1 福田辞任記者会見の再検証 9月1日、防災の日に、突如辞任を表明した福田首相の行為は、それ自体が日本政治にとって降って湧いたような「災禍」そのものだった。 その後、辞任会見の最後、福田首相自身が、捨てゼリフのように語った「あなたとは違う」という言葉がひとり歩きをはじめた。そして、一部では今年の流行語大賞になるのではないかというような方向に話題が進んでいる。このことは、この一国の首相の辞任劇の真相を煙に巻くことに通じる報道であることを、心あるマスコミ関係者は知らなければならない。 そこで、まずもう一度、記者との応酬を全文丹念に読んでみる。 ◇ 記者 一般に総理の会見が、国民にはちょっと”人ごと”のように聞こえるというふうな話がよくされておりました。今日の退陣会見を聞いても、やはり率直にそのような印象を持つのです。安倍総理に引き続くこういう形での辞め方になったことについて、”自民党を中心とする現在の政権に与える影響”をどんなふうにお考えでしょうか。 福田 現在の政権?自民党政権?自民党公明党政権ですか!?(ハイと質問記者の声)それはね、順調にいけばいいですよ。これに越したことはない。しかし、私のこの先を見通す眼の中には、その決して順調ではない可能性がある。そしてまたその状況の中で、不測の事態に陥ってはいけない、そういうことも考えました。まあ人ごとのようにというふうにあなたはおっしゃったけどね、私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたと違うんです。そういうことも併せ考えていただきたいと思います。どうもお世話になりました。 再度、この中国新聞記者と福田首相の応酬を聞いていると、首相自身、内閣改造(08年8月1日)から辞任会見(9月1日)に至る心理の変転と、辞任の真相が徐々に浮かび上がってくるような気がして背筋が寒くなった。 まず問題は、中国新聞記者の質問が、極めてピンポイントな質問である点だ。記者はストレートに「福田首相の突然の辞任が現在の政権に与える影響」を聞いたのである。ところが福田首相は、それには答えずに、「客観的に言って、自公政権は順調には行かない。不足の事態に陥る可能性がある。だから私が先を見越して止めた」と受け取れる発言に解釈される。つまり自公政権が順調ではないことを、自己暴露していることになる。 記者の質問の後、福田首相は、短く次のようにしゃべっている。 「現在の政権?自民党政権?自民党公明党政権ですか!?(ハイと質問記者の声入る)」 そして「それはね。順調にいけばいいですよ。これに越したことはない。しかし、私のこの先を見通す眼の中には、その決して順調ではない可能性がある。そしてまたその状況の中で、不測の事態に陥ってはいけない、そういうことも考えました。」と来るのである。 ここには、福田首相の本音がある。そして、福田首相が、突然の辞任を決意せざるを得なかった根本原因が垣間見れる。ズバリ言えば、それは現政権から公明党が距離を置きつつあるという現実である。 そして、ここまで至ってしまった直接の原因は、今回の改造内閣に、浜四津公明党代表代行などを取り込めなかった人事の失敗にあると見ることができる。 2 公明党「地方議員懇談会」で何があったか 少し、時系列に、事実を追ってみよう。公明党は、7月17日と18日、東京信濃町の党本部で、「地方議員懇談会」を開催した。17日が東日本、18日が西日本で、それぞれ40名の地方議員が出席し、党幹部の太田昭宏代表、浜四津敏子代表代行、北側一雄幹事長、山口なつお政調会長らと活発な意見交換がなされた。 そこで、話された内容は、執行部批判とも受け取れるような厳しいものだった。それは、第一に、地方財政がどの地域でも例外なくひっ迫している中で、国民生活が本当に厳しさを募らせていること。第二にそしてもしこのようなままに、不人気な福田首相自公連立政権が続き、衆議院選挙になったならば、選挙は戦えないとの切実な訴えだった。 一番大きいのは、この10年自公政権を維持して大車輪の働きをしてきた地方議員が、現状では選挙戦ができないと執行部に発言したことだ。 この時に、公明党執行部は、党綱領2に明記されている「生活者重視の文化・福祉国家」(国民生活重視)の方向にスタンスを取らなければ、公明党自身が、危うい状況になると看過し、福田内閣へ、一定の距離を置きながら、連立政権の中で、国民に公明党としての存在感を出して行く以外にないと考えたのではあるまいか。 8月1日に船出した福田改造内閣に、浜四津氏が入閣しなかったことで、公明党は、明確に、福田政権と距離を置くことになった。それで、次ぎに公明党が、8月11日に発表された「総合経済対策」に、強引に押し込んだ政策がある。それは「所得税の定額減税」である。公明党執行部としては、全国の地方議員からの切実な訴えを、自公連立政権の中で、公明党が勝ち取った成果として示す意味が必要だった。公明党でこの交渉に当たったのは、山口なつお政調会長と言われる。自民党側は、場合によっては、連立を解消するような勢いで交渉する公明党の圧力によって、再び赤字国債発行に頼らざるを得なくなる公算大の政策を、福田新内閣の初仕事とも言うべき「総合経済対策」に盛り込まざるを得なくなったのである。 3 公明党の連立離脱の可能性と福田辞任の因果関係 福田首相辞任後、気になるインタビューがあった。9月1日夜、国民新党代表代行の亀井静香氏が出てきて、公明党の浜四津さんが私のところへ来て、選挙協力の話をしたというものだ。いつ、どのような内容かは、分からない。しかし亀井氏が、虚偽の話をするとは思われない。事実として、公明党の執行部浜四津代表代行がやってきて、自民党以外の大物衆議院議員に接触し「連立解消」を視野に入れたという点は、自民党幹部、とりわけ福田首相にとっては、非常にショックな事実となる。 同じことを、文化放送に出演した民主党鳩山由紀夫氏が語ったと、9月4日朝、TBSの人気番組「みのものたの朝ズバッ!」で、みのもんた氏が証言していた。鳩山氏は、民主党議員の名と接触した公明党議員の名は言わなかったというが、公明党が、自民党と距離を置き始めていることを物語るものだ。 このことをシンプルに考えれば、公明党執行部は、地方議員の声をすくい上げる中で、衆議院選挙において、自公勢力が圧倒的に不利であることを、謙虚に受け止め、自公の連立解消が現実として目前に迫っていることを考えた動きをしているということになる。今後、自公連立政権が、どのようになるかは分からないが、少なくても「選挙を戦えない」という公明党地方議員の声は、予想以上に重い。公明党執行部は、衆議院選挙後のことを考えているということだろう。 福田首相辞任の背景には、この公明党の連立からの離脱という大きな動きがあったのではなかろうか。つまり福田康夫氏は、彼なりに、己の「先を見通す眼」というものを信じ、「職場放棄」としての辞任劇を決行したことになる。 4 結論 崩れる自公連立政権 以上、事実の断片をつなぎ合わせて考えるならば、福田首相が、「人ごとのような態度」という政治記者の言葉に、過剰に反応し、内部に抑え付けていたものを、一部抽象化はしたものの、吐露したことになる。つまり福田首相は、自分がこの座にいる限り、選挙は戦えないとして、連立政権の一方の雄である公明党が、連立から一定の距離を置き、離れるような行動を取りつつあることを客観視しているのである。 結局、唐突な首相辞任の背景には、この公明党の連立からの離脱(一定の距離を置き→離脱の可能性)への動きというものがあったという可能性が極めて高いと言わざるを得ない。そこで福田康夫氏が取った行動は、どんなに唐突に見えようとも、彼は彼なり世間の誹りを背負う覚悟をもって、一見「無責任な職場放棄」としか見えない辞任劇を演じたことになるのである。 会見の席から去って行く、福田氏の後ろ姿を見ていると、何とも日本政治のひ弱さと民意を反映していない政治状況を実感し悲しくなった。 ◇ ◇ ◇
|