ハミ出し東スポ

最新の記事 一覧

紙面に掲載しきれなかった特ネタ満載!あの人気企画&特集、WEB独自のネタも出しちゃいます。

デビュー36周年・大平サブロー②シローと復縁はない?

2011年01月22日
エンタメ

関連キーワード :お笑い舞台

――最近のお笑いはどんなふうに見ているか

サブロー:みんな若い人うまい。今の時代ならサブロー・シローも売れていなかったと思うし、M-1なんか優勝できなかったと思う、絶対。デビューする数が違う。20代半ばにタイムスリップしたとしたら勝てませんわ。クオリティーも今の方が高い。今は2~3分のキャラ立ちの漫才だから僕らがやっていたような「筋ネタ漫才」は消えるでしょう。あと弟子を取らなくなって「師匠」という言葉も消えますね。寂しいですけど、みんな「兄さん」だけになるんと違いますか。

――R-1ぐらんぷりの審査員も続けている

サブロー:一緒ですよ。すごいこと考えてくるし、すごいやつらですわ…。とてもじゃないけど優勝できないし、どこまで勝ち抜けるか自信ありませんわ。〝芸人地獄〟を見てきた人、中川家みたいに漫才芸人になりたくて入った人は残っていくでしょう。漫才をタレントで生き残っていくための手段として選んできた人は消えていくでしょう。あきられるのが早い。オリラジ(オリエンタルラジオ)とかはんにゃとか心配ですよ。彼らは今からでしょうね。僕らいい時代に仕事できた。

――かつての相方・シローさんとの復活はない

サブロー:絶対にないですね。嫌いとかではなくて、もう一度あれをこしらえるのは無理です。飲んで「なんで解散したんやろ。ボタンの掛け違いか」みたいな話はしましたよ。ただまた大親友になったとしても、漫才はしないでしょうね。テレビを見ていた人らはあのころのサブロー・シローを思っている。あれを作るエネルギーはもうないですよ。

――漫才とは違う形でも無理か

サブロー:彼とはあの形以外はない。あれが一番面白かったですから。

【主演舞台は自身をオーバーラップ】
サブロー主演の「あかんたれ芸人の詩」は昭和47年(1972年)の大阪の寄席小屋が舞台。音曲漫才グループ「スッカラカンぼ~いず」の天王寺ソングをサブローが演じ、悲喜こもごもの芸人の世界を描く。
「僕ら当時は新世界の寄席からスタートしてホンマ世の中のはみ出し者に近い人が結構いましたよ。入れ墨入った人とか…。そんな人らが面白かったんですよ。一緒に飲みながら『芸人はな――』みたいな。音楽ショーの人もいましたよ。当時の時代背景を出せたらと思います」(サブロー)
当時のサブローはサラリーマンをオイルショックでクビになり、芸の世界に入ったばかり。天王寺ソングの〝あかんたれ〟ぶりが自分自身とオーバーラップするという。
「18~19歳くらいかな。漫才のツッコミがわからなくて悩んでいる役なんですけど、まさしくあのころの僕です。漫才の間とか客の心理とかわからなかった。吉本新喜劇ほど笑いを追求してませんし、ベタな漫才もしますし、ここまでマジなんや、というところもあります」(サブロー)
レトロな舞台演出、サブローの挑戦するムード歌謡やド演歌にも注目だ。

【プロフィル】たいへい・さぶろー 1956年2月24日、大阪市出身。レツゴー三匹に師事し、76年に大平シローと「太平サブロー・シロー」でデビュー。横山やすし、桂三枝などの絶品モノマネと漫才ブームに乗って上方漫才大賞、花王名人大賞などを総ナメにする。88年に吉本興業から独立。92年にコンビを解散し、93年に吉本に復帰した。99年に「太平」を「大平」に変更。マラソン歴15年の〝吉本の鉄人〟として知られ、ホノルルマラソンに毎年出場している。

この記事をブックマークする Yahoo!ブックマークに登録 はてなブックマークに追加 Buzzurlにブックマーク livedoorクリップに投稿 newsingに投稿 Choixにブックマーク イザ!にブックマーク twitterでつぶやく

一覧を見る

このページのトップへ