2011-01-17
「特別に「差別」的」とはなにか
誰の反論でも受け付けてくれるそうなので、せっかくだから。なお、プライバシーとかエントリ内で触れられてない論点についてはスルー。
自分の抗議が「売春をしている女性への差別」に該当しないとする根拠を「売春婦という言葉それ自体」が「侮蔑」的であるとする一般認識に置いた以上は、それによって同時に抗議の相手もまた特別に「差別意識を露に」「しまくってる」とは言えなくなる。何故なら、「売春婦」であった女性と同一人物とされることによって「実生活をおびやかされる」のは、その職業が一般的に「侮蔑」されているからと言っているのだから、大野さんによる同定が「人権侵害であり、名誉毀損であり、脅迫行為」たり得るのもまた一般認識が原因であることは明白であり、それ以上の「差別者にありがちな認知の歪み」があったとは言えなくなるからだ。従って一般に「侮蔑」の対象となる職に就いていた人物との同定に対する抗議は出来ても、同定した人物が特別に「差別」的であると主張することは不可能、それをすると自らも「売春をしている女性への差別意識を露にし」ていたということになる。
まとめようw - 消毒しましょ!
問題は、何をもって「特別に「差別」的である」とするかってことだよね。俺は差別問題を考えるときには、差別意識の程度、差別行為の程度、という2つの側面を意識すべきだと思ってる。なお、後者について行為は主観と客観によって成り立ってるから、両者について別個に考えることになる。
前者について言えば、消毒さんの主張はたぶん正しい。差別を被りやすい職業に就いている者との同定は、その職業に対する一般的な差別意識以上のものをどうやったって含みえない*1から。
ただ、それってある意味において当たり前のことだと思うんだよね。っていうのも、差別意識がどんどん先鋭化していって、何人とも共有しえないような域に到達してしまったとすれば、それはもはやただのアレにすぎないわけだから。むしろ差別が深刻な問題となるのは、差別意識をそれこそ一般的と言えるくらいに相当数の人間が共有してるからなわけだよ。だから、大野さんが先鋭的な差別意識を持っているとは言えないとしても、そのことをもって「特別に「差別」的である」とは言えないと結論づけることにあまり意味はないと思う。
じゃあ後者についてはどうか。大野さんは差別を被りやすい職業に就いている者との同定によって、相手を(その差別によって)不利益を被る地位につかしめた。おそらくはここが相手の人の眼目とするところなんだろうね。
つまり、差別意識というのは相当数の人間によって共有されてるわけだけど、その人たちすべてを差別者だとして弾劾するのは少なくとも一般的な考え方じゃない(と思う)。「差別意識を共有する一般人によって、差別者の存在が保全されている」的な把握の仕方がメインストリームだと思うんだよ。
で、こういう風に考える場合、一般人と差別者とは行動によって分かたれることになる。
一般人は、「こんな差別はほんとはいけない」と自省し、あるいは「相手が傷つくから」と自制して内心にある差別意識を行動として発現することがない。そうしたことに思いを致さず(差別によって)相手に不利益を被らせるような行動にでることこそ、まさに「差別者にありがちな認知の歪み」を示すものであり、差別者の差別者たるゆえんだって考えだね。そして大野さんは「行動」に出ちゃったわけだ。
とはいえ、これによって大野さんが直ちに「特別に「差別」的である」と断罪されるわけではない。大野さんの「行動」とは「差別を被りやすい職業に就いている者との同定」であり、これがやむを得ないと言えるなら免責される。ここで大野さんの「行動」時の主観について場合分け。
- 大野さんに売春婦が差別を被りやすい職業だという認識がまったく無かった。
- 上記のような認識はあったが、「行動」によって差別に起因する不利益を及ぼす可能性を認識していなかった。
- 差別に起因する不利益を及ぼす意図で「行動」に出た。
まず、1の場合には(少なくとも差別という問題に関して)大野さんは免責される。売春婦が差別を被りやすい職業だという認識が無いのであれば「行動」によって差別に起因する不利益を及ぼす可能性に気づくことは不可能であり、なしえないことをなさなかったことを理由に非難されるべきではない、つまりやむを得ないから。売春婦が差別を被りやすい職業だと認識せよってのは、差別意識を持てってのと直結はしないまでもそれに結びつく可能性があるから厳しいだろうしね。でも、この可能性は
というエントリがある以上、否定される。
そして、2・3の場合、大野さんは免責されず、「特別に「差別」的である」と断罪される(可能性がある。少なくとも消毒さんの言うように「不可能」ではない)。3は論外だけど、2の場合でも、売春婦が差別を被りやすい職業だという認識がある以上「行動」によって差別に起因する不利益を及ぼす可能性を認識すべきであり、一般人ならば認識してこれを自粛する。大野がかかる可能性を認識していなかったとすれば、そうした危険に対する頓着のなさそれ自体が「差別者にありがちな認知の歪み」だ、という論理でね。
以上、大野さんを「特別に「差別」的であると主張することは不可能」ではない、というのが結論。
重要な追記
以下は大野さんのコメントへの返答ですが、重要な問題であると思うので追記の形をとらせていただきました。
説明ありがとうございます。
ご教示いただいたもの全てにあたったわけではありませんが、当時のだいたいの雰囲気は分かったように思います。このエントリと関連づけて言えば、
- こと売春差別論争が踏まえられたネット空間におけるyukiさんとの同定である限りにおいて、同定はそもそも不利益を被らせるものではない。
- 仮に不利益を被らせるものであっても、そのようなネット空間における状況に照らせば、主観2のように危険性の認識を欠くことは「差別者にありがちな認知の歪み」を示すものとは言えず、やむを得ないことであった。
というご指摘ですね。
コメント欄で述べているとおり、俺はこの件の経緯に暗いため、基本的には消毒さんの論理に対する評価(反論)としてこのエントリを書きました。大野さんの行為もその関連でとりあげることとなりましたが、(同定以外の)発言や社会状況等、1つでも見落とすと結論が逆になるような要素は意図的に排除し、同定のみを対象としています(主観1の否定についてはあのエントリ1本で確定的に証明でき結論が逆転する恐れがないため色気を出して加えてみました)。*2
つまり、このエントリは消毒さんの論理に対する評価であって大野さんの行為に対する評価ではない。大野さんの行為と関連するとしても議論の枠組み以上の意味を持ちうるものではない、と理解していただけると幸いです。
いま読み返すと誤解を招く書きぶりであると思います。申し訳ないです。
追記
最後の一文は俺が一方的に相手の人の肩を持ってるみたいに見えることに配慮したものだったんだけど、それにしたって不穏当な表現だったし、「重要な追記」で意図を説明したいまとなっては必要もないな。お詫びして削除します。
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