長文であり申し訳ないのですが、すこし前の過去から今までに起きた四つの事件を
「経緯」とそれについての「心情」を正直に話しますのでその点ご理解ください。
1)事の始まり
(正確な年月日は、わかりませんでした。恐らく2007年の9月〜11月ごろかと思います)
リレー大会も終了した頃の秋頃(?)の深夜の駒村控え室、急遽今から
即興でリレー将棋をしようよ、という事で話がまとまりました。
その時は9人か10人いたと思いますが、深夜のことでもあり、もう今から
寝るからと言う方を1,2名除いてメンバーはちょうど8人でした。
詳しいメンバーは覚えてないのですが、僕と彩さんがその時は同じくらい
の棋力で他に二段ぐらいの人はいませんでした。
まず彩さんと僕が別チームと言うことで$koma-aと$koma-bに分けました。
言いだしっぺの僕が仕切っていたのですが、まだチーム分けの途中
でチャットがふくそうしてました。
2)その時「事件」が起きました。
彩さんがパスを「教えて」だったか、 「教えてください」だったか
忘れましたが、そう言われた時に僕は 「ちょっと待って」とチャットしました。
すると彩さんの態度が急変し、「りれーやりません」「おやすみなさい」と言い残し、
そのまま即落ちをしました。
チャットの「リレー」がひらがなだったと記憶しています。変換するのも面倒な
くらい怒ったのかなと感じたので…。(記憶違いかもしれませんが)
当時の現場にするめさんもいて、僕と同じように呆れたようで翌日だったかに
リレー部のどこかの掲示板にそのことを書き込まれていました。
(今回の件もあり、掲示板を遡って探しましたが、古い記事を削除する
設定のため年月日は特定できませんでした。ただ別の件で残したチャットの
記録から2008年6月10日より以前なのは間違いないと思います)
3)会話をしてもらえなくなりました
その翌日か、後日彼に挨拶をしたとき、すぐ彩さんの異変に気づきました。
いつもの「こんばんは〜」に一切答えなくなったのです。
これが2つ目の「事件」です。少なくとも僕にはこれは大事件なのです。
駒落ち村のほぼ創世記からの付き合いであり、どちらかと言えば彩さんとは仲が
良い方であり、フリーで2局ほど指したこともあれば、お互いのRを観戦して
終局後に一緒に感想戦をしたり長時間のチャットを楽しんだ仲です。
僕が彩さんに「おやすみ」と言わずに「あやすみ」と言っていたのを覚えている方も
いらっしゃると思います。
年も同じくらいだったはずで、親友といって差し支えないほどでした。
待合に何人いようが彩さんから挨拶はいつも返って来ていました。それまでは…。
最初はこの程度のことだから直ぐに機嫌も直って「もとの仲に戻れるだろう」と
我慢しました。
しかし、1週間経ち、1ヶ月経ち…彩さんからの「無視」は続きます。
とにかく「挨拶」が返ってこないことに焦りを感じました。
同時に、何であの程度のことであんなに怒るんだろうと不思議に感じました。
4)空しく過ぎた膨大な時間
挨拶が返ってこないなら、レスが返るように感想戦で質問をしたり、こちらから
彩さんたちの会話に入っていく、彩さんを会話の中に入れようなどと試みました。
しかし、彩さんの徹底的な「無視」はいつまでも続行されます。
僕がチャットをしだすと彼は「無言」になるのです。あるいは僕以外の他の方には
直通をかけ、僕だけ聞こえなかったのかもしれません。
逆のパターンで、ふらりと観戦に来て、観戦者に僕の名前を見たからでしょう、
誰にも挨拶せずに彩さんが即座に出た所を何度も見ています。
かつて彩さんとは仲が良かっただけに彼の行動は非常に残念なものでした。
「お前と同じ場の空気を吸うのも嫌だ」と言う彩さんの無言の声が聞こえるようでした。
僕が良く書き込む掲示板には彩さんは書き込みをしなくなる、僕が出るイベントにも
出なくなる(炎十番!第4回に最初から出なかったのは、そのせいではないですか?)
このように2つ目の事件は今に続く現在まで1年以上継続をされています。
こう言う状態がどんどん、どんどんエスカレートしていけば人間関係はどうなりますか。
3ヶ月で「あきらめ」、さすがに半年で彩さんに対する「不信感」が芽生えました。
そして1年で…。
※ 今年2009年6月、24道場に「ブラックリスト」制度が導入されました。
相手をブラックリストに入れれば、「自動聞かざる」に出来、「無視」を永久に
自動でやってもらえます。
助役は、あなたのブラックリストに入っているのでしょうか。
僕のブラックリストは「空(から)」なのですが…。
5)本当は「お互い頑張りましょう」と言って欲しかった。
今年もリレーの季節になり、メンバーを集めや活動の中で彩さんに話しかけても、
相変わらず無視です。(その事は予想されたことで今更驚きもしませんが)
それでも「何です党」と言うチームを作り、エントリーをしたのは驚きました。
その経緯については主査さんが書かれていらっしゃいますのでここでは割愛します。
6月の29日のことです。
チーム結成を知り、道場で主査さんを検索すると「何です党控室」にいました。
僕は「こんばんは〜」と入っていくとメンバー4人揃っていました。
挨拶が返ってきたのは主査さんだけでした。
「え?集団で(3人とも)無視?」と動揺し、正直かなり辛かったのですが、挨拶だけで
そこから出るのも変です。
「本当はこっちで頑張って欲しかったけどそちらで頑張ってください」という旨を述べ
「失礼します」と言うまでの間ですから2,3分でしょうか。
主査さん以外は無視(無言?)でした。
「怒っている」のか「気まずい」のかはわかりませんけれど、2,3分もの間ずっと
3人が無視はないだろうと思いました。非常に寂しいものを感じました。
チームを作るのは自由だし、掲示板に「応援いただいた方ありがとうございました」
と言う気持ちが本当なら、何故あの時の僕に無言でいられたのですか?
「お互い、頑張りましょう」でよいではないですか。
観戦に僕がいて、主査さんの返答で、誰がどういう言葉をおくったかわかりますよね?
キカザルでも聞こえてるでしょう?
僕から見たこれが3つ目の「事件」です。
僕が何に失望し、あの日誌を書いたか言葉足らずの部分はこれである程度説明が
出来てるでしょうか。
かつては親しかった人間に対してここまで(1年以上ずっと)無視をしてきて
心は痛まないのでしょうか。「疚しくないですか」と言ったのです。
(人それぞれですから、そんなことを疚しく感じない人もいるでしょう)
しかし、かつての友人であればこそ「許してやろう」と必死に自分に言い聞かせました。
その言葉で自分の心を納得させたのです。
彩さんは今回の僕の文章(日誌)を「侮辱」と言いますが、こういう態度を
非常に長期にわたって徹底して行うのも「侮辱」ではないのでしょうか。
挨拶されても知らん振りで、そのうえで相手を徹底的に無視をし、それを長期に
わたって行うそういう「心のありよう」が「疚しい」と僕は感じ、そう表現しました。
以上があくまで僕からから見た大筋の話です。
彩さんからすれば、過去にまだ他にも僕の落ち度や至らぬ点があるというかもしれません。
どちらにしろ非常に残念でつらい出来事でした。
6)掲示板に公表しなかったわけ
4つ目の「事件」は6月29日にアップした日誌について8月末になって大騒ぎを
しはじめたことです。
あとはほぼ皆さんのご存知のとおりです。
僕がこの「過去からの経緯」を掲示板に書いて反論しなかったのは
こういうことは掲示板に書くことではないと思うからです。
そこで「過去からの経緯」と言葉を濁したのです。
僕からすれば、それで彩さんが「わかってくれる」とも期待したのですが…。
本当にわからないのか、わかろうとしないのか僕にはわかりません。
「ヒトリボッチさん」と言わずに「彩さん」と呼びかけたのも以前のように良い
友人関係に戻れたらと言う気持ちからです。
また今回の一連の作業や調整で時間を掛けすぎ、「村長裁定」と言うものが先に
出てしまったことは僕の責任ですが、そのことに大きなショックを受けています。
今回は「間に立とう」という人が動いてくれ、調整もしていただけに残念でなりません。
7)今回の方法を取った理由
掲示板は不特定多数の目に触れます。
するめさんの書き込み(No30)も2ちゃんねるに貼られたと聞きました。
あえてそういう愚は行う必然性を感じません。
ゆえに非公開のアドレスに「過去の経緯」を公表するという方法を取りました。
|