突然の呼び出し。厳しい寒さ。乏しい食事と暴力--。戦時中に県内に強制連行された朝鮮人の労働の実態を調べている民間団体「県朝鮮人強制連行真相調査団」の事務局長で能代市在住の作家・野添憲治さんが昨年12月に訪韓。生存している当時の労働者4人と会い、過酷な労働環境について聞いた。【岡田悟】
野添さんは、韓国の政府機関「日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会」の資料を見た日本人のソウル大留学生から情報提供を受け、12月2~9日に訪韓。安東市に住む80代の男性4人に話を聞いた。
このうち八峰町にあった旧大日本鉱業発盛精錬所に連行された3人によると、当時の朝鮮の役場に突然呼び出され、汽車と船で日本に連行された。精錬所では鉱石運搬や破砕などに従事。労働者の寝食の場である飯場は5、6棟あったが冬でも暖房を使わず、食事も極めて少なかった。「疲労や空腹で倒れると、棒で殴ってきた日本人監督がいた。名字を今でも覚えている」と語った男性もいたという。
同精錬所付近では、野添さんらが朝鮮人労働者の墓を確認している。3人は「直接死者を見たことはないが、僧侶がよく来てお経を上げていた。墓地は見たことがない」と証言した。
野添さんによると、旧厚生省が1946年に作成した名簿では同精錬所での朝鮮人労働者は計201人。その中に今回聞き取りをした3人は含まれていない。野添さんは「実際はより多くの朝鮮人が働いていた可能性がある。本来は日本政府が正確に調べるべきことだ」と話した。
毎日新聞 2011年1月20日 地方版