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天声人語

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2011年1月17日(月)付

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 時事川柳を育てた一人に小説家の野村胡堂(こどう)がいる。明治末、当時の報知新聞に入り、社会部長時代に賞金つきの川柳欄を設けた。自ら選者を務めた胡堂が後に、「不朽の名作」と挙げたのが〈するが町広重の見た富士が見え〉だ▼駿河(するが)町とは今の東京・日本橋、三越かいわいで、江戸の昔は富士見の名所だった。関東大震災で高楼が軒並み崩れ落ち、同じ場所から、67年前に広重が描いた通りの霊峰が望める。そんな放心の句は、焼け野原と化した都の姿を17音に刻んだ▼16年前のきょう、神戸あたりのスカイラインも一変した。大揺れの後の薄明に浮かんだのは、全壊10万余棟のゆがんだ街だった。幾筋もの煙を上げる屋根の下で、六千数百の命が尽きた。悲しい記憶を塗り込めるように、がらりと趣を変えた街区も多い▼阪神大震災の被災地の区画整理がようやく完了するという。甲子園球場66個分の土地に道が引き直され、生まれ育った一角を公園にされた人もいる。子や孫に安全な街をという願いが、反発を包み込んだ▼震災翌年の秋、神戸で催した読者との集いを思い出す。出演してくれた地元の川柳作家、故時実新子(ときざね・しんこ)さんは、あの朝、机を亀のように背負って絞り出した一句を改めて詠んだ。〈平成七年一月十七日 裂ける〉▼すさまじい体験ほど伝えるのが難しい。「裂けた心」は、たやすく字や声になるものではなかろう。片や震災を知らぬ世代の先頭はもう高校生だ。景色や住人は移ろい、あの惨状と、整然たる支え合いを語り継ぐ意思が、年を追って大切になる。

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