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■書 評

バウドリーノ(上)(下)

バウドリーノ(上)(下)

[著者]ウンベルト・エーコ 著 堤康徳 訳

岩波書店 / 各1995円


[評者]和田 忠彦 (東京外国語大教授)

■痛快な虚構、中世の幻想譚

 歴史はすべて虚構によってつくられるのか? この問いに躊躇(ちゅうちょ)なく「是」と答えるほど豪胆な作家は、さてどれくらいいるのだろう。

 十二世紀後半、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ一世はイタリア征服の野望に駆られ、頻々と北イタリアはピエモンテ地方に出没し始める。赤髭(ひげ)王として知られる彼の傍らには、常に一人の青年の姿があった。その青年バウドリーノが、この物語の主人公である。ピエモンテの霧ふかい町アレッサンドリアの農民の子が、赤髭王に拾われ育てられたのだ。故郷アレッサンドリア包囲作戦に加わった青年が見たのは、陥落寸前の故郷を機知によって救う農民ガリアウド、実父の雄姿だった。

 アレッサンドリア征服を断念した赤髭王の次なる標的はコンスタンティノープル。そうして組織された第三次十字軍は、だが、東方にあるという「黄金の国」伝説に魅せられた王の口実にすぎなかったのではないか、という仮説をにおわせながら、物語は幻想の世界へと深く分け入っていく。とりわけ遠征途上で、密室殺人とおぼしき状況で赤髭王が謎の死を遂げてからは、跡を襲って十字軍を率いるバウドリーノの前に、中世の幻想譚(たん)でおなじみの怪物が次々に現れ、ビザンツ陥落という緊迫した情勢との対比を際立たせていく。物語全体が、歴史家の伝聞による主人公の回想として設定されており、読者は、語られる出来事に興奮し翻弄(ほんろう)されながらも、常に醒(さ)めた目で読み進むことがもとめられている。

 歴史をめぐるとびきり痛快な「つくり話」というか、虚構の背後には、いまもイタリア社会を脅かす闇が控えていると、エーコがつたえてもいるからだ。年が明ければ齢(よわい)七十九を数えるエーコは十月、ヴィクトル・ユゴーばりの新作小説『プラハの墓地』で、十九世紀末のヨーロッパを舞台に、またもや歴史をめぐる大胆な仮説を世に問うて物議をかもしている。


Umberto Eco 1932年生まれ。記号論学者。評論、創作でも幅広く活躍。著書に『薔薇の名前』『フーコーの振り子』など。


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