【コラム】高野山のパナソニック墓所
碑文を読むと、血の臭いを感じる。戦国時代の武将・織田信長の墓、信長を殺した明智光秀の墓、光秀を死に至らしめた豊臣秀吉の墓、秀吉の息子を死に至らしめた徳川家康の墓、豊臣家に殺された徳川家の息子の墓、秀吉が死を命じた自身の養子の墓。代々殺し、殺されてきた魂たちが1カ所に集まっているのを見ると「いかに明堂なのか」という思いがした。
死ねば敵も、仲間も、王族も、被差別民もすべて等しいという日本人の死後観も反映されているのだろう。元・高麗連合軍との戦いによる敵軍の戦死者を自軍の戦死者と共に供養した「高麗陣敵味方戦死者供養碑」もその一例だろう。明堂だからか、死後観のおかげなのか、高野山の参道は巨大な日本史博物館のようになっている。敵と敵、味方と敵が集まり作られた歴史だ。太平洋戦争の戦犯を追悼する暗い歴史の一面をつづった碑文もある。
しかし、高野山を旅していて、その歩みを最も長い時間止めた墓碑は比較的最近のものだった。それは「パナソニック墓所」だ。初めは、パナソニックを創業した松下家の霊廟かと思った。だが、碑文を読んでみると、その予想が外れていることが分かった。「創業者の発案で、当社の発展に貢献なさった方々に感謝の意を表すため、物故された退職者の精霊と在職中に亡くなった方の魂をここに合祀(ごうし)し、冥福を祈る」という内容だった。92年にわたるパナソニックの歴史を作った社員を祭った供養の碑なのだ。向かい側には産業機械メーカー・クボタの墓所、少し離れた所には自動車メーカー・日産の企業墓所もあった。どれも戦争のように激しい現代産業の歴史の中で幽明境を異にした魂を悼む墓所だ。
日本では歴史観について見方が分かれる。過去の戦争を批判する見方も、美化する見方もある。しかし、戦後産業史に対する見方はどれも肯定的だ。国民のエネルギーがプラス方向に爆発した成功の歴史だと思う。もちろん、日本の産業史にも公害や産業災害といった暗い面があった。だが、そうだからといって、失敗した歴史だとは思わない。
パナソニック墓所の碑文を読み、韓国のことを考えた。韓国の産業史こそ最も成功した歴史ではないか。国民のエネルギーがこのようにプラス方向に噴き出した時代があるだろうか。日本は停滞しているが、韓国は今も走り続けているではないか。韓国はそれを前向きに評価していないだけだ。だからか、日陰に消えた産業の魂を積極的にいたわろうともしない。パナソニックが高野山に供養碑を建てたのは、成長街道をひた走っていた1981年のことだ。
鮮于鉦(ソンウ・ジョン)産業部財界チーム長