つまるところ、突き詰めてしまえば、探究心の到達点というものは全て「欲望」という名の一言に尽きる。
何かを求める希望、何かに抗う勇気、何かを罰する正義、何かを奪う悪――それらは皆、たった一つのシンプルな感情によって成り立っている。
発展の下にあった感情。進化の底にあった感覚。それは意志と呼ぶに相応しい。
歴史はその意志によって動かされ、そしてその意志によって滅ぼされる。この繰り返しだ。
誰かが誰かを求めて生まれ、誰かが何かを作って発達し、誰かが全てを手にしようとして、そしてまた誰かの悲鳴が世界に轟き、それを鎮める誰かが生まれて――ああ、いい加減御託を語るのも飽きてきたところだ。
率直に言おう。
欲望こそが、世界の全ての行動の源であり。
このオレこそが、その欲望そのものであったと。
産み落とされた時からオレは“オレ”という名の邪悪であり、望むものを望むがままに手に入れてきた。
手にするために、全てを尽くしてきた。
残虐を、悪逆を、残忍に、冷酷に、横暴で、凶悪なまま、虐殺し、略奪し、暴虐の限りを尽くしてきた。
誰に何かを言われたわけでもなく。
オレはオレであることの証明のため、根源の欲望に従い生きてきたのだ。
欲しい物は全て手に入れる。
不要な物は全て破壊する。
そうやって生きてきた。そうやって、生き続けてきた時、いつしか、オレは世界にこう呼ばれるようになったのだ。
――魔王、と。
世界はオレを恐れ、民衆はオレに怯え、大陸はオレに屈服した。
全てが望むがままに。
全てが在るがままに。
オレはオレの望む通りに欲望であり続け、全てを手に入れ、全てを飲み干し、全てを噛み砕き、そして――
――全ての意志に滅ぼされた。
最後の一撃だった。
オレの全身全霊をこめた渾身の魔法にも奴はついに膝を折ることなく、不死身のように立ち上がり、不死鳥のように勇敢に、この身に一太刀を浴びせたのだ。
それは一撃というにはあまりにも鋭く……それでいて、驚くほどに優雅な、一閃だったように思う。
「ガッ、ハッ……」
もはや悲鳴を上げることすら億劫だった。
奴が持つ剣はこの地上には存在し得ない、伝説の御伽噺でしか産み出されないはずの聖剣で、しかしその透き通るような刃は、空想でも魔法でもなく、確かにこのオレの心の臓を捉えていた。
最終局面。幾年にも渡ったこのオレの軍と、奴が率いる少数の、……それこそ取るに足らない、すぐにでも捻り潰せそうな脆い集団との、世界の覇権を競う戦争。
永い永い、永劫に続くかと思われていた、このオレの欲望の果て。
それが今、ついに目の前に見えたのだ。
「……フッ、フフ、フフフフフ……」
身体から流れる血は止まらない。至る所を魔法が抉り、数万の傷が身体に刻まれ、とどめには勇者の手によって伝説の剣で貫かれた。再生されないこの肉体はもはや数分と持たないだろう。
その刹那の中で、オレは、呪いを紡ぐでも、この目の前でオレを見上げる、小賢しい勇者を睨みつけるわけでもなく、静かに、喉の奥で笑い声を上げていた。
ああ、まったく。
愉快な話だ。
勇者はかすかに眉をひそめ、オレの返り血にその純白の鎧を染めながら、何がおかしい、と呟いた。
何がおかしい、何が可笑しいだと?
これが笑わずにはいられるか。
勇者よ。貴様には永遠に分かるまい。だが、それでいい。
お前は美しいまま、朽ち果てるがいい。
このオレの奥底にうごめく闇を知らないまま、――生命が持つ全ての根源を知らないままに。
「……これが、死か……悪くない……。これで、ただ一つになったのだからな……。望むがままを、手中にしたこのオレが、この手にしていない、唯一つのものが……」
……ああ、貴様には分かるまいよ。
このオレの欲望の果てとなった、……お前にはな。
次第に崩れていく肉体。痛みなどとうに壊死している。
悔いはない。懺悔もない。未練もない。
滅びていく己を、ただじっと、見つめ続ける存在がいたのだから。
良い幕引きだ。
オレはオレで在り続けた証をその胸にしっかりと焼き付け、視界が壊れるその瞬間までそれを誇るように、最期の最期まで、オレは――
――暗転。
……なんて。
なんて、なんちゃって、なーんちゃって。
なあああああんちゃってええええええっ!!
そんなことでこのオレ様が満足できるはずがないだろうがあああっ!
オレの欲望は無限! こおんなことでオレがくたばると思っちゃったの? 思っちゃってるの?
バァァアッァアアァアァッァァァカッ!!
心底骨の髄まで余すことなく馬鹿丸出しだな勇者さんよォッ!
このオレが貴様に一騎打ちを提案するほど紳士だと思ったか? このオレが伝説の剣なんて反則じみたもん持ってこられて素直に戦うと思った?
するわけねぇえだろォオッ! こちとら「魔王」なんて呼ばれた存在なんだよっ!
保険をかけてるに決まってるだろうが間抜けェェエエェエッ!
ハン、お生憎様、その世界は全部食べ尽くして飲み干したところで、飽き飽きしてたところなんだよ。だから欲しいってんならどうぞ勇者様にくれてやらぁ。惜しくも未練もないんでねぇ。
ただし、オレは代価として頂くぜ。
てめえの、『過去』をな!
あらかじめ逆行の魔法を仕掛けておいたのさ! 貴様の血になァっ! このオレが滅べば自動的に発動し、テメエェの祖先の肉体を乗っ取るっていう凶悪下卑な禁忌魔法さ! 命を代償にするってんでテメエに刺されて丁度よかったぜ! ハハハハハハハハハハハハハハッ!!!
覚えておけよ、勇者。魔王なんてモンはな、たいてー負けず嫌いでその上姑息ときてんだよっ!
いい勉強になったじゃねえか! えぇおいっ!?
次に目覚めた時、オレはテメェの祖先の肉体で好き放題できるってわけだ!
当然このオレが死ぬ未来も修正されて、未来のオレ様も蘇るわけっ!
すいませぇん、惜しくも未練もないなんて嘘でしたァッ! まだまだ世界を蹂躙させ足りてませぇぇん!
わははははははは!これが笑わずにはいられるかってんだ!
あははははははははははははははははははははははははっ!!!
さあて、そろそろ覚醒時間だ。
じゃあな、しみったれた世界の勇者様! 束の間の「自分」を、せいぜい謳歌するんだなあぁ!
……まどろみから、ゆっくりと意識が目覚めていく。
眠気から覚めたばかりの朝のような、どこか気だるく、しかし何かが始まるような、漠然な予感がこの身を怠慢に包み込んでいる。
「んぁ……オレは……」
頭を振り、なんとか自身を保とうとする。しかしどうにもうまくいかず、身体が思うように動かせない。
……オレは……そうか……勇者との戦いで……。
ぐあんぐあんと揺れる頭でも、なんとか今までの経緯を全てを思い出し、同時に、魔法が「成功」したことを確信する。あの時確かにオレは死んでいた。しかし確かに、今なお意識がある。
へっ、ざまあねえぜ。
「……クソッ、まだ幻痛でもしてやがるのか、胸がチクチクするぜ……」
それに肉体の調子も悪い。どうにも上手く立ち上がれないのだ。視界もぼやけていて、五感も上手く働かない。
まあ、逆行魔法に加えて肉体憑依魔法も加算されている。いかにこのオレが魔道の全てを極めていたにしても、流石に手足が馴染むまでは数刻必要だろう。
だが、それが完全になった時――さて、どうしてやろうか。思い浮かべるだけでも笑いが止まらない。
「まずは適当な街を滅ぼして勇者の名を汚してやるとするかナァ」
あの勇者は確か、先祖代々英雄たる家系で、ヤツはその血を引き継ぐ正当後継者だったはず。
このオレの魔法が確かに作動しているのなら、その血のもっとも原初の記憶に流れ着いているはずだ。
すなわちこの肉体の持ち主が、この時代に何らかの栄華をもたらし、ヤツの一族に繁栄と「勇者」としての最初の名誉を授けている。――それをこのオレが、根っから破壊できるのだから、まったくもって腹がよじれる話だ。
「さて、そろそろいいんじゃないか……? 意識も醒めてくる頃だろう……」
頭にかかっていたモヤのようなものも、幾分晴れてきた。オレは強引に頭を振り、手足を動かすことを試みる。
おお、大地の感触がするぞ! 久方ぶりの土の感触よ。
徐々に視界も戻ってきた。どうやらここは、殺到と生い茂る森林の中であるらしい。周囲には緑の木岐で覆いつくされていて、太陽に翳りを生ませている。土も装飾はおろか、人の手がまるでかかっていない天然の砂利道だ。ところどころに草花が生い茂っていて、さっきから妙に胸がチクチクすると思ったら、その草がオレの胸を撫でているのが原因らしかった。
「……あん? なんだ? オレ、裸なのか?」
服や鎧を通さない生の感覚に、オレは奇妙な違和感を覚える。
違和感といえば、視界もそうだ。この森がどれほどの広大な土地なのかは知らないが、周囲はどれも、天を貫かんといわんばかりの巨大な樹木で囲われている。
……あんだぁ? 巨人の里か何かか此処は。
気に食わないんでオレが破壊したはずだが……と考えて、ふと思い出す。そうだ、ここは過去の世界だったな。オレが破壊した場所が残っていても、何ら不思議はないわけだ。
いや、しかし――それにしたって、これは……。
時間が経つにつれて、ようやく触覚も戻ってきた。オレは怪訝に思いながらも片手で頭をかきながら、尻尾を軽く左右に振り回す。
「……ン?」
何か、得体の知れない感覚。いや、知らないはずなのに、身体が自然と覚えているような、そんな矛盾した「何か」……。
五感が戻るにつれ、その奇妙な体感は嫌な現実味を帯びてオレの全身を駆け回り始めた。
顔をしかめ、それを確かめるべく振り向いてみる。
「………………」
ぴょこぴょこと。
そこにはオレの意思に従って動く、獣の尻尾が映っていた。
いや、それだけならまだいい。
尻尾を辿って見える存在――すなわち、振り返ったオレの視界に映るモノを形成している肉体。
「ハァッ!? なんじゃこりゃァッ!?」
それは、どう見ても、下等生物である畜生……猫の身体そのものであった。
「な、なん……何がどうなってんだよっ!?」
自分の身体をぺたぺたと「前足」で触ってみる。毛深い肌、顔に生えている髭、黒一色の毛色、手のひらにぷっくらと膨らんでいる丸い肉球。何度「後ろ足」で立ち上がろうとしても上手くいかず、結局四肢でのみ大地に身体を固定することを許され、せいぜい離せるのは片足だけ――。
完全に、誰がどう見ても、今のオレは猫そのものであった。
「何故だっ……!? 魔法の詠唱は完璧だったはず……っ!」
そうとも、いかに禁忌の大呪文だったとしても、このオレが魔法をとちるものか!
事態の現状が理解できず、胸を地面につけ、両手で頭を抱えて唸る。
考えうる理由……この現象に説明がつく存在……頭を巡らせ、やがて一つの回答に思い至る。
「まさか……勇者の、伝説の剣!?」
あの異次元から召喚されたとかいうインチキ剣で、魔法の構成が狂っちまったっていうのか……!?
……いや、だが考えられる問題点はそれしか考えられない。
このオレが唯一理解の外であったあの剣ならば、何が起きても不思議ではない……!
「クソッ……! 忌々しい勇者めっ……! まさかここまでこのオレに歯向かうとは……!」
獣の牙で歯軋りし、悔し紛れに土を叩く。しかしそれでかつてのように大地が真っ二つに割れるわけでもなく、土に跡すら残すことができていない。
「なんということだ……」
己の無力さに絶望し、頭を垂れる。
かつて、破壊と富を我が物としていたこのオレが……こんな生き物の檻にいれられるとは……。
「……!」
絶望していられる余裕も、一瞬でしかなかった。
例え下等生物に成り下がろうと、この身はかつて魔王として君臨した存在。
魔法が使えず武器が持てずとも、当時秘めていた生命体としての圧倒的な能力は、今尚健在なようであった。
「……チッ」
オレの聴覚が、嗅覚が、猫という弱小な生き物の限界を超えて、周囲の殺気を感じ取る。
いやむしろ、かつての己であるならとっくに気付いていてもおかしくない。これは醜態以外の何物でもなかった。
今一度四肢に力をこめて立ち上がる。どうやら尻尾はオレの意思とは無関係にまっすぐ空を指しているようだ。これは獣の習性というべきか。
――すなわち、敵の存在を感じ取った故の動作である。
オレは既に視点を固定し、微々たりとも動かさずにいる。その先から木々が擦れる音がしたかと思うと、濃緑のカーテンの外から二匹の獣が鼻息も荒く姿を見せた。
オレより二周りは大きいかと思われる、四肢の獣。ウルフである。二匹は揃いも揃って惨めによだれを垂らし、今まさに飛び掛らんとばかりに口うるさく唸っている。
「グルルルルルッ……」
「ほう、このオレを喰らおうというのか。中々に良い目をしている。――が、身の程を知れよ、畜生」
オレの言葉を勿論理解できたはずもないが、その言葉と同時に二匹は一斉に襲い掛かってきた。
昔のオレならば歯牙にもかけない存在だ。一睨みしただけで灰燼と化したであろう。
しかし、今はそうはいかない。奴らの動作に合わせて、迷いなくオレは「跳躍」した。
猫と狼。その力の差は歴然だ。二匹は自身の勝利を確信していただろうし、疑ってもいなかっただろう。
だが奴らが飛び掛ってきたその場所に、獲物はない。
猫は、この関係において絶対的弱者であるはずの生き物は、狼よりも高く飛び、奴らのその更に上を跨いで行った。二者は交差し、互いの位置関係を逆転して着地する。
狼共はガチリと牙を噛み合せ、一瞬不可思議そうに首を傾げた。――それが、生死の分け目とも知らずに。
「……フン」
振り返り、オレは再び奴らを睨んだ。――オレの意思に従うように、左目に静かに熱がこもる。
(やはりな……完全に猫そのものに落とされたわけじゃない。憑依魔法に刻んでおいた、『オレ』としての能力継承も微かだが残っている!)
ニヤリと獣の顔を歪ませ、オレが勝利を得る、その瞬間―-―
「……ッ!」
オオカミ達は、背後から飛んでくる火球にその身を焦がされた。
「…………何?」
燃える二匹の死体を見上げ、オレはわずかに顔をしかめる。
オレが命じたことではなかったからだ。
魔法は一見して下級レベルのモノだと分かる代物で、オレが使うようなモノじゃない。
それに、魔法は……奥の林から飛んできたものだった。
獣の鼻か、それともオレの本能か――すぐに、そこに新たなる客の存在を感知する。
やがて、静かに響いてくる足音……それも、酷く特徴的な、すなわち人間の、靴の足音だ。
パチパチと周囲の草を巻き込んで燃える焼死体を挟み、オレとそいつは、ゆっくりと対面を果たした。
――女だった。
いや、もっといえばガキである。二十もいっていない、ローティンの生娘だ。
だが、その女の格好に、オレは眩暈がするほど衝撃を覚えていた。
白銀の甲冑に、頭を覆う同色の白い兜。手首、足首をそれぞれ護る鉄製の武具。その右手には、自身の身長程はあろうかという銀のランスを手にしている。その下が何故かスカートに脚部を包む黒タイツと妙にアンバランスな格好ではあったが、その姿は……その鎧は、忘れたくても忘れられない、今でもこの目に焼きついて離れない、忌々しい、憎むべき姿そのものであったからだ。
あらん限りの呪詛という呪詛を、言葉として吐き捨てなかったのが、不思議なほどだった。
「……これは珍しい」
その女は、どこか視点の定まらない表情でこちらを見やると、無表情なままに頷き、小さく呟いた。
「こんな山奥に……野良猫とは」
「…………」
「しかも、喋る猫ときている」
……チッ。見られていたか。
どうする? 始末するか? いや、この女の能力が計り知れていない。せっかく蘇ったというのに、こんな場所で死んでしまっては意味がない。どうする? ……だが何故この女、奴と同じ装備を……。
「うん」
女はオレの葛藤を知らずか、なにやら腕組みをして数度頷き、ゆっくりとした足取りでこちらに向かってきた。
……どうする?
未だ決めかねず、ただ睨んだまま動かないオレの元に、ソイツは恐れることなく、堂々とした足取りで近づいてきて――
「お前を、私の使い魔にしよう」
しゃがみこみ、白の下着をオレに見せながらそんなことを言ってきた。
戦乙女学院《ワルキューレ・アカデミー》。
その名は800年先のこのオレの時代にまで残っている、由緒正しき教育機関だ。
又の名を、「勇者の学び舎」――800年前、伝説の勇者を生んだことで歴史にその名を刻み、このオレの時代にまで優秀な戦乙女を多々輩出して行った、クソ忌々しい学園である。
そんな憎むべき場所に、オレはいる。
たった一つの野望と、目的を内に秘め、今はただ我慢の時とひたすら雌伏に励み、その機会を虎視眈々と狙い続けていた。
オレの目的は唯一つ――このオレの憑依を免れた、あの勇者の先祖を探し出し、この手で殺すこと。
そうすることで歴史が変わり、この時代からオレは逃れられることができるのだ。
そのためにオレは、この学院に潜伏し、奴の先祖を日々探し続けている――。
「いやああああん、クロちゃああああん!」
「逃げちゃだめ~~っ! 一緒にお風呂はいろ~~っ」
「んもう、気持ちいいくせにー! 隅々まで洗ってあげるからぁぁぁんっ」
「だあああああああっ! 何が勇者だ! 何が戦乙女だ! オレは負けねえぞっ! ぜってえぇぇぇ必ず探し出して殺してやるからなぁあああああああっ!!」
……そして絶対、こんな猫の身体からオサラバしてやるっ!!
これは、そんな偉大なる魔王のオレと、ワルキューレ候補生達の血みどろの戦いを描いた、残酷で残虐で非道な、復讐ドラマである―――。
※テレビアニメ「IS」を見たとき、自分の中の何かがはじけた。
衝動的に書いた、まさしくチラシの裏。