余録

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余録:阿久根市民の審判

 「民主主義は、役人どもの手による抑圧と略奪から社会の成員を守ることを目的とする」は、英国の功利主義思想家ベンサムの言葉だ。彼は「最大多数の最大幸福」という原理の提唱で知られる▲ならば民衆の大多数が支持する権力はどんなことをしてもよいのか。むろんそんなことはないというのが近代の法の支配や立憲主義の考え方である。憲法が不可侵の人権を掲げ、権力の行使を法が細かく規制するのは、民主主義が「公正」の原理も必要とするからだ▲では、鹿児島県阿久根市の竹原信一前市長は市民多数の支持さえ受ければ、違法な専決処分も有効になると考えたのだろうか。しかしそのリコール成立にともなう出直し市長選では、前市長の対立候補となった新人の西平良将氏が約860票の差をつけて競り勝った▲市職員や議員を「特権階級」と批判して市民の支持を集めた前市長には、それが最大多数の最大幸福の追求だったのかもしれない。だが議会招集もせずに繰り返す専決処分がもたらしたのは、結局のところ混乱の泥沼化だ。結果責任は選挙の敗北という形で問われた▲当選した西平新市長は、「高度医療が障害者を生き残らせている」という竹原氏のブログに憤り、リコール運動を始めたという。障害を持つ長男の出生を否定されたように感じたからだった。こと市役所や議会改革については、対話による推進を掲げての勝利である▲市民の支持を背景にした「首長の暴走」の功罪については今後も議論は尾を引こう。ただ「多数」と「法」の衝突による不毛の混乱に、ともかくも自らの手で幕引きをしてみせた市民の審判だった。

毎日新聞 2011年1月18日 0時27分

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