは様々な変化を伴いながらも、ある程度は本来のそれと同じく流れているといっていいだろう。
ジーンが彼らと共にアルディアへとやってきた事実に、胸を弾ませたり微妙な気持ちになったりとはしたものの特に変更はない。
ジーンが戦う理由もエルクのそれと同じなのだろうか。

そこらに廃棄されたガラクタの間を縫うようにして崩れかけたビルの中を進む。
明かりとなるのは煌々と照る夜空に浮かぶ月だけ。
いくら廃墟とはいえ多少は切れかけた街灯でもないのかとも思ったが、そんなものはこの廃墟の街に存在しない。
ここはいつも通り血と鉄の匂いを漂わせたままだった。

≪我らの為すことは全て神によって認められているのである!≫
≪……何だそれは≫
≪ピエール・べロニカの真似。旦那の記憶じゃあこんなことを言ってなかったか?≫
≪くだらん≫

内で響く声に耳を傾けながら、その話題の本人に会うべく周りを探る。
部下から回された情報とシャンテからリークされた話を聞けば、この廃墟の街にエルク達が来るのは確定済みだろう。
エルクがとある依頼をハンターズギルドで受けたというのも既に確認出来ている。

廃墟の街で邪教を広める宣教師となったピエールと、それをいぶかしんだ依頼人の依頼を受けて此処にくるエルク一行。
他に誰の目も入らない場所で俺と彼らが接触するには、この廃墟の街はこれ以上ない場所だった。
ここならば他の邪魔は入らない。

やがて辿り着いたビルの一室。
盛大にひび割れたガラス窓から大通りを見下ろせば、確かにそこには7、8人の妙な集団と、それと相対する三人と一匹の姿があった。
エルク、リーザ、パンディット……そしてジーン。

穴が開かんがばかりに眼を広げ、その姿を瞳に映す。
エルクと似たような衣装を黒く染めた、どちらかというとシュウ寄りの格好をした少年の姿。
どこまでも目立つ銀色の髪が風に靡き、そこから垣間見られる顔は絶世の美少年とも言うべきそれ。
ただ記憶の中に残っているあの幼い少年の影を少しばかり残しつつ、あの銀の髪だけは変わっていない。

どんな声を上げるのだろうか。
どんな心を持っているのだろうか。
……あの頃のようにニヒルに笑ってくれるのだろうか。

出ないはずの涙が出そうになり、しばし自分の為すべきことなど忘れてその姿だけを茫然と眺めていた。
やがて始まる彼らの戦闘も、ただひたすらに俺は眺めていた。
エルクの槍裁き、舞うように切りつけるジーンの剣舞をただ……眺めていた。

≪……やりやがる≫
≪主よ。シュウの時もそうだったが、単独では手加減のしようもないぞ?≫
≪来たりて≫

それぞれの声に引き戻されるようにはっとすれば、既に眼下で行われている戦闘はエルク達の圧勝に終わっていた。
なにやらへこへこと頭を下げる宣教師たちと、その取り巻き。
どことなくうんざりしたような表情を浮かべるエルクと、その様子をげらげら笑っているジーン。

――――ジーン、そのような人間だっただろうか。

ふと浮かんだ疑問など即座にどこか遠くに投げ飛ばし、俺は胸元に装着された真っ黒な刀身のナイフに手を掛けた。
そして一声、心の内へ吐き捨てる様に命じた。

「シャドウ、アヌビス。出番だ」
≪ケケケッ、久々に身体を動かせるゼ≫
≪御意≫

俺の足元から真っ黒の霧が流れるようにして滲み、やがて影とも呼ばれるほどに色を濃くしたそれは、魔物の形を取り始めた。
霊魂のように影そのものを宙に浮かべ、両手に鋭い刀身を光らせる魔物、『ブラックレイス』。
黄金のフレイルを手に持ち、その顔を犬のような面で覆った人型の魔物、『ウルフアンデッド』。

双方共に自ら勝手に名乗り出した名を呼べば、どちらも嬉々として身体を震わせた。
シャドウはただ単に戦いを味わえるからか、アヌビスはエルク達に興味を持っているからか。
どちらにしても俺の命令通りに動くのならば問題はない。

「シャドウ。もしも余計なことを口走れば即座に喰い消してやる。いいな?」
「ケケ。こんな面白ェことなんてやめられねェからな。旦那の命令には従うぜ」

一応のため釘は指しておくが、シャドウはそれに憎たらしくのっぺらぼうの顔を歪めて応えてみせた。
どこまでも鬱陶しい奴。
隣でただ黙って佇むアヌビスを見習うつもりはないのかと半眼を向けた。

まぁ、どちらにしてもただ誘うための戦闘だ。
本腰を入れて戦うことなどなく、そもそも俺がエルク達を傷つけることなどあり得ない。
ガラスの破片が散らばる窓に足を掛け、俺は依頼を果たして家路に着こうと踵を返したエルク達の前に降り立った。





◆◆◆◆◆





着地点に散らばっていた車の部品を踏み抜き、羽織っていた外套を翻せば、既に俺の目の前には驚愕に眼を丸くしたエルク達がいた。
すぐさま戦闘の用意に槍を向けたのはエルク。
やがてパンディットとジーンがリーザを守る様にしてこちらを睨み、リーザが俺の姿を見るなり息を飲んだ。
あのハイジャックの時に相対していたことを覚えていたのか。
どちらにしても今は彼女に興味はなかった。

「てめぇ……」

槍の穂先を下ろすことなく月の光を受けた鈍色をこちらに向けたまま、エルクは低く呟いた。
アレ以来久しく聞いていなかった彼の声はまだ幼げなものを残しつつも、どこまでも通るような声の中に獣染みた鋭さを感じさせる。
正しく戦士の声だった。

ばさばさとけたたましく靡く外套を鬱陶しく感じながらも、その中に隠していた右手をだらりと下ろす。
その手に握っていた黒のナイフを晒せば、彼らは呼応するかのように武器を構える。
このパーティを組んでから一カ月か、半月か。
そう時間も経っていないというのに、彼らは長年付き合ってきたような雰囲気を感じさせた。
ジーンに関して言えば、彼らと合流してから一週間経ったかどうかだろうに。

「あの人……空港で」
「リーザ?」
「思い出したぜ。お前、あの時の黒服に紛れてた包帯野郎だな?」

徐々に此方の正体に当たりを付け始めたエルクとリーザの声を聞きながら、俺はいつこの右手を振り上げればいいのか迷っていた。
長く彼らと顔を突き合わせていたい。
例え敵と味方で分かれようとも、成長し、戦う術を覚え、今運命に立ち向かおうとする彼らの傍にありたい。
ただそれだけが俺の手を固く留めさせる思いだった。

情けない。
俺は一度深く息を吐き、わざとらしく首を振るとゆっくりと口を開いた。

「早々に此方に下ってくれると面倒がなくていい」
「へっ。あの時みたいにだんまりかと思ったが、ただの魔物じゃねぇみたいだな?」
「ガルアーノ様に仕えさせて頂いている者なれば、当然。ただのキメラではない」

キメラ、という単語に如実に顔を歪めさせたのはリーザだった。
暗がりの中でも見える、悲しみと怒りに歪んだような表情。
エルクとジーンも似たようなものだったが、彼女のそれは常人以上にその所業を近く感じている節がある。
同調するようにパンディットもまた唸り声を上げていた。

「何しに来たっていうのも馬鹿な質問だよな?」
「……ふ」
「何がおかしい」

なるべく気障に、なるべく醜く鼻で笑って見せる。
あまりに気の長い方ではないエルクがそれにこめかみをヒクつかせるのは早かった。

「貴様たちは此方に聞きたいことがあるのではないのか?」
「何だと?」
「白い家。サンプルМ…………いや、ミリルだとか言う実験体の救出だったか」
「……どこでそれを聞いた」

意外にも俺の言葉に反応したのは、今までただ沈黙を守ってきたジーンだった。
一歩こちらにじり寄り、手に持ったソードを向けながらその視線は揺れることがない。
エルクの燃える様なそれとはどこか違う、心の芯から凍えさせるような冷たい瞳。
こと目的のためならば非情になれることを知っているのはジーンの方だったのだろうか。

「さて……虫が、な」
「…………?」
「ここ最近ガルアーノ様の周りを飛び回っていた虫の話だ……いい声で歌いそうな女だったな」
「まさか」

暗にシャンテのことを匂わせてみれば、エルク達の顔に蒼いものが浮かぶのは早かった。
直に苦虫を噛み潰したように此方を睨みつけるエルクとジーン。
ここまで来ればもはや話すことなど双方あるわけもない。
激昂したかのようにこの場の温度が上がった感覚を覚え、エルクの方を見れば彼は既に呪文の詠唱に入っていた。

そして俺の足元巻き上がる嵐のような炎の奔流。
周りの廃棄物を巻き込みながら全てを灰にしてゆくその炎に戦々恐々しながらも、俺はすぐさま何歩か跳びながら回避に移った。
感情によってその威力を増減させると言われるエルクの炎だったが、ただの怒りでここまでの力を持つのだから恐ろしい。

やがてその炎の揺らめきを挟んではっきりとしていくエルクの姿を捉える。
相も変わらず槍を構えたまま此方を睨みつけるその姿に、俺はしばし魅入っていた。
紅の嵐を携えながら赤茶の髪を逆立たせ、深紅の瞳で此方射抜く一人の英雄。
まるで英雄譚の挿絵からそのまま持ってきたような勇ましい光景に、俺は内心逸る心を抑えられそうにもなかった。

確信。
彼ならば、必ず上手くいく。
やはり彼ならば、必ずミリルを助けることが出来る。

俺が避けた時に幾分かの包帯があの炎に巻き込まれたのか、虚空を彷徨う包帯の切れ端がエルクと俺を挟んだ間で赤に消えた。
否が応でもなく高まる戦闘の空気。
それに応える様にリーザとジーンの背後で真っ黒な影が蠢いた。

「っ……パンディット!!」

リーザの声に魔狼が応える。
身を竦ませるような遠吠えの後に吐かれた蒼く冷たい吐息に、その影達は即座に散開して見せた。
黒の影のままに佇む異形はジーンの前に。
威風堂々の様を見せる武装した人影はリーザとパンディットの前に。

「リーザ! ジーン!」
「心配するな。殺しはしない」
「ちっ……覚悟しやがれ!」

戦闘開始。
だが、もはや結果などどうでもよくなっている。
目的などどうでもよくなっている。

ただ、彼らと共に踊りたい。
再会を、祝したい。






[22833] 十六
Name: ぢくべく◆63129ae9 ID:cea8e1d8
Date: 2011/01/22 17:45





揺らめく炎を間に気を高めていたのは数瞬。
嬉々とした感情に囚われ今にも破顔しそうになる俺と鬼気とした表情を浮かべるエルクは、合間の炎さえ置き去りに弾け飛んだ。

肌を焼くような熱気を携えて激突する二つの刃。
槍の切っ先は迷いを匂わせることなく俺の額に伸び、その苛烈な突きを俺は両手のナイフを交差することによって受け流した。
ナイフなどという脆いものに防御という選択を取らせるほどに……俺の反応速度などまるで間に合わないほどの速度を以って放たれた突き。
エルクの槍は俺のこめかみを抉るような形で背後に突きぬけて行った。
――――これでは受け流した、などとは言えないな。

「ハッ! 口ほどにも……ッ」
「あるさ」

必殺を確信したエルクは、少しばかりよろめく様にして顔を上げた俺を見てか、酷くイラついたように舌打ちを一つ。
ぐるりと槍を一回転させると、驚愕などという油断などほんの一瞬で捨て去ったようだ。
戦い慣れている。いや、目の前の異常に見覚えがあるのか。
一方の俺はこめかみを抉られたことで垂れてきた包帯の切れ端を引き千切ると、手に持ったナイフをゴミの様に放り投げた。

「たった一度でか」
「雑魚のくせに……面倒くせぇ」

放り投げたナイフは地面のアスファルトに落ちると同時に無残に砕けた。
まぁ、槍の一撃をナイフのような小物で受け流すという事自体、無理な話だ。
といっても身体能力など二の次。抉られたはずの俺のこめかみは灰色の煙を上げながら再生を始めていた。
不死身の有能性を誇ったところで既にこちらの技量などエルクに見切られていたが。
随分と悲しい話だ。

そもそもの話、こんな所でエルク達と戦う意味など何もない。
こちらの作戦の成功のみを目的にするならば、彼らが住み込むアパートに『シャンテは頂いた』などと手紙を送って誘えばそれでよい。
シャンテを情報屋として頼りにし、ガルアーノとの邂逅を求めていたエルクを誘うにはこれ以上ない誘い文句だろう。
なのに俺たちは今、ここで戦っている。

あぁ――――作戦を、いや――――俺の望みを叶えるならばこれほど無意味な戦闘はない。

だってそうじゃないか。
こんなところで戦ったところで何の意味がある?
エルク達の力を見極める? まさか。彼らの力を疑うはずもない。
彼らの戦力を削る? まさか。俺も、ガルアーノもそれを望んではいない。
偶然? ……笑えない冗談だ。

間合いを測る、といってもすぐに攻撃できる間合いにいながら、エルクは此方にそれをしようとはしなかった。
先ほどの怒りによる一撃で頭でも冷えたのか、此方の出方を窺うような、何かを見定めるような様子。
それともこんな戦闘の中でありながら、棒立ちのままに肩を震わせる俺をいぶかしんだのか。

駄目だ。
耐えられない。

まずい。
まずい。
まずい。

「なぁ……エルク」
「……馴れ馴れしく俺の名を呼ぶな」

腕が上がる。勝手に。
手を伸ばしてしまう。勝手に。
歩を進めてしまう。勝手に。
顔が、歪んでしまう。

視界に映る全てが鮮明になった。

もはや狂気としか思えない此方の動きに少しだけ狼狽し、困ったような表情を浮かべたエルク。
その後方ではリーザとパンディットがアヌビスと攻防を繰り広げ、ジーンはシャドウと刃をぶつけ合わせている。
何一つ見紛うことのない戦闘の光景。

敵と、味方。
エルク達と、俺と。
同じ場所に、いる。

「なぁ、エルク」
「何なんだよ、てめーはっ!」




耳の奥まで通るような声を引き金に、俺はつい、口に出してしまった。




「お前、元気か?」
「…………はぁ?」




時が止まったかのようにエルクは俺の言葉に固まってしまった。
俺の声を聞いたのはエルクだけだ。
動きを止めた俺達の後ろではジーンもリーザも頻りに声を上げながら戦っている。
時折風や大地が揺れ動くのは二人が魔法を使っているからだろうか。
そんな中、俺の、おそらくは意味不明であるだろう言葉にエルクは止まってしまった。

「な、何を……」
「頼む。答えてくれ。応えてくれ」
「…………」

僅かの逡巡。
呆ける様にして俺の言葉の意味を考えるエルクは、すぐさま獰猛な笑みを浮かべ、こちらに踏みこみ――――。
嘲るようにして言葉を口にした。

「お陰さまで、てめぇをぶっ倒すくらいには元気だぜっ!」

息むようにして放たれた言葉と、刃。
既にそこには逡巡などなく、一部の容赦もないほどにその槍は俺の右腕を通っていった。
改良された身体とはいえ一応は血の通う身体である俺は、あったはずの右腕の部分から吹き出る血を横目にしながら、ただ宙を仰いだ。

視線の先には月があった。

聞いた。
確かにガルアーノとこれから戦おうとしている人間が、元気でないわけではない。
シャンテから聞いた彼らの様子とて、年相応の少年少女のように生命に溢れていた。
それぞれが過酷な過去を持ちながらも、笑えていた。
そんなものを物語が始まってから、俺は遠巻きに幾度も確認してきたはずだった。

だけど、この耳で聞いた。

遅れてぼとりと地面に落ちた右腕はその場に血溜まりを作り、無論それを失っている俺の足元にも血溜まりは出来ている。
それでも、そんな状況でも、俺はまるで気にならなかった。

「エルクっ!?」
「旦那ァ!? 何やってやがる!」

此方側を気にする魔の者。
戦闘を終わらせる一撃に、勝利者の名を嬉々として呼ぶ者。
双方繰り返してきた剣撃の音も、風や大地が唸る音さえも止まり、ただ静寂が続く。
無論、その勝利者であったはずのエルクでさえも、此方を茫然と眺めたまま動かない。

もういい。
十分だ。

相変わらず血の出る右腕をそのままに、遠くにいたシャドウとアヌビスを影に戻して回収すると、ただ気が向くままに足を街の出口へと向けた。
その足取りは今まで感じたことがないほどに軽く、まるで翼の生えたようだ。
そういえば、この肉体にも羽を付けるプランもあったが、あれは確か拒否反応のせいでお釈迦になったのか。

どちらせよもはやここでエルク達と戦う意味などなく、さっさとガルアーノの屋敷に誘い、適当にシャンテを仲間にさせ、白い家に来てもらう。
そういえばあちこちで此方を嗅ぎ回るシュウも合流するのだったか。
まぁ、そちらはどうでもよろしい。

「お、おいっ! 待ちやがれ」

蕩けたような頭で考え事をしていれば、未だ戦闘態勢のまま此方を睨むエルクの声が背中より響いた。
ああ、そうだった。
まずはシャンテのことを話してやらねば。
何のためにここに来たのかわからなくなる。

「シャンテはプロディアス西にあるガルアーノ様の屋敷に捕えている。三日後の深夜十二時、そこに来い」
「お前はっ」
「ただのメッセンジャー、だ。そう息巻くな」
「違う! ……お前は……一体何なんだよ」

ドクン、と。
鳴っているのかどうかも分からない心臓が跳ねたような気がした。
名前を言えばいいのか、それとも正体を明かせばいいのか、どちらか。
だがそのどちらを答えてもいい方向には転がらないような気がしたので、俺はただ沈黙で返してみせた。

たったこれだけの会話が作戦を進めることが出来るというのに。
あんな無様な戦闘を俺達は繰り広げてしまった。
…………しかし、最高だ。

追撃は、来ない。
ただ無防備に、そう、とぼとぼと帰っていく俺の背後から襲いかかるようなことはせず、エルク達はその場に留まっているようだった。
ただ血の跡が俺の足を辿っていく。
やがてその血が止まり、蠢く様にして右腕のあったところが肉で盛り上がってきた頃に、心の内の一つであったシャドウが愚痴をこぼすように声を上げた。

≪そんなに嬉しいかァ?≫

勿論。
いくら分かり切っていたことだろうとも、エルクの口からあそこまで勇ましい声を聞けた。
ジーンが未だ健在で、エルクの隣で笑い、その背中を守る戦士のようになっていた。
救うべき内の二人が、あそこにいた。
――――元気で、いた。

≪まぁ、主がいいというのなら構わないが≫

もう片方の声、アヌビスは納得がいかぬような口調でその言葉を吐き捨てる。
お前達のことなど知るか。
そう言って喰い消してやるのもいいが、今の俺は実に機嫌がいい。

ついスキップしてしまいそうな足取りを抑えながら、俺は月下の街をただ軽い足取りで走り抜けていた。
そういえばここ最近は少し死にかけて逃げ伸びる様な戦闘ばかりしている様な気がする。
殺してはいけない、傷つけてはいけないという前提があったとしても、情けないものだ。





◆◆◆◆◆





違和感。
壮絶なまでの違和感。
拠点となっているシュウのアパートにあるソファーの中で寝がえりを打ったエルクは、ただぼんやりと汚れた天井を眺めていた。

廃墟の街であの包帯男と会ってから彼らはすぐにこの部屋に戻り、問題について話し合うべくテーブルを囲んだ。
攫われ、囚われの身になってしまったシャンテのこと。
自分達を誘うガルアーノの手。
3日という猶予。

無論彼らにシャンテを見捨てるという選択肢などなかった。
自分達の安否を確かめにやってきたシャンテを半ば強引に願い倒し、ガルアーノの居場所を探ってくれと言う依頼をしたのは他でもない自分達。
確かにそこには金という取引があり、失敗したのはシャンテという情報屋の不手際だろう。
だがエルク達はそんなことで納得するような人間ではない。

おそらくは罠であろうガルアーノの誘いに乗るのが彼らの選択である。
虎穴に入らずんばというやつである。
そのためにも三日と言う猶予は貴重であり、その準備をするためにリーザとジーンに武器や医療品の調達を頼み、エルクはシュウの捜索を受け持った。
敵地に向かうに当たり、シュウの存在はこれ以上ないくらい頼りになるはずだろう。

ゴロリ。
もう一度寝返りを打てば、窓の近くにあるベッドの上ではリーザが寝息を、テーブル下の床ではジーンが妙な寝相のままにいびきをかいているのが目に入った。
共に闘う仲間であり、守るべき大切な人であり、取り戻した人。

徹頭徹尾自分達の目的はミリルとクドーを救う事に注視している。
その果てにキメラプロジェクトの破壊だとかそういうお題目も見えているが、やはりエルクにとってはその二人の救出こそが最優先事項であった。
ガルアーノに喧嘩を売る。
それがどのような問題を生み出すのかを理解出来ないエルクではなかったが――――。

足を止める理由にはなり得ない。
拳を振り上げない理由にはなり得ない。
それを若さと取るか英断と取るかはそれぞれだろうが、エルクは止まるつもりなど何一つなかった。

ならば今感じるこの違和感は何だ。

すっかり暗くなった部屋の中で、夜目に慣れた瞳を絞り、頭を振る。
脳裏に浮かぶのはあの包帯男……いや、血溜まりのくぐもった声だった。
無論、あそこまで奇異な格好をしていれば、リゼッティ警部の証言と合致すると気付くのは当然の話だ。
といってもそれに気付いたのはジーンとリーザだったが。

兎にも角にもあの魔物は、キメラは異常であった。
恐るべき再生能力、自らの影のようなものを魔物として使役する力。
どちらを取っても厄介な能力ではあるし、終始自分が圧倒していたが血溜まりが本気を出していないことはエルクにも分かっていた。

しかしそれらは厄介なだけであって、異常と言うには程遠い。
エルクの頭に引っ掛かっているのは、あの血溜まりと交わした言葉。
こちらを気遣うような、返答を聞いて満足したかのような。

――――笑っていたような。

そう。確かに血溜まりはエルクを見ながら笑っていた。
包帯に巻かれ、ただ口と、眼しか見えていなかったというのに、あの満足そうな笑みは誰が見ても理解できる笑みだった。

(…………あいつは)

毛布を頭から被り、あり得ない予感を打ち消す。
キメラが、ガルアーノ側がこちらの無事に喜ぶ理由など一つしかない。
未だ実験に利用できる素体が五体満足で、刺客を退けるほどに強力。
故に笑う。

自らをガルアーノの手先だと名乗った血溜まりからすれば、そこに矛盾はない。
こちらを道具としか、ただの材料だとしか思っていない奴らにすれば当然の反応だろう。

しかしエルクは見た。

あの笑みはそんなものではない。
既に戻っている記憶の中。
あの白い家で子供であった自分の力に狂喜して笑っていた科学者達と同義なものではない。
むしろ打算がありつつもこちらを真に気遣うようなぎこちない笑みは。
年齢と表情があまりに不釣り合いな笑みを浮かべる人物は。

(…………ありえねぇ)

結局、エルクは満足に睡眠をとることが出来なかった。






















<どうしても聞きたい作者からの質問>
Q.主人公、変態っぽく見えね?


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