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韓国は、歴史を捏造して出稼ぎ労働者 ニュース記事に関連したブログ

2011/01/22 01:12

 

韓国は歴史を捏造して出稼ぎ労働者を

日本に強制連行されたとの大嘘は通じないと自覚せよ、

徴用を強制連行にしたのは朝鮮人で朝

鮮総連の活動家である朴慶植の朝鮮人

強制連行の記録も大嘘だ

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良識ある日本国民の皆様には、韓国人らが

突然呼び出されて

日本に強制連行されたとの報道はご存知だと考えます。


朝鮮人強制連行:突然の呼び出し、

日本に連行 作家・野添さん、体験者に聞く


戦時中に県内に強制連行された朝鮮人の労働の実態を調べている民間団体
「
県朝鮮人強制連行真相調査団」の事務局長で能代市在住の作家・野添憲治さんが

昨年12月に訪韓。生存している当時の労働者4人と会い、

過酷な労働環境について聞いた。

このうち八峰町にあった旧大日本鉱業発盛精錬所に連行された3人によると
、
当時の朝鮮の役場に突然呼び出され、汽車と船で日本に連行された。

精錬所では鉱石運搬や破砕などに従事。労働者の寝食の場である飯場は5、

6棟あったが冬でも暖房を使わず、食事も極めて少なかった。

「疲労や空腹で倒れると、棒で殴ってきた日本人監督がいた。名字を今でも

覚えている」と語った男性もいたという。

同精錬所付近では、野添さんらが朝鮮人労働者の墓を確認している。

3人は「直接死者を見たことはないが、僧侶がよく来てお経を上げていた。

墓地は見たことがない」と証言した。

野添さんによると、旧厚生省が1946年に作成した名簿では同精錬所での

朝鮮人労働者は計201人。その中に今回聞き取りをした3人は含まれていない。
(毎日新聞 1月20日)より抜粋 http://mainichi.jp/area/akita/news/20110120ddlk05040003000c.html
 

>「県朝鮮人強制連行真相調査団」の事務局長で能代市在住の作家・野添憲治さんが

昨年12月に訪韓


作家の「野添憲治」氏についてネットで調べ

ても少ない情報しか見つかりませんでしたが

、反日勢力が捏造した「朝鮮人強制連行」を

信じて実態調査に「韓国まで行く」人物ですから「反日左翼」でしょう。


>連行された3人によると、当時の朝鮮の役場に突然呼び出され、汽車と船で日本に連行された

私は本ブログ2009年7月の記事で「川崎市平和館に

在日コリアンの戦争体験」

とのビデオコーナーが設けられた際に、在日朝鮮人

1世の「徐類順」氏の「(自分の)おじさんが畑仕事の時、

強制徴用された」・「当時は家族も徴用の事実を知らされなかった」

との証言を書き記しましたが、「徴用」されたのであれば

「勤務先」などは家族にも分かるのであり、徐類順氏は

1940年に家族と14歳で来日したなど「過去の発言」と

大きく食い違っている「大嘘つき」でしたから、

突然呼び出され連行されたとの「この韓国人3人も大嘘つき」です。


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↑ 徴用令書(従事すべき場所や出頭すべき日時など記載)

1944年11月末に徴用令を受け取った「鄭忠海」氏は、日本で出版した

著書「朝鮮人徴用工の手記」の中で、「…後を振り返りながら、

別れの言葉もそこそこに集合場所である永登浦区庁前の

広場に向かった。広場は出発する人、見送る人で一杯だった。

徴用者の点呼が終わると一同は隊伍を組んで商工会議所の前

に集まり、各地から動員された人々と共に壮行会が催された」と書いています。


>冬でも暖房を使わず、食事も極めて少なかった。「疲労や空腹で倒れると、

棒で殴ってきた日本人監督がいた。名字を今でも覚えている」


本当に棒で殴られた日本人監督の名字を今でも覚えているなら、「日本を恨む韓国人」なのですから堂々と言えるでしょうが、1944年に広島の軍需工場に徴用された鄭忠海氏は「朝鮮人徴用工の手記」の中で、「新築の寄宿舎で新しい寝具が準備され、食事も十分で満足でき、仕事は日本人女子挺身隊員といっしょであり、女性たちとの恋だの愛だのということに心をうばわれているようで、工場内の風紀は言葉にならないほどだった」と書いています。

>3人は「直接死者を見たことはないが、僧侶がよく来てお経を上げていた。墓地は見たことがない」と証言

>旧厚生省が1946年に作成した名簿では同精錬所での朝鮮人労働者は計201人。その中に今回聞き取りをした3人は含まれていない

僧侶がお経を上げていたのは知っていても「死者も墓地も見た事はない」とは・・・^^、

厚労省の作成した名簿には「3人は含まれていない」

とは・・・(笑)、私は本ブログ2010年11月の記事

で「丹波マンガン記念館」について書き記しましたが、

設立者の在日朝鮮人1世の「李貞鎬」氏は「1933年

(昭和8年)生まれで1歳の時」(本人の記憶が曖昧で日本で生まれたとの発言もあり、在日2世の可能性もあります)に「日本で仕事を求める父親と一緒に来日」しているので「強制連行」ではありませんし、「朝鮮から日本へ食えなくなってきた者も強制連行だ」と話して「出稼ぎ労働者も強制連行」としており、「朝鮮人は大嘘つき」ばかりです。


「1910年」(明治43年)に「日韓併合条約」(韓国併合ニ関スル条約)が終結して

「朝鮮」は正式に「日本国朝鮮地方」となり「貧しさを極める朝鮮」から

「豊かな日本」に渡ってくる朝鮮人が激増し、昭和14年に日本内地に

住んでいた朝鮮人は約100万人で、昭和20年には約200万人となり

「増加した100万人」のうち「70万人は自分から進んで日本へ職を求めてきた

個別渡航者」と「日本で生まれた者」で、「残りの30万人も工鉱業・

土木事業の募集に応じて来た者」であり、強制連行ではありません。


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↑ 民・官斡旋と徴用(強制ではない)の労務動員の実態

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↑ 労務動員前・中でも「自由意志」での渡航者が多い実態

1938年の「国家総動員法」に基づき、

朝鮮では39年「朝鮮人労働者募集要項」(民募集方式)、

42年「朝鮮人内地移住斡旋要綱」(官斡旋方式)がありましたが、

これらは強制連行ではなく「朝鮮人の自由意志」でしたし、

1939年の「国民徴用令」(徴用方式)は日本内地では実施されても

「朝鮮への適用」はさしひかえ、44年9月に朝鮮で徴用が行なわれましたが

「翌年3月までのわずか約半年間」だけであり、これも強制連行ではなく

「日本国民の義務」でした。(国民徴用令とは、工場や炭鉱などに

国民を勤労動員することを可能にする法律で、当時の朝鮮は

「日本国朝鮮地方」であり、当時の「朝鮮人は

日本国民」

なのですから「日本人」と同じく「徴用に応じる義務」

がありました)


炭鉱などの開拓史は「過酷な労働の歴史」とも言われ、

「一旗上げよう」と考えた「日本人」や「朝鮮人」の

就労希望者が多かったのであり、1944年頃の九州の炭坑では

「朝鮮人の月収は150~180円」で「巡査の月給(45円)

のおよそ3~4倍」・「大卒事務系初任給」(75円)の2倍以上」

の金を稼いでおり、炭坑や鉱山での仕事は過酷でも

「労働環境が厳しい分給与が厚遇」されて「朝鮮人の就労希望者は

多かった」のですが、朝鮮人は「日本への出稼ぎ労働者」

なのに歴史を捏造しては「日本へ強制連行された」と言います。


強制連行されたとの韓国人の証言では、

「農作業中などに無理矢理トラックに乗せられて

日本内地へ送り出された」などがありますが、

これを実行したのは日本人ではなく「朝鮮人」

ですし、1965年に「朝鮮人強制連行の記録」

を出版した「朝鮮総連」の活動家である「朴慶植」

という人物が「強制連行」を捏造したのであり、

引用した「鎌田澤(沢)一郎」氏の著書「朝鮮新話」

の320ページ「但(ただし)総督がそれまで

強行せよと命じたわけではないが、上司の鼻息を窺ふ

朝鮮出身の末端の官吏や公吏がやつてのけたのである。」

の部分を「わざと省いた」のです。


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韓国は、もう歴史を捏造して出稼ぎ労働者を日本に強制連行されたとの大嘘は

通じないと自覚すべきで、徴用を強制連行にしたのは朝鮮人であり、

朝鮮総連の活動家である朴慶植の朝鮮人強制連行の記録も大嘘です。


良識ある日本国民の皆様、強制連行されたとの韓国人についてご考慮下さい。

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