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【社会】

目白駅転落死 全盲の武井さん 数百人 最後の別れ

2011年1月23日 07時09分

しめやかに行われた武井視良さんの告別式=22日午前、東京都荒川区の町屋斎場で

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 東京都豊島区のJR目白駅で十六日夕、ホームから転落し、電車にはねられて死亡したマッサージ師武井視良(みよし)さん(42)は視覚障害者も楽しめるテニスを考案し、日本ブラインドテニス連盟会長として、国内外での普及に尽力していた。その武井さんの告別式が二十二日、荒川区内の斎場で営まれた。数百人が参列した会場は悲しみに包まれ、ボールやラケットも納められたひつぎを見送った。(山内悠記子)

 連盟の関係者などによると、埼玉県東松山市出身の武井さんは一歳半の時、目のがんの一種で全盲になった。小学生時代は兄弟や友人と野球をしても、投手ばかりで打席には立てず、「いつか宙に浮いたボールを打ってみたい」という夢を抱くようになった。

 埼玉県立盲学校(現・特別支援学校塙保己一学園)の高校一年生から、健常者と障害者がともに楽しめるスポーツとしてテニスを選び、一人でボールの改良を始めた。

 二十歳の時、スポンジボールに、金属球入りで音がする盲人卓球用の球を入れた専用ボールを開発。一九九〇年、仲間と連盟の前身「視覚ハンディキャップテニス協会」を設立し、国内のほか、英国や韓国、中国などへの普及に努めた。

 二十二日の告別式には、会場に入りきれないほどの大勢の人が参列。最後のお別れをしようと列をつくった参列者らが、涙を流しながらも気丈に振る舞う武井さんの妻(55)を励ましていた。

 ブラインドテニスを通じて武井さんと知り合った連盟の松居綾子事務局長(49)は「点字ブロックのある所だけ歩いていても世界が広がらないと、つえを頼りに歩いて行動範囲を広げていた。自立心と好奇心が旺盛な人」と振り返る。なるべく福祉行政に頼らず、納税、仕事、スポーツもこなし、マンションもローンで購入して妻と暮らしていたという。

 神戸から駆けつけた連盟副会長の桂田元太郎さん(39)も全盲で、約六年前に大阪府内の駅でホームから転落、列車に引きずられ重傷を負った。「武井さん夫妻はすぐに病院に駆け付けてくれ、互いに気を付けようと言い合った。本当に無念で仕方ない」と言葉を詰まらせた。水戸市から参列した連盟理事佐々木孝浩さん(29)は「競技の普及や、パラリンピックの種目採用という遺志を継ぎ、やれることをやっていきたい」と力を込めた。

(東京新聞)

 

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