TVや新聞の報道で話題になった著者の本を購入したはいいが、
よく内容を理解出来ずに途中で投げ出すといった経験を、一度や二度くらいならした事がないだろうか?
小さなベッドから掛け布団を蹴り落としながら、おヘソを出しながら小さな寝息を立てている少女も、
そんな経験を何度かしており、小学生の頃に両親に買い与えられた勉強机の上には、
途中で投げ出された何冊かの本が無造作に置かれていた。
「おはよう、ユキ!その寝癖を見ると、ちゃんと買った本を読み終えたみたいだね」
眠そうな顔をして教室に入って来た宮下ユキに最初に声を掛けたのは、幼稚園に入る前からの友人の河合恵美だった。
そんな彼女に対し、ユキはそっけなく『まーね』とだけ返し、さっさと自分の席へと座る。
さっぱり理解できない本を読もうとして、夜遅くまで起きていたユキは朝のHRから一限目一杯まで、
寝不足解消のために費やすと決めていたのだ。
固い机がまくらの代わりなのが難点ではあったが、
自分に襲い掛かってくる強い眠気の前では大した問題にはならなさそうであった。
自分の前の席で、堂々と授業中に眠る親友の姿に呆れながら、
それをやさしく微笑みながら見守る恵美は、ユキが買った本を途中で投げ出したことなど、とっくにお見通しであった。
親友が自分に対して素っ気無い態度を取るのは、自分に対する何かしらの弱みがあるときと、恵美は昔からの経験則で知っていたのだ。
一緒に書店に行った際、専門書を買うのはまだ早いのではと疑問を呈した自分に対し、
ユキは『ドラッカーなんて楽勝、楽勝♪』と大見得を切った手前、途中で読むのに挫折したなどとは、口が裂けても言えなかったのだ。
ちょっぴり意地っ張りで、分かり易い親友を優しく見守る少女は、
ユキがこれから起こす、ちょっとした奇跡の一番の協力者となって、彼女を支えていくことになる。
ユキと恵美が通う県立西里高校は、県内ではそれなりの進学校として認知されており、殆どの生徒は卒業後に大学へと進学している。
ただ、学業面の方では、それなりの人数の卒業生を有名大学へと送り出して一定の成功を収めている西里高校であったが、
部活動などといった課外活動では、全国大会出場、大臣賞の受賞等々の輝かしい成果とは無縁で、
在校生達は趣味程度に課外活動を行うだけの者が大半で、
有名大学への進学率を気にする学校や在校生の親達は、それを是としていた。
とりあえず勉強はしっかりやって、後の事はそこそこにやる。
それが、大した特徴の無い西里高校の校風と言えば、校風であった。
この、よく言えば平和、悪く言えば退屈な日常を変えたい。毎日を楽しい日々に変える。
これが、高校入学から一ヶ月たったばかりの宮下ユキの掲げた『目標』だった。
次に目標を立てた少女は、それを達成するためには、どうすれば良いのか思案し、
全く良い方法が頭に浮かんでこなかったので、頼りになる親友に助言を求めることにした。
「『毎日を楽しい日々に変える』か、ユキは相変わらず面白いこと思い付くね」
「ね..じゃないよ!私は真剣にこの目標を達成するために考えて悩んでるんだからっ!」
「ごめん、ゴメン。あんまりユキが一生懸命に話すから
つい、おかしくなっちゃって、私も一緒に考えてあげるから機嫌直して、ね?」
久しぶりに素っ頓狂なことを言い始めたユキの一生懸命な姿の微笑ましさに
ついつい笑みを溢してしまった恵美は、頬を膨らませて怒っているアピールをする親友の機嫌を直すため、
ユキの『毎日を楽しい日々に変える』という目標達成のため、全面的に協力することを約束する。
この申し出に対し、ユキは渋々許してやるかといった風を装うのだが、滲み出てくる嬉しさを、全く隠しきれていなかった。
こうして、一人から、二人へと人数を一気に二倍に増やした目標を達成するために結成された『組織』は、
目標達成のため、『何をすべきか』を話し合うべく、人も疎らになった放課後の職員室で初めての『会議』を行うことにした。
「毎日を楽しい日々に変えるためには、先ずは何が
ユキにとって楽しいか、それを知る必要があると思うの」
「恵み、違うよ。私と恵美にとって楽しいことを知る必要があるんだよ」
『組織』が『目標を達成』する事によって得られる『成果』は、
組織を構成する者が『共有』出来るものであることが望ましい。
そんな小難しい考えをユキが頭に浮かべたわけでは決して無い。
ただ、いっしょにやるのなら、皆で楽しくなりたいという気持ちが彼女の発言に強く現れただけである。
そして、その発言の効果が万金に値する事にも気付くことは無い。
最初は面白半分に付き合っていた筈の恵美は、会議が始まった早々に『高い意欲』を持って、真剣に最初の議題へと取組む。
『労力』に対して『対価』を与えない組織は、どのような目標も実現する事は出来ない。
また、『対価』は必ずしも金銭等の物質的な物である必要は無い。
組織や『組織のトップ』から与えられるポストや責任、信頼や感謝の言葉も状況によっては、金銭に代わる物となるのだ。
「とりあえず、恵美は私が楽しそうにしてたら、楽しいってことでホントに良いの?」
「うん、それで良いよ。現にユキのこと手伝ってる今も結構楽しいしね」
自分に対する無償の奉仕を喜んでくれる親友をユキは思わず、ギュッと抱きしめた所で、
二人だけの初めての会議は終わりを迎える。
結局、恵美にとって日々を楽しくさせる『楽しい事』が何なのかは会議をした結果分かったのだが、
ユキの毎日を楽しい日々に変えてしまうような可能性のある『楽しい事』は、どんなに話し合っても分からなかったのだ。
二人は、週末の土曜日に近くの比較的大きな書店に行って、
目標を達成するのに必要な『楽しい事』を見つける手掛かりを探すという『結論』を出した。
会議を行った際は、どのような些細な『結論』であっても、出さなければならないのだ。
何かしらの結論を出すために会議は行われるのだと言うことを、会議に参加する全ての者は認識しなければならない。
また、結論を出すための『情報』が不足している場合は、会議を開くべきではないし、
会議中に情報不足が判明した場合は、即座に閉会すべきである。
答えの出ない会議ほど『生産性』の無いものはないのだから...
初めての会議から数日後、ユキと恵美の二人は出された『結論』に従って、郊外型ショッピングモールにある大規模書店を訪れた。
二人は、ユキの毎日を継続的に楽しいものにする事が出来る『楽しい事』を見つけるため、
様々なジャンルの本をペラペラと捲ったりしながら、楽しくお喋りして週末を満喫する。
勿論、目的を忘れてしまわないように、互いに注意をしながらである。
「とりあえず、スポーツ大全に趣味全集、この中から面白そうなのを見つけて
部活があるなら入れば良いし、無ければ自分達で作っちゃえば良さそうだね!」
「本屋さんに来て正解だったみたいだね。二人だけで思いつかない物も
本や雑誌を少し調べてみるだけで、意外と簡単に分かったりするから」
毎日楽しめそうな物の『情報』が沢山詰め込まれた資料を見つけた二人は、
『今日の目標』は一先ず達成したと考え、二冊の本を購入するためにレジへと向かったのだが。
その途中に、冒頭で記したユキが投げ出した本、ドラッカーと出会ったのだ。
「あー!これ、TVでも話題になってる本だよね。確か、高校野球のマネージャーが主役の」
「まぁ、どっちかっていうと、マネジメントの入門本として有名になったんだけどね」
「マネジメント?」
「えーと、私も詳しい事はよく分からないけど、会社とかの組織が成果を出すために
役立つ手法みたいな物かな?その本では、甲子園出場っていう目標を達成するための
手法として、ドラッカーのマネジメントを女子マネージャーが利用したって内容みたい」
「へぇ~、なんか今の私にピッタリな本のような気がする。何か部活に入ったり
部活を作って成果を出すのに、このマネジメントとかってのを上手く使えば
ちょちょいのちょいって感じで、成果がでるんでしょ?こっちの分厚い本買おっと!」
「えっ!?ユキ、こっちの小説の方じゃなくて、そっちの専門書を買うの?」
「そうだよ?だって、同じ普通の女子高生がドラッカーのマネジメント読んで
成功したんだったら、私だってきっと読んで成功できるよ。大丈夫、楽勝楽勝!」
こうして、親友の心配を余所にミリオンセラーの小説ではなく、
直ぐ横に関連書籍として平積みされた分厚いドラッカーの専門書を購入したユキは、
冒頭で述べたように、途中で読むのに挫折し、著者の考えるマネジメントを殆ど理解する事は出来なかった。
もしドラッカーの『マネジメント』を理解できなかった女子高生が何かを始めたら
果たして、その先にはある答えは成功か、失敗なのか?
真直ぐに行動する少女に巻き込まれた人達は、成果を手にする事が出来るのか?
成功のマネジメントサイクルに基づかない挑戦ゆえに、その到達点を予測する事は著しく困難である。
ただ、その不確定さが同時に面白さを生むのかもしれない。
事危なっかしいながらも前に進もうとするユキに対し、少なく無い人々が協力者となって
直接・間接を問わず、様々な手助けをしていく事になるのも、
そんな不確定性に惹き付けられた故と言えなくもない。
成功のセオリーに縛られない挑戦があっても良いのだ。
成功するために一番大事な『情熱』さえ無くさなければ、失敗しても何度だって『挑戦』できるのだから...