2003年(平成15年)11月29日(土曜日)の毎日新聞30頁に「始皇帝陵
地下に巨大宮殿」の見出しで始皇帝陵墓の記事が載った。以下に転載します。
【上海・共同】中国陜西省西安市の秦の始皇帝陵(東西345b南北350b)を、同省文物考古研究所と中国地質調査局が、電気探査などのハイテク技術で調査した結果、墳丘の地下約30bの地点に巨大な「地下宮殿」や墓室が存在することを28日までに確認した。地下宮殿の存在はこれまでのボーリング調査などで予測されていたが、具体的な規模や構造が判明したのは初めて。飯島武次・駒沢大教授(東洋考古学)は世界最大の『地下宮殿』であり、これまでの調査を一歩前進させた」と評価している。
同研究所などによると、地下宮殿は東西170b南北145bの規模で、中央に石灰石でつくった墳室(東西80b南北50b高さ15b)があるとみられる。又、地下宮殿には大量の水銀が流し込まれていたことも判明。司馬遷の史記には始皇帝陵について「水銀の川や海がある」との記述があり、これを裏付ける結果だ。 このほか、墳室を守るように周囲には厚さ16〜22bの頑丈な壁が巡らされており、内部の墳室は壊れていないとの測定結果もでた。
2003年(平成15年)11月29日(土曜日)の毎日新聞記事▼
秦の始皇帝陵墓▼
秦の始皇帝陵墓 後方の山は驪山(りざん)▼
中国最初の歴史書 司馬遷の書いた【史記】には秦の始皇帝陵墓に付いて次のように記している。
「三泉の下より」も深く、石材を使って積み塞ぎ、銅で作られたあの世の地下宮殿の中には奇宝、財宝がつめられ、その上部には照り浮かびあがる星座、下部には水銀が注ぎこまれ、又、機械仕かけによる川流は絶え間なく河海に流れ、周囲にはさまざまな工夫がなされ、始皇帝が黄泉の国を巡遊する際の休息所の色々な宮殿が供えられている。その他にも地下宮殿の入り口に防犯の為の石弓発射装置もある。
三泉=地下水 黄泉=あの世・めいど
現在、秦の始皇帝陵墓にはざくろの木が植えてあり、頂上まで階段状の歩道が設けられ頂上は展望台になっている。
▼秦始皇帝像
前259-前210) 中国、秦の第一世皇帝(在位 (前221-前210))。第三一代秦王。名は政。紀元前221年戦国の六国を滅ぼし、初めて中国全土を統一、自ら皇帝と称した。郡県制を施行して中央集権化を図り、焚書坑儒(ふんしよこうじゆ)による思想統制、度量衡・文字・貨幣の統一、万里の長城の増築などを行なった。
三省堂「大辞林 第二版」より
中国2000年の悠久の歴史の舞台である封建時代には300以上の皇帝が現れては消えていった。
その中で始めて封建制度の統一国家を創り、皇帝の名称を創設した帝王は即ち秦の始皇帝である。
彼は雄大な才略と卓越した功績を残している。中国歴史上影響を与えた事は言うにおよばず、今までの帝王の中でこれ程広く知られ、長く受けつがれた帝王はいない。
兵馬俑坑はこの秦の始皇帝の死後の世界で、始皇帝を守るために皇帝の陵墓の近くに造られたのである。