エンタメ【寛平さんゴール】「日本が素晴らしい国だと知った」 会見一問一答+(1/2ページ)(2011.1.21 23:33

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【寛平さんゴール】
「日本が素晴らしい国だと知った」 会見一問一答

2011.1.21 23:33 (1/2ページ)
ゴールして喜びを爆発させる間寛平さん=21日午後、大阪城野外音楽堂(安部光翁撮影)

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ゴールして喜びを爆発させる間寛平さん=21日午後、大阪城野外音楽堂(安部光翁撮影)

 --改めてゴールした感想を

 寛平 「まさか2年余りでゴールできるとは思わなかった。仲間が迎えてくれて幸せでした」

 --ゴールした瞬間は何を思ったか

 寛平 「もうこれで明日から走らなくていいと思った」

 --一番辛かったことは

 寛平 「やはり病気のこと。自分が前立腺がんと知った時は辛かった」

 --走るのをやめようと思わなかったか

 寛平 「やめようとは思わなかった。スタッフら周りから何度も励ましの言葉をもらい、支えとなった。やはりみなさんの応援が一番力になったと思う」

 --2年ぶりに日本に帰ってきたが

 寛平 「日本が素晴らしい国だと知った。こんな幸せの国に住んでいて、ぜいたくをしていたのかなと思った」

 --日本に戻り、一番おいしかった食べ物は

 寛平 「何もかもがおいしかった。特に卵かけご飯。めちゃくちゃうまかった」

 --奥さんの手料理で食べたいものは

 寛平 「朝食はいつもアジの開きと決まっているが、女房はうまいアジの開きを見つけるのが本当にうまい」

 --一番の思い出は

 寛平 「いっぱいある。つらいこともあるが。みんな優しかった。米国ではインディアンの人が家まで招待してくれて、おばあさんの手料理を食べさせてくれた。米国ではいろいろと差し入れをしてもらって走っていた」

 --振り返ってみて2年間は長かったか

 寛平 「走っている時は長いと感じた。絶対ゴールできると確信できたのは中国・西安を過ぎたあたり。けがには注意していた。疲労骨折したらあかんし、アキレス腱を切ったら半年は走れなくなるので負担をかけないようにしていた」

このニュースの写真

ゴールして喜びを爆発させる間寛平さん=21日午後、大阪城野外音楽堂(安部光翁撮影)
お客さんが用意したテープを切る間寛平=21日、大阪城野外音楽堂(安部光翁撮影)
ゴールした間寛平さん=21日午後、大阪城野外音楽堂(安部光翁撮影)

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