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[25455] デビルメイクライ クロスSS短編シリーズ 【メタルギアソリッド 鬼哭街】
Name: cigger◆964dce9a ID:3e9b394a
Date: 2011/01/21 02:19
タイトル通り、デビルメイクライのクロスSSを投下しちゃおうというシリーズ。

鬼哭街クロス:ニトロプラスのゲーム、鬼哭街と、カプコンのゲーム、デビルメイクライ3とのクロスSS。時間軸は両作品の本編開始前。

メタルギアソリッドクロス:メタルギアソリッドの1から2の間と、デビルメイクライ3とのクロス。DMCサイドはゲーム本編前(一部DMC2の悪魔も登場)。



[25455] ×鬼哭街 【鬼剣 魔剣】 前編
Name: cigger◆964dce9a ID:3e9b394a
Date: 2011/01/19 00:03
鬼哭街×デビルメイクライ3

【鬼剣 魔剣】

 浦東金融貿易区。
 さながら竹林の如く立ち並ぶ摩天楼と、それらが放つイルミネーションの光の海は、ここが亜細亜において文化と経済の中心である事を誇示しているかのようだ。
 道路には前時代より変わらぬ有輪の自動車が、そしてビルの合間では空中に敷かれた誘導軌道の上を推力推進車両(スラスト・ヴィーグル)が流れ行く。
 都市と言う無機質な肉体に通う血脈は、昼と言わず夜と言わず、休む事はない。
 ここは上海。
 一千万を超える人間が住まい、二十世紀の昔から世界に名立たる大都市十指の内に数えられた魔都である。
 そして、大きな街は自然と清濁を併せ持つ。
 英国系金融機関の香港上海銀行を中心に中国金融の中心となり。
 二十世紀後半、改革開放政策により外国資本が流入して上海はさらに目覚ましい発展を遂げた。
 中国のみならず、東洋においての経済の中心地、それが表の顔としての上海。
 だが、人の世には常に裏と影が潜む。
 ナイトクラブやショービジネスの堅気でも足を踏み込めるものから、ドラッグに非合法なサイボーグパーツ、武器を中心とした裏社会。
 それら犯罪を中心とした後ろ暗いしのぎを行うのが、幇である。
 遥か昔、南京条約によって香港島が割譲されるより前からこれらの組織は存在し、国家権力の目の届かぬ都市の暗部で蠢き、成長した。
 今この上海を、つまりは全亜細亜の中心地にて最も栄えた組織こそ――青雲幇である。
 武林に名を馳せし多くの侠客を抱え、武力、経済力の基盤はユーロシンジゲートからロシアンマフィアまでもが脅威として認識するほどの大組織だ。
 そして、組織が大きければ大きいほど、敵も多くいる。
 その日、月下の上海旧市街において屍山血河が築かれた理由も、詰まるところそんなものだった。
 場所は人通りも少ない旧市街、表向きは仏人起業家が買ったという事になっていたビル。
 だが実際の持ち主は、香港に裏サイバネティックス産業の流通を奪われたロシアンマフィアの大物である。
 利潤を奪った青雲幇への奇襲を企てた彼らは、こうして旧市街に潜伏し、幇会の経済的基盤である上海義肢公司へ攻め込む準備をしていたようだ。
 照明の落ちたビルの中で倒れている武装サイボーグの諸々は、誰もが火器で武装していた。
 しかし、彼らの死体は実に妙だった。
 傷のどれもが銃火器による損傷ではなく、鋭利な刃物による斬撃で急所を裂かれている。
 さらには、一切外傷がなく、ニューラル神経系を焼き尽くされている者さえいた。
 果たして下手人はどのような者か。
 普通ならばこう考えるだろう。
 相手を力任せに両断する膂力を持った重装甲サイボーグに、高出力電磁パルスを発生させる光学兵器を持った者。
 と。
 だがしかし、現実の回答はその想像を遥かに超えたものだった。

「……」

 静かな、暗く闇の立ちこめたビルの中を無言で歩く下手人の姿は、誰がどう見ても生身の男だった。
 黒い髪、ややこけた頬、鋭さを湛えた眼差しに暗中にあってなお黒い外套姿。
 肝の小さい者が暗夜に出会えば、死神か幽鬼とすら見紛うだろう。
 いや、実際今夜この場で屠られた者からすれば、正に死神と形容して相違あるまい。
 一切の改造を施されていない着のままの五体。
 手には得物である、血濡れの倭刀を引っさげていた。
 誰が信じようか、この男は段平の一振りを以って銃火器で武装したサイボーグの巣窟に斬り込み、これを殲滅したのである。
 肉の身が振るう刃が超硬質の多重積層装甲を裂き、血の通う掌が置換されたグラスファイバーの人工神経組織を焼いた。
 それは、今は廃れた武林の一派と、その秘奥に他ならない。
 かつて武林には、大きく分けて二つの体系が覇を競っていた。
 片や筋骨に頼り、膂力や瞬発力を鍛える外家。
 片や呼吸や血流を律する事で経絡を繰り、氣を練る内家。
 極め尽くすとなれば、通常の人体を超えた力を氣で練り上げる内家の方が上。
 それが昔から武林における常識だった。
 しかし、サイバネティックス技術の普及により外家拳士の多くが肉体を機械化し、軍用兵器すら上回る戦力を有してより状況は一変した。
 誰もが簡単に機械仕掛けの体を得られ、その機身で以って鍛えた功夫を発揮する。
 それは並みの内家拳士の及ぶところではない、圧倒的な力だった。
 今まで量と質の拮抗を保っていた内家と外家のバランスは崩壊し、今武林に跋扈するのは総身を機械化したサイバー外功派がほとんどである。
 しかし、この黒き死神の男は違う。
 生まれ持った生身の体にて繰るは、深淵なる内家内勁術の武技。
 己を狙う銃口の火線を殺気と意で読み、軽功術により接近。
 そして振るうは、主力戦車の前面装甲にすら斬り込む、勁を練り上げた倭刀の一撃だ。
 数多の戦地を巡り歩いた兵士崩れのロシアンマフィアをして、その功夫の冴えは想像を絶するものだった。
 最初は生身の男と侮り三人斬られ、狼狽が故に二人が斬られ、純粋なる功夫の前に三人が斬られ。
 残る一人は、男の掌から放たれた超高出力の電磁パルスで絶命した。
 それこそ男の会得した内家武術、戴天流が編み出した対サイボーグの秘奥、紫電掌である。
 丹田にて練った練った氣で電磁パルスを生み出し、それを掌より相手の身に放つ。
 いかに神経パーツをシールドしていようと、直接機械の体に電磁パルスを打ち込まれれば、あるのは絶対的な死。
 この技を駆使するが故に、彼はこう呼ばれている。
 青雲幇が凶手、紫電掌の孔濤羅(コン・タオロー)と。
 
「……ふむ」

 濤羅は愛用の倭刀を手に、怪訝な顔をして屋内を進んだ。
 事前に幇会の掴んだ情報通り、都合九人のロシアンマフィアの尖兵を冥府に送ったわけだが、どうにも解せない。
 一流の武術家にして、殺し屋、凶手として死地を潜り抜けた鋭敏な第六感が何者かの気配を察知したのだ。
 まさか、情報にない敵の伏兵だろうか。
 しかし、だとしたら襲い掛かるなり逃げるなり、取る行動があろう。
 濤羅が一戦交えた事は、銃声や悲鳴で知れていよう。
 もしや怯えて隠れているのだろうか。
 だとしたら……探し出して斬り捨てるのは正直忍びない。
 任務である敵組織の殲滅、幇への忠義、人としての情。
 諸々の感情が、胸の内で波濤となって渦巻く。
 眼差しに陰鬱を溶かしながら、濤羅は気配を辿ってゆっくりと歩んだ。
 行き着いた先は、近代的なビルの中にあって異質な書斎だった。
 壁紙から床に敷かれた絨毯、頭上から照る照明も、並ぶ木製の本棚も、全てが前時代的な古雅を漂わせている。
 そこで濤羅は思い出した。
 このビルの前所有者は、随分な書物の収集家だったらしい。
 職場であるこのビルに、私的な蔵書の保管スペースを幾つも作ったそうだ。
 気配を探りながら、濤羅の視線は並ぶ本の背表紙を見る。
 書かれているのは異国の文字であるが、読み取れる単語はどれも卦体なものばかりだった。
 悪霊、霊魂、心霊、交霊術、魔術、魔法。
 そして……“悪魔”。
 なるほど、ここの以前の主は相当なオカルト好きだったらしい。
 ビルを買収したロシアンマフィアの走狗共も、不気味がって手をつけなかったわけだ。
 そんな事を考えながら毛足の長い絨毯を踏みしめて進み、ついに濤羅は気配の主を見つけた。
 そこには、後ろ姿を無防備に晒す青年がいた。
 身長百九十センチは超えていよう、引き締まった長身。
 その身に纏うのは、深遠なる海原を思わせる蒼き外套。
 後ろに撫で付けて逆立った銀髪が、灯りを受けて艶やかに輝いている。

(やるならば……今が好機か)

 相手は濤羅に背を向けている。
 彼の軽功術を駆使すれば、それこそ物音一つ立てず跳躍し、指一つ動かす暇もなく首を跳ねられよう。
 殺すならばせめて苦痛なく。
 濤羅は手にした得物、愛用の倭刀の剣柄を握り、静かに鯉口を切る。
 だが彼が一歩を踏み込むより速く、蒼き外套の青年が振り返った。

「……ッ」

 その瞬間、濤羅は肌が粟立つのを感じた。
 自分を見つめる異国産まれの美貌と、澄んだサファイアの双眸。
 五体の全細胞がその眼差しに危険を関知して、警鐘を鳴らしている。
 一呼吸で間合いを詰める筈だった歩みを寸前で止め、濤羅は黒鞘から僅かに刀身を覗かせたまま目を細めた。
 果たして、彼は何者だろうか。
 濤羅の踏み込みを事前に察し、青雲幇の凶手をして震える程の気迫を放つ。
 明らかに先ほど屠ったロシアンマフィアの兵隊連中とは、一つ格が違う。
 よく見れば、相手も得物を一振り持っていた。
 本を持つ右手とは反対の左手が握るのは、奇しくも濤羅と同じく倭より伝来した刀剣。
 いや、それは伝来したなどではなく、正調にかの国で鍛えられし業物だろうか。
 鍔や柄頭、鞘尻の拵えには、雅趣薫る細緻な彫金が施されている。
 下げ緒も、珍しい編み方をされた柄巻も、美しく染められていた。
 そして長大だ。
 憶測するに刀身だけでも三尺を上回って余りある。
 濤羅の倭刀も相当な大太刀であるが、相手の日本刀はそれよりも長く大きい。
 こんな物を持ち歩くとは、もしや、彼もまたどこぞの武林に名を馳せた剣客であろうか。
 自然と濤羅の思考は、そのような帰結に至る。
 
「ここの連中では、ないな。一体どこの誰だ」

 下手なチンピラ連中であれば震え上がるであろう、気迫に満ちた濤羅の詰問。
 だがその声音をすら、異国の美男子はそよ風の如く受け流す。

「――答える義理などない」

 まるで路傍の石ころでも見るような眼差し。
 倭刀を抜刀寸前で構える濤羅の姿に、微塵の警戒すら抱いていない。
 ただの馬鹿か、よほどの傑物か。
 どちらにせよ、斯様な問答をする相手に姿を見られた以上、濤羅の取る道は一つであった。

「恨みはないが……死んでもらう」
 
 言うが早いか、既にその身は相手を刃圏に捉えていた。
 全身の経絡を巡り、丹田で練り上げられた内勁の力は風のような踏み込みを実現する。
 おおよそ三丈あまりの距離、普通ならば刀剣の間合いには遠きその彼我の距離が一呼吸で詰められ、倭刀の刀身が踊る。
 頭上より照る蛍光灯の光を反射し、濡れたように光る兇刃の一閃。
 しかし、本来訪れる筈だった骨肉を絶つ感触はなく。

「くッ!?」

 代わりに濤羅の苦悶が迸り、鍛え上げられた刃同士の睦む衝撃と共に甲高い金音が鳴り響いた。
 あろう事か、意よりなお速い濤羅の内家剣術を前に、異国の美剣士は単純な反射によって斬り返したのだ。
 その長大な日本刀を、一体いつ抜いたのか。
 相手の意を動きより速く察する内家剣術家の濤羅をして測り損ねるほどの早業である。
 二跨ぎ後退し、距離を取る濤羅。
 心中には必殺の剣を防がれた感嘆と、相手の身に対する純粋な驚愕が満ちる。

「お前……サイボーグではないのか?」

 濤羅ほどの剣客ともなれば、一合刃を交えれば相手が如何なる類の者か察しはつく。
 肉体のどの箇所を、どの程度機械化したサイバネ拳士であるかを。
 今彼の目のまで悠然と刃を構えた男は、あろう事かサイボーグではなかった。
 それは純然たる肉の体。
 濤羅と同じく生身の体である。
 しかも内勁を練った様子も見られぬというのに、重装甲サイボーグが如き膂力で濤羅の内勁剣を斬り返した。
 武林のいかなる常識の内にもない、さながら“悪魔”染みたこの事実に、歴戦の凶手の額に汗が流れる。

「お前ら“人間”と違って、俺にそのような下賎な術は必要ないのでな」

「……?」

 まるで自分が人でないとでも言いたげな台詞に、濤羅は疑問符を浮かべる。
 だが、相手はそんな事などお構いなしで殺気を大気に滲ませ、笑んだ。

「興が乗った。少し遊んでやろう――人間」



 遥か二千年前、人界を悪魔の侵略が襲った。
 人の世と次元を隔てた先、存在する悪魔の住まう地、魔界。
 その魔界の王、魔帝ムンドゥスが数多の悪魔の軍勢を従え、人の世界までも掌握せんと侵攻を行った。
 人と魔、その力の差は甚だしく、人々は魔の軍勢を前に屈さんとした。
 だが、そこに希望の光が射す。
 悪魔でありながら人の心と正義に目覚めた、魔剣士スパーダ。
 彼はその刃を以って数多の同族を斬り伏せ、遂には主君ムンドゥスをも倒し、人の世に平和をもたらした。
 今でも世に神話、童話の類として語られる、伝説の魔剣士スパーダの物語。
 しかし誰が知ろう、その物語が真実であったなど。
 神話の物語には続きがある。
 スパーダは魔帝を倒した後も二つの世界を封印で絶し、魔界の侵攻に備えて人の世に残った。
 そして世界中を巡り、ついに安住の地を定めて根を下ろし、妻を娶った。
 妻との間に双子の子宝に恵まれ、悪魔としての生を捨てた彼は、遂に人界において人として天寿を全うした。
 だが、まるでその時期を見計らったかのように、残された妻子を悲劇が襲った。
 魔界にてスパーダに倒された時の傷を癒していたムンドゥスが配下の低級悪魔を放ったのだ。
 彼の妻は殺され、双子は離れ離れとなった。
 双子の片割れ、ダンテは悪魔への憎しみから便利屋を営む傍ら、悪魔狩人として人に害を成す悪魔共を狩る道を選んだ。
 しかし双子のもう一方、バージルはまったく違う道と考えを選んだ。
 バージルが憎んだのは、己の無力。
 大切な者さえ守れず、ただ奪われ蹂躙された自分自身への怒りだった。
 母の死から感じた己への無力、力こそが全てという考えを持つようになった彼は優しさや正義感といった感情を捨て、悪魔として生きることを選んだ。
 人としての感情を断じて父から継いだ悪魔の力を極める、それこそが己が道と信じ。
 父の形見の一つ閻魔刀(やまと)のみを共に、バージルは世界を巡り歩いた。
 ある時は人界に顕現した悪魔を斬り、ある時は人を斬り。
 強くなる為の糧として父スパーダの痕跡を探す。
 多くはただの神話や民話レベルの愚書であったが、中にはかつてスパーダが駆使した魔力・魔術の使い方が記されているものもあった。
 戦いの中でそれらの技を自分でも使えるかと試し、いつしかバージルは並みの悪魔を話にせぬまでの力を得る。
 されど渇きが癒える事はなし。
 力を、もっと力を……。
 内から湧き上がる渇望のまま、そうしてバージルは魔都上海に訪れた。
 目的はその筋の情報から仕入れた、悪魔に関する書物。
 さる蒐集家の残した蔵書であった。
 探し当てた目的のビルには、何やらキナ臭い連中の巣窟と化していたが、特に気にする必要もなかった。
 元より見せてくれなどと頭を下げるつもりもない。
 勝手に忍び込み、勝手に読んで帰れば良い。
 もし咎められたとて、斬って捨てるだけの話だ。
 いざ忍び込んで目的の書斎を漁ったバージルだったが、内容は期待していたようなものではなかった。
 多くの書がそうであるように、それらもまた単なる愚にもつかない民話の類だった。
 心中に湧く失望のうち、バージルは虚しく文字を目で追う。
 だが、ふとビルの中で何やら騒がしい音が響くのを感じた。
 聞こえてきたのは銃声と悲鳴、剣戟の甲高い残響。
 丁々発止の合唱。
 いつしか音が止み、何者かの気配が近づいてくる。
 振り返れば、そこに立っていたのは一人の男だった。
 長身痩躯に黒の外套、黒髪をした闇色の姿。
 薄い皮製の手袋をした手には、得物たる倭刀が握られていた。
 艶の失せた黒鞘といい、飾り気のない柄頭といい、銘刀の類ではありそうにない。
 だがその過酷な風月を偲ばせる蒼然の程は、熾烈な使い込みに耐え抜いた業物の証とも取れる。
 刃渡り三尺あまりの大太刀からは、眼前に居合わす己を斬らんとばかりに鋭い剣気が迸っていた。
 そして僅かな問答の末、斬り込む峻烈なる刃の閃き。
 最初は相手にする気などなかったバージルだが、その刃を前にほくそ笑む。
 思い起こせば、最後に刃を振るったのは果たしていつだったか。
 たまには人の使い手と斬り結ぶのも悪くはあるまい。
 凄絶な薄笑みを浮かべ、バージルの手が白塗りの柄糸で結ばれた剣柄を握る。
 そして、闘争の火蓋は切って落とされた。


 
 凶手の屠った屍から、緩やかに死臭が立ち上る屋内で、二人の剣士が間合いを計り合う。
 片や内家内勁術を極めた戴天流の使い手。
 片や父譲りの妖刀を振るう半魔の美剣士。
 埃の舞う淀んだ空気の中、交錯する両者の眼差しは切れ味すら感じさせる。
 音もなく、声もなく、毛足の長い絨毯の上で靴底がにじり寄る。
 幾秒か、幾分か、時間の感覚すら危うくなる気迫の応酬。
 まず踏み込んだのは、半魔の美剣士だった。

「Die!!」

 相手への死を叫び、疾走と共に放たれる居合の抜き打ち。
 内家軽功術を使えるわけでもないというのに、その速度たるや、濤羅をして驚愕せしめるものだった。
 右側方から薙ぎ払われる刃の一閃。
 内家武術家の対応は回避だった。
 軽功術の妙を尽くした跳躍は一瞬にして相手の間合いより離れ、距離を取る。
 斬撃の刃圏の内にあった本棚が刃に遅れて両断され、自重に任せて崩れ落ちた。
 重い木材の塊が絨毯の上に落ち、斬り裂かれた本の紙片が紙吹雪の如くゆるやかに舞い散る。
 古びた本のかび臭い匂いの中、濤羅が調息し、反撃の内勁を練り上げた。
 内勁の力を練られた倭刀の刃が、軽功術の踏み込みで神速の突きと化す。
 戴天流が一撃必殺の刺突技、貫光迅雷。
 重装甲サイボーグの多重積層装甲すら容易く陵辱する内勁剣の一撃が、紙片の吹雪を縫って閃く。
 相手の意を読み、動きの機先を制する内家の剣、避ける暇もあるまい。
 そう断じて余りある濤羅の刺突はしかし、血の花弁でなく火花の飛沫を産んだ。
 応ずるは妖刀の白刃。
 一度居合いから抜き放ち、大きな隙を生んだ長大なる大太刀は既に迎撃の形を取っていた。
 脳天目掛けて迫る死閃を下から掬い上げるようにバージルは凌いだ。
 読まれたか、それとも単純な反射か。
 答えは両方。
 幾千の死闘に身を委ねた剣士の慧眼、そして魔の眷属たる半魔の身が成す絶技に他ならない。
 だが自らの一手を防がれてなお、濤羅の心中に焦りはなかった。
 内家の深奥とは即ち、機先を制する相手の意を読み取り、後の先にて斬り返す事。
 反撃として振り下ろされるバージルの上段が生む刃圏も、既に濤羅の意識は十全に捉えていた。
 大気を裂く超絶の上段斬り落としを、濤羅は僅かな体捌きだけで見事に躱す。
 そして繋がる凶手の連撃。
 倭刀を持つ右手体側を引くように足を運び、裡門頂肘の肘打ちがカウンターとして炸裂した。
 内勁を練られ、サイボーグの強化樹脂製ボディすら軋ませる肘がバージルの体の真芯に決まる。

「ぐおッ!」

 硬い肘が肉の体に沈み込む、低く歪な音色。
 美剣士の顔が苦悶に歪み、身を戦慄かせて怯み下がる。
 これを見逃す戴天流に非ず。
 次なる刹那、脇に引かれた倭刀の白刃は血を求むる餓狼の如く猛り吼えた。
 身を捻り、黒の外套を死神の黒衣とばかりに棚引かせ、懇親の斬撃一閃。
 死角より相手の頚部を裂かんと横薙ぎに振るわれるのは、戴天流が技の一つ鳳凰吼鳴。
 斬った! 振るいきる刹那、濤羅をしてそう確信する会心の斬閃である。
 だが、倭刀の禍々しく鋭い煌きが絶ったのは虚空。
 濤羅の双眸は、数歩跨ぐ程度の距離を後退していた蒼き外套の美剣士を見た。

(……何だと?)

 ありえない。
 そう心中で驚愕しつつも横薙ぎに振るった刃をすぐさま戻し、正眼に据えた峨眉万雷の構えとする濤羅。
 しかし心の内で生まれる疑問符は、相手の想像を絶する移動に今も疼く。
 一体先ほどのは何だ?
 後ろに退いた動きがあれば、その意を読めぬ戴天流内家内勁術でない。
 まさか身を動かさずに移動する方法でもあろうというのか。
 瞬間移動、そんな世迷言が黒衣の凶手の胸中で過ぎる。
 だが、濤羅のその考えは微塵も誤ってなどいなかった。

「刃の上で俺を凌ぐか……人の武技も、そう舐められたものでもないらしい」

 感嘆を交えた言葉を零しながら、異国の剣士がするりと納刀する。
 音もなく吸い込まれるように鞘の内に刃が納まり、最後に鍔が鞘口に触れる僅か手前で止まった。
 再び居合の構えを取るバージル、それを正面から見据える濤羅。
 両雄の間に流れる空気が、今までにも増した気迫の重圧に満ちる。
 先ほどの不可思議なる移動を見た故か、濤羅は待ちに徹して揺るがない。
 絨毯を踏みしめる足は根を張ったように動かず、刃の鋭さを湛えた双眸は美剣士の一挙手一投足を逃すまいと眼差しを注ぐ。
 さあ、これをどう攻むる。
 相手を見据える凶手の眼差しは、まるで挑発するかのような色を帯びた。
 
「面白い……」

 戦意をそそる濤羅の視線に、バージルの口元が獰猛に綻んだ。
 並みの使い手ならば、その軽妙にして深遠なる内家の剣を前に竦みもしよう。
 だがこの男は人の仁徳や義忠、慈愛も正義も捨て、ただ力のみを求めて闇に堕ちた剣士。
 今さら何を恐れよう。
 居合いに構えたバージルの総身から、闘気と共に揺らめく蒼き燐光、魔力が溢れる。
 未だかつて見た事もない、妖しくも美しき仄光に濤羅の警戒が増す。
 次はどう来るか、どう刃を振るうか。
 居合に構えた以上、初手の形には検討がついていた。
 再び右側方から神速の居合いが訪れるは必定。
 ならば後の先を以って迎え打たんと、濤羅の構えた倭刀は魔剣士の刃を待ち構えて不動の内に剣気を滾らせる。
 研ぎ澄まされた眼差しを絡め、睨み合う二人の剣士。
 まず動いたのは、闇色の外套だった。
 短い一歩を濤羅が踏み込み、バージルの居合を誘う。
 そして、銀髪の美しき剣士はその誘いに乗った。
 しなやかに引き締まった長躯が肉食獣のように撓み、剣柄を握る手に力が篭る。
 濤羅は来るべき居合の斬閃を待ち、鉄壁の峨眉万雷。
 バージルが大きく一跨ぎ、距離を詰めんと迫る様に全神経を集中させた。
 だが次なる刹那、濤羅の瞳はありえぬ光景を見た。
 今正に斬り込まんと踏み込んだ異国の剣士が――消えたのだ。
 まるで熱砂の上に出でた蜃気楼の如く、蒼き外套も白銀の髪も、ふっつりと消失した。
 だが殺気は消えずに残っていた。
 否、移動したと言った方が正しいだろう。
 切っ先のように鋭利な殺意の圧力を、果たして濤羅は背後から感じた。
 
「ッ!?」

 黒の髪と外套を振り乱し、振り返る凶手。
 その眼差しの先には、顔が触れんばかりにまで接近した魔剣士の美貌があった。
 濤羅の貌が驚愕の一色に染まる。
 それは内家、外家を含むあらゆる武術を超越した技法。
 悪魔が魔力を以って成す、魔法魔術の類であった。
 特にバージルが得意とするのが空間を操る術。
 先ほど濤羅が振るった必殺の鳳凰吼鳴を躱したのも、この空間転移を用いての回避である。
 千里の距離ともなれば無理もあるが、数歩の間であれば一瞬にして距離を詰めることが出来る。
 いかな剣の達人とて叶わぬ瞬間移動。
 さしもの濤羅も、これには即応を果たせなかった。
 剣を振るうにしても近すぎる、かといって掌打の類を出すにしても、内勁の練りが不完全である。
 引かんとする濤羅、だが美剣士の技は逃すまいと宙を薙ぐ。
 繰り出すは刃でなく鞘。
 長大な日本刀を抜くよりも挙措に無駄のない、鞘による打撃が翻る。
 横薙ぎの打撃が濤羅の脇腹を打ち、筋骨の軋みが鈍く響いた。

「がぁッ!」

 内勁を練って硬気功による防御もままならなかった。
 肋骨は砕け、息が詰まる。
 衝撃によって蹈鞴を踏む濤羅に、さらなる追撃が狂える牙を剥いた。
 今度こそ我が白刃に血を吸わせん、その意気を以っての居合抜刀の構え。
 既に凶手の身は、魔剣士の刃圏の内にあった。
 麗しき美貌を狂悦に歪ませ、バージルは迷う事無く踏み込んだ。
 微塵の淀みなく流れる鞘走り、抜き放たれる三尺超の刀身は凶手の首級を欲して妖しく煌いた。
 死ぬ。
 砕かれた脇腹より全身をつんざく痛みに悶えながら、濤羅の心が死を認識する。
 だがその瞬間、迫り来る死の斬閃にもう一つの刃光が牙を剥いた。
 高らかなる金音一声。
 首を刎ねんと奔った魔剣士の刃が、下段より逆流れた倭刀に斬り上げられていた。
 その時、濤羅に剣をどう振るおうかという意はなかった。
 正しくこれこそ内家内勁剣術の深奥。
 一度鞘より放てば、打ち手の意に先んじて敵を絶つ。
 戴天流刀術を会得せし、一刀如意の境地である。
 粉砕骨折を起こした肋骨が肺腑に刺さり、口元を血の朱で濡らしながらなお、濤羅の眼差しが力を持つ。
 いかに相手が己の想像を絶する技を繰ろうと何がある。
 我が手には、この半生を賭けて磨いた剣技があるではないか。
 そう思った時、濤羅の手は既に次なる刃を振るっていた。
 死地にあって涼やかな境地に立った凶手が放つは、戴天流の秘術を尽くした殺法。
 まず深く踏み込んで、袈裟懸けに刃を振り下ろす放手奪魂の一刀。
 軽功術の妙技にて神速に達した剣を、バージルは事も無げに刃を掲げて防ぎきる。
 だが、この一手が防がれる事は既に承知済みである。
 一度防御に回った魔剣士に、内家剣士の刃は驟雨と化して攻めた。
 次いで紡ぐは横薙ぎの斬撃、鳳凰吼鳴に、相手を眩ます虚手を幾重にも入り混ぜた連続技、連環套路が唸りを上げる。
 軽く、速く、鋭く、そして柔靭に。
 気孔と内勁術によって繰り出される濤羅の刃、それを悪魔の力と反射神経で防ぐバージルの刃。
 繚乱と二つの白刃が踊り狂い、濡れたように反射する光で文目を描いた。
 甲高い金音の合唱が、幾重にも幾重にも鳴り響く。
 果たして、それは何合目だったか。
 受け手から攻め手に転じようと、美剣士が強引に鍔競りへと持ち込もうと踏み込み。
 それを読んだ黒衣の凶手が軽やかに身を引く。
 受けるどころかむしろ誘い込むように剣を引かれた事で、バージルの身が余計な力を込めて踏み込んでしまった。
 崩れる体勢のまま蹈鞴を踏み、振り返った時には濤羅の追撃が吼える。
 バージルが見たのは、一面の黒。
 翻った長衣の裾を目眩ましとして放つ電光石火の蹴り技、臥龍尾の炸裂。
 麗しい美貌が蹴りの衝撃で歪み、口内から血を流しながらバージルがよろめく。
 その隙は、もはや致命的だった。
 黒の眼差しに屠る相手への憐憫を孕み、濤羅の身が風と化す。
 鋭く硬い刃が肉と骨を貫き抉る音色が響き、鮮血が毒々しい華を裂かせた。
 
「……ッ」

 声にならぬ声を上げ、己の胸に深々と刺さって心臓を貫く刃を、バージルは見つめた。
 今度こそ決まった、戴天流必殺の刺突技、貫光迅雷。
 紛う事無く心の臓を貫いた刃は、返す刀で臓器を抉りながら音もなく抜かれた。
 迸る血の飛沫。
 蒼き外套を紅く染め、異国の美剣士が、どう、と倒れる。
 死闘だった。
 愛用の倭刀を残心に構え、濤羅は名も知らぬ異国の剣士の力量に感嘆した。
 内家でも外家でもない、魔としか形容できぬ技前。
 もし一歩間違えば、今こうして倒れていたのは自分かもしれない。
 そう心中にて肝を冷やしながら、濤羅は刃を血振りして鞘に収め、場を立ち去ろうと歩む。
 だが、しかし……。

「勝ったつもりになるのは――まだ早いぞ」

 死した筈の屍の声が、その足を止めた。
 振り返る。
 そうすれば、今しがた絶命した美剣士が、ゆっくりと立ち上がっていた。



[25455] ×鬼哭街 【鬼剣 魔剣】 後編
Name: cigger◆964dce9a ID:ea83a294
Date: 2011/01/19 00:03
 濤羅の手にはまだ、彼の心臓を貫いた感触が間違いなく残っている。
 だとすれば、今目の前で起きている事は何なのか。
 胸元を血で汚しながら立ち上がるバージル。
 その足取りは確かで、とても体を貫かれた者のそれではない。
 これが、人と魔の圧倒的な差だ。
 半魔といえど、バージルは悪魔である。
 心臓を刃で抉られた程度で死に至る身ではない。
 濤羅の驚愕をよそに、魔剣士は手にした刃を翻す。
 鮮やかな銀の円弧を描いて振るわれる妖刀。
 音もなく鯉口に吸い込まれた刀身は、するりと鞘の内に納刀される。
 そしてまた、居合の構えを取った。
 急所を突かれてなお死なぬ相手に呆然としながら、濤羅もまた構えた。
 再びあの空間移動が来るか。
 今度は死角よりの攻撃を警戒し、眼前のバージルだけでなくあらゆる方位に気を張り巡らせる。
 そんな濤羅に対して、美剣士はどこか憂いを帯びた眼差しで見つめ、告げた。

「正直、詫びよう」

「……?」

「お前を人と思い、侮っていた」

 その瞬間、バージルの視線に篭る圧倒的な殺意と剣気。
 もはや肉眼でありありと見える程に魔力が膨れ上がり、蒼き外套をはためかせる。
 距離を隔ててなお熱く滾るのを感じる魔力は美剣士の掌に凝縮し、剣柄を巡って閻魔刀の刀身へと注がれていく。
 その様に、濤羅の全身の細胞が悲鳴を上げた。
 危険だ。
 次にヤツが放つ技は、尋常の程ではない。
 剣士としての経験が、生物としての本能がそう叫ぶ。
 思うが速いか、濤羅は駆けた。
 内家軽功術の妙技を尽くした跳躍にて、最速の斬撃で今度こそ息の根を止めんと刃を振るう。
 だがしかし、彼の刃が届くより先にバージルの技は成った。
 濤羅の目にも留まらぬ神速の抜刀があり、鍔成りの音が幾重にも響く。
 あらぬ方向、何もない虚空を刻む斬撃だ。
 それが果たして何を意味していたか、理解するのは受けた後。
 まず濤羅の視界が球形をした蜃気楼のような空間の歪みを捉え、次いで紅に染まった。
 外套ごと身を裂かれて溢れた己が鮮血。
 舞い散る朱の花弁と共に、認識する傷と痛み。
 右脇腹、左大腿、左肩、そして背中を袈裟懸けに。
 触れてもいない刃が触れ、裂かれてもいない身が裂けた。

「ば、馬鹿な……ッ!」

 足を斬られ、勢いを崩して倒れる濤羅。
 転がりながらも剣を構え、眼前の美剣士に視線を注いだ。
 相手は先ほどと変わらぬ位置、変わらぬ場所に立っているのみ。
 では、如何にして己の体は斬られたのか。
 理解できぬのも無理はない。
 それは人の身ではどれだけ修行しようとも到達する事叶わぬ術理。
 魔力を込めた妖刀の刃を以って虚空を刻み、彼我の距離を隔てた相手を空間ごと絶つ。
 名を次元斬。
 悪魔の血を引くバージルをして血の滲む修練の果てに会得した絶技である。
 そして膝を突く濤羅を前に、先の言葉通り半魔の美剣士にもはや油断はない。
 響き渡る鍔鳴りの甲高い音色。
 空間が断裂し、次元を隔てた先の獲物を求めて魔力の斬閃が乱れ吼える。
 濤羅の体を中心に、斬撃の予兆として四尺余りの空間が歪んだ。
 刻まれた脚に力を入れ、血が噴出するのを覚悟で内勁を練った側転。
 遅れて棚引いた外套の黒衣が刻まれて、裾の端が千々と散る。
 反撃か、回避か、そのどちらにせよ調息を行わねばならない。
 だがそれを許す魔剣士に非ず。
 鍔鳴りが死神の息吹とばかりに、続けて響く。
 一度、二度、三度。
 音色に合わせて出でる斬撃の球が三つ、濤羅を追って出現する。
 迫る死の刃円。
 その内に入ればどうなるか……既に身を以って知っている。
 必死に内勁を練り、軽功術を駆使しての跳躍によって四方に駆ける濤羅。
 防ぐ事が叶わぬならば、ここは逃げの一手に尽きる。
 右前上方へ跳び、眼前の本棚の壁面に着地、さらにそのまま頭上へと駆け上がった。
 天地を逆転させたまま縦横無尽に疾駆する黒い影、内家軽功の達人の前に重力の枷などあってなきが如し。
 次元斬の円刃が幾重にも出現しては濤羅の血肉を求めて煌くが、絶つのは周囲の壁や家具ばかり。
 距離を隔てた空間を裂く魔刃により、再び舞う紙片の吹雪。
 抉られた壁面の向こうからは、風と雨粒が流れ込む。
 宙を舞い散る紙と濡れた風を掻き分けながら、濤羅は逆襲の好機を見出した。
 魔剣士はこの技を行う間、身動きを取れぬという事に。
 跳躍一転、天井や壁を蹴っていた濤羅の身が床に着地した。
 黒衣の裾を死鳥の如くはためかせ、黒き凶手が今逆襲に駆ける。
 床を踏み込んだ脚に力を込め、軽功術の限りを尽くした疾走。
 今こそ我が一刀にて斬り伏せん。
 濤羅の大腿に注がれる内勁の功。
 だが、それが失敗だったと知るのは血流の毒華を咲かせた後だ。
 初手の次元斬で深く斬り込まれた濤羅の脚に過剰な内功が満ち、脚自体が耐えられなかった。
 筋が裂け、血管が破れ、左の大腿が鮮血を迸らせる。
 激痛と共に体勢が崩れて潰える疾走、気づいた時には既に濤羅の周囲を歪んだ空間が捉えていた。
 空間の歪みと歪な音色、次元を裂いて散華する魔刃の煌き、その予兆。
 間に合わぬと分かりながらも、濤羅はまともな右脚に全勁力を込めて後ろに跳躍した。
 襲い来る数多の魔力刃が彼の身を刻むのと、背後に逃げるのはほぼ同時だった。
 宙空にて斬り刻まれた血濡れの五体が次元斬で抉られた壁を砕き、外に飛び出す。
 都市の高度成長と共に穢れた大気が禊ぐ毒素の雨の中、黒衣の体躯が水飛沫を上げて落ちた。
 二人の剣士が死闘を演じていたのは三階、そのまま落ちれば普通の人間は打ち所によっては死に繋がりかねない。
 しかしこの戴天流伝承者たる凶手は、痛みと流血に意識を半ば飛ばされながらも危機に対して身を動かした。
 空中にて身を捻り、壁を蹴っての跳躍と、汚泥と化した大地の上での回転着地。
 なんとか重力落下による死は免れた。
 だが……。

「がぁ……ぐ、ぁぁ」

 次元斬の魔の円刃を受けたその身は、既に死闘を演じ続けられるものではなかった。
 左肩と左腕を千切れかけるほど深く抉られ、右脇腹の傷からは半ば腸が顔を出している。
 左大腿に次いで右下腿にも深い切傷。
 さらに数え上げればきりがない斬撃の残り香が、濤羅の全身に刻み込まれていた。
 即座に死に繋がる大血管を裂かれなかっただけ僥倖である。
 溢れる血潮が足元の汚泥に広がり、黒く濁った雨水を鮮やかに紅く染め上げる。
 倭刀を杖代わりになんとか立ち上がり、視線を上げる濤羅。
 そうすれば、既に彼の眼前には死の蒼き影があった。
 轟々と降り注ぐ驟雨の中、立ち上る水煙に虚ろな輪郭を切り抜く長躯。
 濡れて張り付いた銀の髪、大海の底を思わせる深遠の蒼き外套、手には魔力を帯びて淡く燐光を燃やす妖刀。
 濤羅の首からその身の隅々までを居合抜刀の間合いに捉えた、魔剣士バージルの姿である。
 死。
 今度こそ、濤羅はその確実なる予感を得た。
 それこそ息吹が掛かるほど間近にいる死神が、彼に黄泉路への口付けをせんと迫っている。
 
(死ぬのか……俺は、こんなところで……)

 覚悟はしていた。
 それこそ濤羅はこの時まで幇会の凶手として、数多の人を屠り、冥府に送ってきたのだ。
 自分がいつか相手に殺される、そんな覚悟は当に出来ていた。
 だが、いざその時になってみれば、胸の奥より湧き上がる激情があった。
 脳裏を過ぎる、生家の桃園。
 舞い散る桃の花弁の中、聞こえるのは嫋々と紡がれるあの琴の音、そして……自分に向けられた、優しく愛おしい笑顔。

(……端麗(ルイリー)ッ!!)

 濤羅が死の間際に想い、心焦がしたのは生家にて彼の帰りを待つ、愛おしい妹の姿だった。
 
(そうだ……俺は……あいつの、端麗と豪軍(ホージュン)の……せめて祝言の晴れ姿を見るまで、死ねないッ!)

 両親と死別してより、濤羅に残されたただ一人の家族、掛け替えのない宝である妹端麗。
 つい先日、端麗は濤羅の兄弟子である劉豪軍との婚約が決まったばかりだ。
 かつては同じく戴天流門下として名を馳せた拳士であり、そして今では若くして幇会の副泰主にまで登り詰めた好漢である。
 豪軍ならば、きっと端麗を幸せにしてくれる。
 いつか来るであろう婚儀の日、二人は祝福に満たされるだろう。
 濤羅が凶手として人の命を奪い、幇会に尽くすのはその為だ。
 元より彼は、掟や大儀の為だけに人を殺せるほど強くはない。
 全ては愛する者達の幸福の為。
 その身と心を血に浸し、地獄に堕ちる覚悟を以って屍山血河を築く。
 ならば、何故こんなところで死ねようか。
 死神の甘き誘惑を断ち切り、端麗と豪軍への想いを糧に濤羅は再び剣を構えた。
 ゆるゆると切っ先を正眼まで上げ、作られるのは雲霞渺々の型。
 無形なること霞の如く、柔靭なること柳の如し。
 静かな構えの中に無限の変化を秘めたカウンター狙いの防御型。
 その微塵の隙もない姿に、銀髪の魔剣士は嘆息を以って目を細めた。

「驚いたな、まだ戦えるか。ならばせめて……痛みを感じる間もなく、首を刎ねてやろう」

 死闘を演じた対手への憐憫と畏敬を込めて、半魔の美丈夫が身を撓ませた。
 繰り出すは果し合いの初手に放った疾走居合。
 だが、今度は腿力に魔力を込めての全力の太刀である。
 ぬかるむ汚泥に沈む足先、雨の立ち上げる水煙すら歪んで見える殺気と剣気。
 そして緊張の極限、蒼き影は疾風をすら絶つ魔刃と化す。
 尋常の者のみならず、知覚を鋭敏化したサイボーグとて視認出来ぬほどに淀みない動きと速度が超絶の居合抜刀を放った。
 煌く刃の輝線は、万全の濤羅とて反応できるかどうかという神速である。
 されど……凶手の慧眼は今その刃の軌跡をしっかりと捉えていた。
 視覚などという狭い範囲ではない。
 自分を絶たんとする意が、踏み込んだ時の大地の震動が、振るわれる刃が薙ぐ風が。
 濤羅の身に迫る死の斬撃を教えてくれる。
 死を間近にして、なお生きたいという強き想いが、愛する者への思慕が、今までにないほどの冴えを剣に与えた。
 雨中に迫る刃を、濤羅は全五感で以って把握し、その煌きに向けて踏み込む。
 足取りは軽やかにして柔靭、微塵の躊躇もない。
 充溢する内勁が総身と刀身に満ち満ちて、繚乱と踊る倭刀の刃光。
 絶対の死地にあって、濤羅の剣が成したのは、未だ会得せぬ流派の秘奥であった。
 放たれるは十条の輝線。
 誰が知ろう、薙ぎ払われるかに見えるその迸る刃の輝きが、全て刺突の残影などと。
 名を“六塵散魂無縫剣”、十度の突きを斬閃にすら錯覚させる神速で繰り出す、戴天流剣技に伝わる超絶の秘奥技である。
 激突する鋼と鋼の咆哮。
 バージルの放った絶殺の抜刀が一条の剣光に跳ね上げられ、そして残る九条の刃が美剣士を襲う。
 剣を握る右腕の肘と肩、心臓を再び突き、肺腑を二撃貫き抉り、さらには喉ごと頚椎を刺し、次いで脳天に深く刺し込んだ。
 濤羅の功夫が未だに至らなかったのか、残る三手を突き切る余力はなかった。
 だが未完成とは言えど、この技が超絶の秘剣である事に代わりはない。
 バージルの眉間から引き抜かれる倭刀の刃が、鮮やかに鮮血の花弁を散らして乱れ咲く。
 先の事を踏まえ、息も絶え絶えになりながら残心を構える濤羅。
 だが、さしもの魔剣士も今度ばかりは膝を突く。
 抉られた傷口から溢れる血が驟雨もかくやとばかりに溢れ出て、足元に広がる。
 空間転移に次元斬という悪魔の技を使い、彼もまた魔力を激しく消耗していたのだ。
 再生に費やす力が衰え、生命の紅が蒼の外套を染めていく。
 閻魔刀を杖代わりに大地に突き立て、魔剣士は美貌を激痛に歪めて血泡を咽た。

「が、はぁッ……なんだ、今のは……これが、本当に人の繰り出す剣か!?」

 半魔の自分にも反応できなかった神速の超絶剣技に、思わず驚愕を吐き出したバージル。
 だがここで屈する魔剣士ではない。
 人間風情に遅れを取って、何がスパーダの息子か、何が悪魔か。
 震えて笑う膝に力を入れ、立ち上がる魔性の剣客。
 血濡れの剣柄に両手を沿え、双眸に気迫を彩って構える。
 濤羅もまた残る余力の全てを愛刀に注いで構えた。
 降り注ぐ驟雨と己の鮮血で身を濡らした二人の剣士は、水煙の中で最後の対峙を迎える。
 もはやお互い、出せる手はこの一刀のみ。
 それを繰り出せば、もはや戦う余力は残るまい。
 冷たい雨霧が立ち込める場に、灼熱の闘気と視線が交錯する。
 僅かに、僅かに、歩を詰めてにじり寄り、図られる間合い。
 そして遂に剣客同士の詰める間合いが重なり、両雄の脚が踏み込まんとした。
 その時だった……。
 遠間より響き渡るサイレンの音、有輪車両が道路を軋ませる振動。
 どうやら今さら官憲の手が伸びたらしい。
 
「……」

「……」

 言葉もなく二人の剣客は視線を交わし、そして刃を下げた。
 このまま最後までやり合ったとして、どちらが勝っても警察の手に掛かる。
 そんな結末を迎えるのであれば、中途半端ではあるが互いに刃を引く。
 無言の内に両者はそう合意したのだ。
 バージルの手が振るわれ、閻魔刀の刃から血と雨の雫を払われるや三尺超の刀身が音もなく納刀。
 魔剣士は鋭い視線を名残惜しげに背け、ゆるりと雨中に歩み行く。
 だがふと、その歩みが止まり、蒼き双眸が濤羅に振り返った。

「一つ聞きたい」

「……何だ?」

「名は、何と言う」

「……孔濤羅」

「そうか」

 聞くや美剣士は再び視線を戻し、歩み去る。
 だが降り注ぐ驟雨の中でも良く響く、どこか哀切の滲む声音が告げ返された。

「俺はバージルだ。お前の名、忘れはせぬ」

 立ち上る水煙の中に、異国の剣士の蒼き外套姿は、まるで陽炎の如く消え入った。
 手に血濡れの倭刀を下げたまま、濤羅の眼には消えたその後ろ姿がいつまでも焼きついていた。
 


 長江河口南岸、その水面の上を一隻の船が行く。
 最初は観光客向けの遊覧船であったが、今ではすっかり汚れきり、地元に住まう商人などの足になっているフェリーである。
 そよぐ風は上海港から吹き流れる潮風を孕み、潮の香りを運ぶ。
 その風を受けながらフェリーの屋外デッキに、バージルは腰掛けていた。
 潮風に輝く銀髪を揺らして静かに波間を見る様子からは、とてもつい数日前に苛烈な死闘を演じたとは想像ができないだろう。
 蒼の外套は修繕が成されたのか、既に濤羅に穿たれた穴はない。
 体も同様、魔力の回復したその身は再生を果たしていた。
 ただ一点、手に携え持った閻魔刀だけは革製の刀袋に包まれて顔を隠している。
 これは周囲の人間に圧力を生まぬ為の配慮……などではない。
 単に刀をそのまま持ち歩いて官憲の類に呼び止められるのを防ぐ為だ。
 まあ、もし見咎められたとて斬り捨てれば良いとは考えているのだが。
 どこか憂いを帯びた眼差しで、バージルは海を見つめていた。
 異国の美男子の陰を秘めた美貌は、世の婦人が見れば心を奪われよう。
 しかし誰が知ろう、彼はその秀麗なる外面の内で、滾るような剣気に満ちていた。
 思うは一つ、あの日出会ったこの国の剣客の事に他ならない。
 もし一歩間違えば、確実に自分は殺されていた。
 負けるつもりなど毛頭ない、だが簡単に勝ちを拾えるほど易い相手でもなかった。

「孔……濤羅か」

 ふと、あの男の名前を呟いた。
 黒い髪、黒い外套、長身痩躯の身に鋭い双眸、そして繰り出される倭刀の冴え。
 それらを追想し、魔剣士の肌が粟立つ。
 いつかまたこの地に訪れる事があれば、もう一度死合うのも悪くない。
 手にした愛刀の鞘を、刀袋越しに強く握る。
 蒼い瞳に浮かぶ光が研ぎ澄まされた刃とばかりに爛々と輝く。
 と、そんな時だった。

「……ん?」

 バージルは、自分に注がれる視線に気づいた。
 顔を向ければ、この国の人間らしい、黒髪の少女がこちらを見ていた。
 長く艶やかに黒い髪は川のように腰まで流れ落ち、胡服の白緞子が淑やかな乙女らしさを引き立てている。
 自負でなく、魔剣士は一瞬少女が自分の顔立ちに魅せられているのかと思った。
 旅を続ける間、何度か色に目ざとい女に言い寄られた事は一度や二度ではない。
 だが、違うとすぐに分かった。
 少女の眼差しは己の持つ刀袋にのみ注がれていた。
 
「これが珍しいか?」
 
 剣の腕と自分の力以外、取り立てて興味のないバージルであるが、何故かふとそんな言葉が出た。
 貴人たる少女は異国の青年の言葉が自分に向けられたものだと一瞬理解できず、一拍の間を以ってはっと視線を合わせた。

「あ、あの、申し訳ありません!」

 自分が無遠慮に視線を向けていた事を咎められたかと思ったのか、少女は深々と平身低頭して詫びた。
 もし過度な無礼を働けば人間の女一人、斬り殺すのを何とも思わぬバージルであるが、しかし好奇の眼差し程度でどうこう言うほど狭量ではない。
 視線を少女から再び水面に移しつつ、静かな声音で告げる。

「別に、気になどしていない」

 もはや彼の心は少女から離れた。
 だが、胡服の乙女は美剣士の持つ得物に視線を注ぎながら、どこか寂しげな顔をする。
 そして幾許かの迷いの末、勇気を振り絞って問いかけた。

「あなたも、どこぞの武林の剣士様……なのですか?」

 どうやら、少女は刀袋の中身が何であるか察しているらしい。
 その細腕が剣を振るうとは思えない。
 ならば、身内に武術家でもいるのだろうか。
 漫然とそう思いつつ、美剣士は応じる声音を紡いだ。
 
「まあ、間違ってはいない」

「そう、ですか……」

 少女の黒い眼差しに、言葉で言い表せぬ寂寥が満ちる。
 どこか遠く、ここにはいない誰かを想いながら、彼女は涼やかな声音を連ねた。

「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」

「なんだ」

 随分と改まった言い様に、バージルはもう一度顔を少女に向けて問い返した。
 鋭い眼差しに見入られ、萎縮する乙女。
 だが少女はその瑞々しい唇の内で言葉を反芻すると、静かに再びの問いを投げかける。

「殿方の、剣に生きる方というのは……やはり剣の道以外の事を、どうとも思っておられないのでしょうか」

「ん? どういう意味だ?」

「あ、いえ……その、わたくしの、兄なのですが……」

 今にも泣き出しそうな顔をして、乙女の瞳が空を見上げた。
 それはどこか遠く、ここにはいない愛しい者を想う熱に満ちた眼差し。
 潤んだ眼と言葉に、あらん限りの思慕を込めて、乙女は呟く。

「剣の上での戦いで酷い傷を負いました……命に別状はありませんが、それでも下手をすれば死ぬほどの怪我でした……それでも兄様は、こんなものは大した事ではない、と……」

 白魚のような手が、そっと目元を拭う。
 指先には、透明で穢れない雫が幾粒も光っていた。
 
「どうして武の道を行く方はそうも自分の命を粗末になさるのでしょうか……一人残される者の事も、考えられないのでしょう……どうして……」

 桜色の唇が紡ぐのは、聞いている方が切なくなるような哀切と恋情だった。
 きっとその兄なる人物の事が、大切で大切で仕方ないのだろう。
 案ずる言葉の中には、刃の上でしか生きられぬ兄への怒りにも似た感情も垣間見えた。
 だが、バージルはそんな様をすら冷たい眼差しで見る。
 くだらない。
 人のそのような感情の諸々を捨て去った魔剣士からすれば、あまりにもくだらない心の揺れ動きである。

「そんなに案ずるなら、もういっそ二度と戦えなくすれば良い」

「……え?」

 返された言葉の意を掴みかね、疑問符を浮かべる少女。
 だが相手の事など構わず、美剣士は口元に邪悪を浮かべて笑み、戯れに言葉を投げてみた。

「二度と剣を執れぬよう心を折り、自分しか見ないよう仕組めば良い。そうすればお前の兄とやらも、お前の事しか案じまい。女の身なら、男に真似のできぬ姦計も練れよう」

「……でも……そんな」

 バージルが悪戯に連ねた言葉に、何をか連想して、乙女は口元に手を当てる。
 正しく言葉通りの悪魔の誘惑が彼女の中で蠢き疼く。
 だが、既に美剣士の興味は尽きていた。
 いつの間にか船は目的地に着き、減速して港に留まる。
 もはや興味の尽きた相手など一顧だにせず、魔剣士は蒼き外套を翻して去った。
 彼が目指すは港にある海外に向かう旅船である。
 この国で味わった剣気の絶技を想い馳せながら、魔剣士は蒼の外套を聳やかし、行く。
 父の残した痕跡と更なる力の昇華を求めて……。
 一人残された乙女は、どこか呆然とした面持ちでバージルの言葉を反芻する。
 自分しか見ぬよう仕向ける、姦計、心を折る。
 それらの残響が頭の中にこびり付き、まるで棘のように刺さった。
 
「端麗!」

 だが、その思考を断じて響く声音が耳朶を打つ。
 振り向けば、黒髪の男がそこにいた。
 長身痩躯に飾り気のない黒の外套姿、忘れもしない、優しげな眼差しと顔立ち。
 青雲幇が凶手、紫電掌の孔濤羅。
 正しく彼こそ、少女、孔端麗の愛する兄だった。
 魔剣士との戦いの残り香か、その足取りは重く、傷ついた体を引きずるように駆け寄る。
 本来ならまだ安静にしていなければいけないのに、わざわざ端麗を案じて迎えに来てくれたのだ。
 そう思うと、乙女の胸の内には、言葉に出来ぬ甘い熱が生まれた。

「兄様……お怪我をなされているのに、迎えに来てくださったのですか?」

「ああ、もちろんだ。上海は何かと物騒だしな。俺もちょうど家に戻る、一緒に帰ろう」

「物騒と言う割りには、兄様の方が心配ですけれど」

 どこか咎めるような眼差しで見る端麗の視線の先には、外套の下の包帯を巻かれた濤羅の体があった。
 数日前に演じた死闘の残滓はまだしっかりとその身に刻まれており、実に痛々しい。
 だが濤羅は空元気を振り出し、手を伸ばして端麗の黒髪をくしゃくしゃと撫でる。

「兄を案ずるなど、百年早いぞ端麗。豪軍の元に嫁ぐまで、しっかり俺が守ってやるさ」 

 朴訥な笑みと共に無遠慮に髪を撫でられ、恥ずかしそうに、嬉しそうに、端麗の頬が赤く染まった。
 彼は、何も知らずにこうして自分に接してくる。
 自分が豪軍と結ばれ、幸せになると信じて疑わない。
 何故気づかないのだろうか。
 こんなにも、自分は想い募っているというのに。
 こんなにも、熱く、甘く、焦がれているというのに。
 道ならぬ実の兄への恋慕に、狂おしい程の恋しさと葛藤を胸の内に秘めて、端麗は笑顔の仮面を貼り付けた。
 今はまだ耐えられる。
 まだ、ただの兄想いの妹を演じられる。

「では、帰りましょう兄様」

「ああ」

 兄妹は短くそう言葉を交わし、船を下りて我が家への帰路に就いた。
 あの懐かしき生家へ、あの美しき桃園に、ただ帰らんと。


終幕。



[25455] ×メタルギアソリッド 【Devil & Snake】 前編
Name: cigger◆964dce9a ID:ea83a294
Date: 2011/01/19 00:17
デビルメイクライ3×メタルギアソリッド

【Devil & Snake】

 今は昔、遥か二千年前、人の世を大いなる闇が包まんとした。
 闇とは、すなわち魔。
 次元の壁を隔てた先に人界と並列して在る、悪魔の住まう魔界、その王の野望だった。
 元は同じ世界としてあり、分かたれた世、魔界の王たる己が手にして何があろう。
 数多の悪魔の戦列を揃え、魔帝は人界を統べんと戦を始めた。
 否、それは戦と呼ばわるにはあまりにも一方的であり、没義道であった。
 人の世の戦なればあろう筈の、僅かな理性や条約もない。
 あるのはただ侵攻と、そこから生まれる破壊と陵辱のみ。
 悪魔の圧倒的な力を前に、人界は屈しかけた。
 あと一歩、ほんの一押しで人々は滅び、世は全て魔帝の手中に納まる筈だった。
 だがその前に立ちはだかる者が一人。
 それは悪魔でありながら人の世を愛した者、魔剣士スパーダ。
 魔帝の右腕であり、深遠な知性と知識を有し、何より絶大なる力を持っていたスパーダは人界を侵す同族の悉くを斬り、遂には主君たる魔帝すらもその刃を以って斬り伏せた。
 人の世を救った英雄、伝説の魔剣士スパーダ。
 この物語は広く世に伝わり、今では神話として語り継がれている。
 まさか実際に人界を救った悪魔がいたなど、信じる者は少ない。
 ましてやスパーダの血を引く彼の息子が便利屋として糊口を凌いでいるなど、知る者は極僅かだった。



 古びた風情のある事務所の中は、店主の好みを反映された混沌たる様だった。
 中央にはビリヤードテーブル、奥にはマホガニー製の高級執務机があるのは良しとしよう、これだけだったなら少しばかり洒落た探偵事務所に見えなくもない。
 問題は他の要素だ。
 まず壁に磔にされた大量の異形なるオブジェクト。
 まるで“悪魔”の首のようなそれらに突き刺さる無数の剣、剣、剣。
 下手なホラーハウス顔負けの様相だ。
 さらにそんなところに、年代物のジュークボックスが吐き出すハードロックの激烈な旋律が響き渡る。
 この事務所を単なる便利屋と信じて訪れた客が、果たして何人唖然として言葉を失っただろうか、想像するに易い。
 さて、この調和というものを知らぬ、協調性のない調度をした当人は、ようやくシャワーを終えて事務所に足を踏み入れた。
 タオルで乱雑に輝く銀の髪を拭きながら、歩む身は半裸の青年だ。
 焦げ茶に染められたレザーパンツとごついブーツのみを身につけ、上半身には一糸たりとも纏っていない。
 水滴で僅かに濡れた引き締まった筋肉質な体は身長百九十センチ近くある、まるでしなやかな大型肉食獣のようだ。
 艶やかな銀髪に、顔立ちには数多の女を惹きつけて止まない刃の危うさを湛えた美貌がある。
 青年は髪を濡らす水を拭きつつ、青年はその身を革張りのデスクチェアに沈める。
 そしてごついブーツ履きの足を、極めて乱暴にマホガニーの机の上に乗せてくつろいだ。
 椅子も、机も、その悉くが高級品であるが、扱いは実に雑。
 さながら暴君たる王侯貴族か、物の価値を知らぬ盗賊の振る舞いだった。

「おいおい、ダンテ……ママにお行儀を教えてもらった事はないのか?」

 そんな青年、ダンテに、ふと玄関口から声が掛けられた。
 ダンテの磨きぬかれたルビーのように蒼い眼差しの先、立っていたのは気さくな笑みを浮かべた小太りの中年男。
 名をエンツォ・フェリーニョ。
 この街でダンテが便利屋家業を始めて以来、随分と付き合いの長い情報屋兼仲介屋だ。
 エンツォはその脂肪を弛ませた顔に笑みを浮かべているが、ダンテは持ち前の嗅覚で、その裏になにやらキナ臭いものを感じた。
 一見気さくで人の良さそうな顔をするエンツォであるが、その膨らんだ腹の底では常にずる賢い打算が消化されている。
 儲け話という触れ込みで仕事を持って来ては仕事の紹介料としてふんだくられたのも、一度や二度ではなかった。
 せっかくのシャワー上がり、さっぱりした時には絶対に顔を合わせたくない顔だ。
 だが、ダンテには目の前の太った腹を店の外に蹴り出す事はできなかった。
 恩義、それもある。
 人情、なくはない。
 友愛、極微であるが存在しそう。
 されどそれ以上にダンテの心を繋ぎとめたもの。
 それはエンツォの手に持った紙の箱。
 そう、彼の大好物たるピザの入った箱だった。
 箱の外装から察するにダンテの一番好きなピザ屋、ヴォノマンジャのものときた。
 おそらくは差し入れなのだろうが、こんな物を持参されたら、無碍に追い返すわけにもいかない。
 ダンテは髪を拭いていたタオルをコートハンガーに投げて起用に引っ掛けると、肩を竦めて軽口を返した。

「生憎とうちは自由主義でね、これも個性のうちって事さ。ところでその素敵なお土産は、もしかして俺へのプレゼントかエンツォ?」

「そんなところだ。ほらよ、お前の好きなヴォノマンジャの、しかもエビとイカのぺスカトーレだ」

「オリーブは?」

「もちろん抜き」

「もしかしてそっちの手に持ってるのはトマトジュース?」

「ああ、そうさ」

「パーフェクトだぜエンツォ」

 正しく、ダンテの好みを完璧なまでに理解した土産だ。
 何度この子供だましの餌に引っかかって割の合わない仕事を仲介された事か。
 しかしダンテに、この手の誘惑を断ち切るだけの自制心はない。
 もちろん備えようとも思っていない。
 マホガニー製執務机の上に置かれたぺスカトーレのピザ、本場イタリア仕込の職人が手ずから作ったその至高の美味を前に、既に彼の心は半ばまで陥落していた。
 漂う芳醇なトマトソースの香りに誘われるまま、ダンテはその手を伸ばしてさっそく一枚食そうとする。
 が、その寸前で魅惑の食は、すっと消える。
 エンツォが意地悪そうな笑みを浮かべ、高く掲げていた。

「食べる前に仕事の話が先だぜ、ダンテ」

「今ちょうど腹が減ってるんだ。一枚くらい良いだろう? 食事しながらビジネスの話と行こうじゃないかエンツォ」

「おおっと、残念。こちとらお前がメシを喰ったらすぐに仕事をしねえって知ってるもんでね」

「せっかちだな……」

 ため息をつき、いよいよ観念したとばかりに、ダンテは椅子に深く背を預けた。
 どうやら心ときめくランチは、面倒な仕事の話の後になりそうだ。
 
「合言葉は?」

 仕事となれば、ダンテはまず真っ先にそう尋ねた。
 それは符丁。
 便利屋家業として引き受ける普通の仕事と、本命の“大当たり”とを選別するものだ。
 泰然たる顔の裏に、ダンテは緊張と期待、そして不安を秘める。
 だが、対するエンツォの答えは、首を横に振ってのノーサインだった。

「それはなしだった。けど景気の良い話だぜ? ダンテ。ああ、こいつは最高に景気の良い話さ、なにせ報酬は十万ドル……って、おい! なんだお前、既にやる気なくなってねーか!?」

「いや、別に……」 

 合言葉なし。
 それだけでダンテの興味は九割方が霧散した。
 この界隈で名うての便利屋として活躍するダンテだが、その仕事選びは余人の理解の外に在る。
 幾ら大金を積まれようと、気の乗らない依頼は決して受けない。
 だが合言葉が絡み、こと亡霊だの死神だの呪いだの、オカルト染みた話なら二束三文の額でやすやすと引き受ける。
 特に――悪魔、という単語が絡めば即決だ。
 長いことダンテに仕事を紹介してきたエンツォだが、未だに彼のこういう好き嫌いは読めない。
 しかし、今日は有無を言わさぬ算段であった。

「まあ別に、断っても良いんだぜ」

「お? なんだ、欲張りエンツォにしちゃ諦めが良いじゃねえか。カミさんと仲直りでもしたのかい?」

 軽口を叩くダンテ。
 だが、次の瞬間エンツォの発した言葉に顔を青くする。

「その代わり、この事務所を借りる時に肩代わりした代金を今すぐ耳をそろえて返してくれや」

 それは正しく致命的な言葉だった。
 血と暴力に餓えたマフィアのヒットマン共を相手に、弾雨すら笑顔で潜り抜けるダンテであるが、話が借金となるとそうもいかない。
 なにせ生来金銭感覚の歯車がメチャクチャな回り方をしている上、仕事に関しても前述の通り好き嫌いが激しい。
 自然と借金の額も膨らむわけだ。
 痛いところ突いたエンツォの言葉に、ダンテは美貌を歪ませて嫌そうな顔をする。
 だが小太りの仲介屋の攻撃は止まらない。
 
「ああ、そういえば事務所の借り賃だけじゃなくてジュークボックスの修理代もまだだったな。あとコートに、弾に、シャワーのボイラー……まだあったっけか」

 そこまで言われたところで、完全にダンテは降参した。
 
「分かった分かった。もうじゅ~ぶん、分かった。降参するからイジワルは止めてくれ」

「おお、物分りが良いなダンテ。これでようやく話が進む」

「で、どんな話なんだ? 早くしないとピザが冷めちまう。手短に頼むぜ」

「落ち着け坊や。ピザも仕事も逃げやしねえ」

 器用にピザの箱を抱えたまま、エンツォはその重い体をビリヤードテーブルの上に乗せる。
 そして瞳に真剣な色を滲ませて口を開いた。

「最近の波止場の事情は知ってるか?」

「波止場? さあな、言葉通りの意味か、マーロン・ブランドの映画程度の事は知ってる」

「そいつぁ無知と同義だぜダンテ」

 やれやれ、と肩を竦めるエンツォ。
 ダンテはさっさと話せと苛立ち気味に促す。

「ここいらの波止場は昔っから地域の組合が管理してたんだ。ところが、だ……最近軒並み追い出されちまったのさ」

「俺みたいに借金こさえてたのかい?」

「は! まさか、お前みたいな金銭感覚のやつがそう何人もいたらとっくに潰れてたさ。そうじゃなくて、よそ者の仕業なんだよ」

「よそ者、ね」
 
「ああ。それも、どう考えてもカタギじゃねえ。目の前に金と銃口を向けて出て行け、って寸法だ」

「そいつは素敵な商売だな」

「ああ、だが愉快じゃねえ」

 軽口を叩き合いながら、二人の眼差しに剣呑な輝きが満ちる。
 
「その連中、波止場の工場や事務所を押さえてどうやら悪巧みでもしているらしい。魚も輸入品も卸してねえのに、でっかいコンテナをわんさか倉庫に担ぎ込んでやがる。どう考えてもまともな商いじゃねえさ」

「やばい商売、ってんなら、お役人の目に引っかからないのか?」

「官憲の手に負えてるならお前のところになど顔はださねえ。つまりそういう事だ」

 何を言わんとしているか、大体の事はダンテにも理解できた。
 巧妙に偽装しているか、それとも役人に顔が利くのか。
 その波止場を我が物とした連中は、どうやら法の埒外にいるらしい。
 自分がすべき仕事をおおよそ把握して、ダンテは深刻そうなため息を吐いた。

「気が乗らねえぜ……」

 つまり、今回の仕事は人間相手という事だ。
 ダンテも便利屋家業を始めたのは昨日今日ではない。
 今までに何度もマフィアや犯罪組織を相手にし、危ない橋を渡ってきた。
 それでも彼はほとんどの場合、相手を殺さずに終えている。
 彼が殺すのは基本的に“人間以外”なのだ。
 その気質を察しているエンツォは、宥めすかすような笑顔を見せる。

「そう言うなよダンテ。別に相手を皆殺しにしろってんじゃねえ、ちょっとばかし痛めつけてくれりゃ良いのさ」

「分かってんよ、エンツォ。俺だってガキじゃねえんだ。それに、確かに最近まともな仕事をしてなかったしな」

 言いながら、ダンテは椅子から身を起こしてコートハンガーに歩む。
 そこには彼のトレードマークとも言える、熟成されたワインのように紅いコートが掛けられていた。
 素肌の上にコートを羽織り、さらに壁のガンラックから愛用の二丁銃を取る。
 右には名の通り、象牙の銃把を装着した白銀の銃、アイボリー。
 左には名の通り、黒檀の銃把を装着した漆黒の銃、エボニー。
 かつて天才ガンスミスとして名を馳せたニール・ゴールドスタインの遺作にして、最高傑作のハンドガンだ。
 スタビライザーとコンペンセイターを装着した肉厚にして巨大な二丁の拳銃を、ダンテは軽やかに回転させながら背中のホルスターに仕舞う。
 そして、もう一つの得物に手を伸ばした。
 反逆の意味を持つ巨大な刃。
 長大にして厚い諸刃の刀身に、骸骨と骨を模した禍々しい意匠。
 かつて伝説の魔剣士として数多の悪魔を屠った父の形見、魔剣リベリオン。
 ダンテは長剣をまるで棒切れのように振るい、風を薙ぐ鋭い音色を立てながら銃と同じく背負った。
 金属の金具が重い刃を受け、背中に心強い重量感を与える。
 二丁の銃と巨大な剣、これがダンテの仕事道具。
 愛用の得物を持ったダンテは、文字通りの意味で“悪魔”をも殺す最強の狩人と化す。
 その威容に、エンツォは感嘆交じりの声を零す。
 
「お、今日は銃だけじゃなくって剣も持ってくのか?」

「ああ、さっさと片付けてそいつを頂きてえんでな」

 蒼い眼差しが、エンツォの持っていたピザの紙箱に向けられる。
 小太りの仲介屋は、それを高々と持ち上げて笑みを深めた。

「仕事の分け前はいつも通りで良いな?」

「ああ。ついでにそのピザに一切手を付けない事だ」

「了解了解。あ、でもすぐ戻って来なかったら喰っちまうぜ? 冷ましちまうともったいねえ」

「五分で終わらす。連中の根城はどこだ?」

「波止場の第一倉庫とその事務所さ」

「リョーカイ」

 言うや、ダンテは事務所のドアを吹き飛ばしそうな勢いで蹴破り、目的地に向かった。
 まるで悠然と草原を歩む獅子のように、力強く、自信と意気に満ちた足取りで。
 だがしかし、顔にはちょっとばかりの憂鬱を滲ませて。

「ったく……まだ店の名前も決まってねえのに、借金のお陰で“大当たり”でもねえ仕事を引き受けるハメんなるとはな……」



 紅いコートを棚引かせ、ダンテは目的地に辿り着いた。
 なるほど、エンツォの言葉通り、以前通りかかった時には水揚げされた魚や輸入品、輸出品を積んだトラックが行きかっていた界隈が、随分と変わっている。
 以前の賑やかさがすっかり潜み、そこかしこに陰鬱で乾いた空気が流れている。
 嫌な気配だ。
 まるで“連中”が現れる前触れのような……。
 いや、今はこっちの仕事に集中しよう、そう考え、ダンテはその考えを振り払う。
 視線を上げれば、目の前には波止場の第一倉庫と併設された事務所のドアがあった。
 さて、何とするか。
 これが普通の便利屋なら相手側の非道な違法行為の証拠を握り、それをネタに訴えるなり取引をするだろう。
 だがダンテにはそんなまだるっこしい手段はできないし、する気もない。
 この美男子が取る行動は、たった一つ。

「Let’s start the party!!」

 宴の始まりを告げる言葉と共に、ダンテはその美貌に犬歯を剥きだす凶暴な笑みを浮かべて事務所のドアを蹴った。
 自分の事務所のドアでないだけに、今度は容赦がなかった。
 金属製のドアがひしゃげて紙切れのように飛び、向かいの壁に激しい音を立てて激突する。
 続けて紅い疾風と化したダンテが飛び込み、愛用の二丁銃の銃口、四十五口径の餓えた口腔を抜いた。
 が、予想された銃火の派手な挨拶は起きない。

「……?」

 一歩、二歩、首を傾げて踏み込んで、壁を銃把でノックしてみる。
 反応は――なし。
 かなり派手な音を立てたのだが、誰も顔を出さない。
 もしかして今日は休業だろうか。
 先ほど吹き飛ばしたドアに記載されていた営業時間を見てみる。
 書かれた文字通りならば、今日はきちんと営業しているようだ。
 ダンテでもあるまいし、まさか週休六日などと言うわけでもなかろう。
 疑問符を浮かべながら、ダンテは手の銃をホルスターに戻して事務所の奥に進んだ。
 
「おーい、誰かいねえかー? 派手なパーティしに来たぜー」

 事務所のテーブルの下を覗き、幾つかの部屋のドアを蹴破ってみる。
 だが、誰もいない。
 人っ子一人、だ。
 しかし妙な痕跡は見つけた。
 事務所にも部屋にも、何やら色々と物色した形跡があるのだ。
 机や引き出しには全て一度明けられた形跡があり、書類の隅々まで入念に目が通してある事が伺える。
 手近な机の引き出しから、一枚書類を手にとってみた。
 詳しい内容は把握できないが、どうにも危ない香りのする文章が並んでいる。

「12.7ミリ機銃弾、熱探知式ロケットランチャー、ライフル、手榴弾、地雷、爆薬、信管……随分とまあ、愉快な単語がたくさんあるじゃねえか」
 
 そこに記載されていたのは、それまでこの事務所や倉庫、周辺施設を中心に輸出入された物のリストのようだ。
 本来は厳重に鍵の掛かった場所に保管されてしかるべき物の筈が、こんな人目につき易いところに放置されている。
 見れば近くには、鍵を破壊された金庫があった。
 こんな重要そうな書類を放置して行くとは、ここを漁っている先客の目的は何なのだろうか。
 金か、それとも別の何かか。
 一つ分かるのは、書類にあった単語が関係ありそうな事だ。

「Metal Gear? 金属の歯車、って事か? それとも、他になんか意味があるのか?」

 答える者のいない問いに、ダンテは首を傾げる。
 そして、沸々と興味が湧いてきた。
 先客は一体何者か、一体何を探っているのか、ここでどんな事が起こっているのか。
 まるで小さい頃見たスパイ映画のエージェントのようだ。
 口元にどこか悪戯っぽい笑みを浮かべ、ダンテは静かに口を開いた。

「良いね、面白い。じゃあ、先客さんのSneaking(忍び込み)の手管をじっくり拝見しようじゃないか」

 最初は乗り気ではなかった仕事だが、次第にダンテはうきうきと心を弾ませていた。
 自分もスパイになった気分で、先客の僅かな足取りをたどる。
 他の部屋でも、やはり入念な捜査が行われた痕跡があった。
 なにやら寝息が聞こえるロッカーを開ければ、頭に麻酔銃を打ち込まれた人間が何人も押し込められていた。
 麻酔弾でおねんねしている連中は、全員が全員とも軍装を着込んでいる。
 やはりエンツォの話通り、明らかにかたぎではない。
 眠りついた男達の体には濃密な硝煙の匂いが染み付いている。
 先客はこんな連中と一切交戦せず、一方的に死角から麻酔銃を撃ち込んだようだ。
 まったく呆れるほどの潜入の腕前である。
 そして、いたずらに人を殺さないやり方が気に入った。
 果たして相手はどこまで探りを入れているのか、ダンテは好奇心のままに、足を進めた。

「誰かいるかい?」

 ノックと共に、併設された倉庫に繋がる執務室のドアを開ける。
 答える者はなく、響くのはダンテの声の残響のみ。
 悠然と踏み入ると、ダンテは部屋の中を見渡した。
 机にもロッカーにも、まだ手を付けた跡がない。
 どうやらここで遂に先客を出し抜いたらしい。
 
「……ん?」

 ふと、そこでダンテは振り向いた。
 何か視線を感じたかと思えば、部屋の隅におかしなものを見る。

「ダンボール?」

 そう、ダンボールだ。
 どこにでもある、ありふれた運搬および保管用の紙の箱。
 一瞬であるが、その箱から視線を感じた気がした。
 静かな部屋の中で、野生動物並みのダンテの聴覚が心音と息遣いを聞いた気もした。
 だが、まさかそんな事がありえるわけがない。
 この世のどこにダンボールの中に潜む者がいようか。
 幾らなんでもその可能性はないだろう、と。
 ダンテは心中で否定する。

「さて、どうするかね」

 視線をもう一度部屋の中央に戻し、ダンテは顎先に手を当てて思案した。
 もう少し先まで進むか、それともここで先客を待つか。
 どっちにしろここの連中を一度叩いておかない事には、商売にならない。
 ダンテがそうこう考えていると、ふと、背後で何かが動く気配があった。
 何事かと振り向こうとした瞬間、渋く力のある響きが彼の挙措を制した。

「動くな」

 押し殺したような声量だが、その内に有無を言わさぬ圧力を内包した声だ。
 振り向かずとも、分かる。
 僅かな金属の軋みと硝煙の匂いから、自分が銃口を向けられていると。
 しかし相手はどこから現れたのか。
 ドアが開けられた音はなかった、考えうる選択肢は一つだ。
 
「おいおい、まさかあんたマジでダンボールの中にいたのか? それに音もなく近づくたぁ、まるで蛇みてえだ」

 驚きと挑発の入り混じった声を上げ、ダンテは笑みを浮かべた。
 この世にあって銃口を頭部に向けられ、微塵の恐怖や警戒もなくそう口をきけるものそうおるまい。
 よっぽどの馬鹿か、それとも命知らずの傑物か。
 だがダンテのそれは、どちらでもない。
 頭に少々鉛の弾を喰らう程度、大した事と思っていないだけの話だ。

「じっとしていろ」

 語気を荒げるでもなく、深みのある声で戒めながら背後の男が動く。
 銃口をしっかりとダンテの頭部に向けながら、歩む足は正面に回った。
 青年を見据えるのは、哀切と厳しさを秘めた深い色の瞳。
 そして永い時を苛烈な戦場に生きた、戦士の顔だった。
 僅かに顎先に生えた無精ひげ、目元に刻まれたしわ。
 年の頃は三十台くらいだろうか。
 額にバンダナを巻き、鍛えられた体のラインを浮き彫りにするスーツの上からタクティカルベストを装着している。
 向けられた銃口は、微塵も揺るがない。
 まるで男の意思のように。

「随分と派手な格好をしているな、ここは仮装パーティーの会場じゃないぞ?」

「へぇ、そうかい? そりゃあ知らなかった。てっきり派手なパーティーが楽しめると思ってたんだがね、あてが外れちまった」

 互いに探るように吐き合う軽口。
 射抜くような眼差しを正面から受け、なおダンテの蒼く澄んだ瞳は喜色を浮かべている。

「なあ、教えてくれないか? あんたここで何してる? それにここの連中のやってる事も気になるね、メタルギアってなんだい?」

「……お前、何も知らないでここに来たのか?」

 どこか呆れたような声を漏らす男。
 ダンテは肩を竦めて苦笑する。

「うちの情報屋が何も調べてなくってね」

 その敵意のない態度に、男はいよいよ困った。
 銃と剣を持った、派手な赤コートの青年。
 武装を解除させて拘束すべきだろうか、それとも問答無用で脳天に麻酔弾を撃ち込むべきか。
 少なくともこちらが主導権を握っている間は、安全だと考える。
 とりあえず、男はもう少し問答をしようとした。
 その瞬間だった。
 ダンテの背後で凄まじい音が響く。
 焦げた硝煙と共に舞うのは、この部屋のドアだった。
 おそらく爆薬で蝶番を破壊されたのだろう。
 内開きのドアは面白いくらい内側に吹き飛び、そして外に待ち構えていた敵が銃口を室内に向ける。
 銃の数は三つ、敵は三人。
 目元だけを露出したニットのフェイスマスクに、タクティカルベストを羽織った軍装姿。
 紛う事無く、この施設に投入された警備だった。
 果たしていつ頃潜入が気づかれたのか。
 問うまでもない、ダンテの派手な行動が監視カメラで見られていたに過ぎない。
 ダンテに銃を向けていた潜入者は、即座に跳躍して近くにあった執務机の裏に隠れた。
 しかし紅い外套の美青年は、降り注ぐ銃火の中にあっても先ほどと変わらず、立ち尽くしていた。
 そして。

「ッ!」

 ダンテの額にぽっかりと穴が開く。
 室内に向けられたサブマシンガンの銃口、その一つが放った9ミリパラベラム弾頭が、頭部を貫いたのだ。
 溢れた血がぱっと花のように咲き、床のタイルの上を鮮烈に彩る。
 隠れた机の陰からその様を見た潜入者は、悔しげに歯噛みした。
 ダンテは明らかに自分の調査や、ここの施設にいた組織の人間とは関係ない、一般人だった。
 自分がもっと早く気づいていれば、もっと上手く立ち回っていれば死なせずに済んだものを。
 冷徹である戦士の思考の中で、人間らしい心が軋む。

『スネーク! 大丈夫かい!? 何かあったのか!?』

 体内通信で呼びかけられた、友の言葉が意識を現実に引き戻した。
 男、スネークは、手の銃のグリップを強く握りながら、答える。

「敵に見つかった。静かにメタルギアを探るはずが、他の客人のお陰で派手なパーティーに変わりそうだ」

『客人? 君以外に侵入した人間がいるのかい? 相手は? どんな人だ? 一体なにが……』

「分からん。今しがた頭に一発喰らって、死んだ……今はとりあえず、目の前の敵を叩く事が先決だ。オタコン、外から敵のセキュリティにアクセスできるか?」

『や、やってみる……スネーク、死ぬなよ!』

 友の声に、言葉もなく静かに頷いて戦士は答えた。
 そう、続きは生きて帰ってから聞かせてやれば良い。
 命を賭した戦場にあって、人間的な感傷は時に邪魔になる。
 今はひたすらに、心を鋼と化すべきだ。
 机に身を隠しつつ、未だ金切り声を上げている銃声に耳を澄ませる。
 弾幕は永遠に続かない。
 いつか途切れ、呼吸が変わる。
 そう思案した通り、銃声が止むと同時に戦闘の流れが変わった。
 空になった弾倉が床に落ち、敵が銃をリロードしていると悟る。
 スネークは必要最低限、机の影から身を出し、銃を構えた。
 手にした得物は麻酔弾仕様の、ベレッタM92。
 消音機を配した銃口は、敵が顔を出すであろう位置を予測して照準を付ける。
 一秒、二秒……そして三秒。
 五秒もかけず、敵はリロードを済ませたサブマシンガンの銃口を室内に向けた。
 しかし、撃つ事は叶わない。
 相手より早く引き金を絞られたベレッタが、必中の麻酔弾を眉間に叩き込んだのだ。
 頭部に当たった麻酔弾の効果は迅速にして絶大、相手はそのまま倒れこみ、昏倒する。
 だが一人減ったところで不利は変わらなかった。
 スネークのベレッタは消音性を高めるためにスライドがロックされており、一発ずつ手動で装填する必要がある。
 無論、そんな隙を与えてくれるほど相手は間抜けではなかった。
 仲間を一人撃たれた報仇とばかりに、先ほどにも増した激しい弾雨がスネークの隠れた机に注がれた。
 かなり分厚い材木で出来た机なのが功を成し、9ミリの拳銃弾程度では容易に貫通しない。
 だがどうするか。
 今はオタコンが敵の警備システムにハッキングをかけているから大丈夫だろうが、それも永くは続くまい。
 システムが復旧すれば増援が雪崩れ込む。
 そうなれば、勝機は限りなく少ない。
 歴戦の戦士の額に、緊張の汗が流れる。
 危険を承知で、打って出るか……。

「おいおい、痛えじゃねえか」 
 
 その思考を、唐突に響いた声音が掻き消した。
 ありえない、そう思いながら顔を机の端から覗かせる。
 しかし、彼は立っていた。
 先ほど脳天を穿たれた筈の銀髪の美しい青年が、獰猛な笑みを浮かべて立っている。
 自分は夢を見ているのか。
 スネークはそう思わずにはいられなかった。

「いきなり人のおつむに鉛の弾くれるとは、危ない連中だな。ちょっとばかしオシオキが必要か?」

 ダンテは言葉と共に顔をドアに向ける。
 ドアの端から顔と銃を出し、攻撃していた男二人が硬直していた。
 未だかつて脳天に銃弾を受けて生きている人間など見た事がないのだろう。
 そんな彼らに、ダンテは獰猛な笑みを浮かべ――疾走した。
 まるで大型の猫科肉食獣の如く、ダンテの長躯が軽やかに踊る。
 警備の兵士は慌てて反射的に銃を向けたが、あまりに遅かった。
 長くしなやかな足は銃の引き金が絞られるより速く唸り、強烈な蹴りを放つ。
 相手の男の苦痛の叫び。
 銃を握った手首ごと腕の骨が折れたのだ。
 続けてダンテの拳が風を裂いて踊る。
 殺さない程度に手加減し、意識など保てぬ程度に容赦ない拳打が兵士の頭に命中。
 一瞬で意識を失った相手は盛大に後方へ吹っ飛んだ。
 ダンテはすぐさまもう一人の男を同じ運命にしようと、二打目を振るう。
 だが、その拳は宙で止まった。
 彼が殴るより速く、次弾を装填したスネークの麻酔銃が敵を仕留めていた。

「凄い早業だな、恐れ入ったぜ」

 肩を竦めて軽口を叩き、スネークを賞賛するダンテ。
 歴戦の戦士は、頭に銃弾を喰らっても死なない“悪魔”みたいな青年に皮肉めいた言葉を返した。

「頭に鉛弾を喰らって生きてるやつ程じゃない」

「そいつぁどうも。ところで、俺が敵じゃないって分かったところで、そろそろお互い自己紹介しないかい? 蛇の旦那」



 メタルギア。
 鉄の歯車を意味するその言葉は、大元の設計思想を構築したソ連の科学者アレクサンドル・レオノヴィッチ・グラーニンによれば、兵器は時代を動かす歯車であるという概念を以って名づけたそうだ。
 概要はすなわち核搭載二足歩行型戦車。
 様々な状況、地形から核ミサイルを発射することを可能とする二足歩行型の戦車だ。
 単独での作戦行動が可能であり、これによって全世界の核バランスに大きな影響を与えうる存在とも言える。
 かつてはアウターヘブンにおける、フォックスハウンド総司令官ビッグボスによる武装蜂起。
 そして一番最近ではシャドーモセス島におけるリキッド・スネークによる大規模テロ行為。
 メタルギアはそれらの事件において、世界に核という名の危険な花火を幾度となく撃ち込もうと、鋼の軋みを上げた。
 それらが不発に終わったのは、ある一人の特殊工作員の命懸けの戦いの賜物である。
 彼の名は、ソリッド・スネーク。
 特殊部隊フォックスハウンドの元隊員にして、タバコとダンボールをこよなく愛する男である。
 ビッグボスやグレイフォックスとの因縁であるザンジバーランド蜂起、シャドーモセスでの死闘を終え、一度は戦いの場から身を引こうとも考えた彼は、しかし今反メタルギアを掲げるNGO団体フィランソロピーに所属して戦いを続けていた。
 かの事件以降、意図的な情報流出により世界中の兵器ブラックマーケットにおいてメタルギアの亜種が産声を上げたのだ。
 紛争地域やテロリストの手に、容易に核弾頭を射出できる兵器が渡るかもしれない。
 それは未だかつて世界が突入した事のない緊張の時代だった。
 今まで何度もメタルギアと相対してきたソリッド・スネークは、この事態に合衆国を離れ、世界中のメタルギアを断ずるべくフィランソロピーに入ったのだ。
 そして今日もまた、彼は新種メタルギアの捜索と破壊の為、潜入工作に向かった。
 ある街の波止場で、アフリカの小国に輸出されるのを控えた機体をブラックマーケットの武器商が搬入されたという情報を入手したのだ。
 予想通り、そこでは訓練された傭兵が常駐して警備に当たっていた。
 ただ予想外だったのは……同じ時、同じ場所に半魔の悪魔狩人も訪れた事だった。

「なるほど、じゃあ、あんた本当にシークレットエージェントってわけだ。こいつぁすげえ! まるでハリウッドみてえな話だな」
 
 お互いの状況を話し合う中、スネークの説明を受けて、ダンテは口笛を吹かんとばかりに嬉しげな笑みを浮かべた。
 敵地に潜入して恐ろしい兵器を破壊する、そんな映画のような話に、童心染みたヤンチャ心を持つダンテは心躍るのだろう。
 だが当のスネークは反対に、渋い顔を余計苦々しくした呆れ顔を浮かべていた。
 
「遊びじゃないんだぞまったく……」

 こちらは生きるか死ぬかという潜入工作をしているというのに、派手なコートを着た不死身の坊主はまるで遊園地に来た子供みたいな顔をしている。
 気が削がれるというか、調子が狂うというか……。
 そもそも彼が頭を撃ち抜かれてなお死ななかった理由、悪魔だのなんだのという言葉は、あまりに理解し難い。
 ダンテの口調や態度、その存在自体に呆れる傍ら、しかし熟練した兵士の手は雑念とは別に淀みなく動いた。
 無力化した敵兵士の拘束、武装解除、得物の調達。
 昨今の軍隊において銃火器の指紋認証システムは普及しつつある技術であるが、中にはその種の改造を免れたものも多くある。
 スネークが敵から取ったそれもそうだった。

「なるほど、こいつは良い」

 手にしたのは拳銃。
 角ばったごつごつしたデザイン、左サイドに付いたデコッキングレバーが特徴的なそれは、名称をシグ・ザウエルP220。
 より正確に名称付けるなら、四十五口径モデルのP220-1である。
 薬室に装填された弾薬、弾倉に残された総弾数を確認してスネークは満足げな笑みを浮かべた。

「ん? 嬉しいそうだなオッサン。そんな良いもんかい? それ」

「スネークと呼べ。まあ……良い銃さ。シグ・ザウエルP220。それもストッピングパワーに優れた四十五口径モデルだ、マガジンがシングルカアラム(単列式弾倉)なのが少し心もとないが、その分グリッピングが良い、マガジンキャッチがトリガーガード根元に移されたアメリカンタイプで操作性も抜群だ。レーザーサイト内臓のフラッシュライトを装着してるのも嬉しい限りだ」

 各部を入念にチェックしながら、嬉々として手にした得物を語るスネーク。
 もちろん便利屋として、そしてまた悪魔狩人として自身も銃を扱う機会の多いダンテだが、スネークの武器の扱いや知識は比較にならないほど深いようだ。
 新しい銃と弾薬を手に入れたスネークは準備万端と、立ち上がる。
 そして鋭い眼差しをダンテへ向けてきた。

「さて、でお前さんはこれからどうするつもりだ?」

「さあて、どうしようかね。あんたの邪魔をするのも気が引けるが、俺も子供のおつかいじゃねえんだ、簡単には引けねえよ。それに……早く帰らないとピザが冷め」

 肩を竦めて軽口を言おうとした時、ダンテは五感を刺す、馴染み深い感覚に目を見開いた。
 懐かしい、あの時と同じ感覚。
 何度も味わってきた感覚。
 かつて母を殺した悪魔が顕現した時。
 闇夜の中、目の前に魔界の化生共が現れる時。
 ダンテの中に脈々と流れる魔性の血が騒ぐのだ。
 唇の端を吊り上げ、今までとは違う獰猛にして美しい笑みを、赤の狩人は浮かべる。

「あぁ、どうも俺の本業の時間みてえだぜオッサン」

 言うが早いか、ダンテはゆらりと歩み、ドアを蹴破る。
 その後ろであまりに潜入工作の理をぶち壊す所業を見たスネークが悲鳴に近い声を上げていたが、青年は無視して先へ進んだ。
 追いすがる蛇と、先をゆく半魔。
 向かう先は執務室のさらに奥、大型コンテナも搬入可能な倉庫区画だ。
 次第に肌にぴりぴりと刺すような感覚が強くなる。
 勝手に突き進むダンテに対し、隣に並んだスネークが何か文句を言おうとした、
 
「おい! ちょっと待て、お前……もうちょっと警戒をだなッ」

 だが、その声音を断ち切る乾いた音色。
 甲高い銃声の絶叫が、倉庫の奥から幾重にも木霊した。
 思わず言葉を飲み込み、視線をまだ見えぬ倉庫の奥へと向けるスネーク。
 銃声と悲鳴が奏でる、闘争と蹂躙の残響。
 果たしてその先で何が起こっているか。
 歴戦の戦士の頬を冷たい汗が伝うが、しかし半魔の狩人は構わず進んだ。
 幾つか角を曲がる内、鼻をつく酸鼻な血の芳香が強くなる。
 そして……二人はたどり着いた。

「こいつはまあ――派手にやったもんだな」 

 眉根を歪めるダンテの視線の先、積み重なった血と肉と死があった。
 ここの警備を担当していた兵士達だろうか、先ほど出会った連中と同じような装備の人間が、最低でも十数人死んでいた。
 散らばるのはまだ熱を燻らせている空薬莢に、屍の諸々。
 手も足も胴も、首も、様々な箇所を刃で力任せに切断されていた無残な死人たち。
 死屍累々の惨状の中、頭蓋から飛び出した眼球が濁った不気味な眼差しを二人に向けている。
 ダンテは口元に獰猛な笑みを浮かべ、スネークは手にしたシグを構えて周囲を警戒。
 
「さっきの口ぶりからすると、この事を予想してたようだな……悪魔だのなんだの……どういう事か詳しく説明しろ、若いの」

「ああー、素直に教えてあげたいところなんだけど、ね……たぶん言葉より見たほうが早い」

 周囲に銃口を向けながら、半ば詰問するような口調で問うスネークに、ダンテは肩を竦める。
 そして次なる刹那……紅き狩人の右手が背中に吊るされた銀の得物、愛銃アイボリーを抜くと同時に銃爪を絞った。
 響き渡る銃鳴と人ならざる絶叫。
 銃弾を受けて倒れたのは、正しく“悪魔”と形容してしかるべき異形だった。
 崩れ行く砂の体、黒い襤褸切れをローブのように纏い、手にしたのは死神を思わせる鎌。
 顔には苦悶と憎悪を塗り込めたような形相が張り付いている。
 突然の事にスネークが目を見張る中、大口径拳銃弾を受けてのたうつの化け物にダンテは容赦など欠片もなくとどめを刺した。
 左手が黒の牙、もう一丁の愛銃エボニーを抜き、セミオートマチオックの銃とは思えぬ超速連射で銃弾を叩き込む。
 宙を舞った空薬莢の最初の一つが床のコンクリートを叩く前に全ての弾丸が撃ち込まれ、化け物が滅びて塵に還る。
 漂う死臭に濃密な硝煙が混じり、狩人の笑みが凶暴な美しさに満ちた。

「さあてオッサン、あんたが腕っこきの兵士だってんなら、ちょいと掃除に手伝ってもらうぜ」
 
 スネークが状況を理解するより速く、もはや“それら”は訪れた。
 まるで別位相の空間から滲み出たかのように、次々と現れた異形の影。
 先ほどの固体と同じく、鎌を持ち、黒衣の襤褸切れを纏った人外の化生。
 亡者の顔には怒りとも苦しみとも取れる形相があり、暗い双眸の奥で仄光る濁った赤が二人へと注がれた。
 異形共はまるで獲物に飛び掛る前の獣のように揃って雄たけびを上げるや、その手に持った死の刃を振りかざす。
 だが対する狩人がその程度で竦む筈もなく、彼は紅き外套を棚引かせ、闘争の宴に歓喜する。

「さあ……パーティの始まりだぁッ!!」

 喜びの声に連なる、銃声、銃声、銃声、銃声。
 さながら餓狼の咆声のように、白銀と漆黒の二丁の獣が狂い吼える。
 拳銃というカテゴリーを遥かに逸脱した大口径弾頭の乱舞、銃撃の輪舞曲が眩い火線を幾重にも描いて異形の身を撃ち砕く。
 軽やかなステップはまるで一流のダンサーのように淀みなく振るわれる鎌を避け、だが逆に狩人の弾丸は対する敵を容赦なく抉った。
 さらに右の銃がホルスターに仕舞い込まれ、代わって大剣の刃が唸る。
 過度な装飾かと思わせた巨大な刃は、スネークの想像など及びもつかぬ速度と力で振るわれて駆逐を成す。
 銃と剣は、まるで楽器のように暴力と破壊を奏で、歌う。
 美しき銀髪の美男子が、鮮やかなる紅い外套を靡かせて華麗に魔を滅する。
 まるで絵画のように幻想的で、地獄のように血生臭い。
 浮世離れた宴に一瞬の間呆けたように見入ったスネークだが、風を切って迫る鎌の刃に意識が現世に戻る。

「くッ! この!」

 無駄のないサイドステップで刃圏を逃れ、スネークは即座に反撃の速射を叩き込んだ。
 先ほど手に入れたばかりの銃であるが、武器に精通した一流の戦士に掛かれば武器はその本来の性能を十全に発揮する。
 軽いテンションに調整されたダブルアクションのトリガープルは微塵の淀みもなく引き絞られ、初弾を射出、命中。
 続く次弾も、その次も、スネークは一発たりとて無駄に弾をばら撒く事無く異形へと撃ちこみ、これを滅ぼした。
 四発撃ち、残弾数は薬室のものも含めてもう四発。
 頭の中でそれを計算する中、しかし敵は待ってなどくれない。
 背後から物音がし、振り返れば次なる死神の鎌が戦士を襲う。
 歪な風を裂く音と共に振るわれる鈍い銀の刃。
 スネークはこれをローリングで転がり、刃の下を潜るように緊急回避。
 亡者の腕を取り、肘関節を逆に極めて動きを一瞬封じる。
 体を破壊するには至らないが、人体に酷似した異形の身はこれに一瞬動きを封じられて硬直。
 至近距離から後頭部に鉛の弾をくれてやるには、十二分過ぎるほどの時間だ。
 弾倉と薬室には残り三発。
 周囲に視線を這わせれば、四方の闇の中から生まれるように現れる異形の怪物共。
 迷う事無く、スネークはマグキャッチを押し込んで、まだ残弾を孕む弾倉を落とし、予備弾倉を装填する。
 激戦の渦中にあって弾切れを防ぐ為の、タクティカルリロードという戦術である。
 新たに鉛と真鍮で成る弾丸という名の牙を飲み込んだ銃は、熱した銃身を冷ます間もなく再び吼えた。
 鎌を振り翳して襲い来る死神姿の化け物に、スネークは微塵の恐怖も躊躇もなく銃弾を撃ち続ける。
 人外の異形が何者であるかなど理解していないし、出来ない。
 だが殺意と敵意を以って迫る相手をどう処すか、その方法と手段は半生を賭けて身に染み込んでいた。
 銃声と剣戟と絶叫の舞踏は、そう永く続かなかった。
 いつしか新手は減り、スネークが三つ目の弾倉を銃把の底に叩き込んだ時、もうその場で動く影は二人分しかなかった。
 異形は朽ち滅びて塵に還り、ただ外からそよぐ風に運ばれて散る。
 銃口から立ち昇る一条の硝煙と、床に転がる空薬莢だけが激闘の残滓として形を保っていた。
 周囲をまだ警戒しつつ、視線を傍の美丈夫に向け、スネークの唇が驚愕混じりの言葉を零す。

「まさか……これがお前さんの言った……」

「そ、悪魔さ。信じてくれたかい? 蛇の旦那」

 未だ銃身に熱の燻る二丁銃を華麗にガンスピンさせ、ホルスターに仕舞い、ダンテは肩を竦めて軽口を告げた。
 まるで悪戯がばれた時の子供みたいに毒気のない仕草は、数多の怪物を滅ぼした狩人のものとは思えないほど無邪気である。
 この程度の低級悪魔を狩る事は、彼にとっては日曜のピクニック程度の感覚なのだろう。
 そんなダンテもダンテだが、初見にて悪魔に遅れを取らぬ胆力と戦闘技量の程は、スネークとてかなりのものだった。
 死した兵士達から予備の弾薬を拝借しつつ、歴戦の兵士は傍らの狩人に、認識しつつある事実を問う。
 
「じゃあ、お前が半分悪魔だってのも本当なのか」

「ああ、まあね。おつむをちょいと撃たれたくらいなら死にゃあしないぜ」

「羨ましいタフさだな……じゃあもう一つ聞くが、この悪魔って連中はどうしてここに現れたんだ。まさか武器取引の相手ってわけじゃないだろうな」

「連中にそんな知能を持ってるやつはそういないさ。まあ、たぶん理由は俺かな……」

「お前が?」 

「いや何、随分昔に親父が連中とちょっとしたドンパチやらかしてね、その縁あって俺まで嫌われる始末さ」

 父スパーダと悪魔全体との話を、ざっくりと簡潔に言うダンテ。
 長々と説明するつもりはない、というその意を察したのか、おおよその見等は付いたスネークは、どこか自分と自分の親に当たるビッグボスとの事を連想しながら答えた。

「なるほど、それはありがたくない縁だな」

「だろう?」

 スネークとダンテ。
 二人は年格好も、趣味思考も、歩んだ人生も、種族も違う。
 だが、親の因果を引き継いだ者同士、という事に関してだけはどこか似ている部分を漠然と感じた。
 硝煙と死の臭いの漂う中、二人の男はそれぞれに武器を持ち、視線と言葉を交わす。

「さて……それじゃあ」

「次の予定は?」

「決まってるだろう?」

「だよな」

 最低限の言葉で意思を疎通し、踵を返して歩む。
 向かうはこの悪魔と死が咽る倉庫の最奥。
 鋼鉄の歯車の名を冠した、最悪の兵器に向かって。



[25455] ×メタルギアソリッド 【Devil & Snake】 後編
Name: cigger◆964dce9a ID:ea83a294
Date: 2011/01/20 19:50
 堆積したかび臭い埃と塵の舞う倉庫の中、幾重にも積み重なったコンテナやドラム缶の隙間を、歪な肉が蠢く。
 まるで軟体生物のような肉塊に血管が浮かび、ぎょろぎょろと蠢く目玉があたりを見渡す。
 それは脆弱な魔であった。
 単体では人間にも容易く滅ぼされる、矮小な悪魔。
 他の悪魔共と同じく、魔界を裏切りしスパーダ、その血の臭いに引かれて人界に顕現したのだ。
 されど、人界に来た仲間はどんどんその数を減らしている。
 スパーダの息子と、その仲間の人間が恐るべき力で駆り続けているのだ。
 人界と魔界を隔てる結界は、簡単に言えば大きな網のようなものだ。
 強大な力を持つ悪魔ほどその影響を受け、逆に力の弱い低級悪魔ほど容易く通れる。
 今日人界に出現した者たちは、正しくその前者、低級なる魔性である。
 半分は人間の血を引くとはいえ、そのような有象無象の輩共を相手に屈するダンテではなかった。
 他の悪魔共はその理屈など分からず、ただ闇雲に彼に襲い掛かっている。
 これではほどなく皆滅びるだろう。
 だが、この脆弱なるものは少しばかり違う。
 弱く脆いからこそ足りない知能を巡らせ、自分の力となるものを探しているのだ。
 この悪魔は確かに単体での戦闘力はないに等しい。
 だが、代わりにある能力を持っているのだ。
 
「――ッ」

 口のない肉塊が、目の前の巨大な“もの”を見て嬉しげに蠕動する。
 倉庫の最奥に座すのは……鉄。
 まるで鋼鉄の塊が兵器と言う名の猛獣に変化したような異形。
 ずるずると粘液の後を床に残しながら、悪魔はその巨大な鉄にへばりついた。
 そして、侵食し、融合していく。
 光ファイバーが肉と肉を繋げる神経と化し、可動の為のモーターや油圧ポンプを筋肉が補強する。
 そして、機械的な思考をする為に存在するAIに、悪魔の中枢神経と脳が形成された。
 肉と鉄が同化し、本来ある筈のない合一が成されていく。
 これこそが、脆弱なる魔の唯一にして最強の能力。
 このもの、名をインフェステッドという。
 所以は昆虫的な寄生を意味するinfestから取られ、その意味通りに無機物と融合する力を持つのだ。
 鉄の機械と溶け合わさっていく中、悪魔は愉悦にわなないた。
 もうじき、スパーダの息子が近づいて来る。
 その時この身は、果たしてあの血肉を貪る事ができようか。
 ただ、それだけが楽しみだった。



 半魔の狩人と蛇の名を持つ歴戦の兵士。
 その全存在からして正反対の二人だが、いざ戦いともなれば実に息が合った。
 派手に突入したダンテが剣と銃を乱舞し、前衛に。
 静かに、着実に侵入するスネークが的確な火器の援護で、後衛に。
 それぞれが状況に応じた対し方を心得ており、命を賭した戦いの場に慣れている。
 まるで最初から噛み合う事を想定された歯車のように、狩人と兵士の連携は闘争を成す。
 
「ところで、もう一つ聞いていいか」

 進撃の渦中で新たに得た銃、アサルトライフル、ヘッケラー&コックG3A4の銃口から7.62ミリ完全被甲弾を撃ちながら、スネークが唐突に問いかけた。
 後衛のスネークが撃つ銃弾の合間を縫って駆け、大剣の刃を乱舞させながらダンテが首を傾げた。
 二人の連携攻撃で塵と化した哀れな悪魔の屍が滅び、剣風に舞う中、紅い外套の裾を揺らして振り返る狩人。
 
「なんだい?」

 問い返す傍らで、その両手が今度は剣の代わりに二丁の銃を抜き撃つ。
 左右から潜み寄っていた悪魔の頭部に魔力を込めた鉛弾が撃ち込まれ、滅びる。
 スネークは流れるような動作でマグチェンジを行うと同時、無駄のない挙措で移動、射角を最大限得られる場所に移って銃撃を続け、言った。
 
「お前さんを、悪魔とかいうこの不気味な連中が襲う理由は分かった。だがどうしてお前は戦う? 単なる正当防衛には見えない」

 戦士の目が細められ、銃火の瞬きの合間から一時の相棒へと注がれる。
 その慧眼は、まるで心の奥底まで見抜くような深みがあった。
 
「……」

 愛銃の漏らす硝煙の吐息の中で、狩人の心が僅かに軋んだ。
 脳裏を過ぎる、全ての始まり。
 喪失の記憶が今でも鮮明に思い出せる。
 自分と双子の兄弟であるバージルを狙って現れた悪魔、その悪魔に殺された母、血の海、屍。
 絶望の中で感じた怒りと憎悪は消えず、今でも胸の内で猛っている。
 生活の為、楽しみの為、色々と理由を付けて飄々とした態度の下に隠している己のそんな地金が、覗かれた気がした。

「さあね、特に深い理由はないさ。そういうあんたはどうしてこんな危ない商売してんだい?」

 軽口で流しつつ、ダンテは質問の矛先を相手に返す。
 自分の後ろ暗い心を隠す為の口実だったが、相手は戦闘への集中力を微塵も切らす事無く、熟考。
 掃討した悪魔共の骸と塵を踏み締めて進み、周辺を警戒しながら、ダンテに視線と言葉を返した。

「そうだな……たぶん、これしか生き方を知らないから、だろうな」

 永い時を戦い続けた男の、哀切と重みを含んだ返答。
 そこにはダンテのように瓢げた言葉で流す事もない、自分の負の部分も含めて語る事が出来る、年を経た男の強さがあった。
 なんとなく自分の子供っぽいところを自覚させられた気がして、ダンテは鼻を鳴らして銃をホルスターに差した。
 気が付けば、既に周囲に悪魔の姿はない。
 残らず狩り尽くしたのか、あるのは低級悪魔が顕現する時に依り代となった塵が、床に散らばった空薬莢が虚しく風に散っている。
 弾倉の交換や予備弾薬の確認をするスネークを他所に、ダンテは軽い足取りでさらに奥へと進む。
 そして、狩人はついにそれを見た。

「こいつはまた……凄いね」

 全長にして、約三十メートル余りはあるだろうか。
 鋼鉄で構築された巨躯がその威容を持って座す様は、まるで伏せり獲物を待つ獣のようだ。
 巨大な二脚の上に乗るボディから、顎のように突き出すコクピット部分。
 左側には巨大な各種センサーを兼ねた円形のアンテナ。
 右側には恐ろしい程長大な二股の音叉を思わせる砲身、核弾頭発射用のレールガン。
 かつてシャドー・モセス島でスネークが相対した恐るべき兵器、メタルギアレックスの強化改造版、とでも呼ぶべきものだった。
 本来の機銃や自由電子レーザー砲に加え、中央のボディの脇に近接戦や作業を想定したものなのか、鉤爪を有した機銃付きの腕がある。
 各部に増設された追加装甲板から、その堅牢さが伺える。
 こんなものが紛争地帯に輸出されればどうなるか、想像もしたくない。
 巨獣を思わせる威容を興味深そうに見上げるダンテを置いて、スネークは銃をスリングべルトで背に掛け、バックパックから必要な荷物を出す。
 粘土のような白い物体、細いピン、ワイヤーを取り出し、地面に並べて点検していく。

「ん? なんだいそれ?」

 メタルギアを見上げるのにも飽きたのか、ダンテが視線をスネークに戻して首を傾げる。
 歴戦の兵士は口元に含みの在る深い笑みを浮かべ、呟くように答えた。

「C4って聞いた事ないか坊主」

「あー、アレか……プラスチック爆弾?」

「正解だ」

「こんなところで使ってこの辺りを丸ごと吹っ飛ばしちまったりしないか?」

「必要な箇所を必要なだけ壊すだけだ、そうとんでもない爆発にはならんさ」

 スネークの返事に、そうかい、とだけ零すダンテ。
 プラスチック爆弾なんていう危険な代物を前に、どこか手を出したそうな目をしているが、スネークは淡々と必要なものを手にメタルギアへと近づく。
 警備の兵士も悪魔もいないなら、後はこの爆弾をセットして、安全な場所まで離れてスイッチを押せば任務は終了だ。

「あ、おい、ちょい待ち」

「なんだ? まさか記念写真でも撮りたいなんて言うんじゃないだろうな」

「ああ、それも良いね、でも生憎と今カメラがないんだ。それよりさ……」

 美丈夫の目に、またどこか悪戯っぽい色が浮かぶ。
 彼が何を言おうとしてるのか、スネークはすぐに察しがついた。
 ダンテの視線の先には、この倉庫で取引される筈だった大量の兵器やら弾薬があった。
 巨大な対物ライフルに、弾薬の箱、大型バイクまである。

「どうせ吹っ飛ばすんなら、少しくらい拝借しても……」

「ダメだ」

「まあそんな事言わないで……」

「後で証拠物件になる」

「でも……」

「ダメ」

「……」

 スネークの有無を言わさぬ断言に、さしもの悪魔狩人も遂に黙って肩を竦めた。
 まだ物欲しそうな目をしているダンテを無視し、スネークはメタルギアのコクピットを中心としたAI部を爆破すべく、登攀を始めようと脚部装甲に触れた。
 その、瞬間だった。
 ……ドクンッ。
 触れた手の先に、機械にあるまじき生命の脈動を感じた。

「な、に……?」

 一歩を後ずさり、視線を上げる。
 金属の装甲の上に浮き上がる血管、生物の心臓が刻む鼓動。
 コクピット部分が音を立てて開く。
 並んでいたのは互い違いに配された白く鋭い獣の牙。
 唾液の糸を引きながら開いたコクピットの口腔の奥では、ぎょろぎょろと蠢く目玉がスネークを捉える。
 収縮する眼球の瞳孔、宿る意思は殺意と敵意。
 唾液の飛沫を上げながら、魔性と兵器の融合がその顎をあらん限りに開き、

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ ッ ッ !!!!」

 闘争の産声を、雄叫びとして上げた。
 その圧倒的な存在感に、数多の戦場を潜り抜けたスネークをして硬直する。 
 だが、戦士の本能は向けられた機銃の照準を察して反射的な動作を行った。
 ローリングによる前方回避、過ぎ行く空間を裂く機銃弾の火線。
 耳をつんざく銃声が倉庫の壁を乱反射して反響し、床のアスファルト材が砕け散って粉塵を撒く。
 巨大な脚部が筋肉と油圧ポンプの軋みを上げて跨ぎ、超重量の体躯がするたったの一歩で倉庫の全体が揺れ動いた。
 もはやそれは、単なる鉄の塊ではなかった。
 悪魔の意思と殺意を融合され、最先端テクノロジーの武器を駆使して破壊と殺戮を成すもの。
 魔性の鉄騎。
 インフェステッド・ギアとでも呼称すべき、まったく新しい悪魔の誕生である。
 鉄の悪魔は、合一したセンサーと肉眼で敵を認識した。
 まず足元にいる人間が一匹、そして距離を置いてこちらを見据える紅い人影、銀髪の男、スパーダの血族を見る。
 足りない知能を補う戦闘用AIに従い、火器管制プログラムの優先破壊対象をダンテに設定。
 先ほどスネークに向けて発砲した30ミリ機関砲がその牙を紅い外套姿へと向ける。
 激烈なる機銃掃射の金切り声、毎分三千九百発を誇る銃弾の驟雨が襲い来る。
 側転と跳躍で回避するダンテの後を執拗に追う、火線の嵐。
 周辺のコンテナや壁が一瞬で襤褸切れのように破壊し尽され、金属とコンクリート片が銃弾の運動エネルギーと衝撃波で舞い散り踊る。
 人間離れした跳躍の連続で壁を蹴り、その猛攻を回避しながら、ダンテも空中にて二丁銃の反撃を試みるが、効かない。
 さすがに主力戦車級の複合装甲を持つメタルギアを相手に、拳銃だけでは蚊の一刺し程度である。
 空中にまで追い縋る機銃弾の火線に、さらには対戦車誘導ミサイルの乱舞が来た。
 噴射炎の尾を引き、センサーで認識された標的たる紅の外套を目指して飛び交うミサイルの数々。
 ダンテは宙にてさらに壁を一蹴り、機銃の火線を避けながら、銃口を迫り来るそれらに向けた。

「Sweet!」

 凄まじい火器の咆哮を前に、しかし楽しげな一声と共にダンテは引き金を引き絞る。
 複合装甲のボディを貫通するには至らなかったが、しかしミサイルの弾頭部ならば話は別だ。
 弾頭が加速に入る寸前、四十五口径の牙はそれらを残さず食い破る。
 猛烈な爆炎と衝撃が倉庫の中を蹂躙し、立ち込める煙が渦巻いて視界を覆う。
 戦闘用AIではない、悪魔の生身の視界がそれに混乱したのか、機銃の火線をメチャクチャな方向にばら撒いて暴れ狂った。
 機銃の照準が乱れる中、ダンテは着地して手近にあった頑健なコンテナの後ろに身を隠す。

「おーい旦那! 生きてるか!?」

 銃声に掻き消されそうな声で、一時の相棒たるスネークに声を掛ける。
 濛々と立ち込める粉塵と硝煙の中、相方の声は存外近くから響く。

「大丈夫だ、ここにいるぞ」

 同じく隠れたコンテナの傍から、歴戦の兵士が埃で汚れきった体を出した。
 同時に、スネークは速やかなる連撃を成す。
 いつの間に手に入れたのか、手が大きなスイングと共に何をか投げる。
 それは宙空にて炸裂し、小さな爆炎と共に輝く破片を撒き散らす。
 微細な金属片を散布して電子的なセンサーを狂わせる為の手榴弾の一種、チャフグレネードである。
 機械の視覚を失い、いよいよ鋼鉄の悪魔は狂騒染みた暴れ方を呈した。
 巨大な脚と腕を振り回し、照準など関係なく機銃の火線をばら撒き尽くす。
 このままでは、倉庫自体が崩壊するのもそう遠くないだろう。
 狩人と老兵は視線を交わして、お互いにその意を汲み取った。

「おい、どうするよオッサン。とりあえず離れた方が良いと思うんだけど」
 
「俺も同感だ。しかし、こいつを野放しにするわけにもいかんぞ。いや、というかスネークと呼べと言ってるだろうが坊主……って、うおッ!」

 軽口を混ぜた言葉の応酬の合間、さらなる火器の嵐が吹き荒れた。
 乱れ撃たれたミサイルが壁に炸裂。
 屋根の重みに倉庫全体を軋み歪ませて、直径数メートルはある大穴が穿たれる。
 即席の脱出口には打ってつけだろう。
 二人は視線でそれを確認すると、ダンテがあるものを指差した。

「じゃあ、あいつを使おうとしようぜ?」



 立ち込める金属片と粉塵の吹雪の中、鉄の悪魔は顎部を開閉して、牙の並ぶ口腔の中で蠢く目を光らせる。
 敵はどこか、獲物はどこか。
 狂った一つ目は血走り、殺意を孕んで視線を巡らせる。
 そんな中、唐突に何かが煌く。
 
「―ッ!!」

 牙の内から叫びに近い驚きが漏れ、複合装甲の外部で銃弾が爆ぜた。
 見れば、先ほどミサイルで穿った壁に、探し続けた敵の姿がある。

「C'mon. wimp!」

 極大の体躯を誇る鉄の悪魔に向けて、ノロマと呼び捨てる挑発の言葉。
 唸るエンジン音と共に、狩人が大型単車に跨り、そのサイドカー部分には老兵が腰掛けている。
 それは先ほどダンテが目を付けていた、倉庫の中に鎮座していたバイクだった。
 挑発の銃弾を撃ち込んだ愛銃を仕舞うや、ダンテは獰猛な笑みと共にスロットルを絞ってエンジンを唸らせる。

「どうした、早く来いよ。マジな遊びをしようぜ!」

 鋼鉄の中に救う悪魔の肉が、敵意と殺意に疼く。
 全身の駆動系をしならせ、ボディと腕武に装着された機銃を乱射しながら巨躯が駆けた。
 その様は、まるで鋼の鎧を被った太古の巨獣のようだ。
 機銃弾の驟雨と共に迫る極大の体躯。
 ダンテとスネークは口元に憫笑を湛えてバイクの方向を転換し、アクセルを絞って疾駆する。
 果たしてその笑みの底に何が隠されていたか、インフェステッド・ギアが理解したのは倉庫の壁を打ち破ろうとした瞬間だ。
 壮絶な爆炎が四方で発生し、倉庫の支柱を破壊する。
 気付いた時には頭上から、何トンあるかも知れぬ天蓋が落下してきた。

「~~ッッ!!!」

 金属の巨躯を軋ませ、牙の間から苦悶を吐いて沈む巨体。
 支柱を破壊したのはスネークがメタルギア破壊用に持ってきたC4爆弾だ。
 先ほどの挑発は、つまり最善のタイミングで罠に嵌める布石だった。
 倉庫の一つが瓦礫と化して砕けて沈み、埠頭の倉庫街全体まで粉塵が広がる。
 崩壊した倉庫を前に、ダンテは一度ブレーキを掛けて減速し、視線を向けた。

「なあ、これで終わりってのは」

「いや――ないな」

 言い切るスネークの言葉と共に、それは現実となる。
 獣の咆哮が上がり、瓦礫の山が内側から爆砕。
 腕と牙を唸らせた鋼の悪魔が、さながら卵の殻を破った爬虫類の偉容で敵意を雄叫ぶ。
 もはやチャフの効果から解放されたセンサーが二人を再捕捉、両腕のとボディの機銃に加え、対戦車誘導ミサイルランチャーの業火を見舞った。

「ハハ! こいつぁ、マジで危ねえ遊びになるぜぇ!」

 嬉しげで楽しげな声を発し、ダンテがアクセルを全開にしてマシンをかっ飛ばす。
 ゴムの焦げる臭いを残し、大型二輪のボディが急加速で駆け抜け、その後ろを機銃弾とミサイルの炸裂が追う。
 銃声と爆音の混合合唱に混じるバイクのエンジン音、ダンテの笑みにスネークの苦笑いが倉庫街の道路を高速で疾駆した。

「おいオッサン! 逃げてるばっかりじゃカッコがつかねえ、こっちからも何かプレゼントしてやろうぜ?」

「分かってる。お前はちゃんとハンドル握ってろ若いの……だからスネークと呼べって言ってるだろうが!」

 顔の傍を行き交う銃弾のよそに軽口を叩き、スネークは先ほど倉庫で得た獲物をを執る。
 まずは再びのチャフグレネード。
 景気良く数発を一気に投擲し、道路の上で炸裂する金属片の吹雪。
 電子の目は一時盲目と化し、追跡しながら鉄の悪魔が牙を剥いて吼え狂う。
 三つの銃口から乱舞する機銃弾の雨の中、しかしスネークは微塵の恐怖とてなく攻撃を連ねた。
 バックパックから引き抜いたのは筒を引き伸ばし、照準を付ける。
 携帯性に優れた対戦車兵器、M72LAW、使い捨て式ロケットランチャーの砲火が火を吹いた。
 狙ったのは円盤状をした電子の目、左体側に位置するセンサーだ。
 走行するバイクの上から、それを追う敵に向けての砲撃。
 困難極まる照準を、しかし彼は外さない。
 爆炎の尾を引いて射出された弾頭は、過たずセンサーを直撃。
 円盤は軋み、ひび割れ、そこにさらなる追撃。
 スネークはもう一本のM72LAWをバックパックから引き抜き、流れるような動作で射出準備を整え、発射。
 再びの炸裂に、とうとう完全に破壊されたセンサーが砕けて落ちる。
 どうやらオリジナルのメタルギアレックスから比べて、副次的な装置の耐久性はかなり低いらしい。
 だが安心するには――もちろん至らない。
 自分の体を傷つけられた巨獣は金属の顎から唾液と咆哮を迸らせ、もはや完全な狂騒状態と化してミサイルと機銃を乱舞する。
 辺りの倉庫の壁がミサイルに散華し、アスファルトの床が機銃の弾で爆ぜ散る。
 破壊と硝煙と爆風の中、命懸けのカーチェイスで爆走する二体の鋼鉄。
 バイクを駆るダンテは牙を剥き出しにして、獰猛で楽しげな笑顔を浮かべてアクセルを狂ったように絞る。
 サイドカーの席にしがみ付くスネークは、冷や汗交じりの苦笑を零した。

「おいおい! 幾らなんでも飛ばし過ぎじゃないか!?」

「何言ってんだ、これくらいじゃなきゃ刺激が足りねえぜ。次、曲がるぜ、掴まってな!!」

 言葉を受けて、スネークが前方に視線を向ける。
 もはやぶつかるとしか考えられない距離と速度の先に、T字路があった。
 
「おいおいおい! ブレーキ踏め! ぶつかるぞ!」

 叫ぶスネークに対し、ダンテはその美貌に凶暴極まる笑みを浮かべて右手をアクセルから離す。
 だがブレーキは踏まずに、空いた右手を背中に伸ばす。
 掴んだのは、ぎらぎらと銀に輝く大剣の柄だった。
 果たして疾駆するバイクにおいて、剣が何の意味があるのか。
 知るのは超絶なる横Gを身に受けた時。
 あろう事かダンテは大剣リベリオンの刃を大地に突きたてた。
 刃を中心に急激なカーブを曲がる単車の体躯。
 半魔の狩人の膂力は、片腕を以って二人分の体重と単車の重みを支えきる。
 急激な横Gと慣性を耐え切った腕は刃を捻って引き抜き、その速度を保ってT字路を曲がる。
 背後では曲がりきれなかった鋼鉄の悪魔がT字路の正面、倉庫の壁にぶつかって転倒し、だがすぐに起き上がって再びの追跡を始める。
 その姿をバックミラーで確認し、狩人と老兵の口元に苦笑が浮かぶ。

「ったく、しつこい野郎だぜ」

「ああ、まったく嫌になるな。そろそろ引導を渡してやろう」

「でも、簡単にぶっ壊せるほどやわな体じゃないみたいだぜ?」

「ああ、ちょっと待て。おいオタコン」

 口での言葉と共に、体内通信を用いて、バックアップについた友に声を掛ける。
 返答はすみやかに訪れた。

『ああ、大丈夫かいスネーク?』

「ああ、大丈夫だ。あいつがどういう機体か分かるか? 弱点が知りたい」

『あれは姿どおり、メタルギアレックスの亜種だよ。弱点もレックスとそう変わらない。コクピット部分に攻撃すれば中枢を叩ける筈だ』

「わかった。やってみる」

 通信を切り、視線を傍らの狩人に向けるスネーク。
 澄んだ蒼い双眸は、暴力的な眼差しを以って嬉しげに返す。

「弱点は、まあ順当にあの口みたいなコクピットだそうだ」

「なるほど、分かりやすくて良いや」

 アクセルが唸り、加速する車体の先に、おあつらえ向きの決闘の場があった。
 コンテナ運び込みの為、広大な広さを持つ港の一角。
 ダンテはブレーキを踏んでタイヤの焦げる臭いを撒き散らしながら急カーブし、迫り来る鋼鉄の巨躯を睨む。

「そろそろ鬼ごっこは止めて、もっとヤバくて楽しい遊びとしゃれ込む時間だな」

「ああ、いい加減しつこいやつにはキツイお灸を据えてやる頃合だ」

 バイクのエンジンが切られ、二人の男が車体より降りる。
 紅き狩人は背の大剣を抜き、大気を裂く鋭い音と共にぎらぎらと輝く刀身を振るう。
 歴戦の兵士はバックパックから最大の火力を持つ兵装、ロケットランチャー、RPG‐7の砲身と弾頭を取り出し、安全ピンを抜いて発射状態を確保する。
 迫る巨体は減速などという事象を忘れたかのように突進を続け、乱れ狂う機銃の銃火を吐きながら、弱点たる口腔から唾液と敵意を叫ぶ吼えた。
 だが二人の男に微塵の恐怖も戸惑いもない。
 視線を軽く合わせ、頷き合う。

「じゃあ、さっきと同じで行こうか」

 長大な刀身をくるくると回しながら、まるで遊園地に来た子供のような軽く生き生きとした足取りで歩み行くダンテ。
 その背に、スネークは低く渋みのある声音で答える。

「ああ。俺の火器は近すぎると効果がない、前衛は任せたぞ若いの」

「そっちもそっちで、後ろは任せたぜ。じゃあ……」

 銀の刃が、その切っ先を迫り来る悪魔に向けた。
 蒼の双眸にぎらぎらと戦意が燃え上がり、

「派手なパーティを始めようぜッッ!!」

 歓喜の叫びを上げた紅き狩人が疾走した。
 鉄の悪魔の咆哮と共に、降り注ぐ機銃の弾雨。
 砕けたアスファルトと銃声が巻き上がる中、しかし半魔の狩人の疾走は止まらない。
 むしろさらなる加速によって近づき、狂獣めいた笑みを美貌に湛える。
 間合いの内に入る前に仕留めようと、悪魔の振るう機銃の射線がダンテを狙う。

「~ッ!!」

 だがその刹那、狙い済ましたようなタイミングで爆炎がボディの複合装甲に散華する。
 視線を向ければ、遠間よりスネークが放つ援護の砲撃が猛烈な火線を描いていた。
 悪魔の意識が一瞬逸れた、その時、巨大な脚部の膝関節の上で軽快な金属音が鳴る。
 口中で蠢く眼球が視線を向ければ、紅い外套を翻した狩人の振るう刃光が、風を切って踊った。
 弱点の口内に向けて、容赦など微塵もない斬撃の刃が襲う。
 だが刃圏は僅かに届かず、顎先の牙を僅かに削るに終わった。
 硬質なる金属と金属が噛み合った残響と火花が散り乱れ、狩人の体躯が空中で無防備に晒された。
 轟、と、唸る風。
 ダンテの視界が捉えたのは、反撃と振るわれたメタルギアの腕部だ。
 人間のものとは比較するのも馬鹿馬鹿しい鋼鉄の右フック、その重量からして軽自動車に匹敵する一撃がダンテを打つ。
 全身の骨と筋肉が破壊され、吹き飛ぶ狩人。
 血の飛沫を散らした五体がアスファルトの上を跳ね、赤い水溜りを形成して転がった。
 普通の人間ならば即死する一撃に、しかし彼は即座に立ち上がる。
 血に濡れた美貌で、激痛など感じていないかのように、ダンテは笑みを浮かべた。
 戦いは危険なほど面白い。
 その闘争心が燃え上がり、強力な相手との死闘に瞳が力を帯びる。
 軋る鋼の巨体を揺らし、その狩人を仕留めようと機銃の照準を合わせる悪魔。
 だが、悪魔の思考はもう一方の脅威を完全に失念していた。
 再びのRPGの砲弾が炸裂し、複合装甲を軋ませて爆炎を上げる。
 今度炸裂したのは、巨体を支える脚だった。
 全重量を受ける右膝関節に来た衝撃と爆裂に、傾ぐ鋼の体。
 そして気付いた時には、既に紅き旋風が踊っていた。
 
「余所見すんなよッ!」

 叫びが一声するや、壮絶な金属の猛り吼える響きが上がった。
 刃圏に入るまで近づいた狩人が、振るうその刃光の飛沫と共に右膝を斬る。
 主力戦車並みの厚さを持つ複合装甲が、如何にRPGで軋んでいたとは言え、信じられないほど容易に切断された。
 右膝の関節が鋭利な切断面を鏡のように煌かせ、落ちる。
 金属の軋る鳴き声を上げて崩れる巨体。
 鉄の悪魔は、オリジナルのレックスにはない腕で体を支えた。
 さながら野生の四足獣が見せる伏せる姿のように、体を前傾させて保つ。
 もはや戦闘用AIの怜悧な思考は失せ、せっかく人界で得た強い体を破壊された怒りが悪魔の心を支配する。
 牙の並ぶ口腔から唾液と咆哮を上げ、ミサイルランチャーが機銃の火線と共に乱舞した。
 もはや狙いなど付けていない、暴れ狂う獣の攻撃。
 アスファルトの地面を砕き散らし、吹き荒ぶ炎と銃弾の風。
 だが悪魔は気付いていない。
 己が巻き上げるその爆炎こそが、センサーを破壊された自分の目をさらに遮る事になるなど。
 吹き荒れる炎と銃弾の雨風の中を駆け抜ける鮮紅の影。
 銀の大剣を輩に、狂気さえ孕んだ笑みを浮かべて行くは半魔の狩人。
 炎の風を背に駆けるダンテの刃が再び金音の絶叫を奏でる。
 左脚部の関節が両断され、二脚を失った巨体が地を揺らして倒れ伏せた。
 残る両腕を狂ったように振り回し、もはや完全な恐慌状態に陥った悪魔が断末魔の如き銃火を撒き散らす。
 見当違いの方向の放たれた機銃が虚しく銃声を上げ、無人の倉庫に穴を穿つ。
 だがそれすらも、許されない。
 吹き荒れる粉塵の中、神がかった狙いでスネークの撃つランチャーの弾頭が腕部の機銃を爆砕。
 続けてダンテが跳躍と共に、大上段の兜割りで残る機銃もろとも右腕を絶つ。
 金音の金切り声が木霊し、数トンの重みを持つ金属の塊が悪い冗談のように飛んだ。
 もがくにしても四肢の大半を奪われた機械の化生は、アスファルトの上で悶えながら牙の連なる口腔の奥より叫びを上げた。
 それは、雄叫びなどではない。
 迫る死と破滅を前に、恐懼に駆られたものが上げる泣き声だ。
 陸揚げされた魚か、それとも屠殺される前の家畜か、血潮とオイルを撒き散らしながら震える装甲の巨躯。
 鋼の五体の内より染み入る絶望に、悪魔は怯えた。
 圧倒的な火力と強大さを備えた体を得て、何故自分は負けるのか、そのあまりの理不尽が理解できず。

「――ッッ!!」

 叫び続けた泣き声が寸断される。
 牙を揃えた口の開閉を、何かが挟み込まれた。
 口腔の奥に光る目は、それを見た。
 銀の刃。
 かつて伝説の魔剣士スパーダが振るった刃が一つ、反逆の名を冠した魔剣、リベリオン。
 髑髏と骨を象った装飾が不気味に血で濡れ光り、想像もつかぬ膂力で口が無理矢理開かれる。
 こじ開けられた口の中に捻じ込まれる大剣の刃と柄がつかえ棒となり、もはや口を閉じる事さえ許されず、口腔の奥で恐怖に光る目は、彼を見た。
 左右の手に携え持つ銃口をそれぞれこちらの向け、凶暴な獣染みた笑みを浮かべる、血濡れの美貌。
 悪魔狩人ダンテの微笑みがそこにあった。

「さて、そろそろパーティもお開きにしようか」

 蒼き双眸と銃口の奥底に、魔力の燐光が燃える。
 暴力の光。
 さらにそこへ、もう一つの銃口が加わった。

「良い所を独り占めする気か?」

 もはや弾頭も尽きたランチャーを捨て、再度拳銃、シグ・ザウエルを握った老兵が狩人の隣に並ぶ。
 親指が撃鉄を起こし、薬室に内包された四十五口径の牙を撃ち放つ準備を万全とする。
 連ねられた三つの銃口は、魔性の眷属に向けられた絶対の死として暗き威容を見せ付けた。

「ああ、そうだな、じゃあ仲良くパーティの幕引きと行こうか旦那」

「こういう時は何か気の効いた文句を垂れるもんじゃないか?」

「もちろん」

 引き絞られる銃爪、落ちる撃鉄、満面の笑みを浮かべたダンテの声音が三重奏の銃声と連なる。

「Jack pot!!」



 全ての戦いが終わった果て、重火器の風雨に蹂躙された港の一角は、割れ砕けたアスファルト、漂う火薬と硝煙に満ちた荒涼の園と化していた。
 滅んだ悪魔の血と肉は塵と化し、物言わぬオブジェクトと化したメタルギアの偉容は、単なる鉄屑に変わる。
 その様を見つつ、体内通信でオタコンに状況終了を伝えるスネークの眼差しは、傍らの狩人に向いた。

「俺は仲間にこいつの残骸を引き渡すが、お前さんはどうする?」

 体に付いた自分の血を手で拭いつつ、ダンテは傾ぎつつある夕日を見て首を捻って小気味良い音を鳴らす。
 地に突き立てていた剣を軽々と振り上げて背負い、美貌に飄々とした笑みを浮かべた。

「さっさと帰るとするさ、運動の後はピザでも食ってゆっくりしたいしね」

「そうか」 

 夕日に輝く銀髪を揺らし、軽く手を振って歩み行くダンテ。
 その背を見つめながら、愛飲しているタバコの紙巻に火を点けるスネーク。
 たった一日、たった一時の激闘を共にした、容姿も性格もまるで違う戦友同士。
 もしかしたら、もう永遠に会う事もない相手に、夕日に細められる老兵の目にはどこか寂寥としたものが宿る。
 そこで、ふと青年の声音が響いた。
 
「ああ、そうだ」

「どうした? 忘れ物でもしたか?」

「いや、そんな事はないけどさ」

 振り返るダンテの顔が、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「俺はこの街で便利屋と悪魔狩りを仕事にしてるっつったろ? もしそういう事で入り用なら、いつでも連絡してくれや。格安で引き受けてやるよ」

「なるほど、そいつは嬉しい情報だ。店の名前はなんて言うんだ?」

「そいつが……実を言うとまだ決まってなくってね」

「なんだ、まだ創業前か?」

「事務所を借りたばっかりなのさ。でも合言葉一つで飛んでくぜ」

「分かった。もし戦場で悪魔にでも会ったら、連絡するさ」

 紫煙を燻らせる老兵の笑みに、狩人も笑みを返し、今度こそ振り返らずに歩み行く。
 最後の挨拶とばかりに背中越しに手を振って。

「じゃあ元気でな。タバコはほどほどにしなよ――スネーク」

「お前もな――ダンテ」

 この日初めて、そして最後に、二人の男は相手の名を呼んだ。
 沈み行く夕日だけが、その邂逅と別れを見守っていた。


終幕。



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