2011-01-20 人迷惑な笙野頼子と佐藤亜紀 
『現代文学論争』の最後のほうで、私は笙野頼子をめぐる論争をまとめたのだが、刊行されて半月ほどして、笙野が筑摩書房の担当編集者宛に電話で文句を言ってきた、と聞いた。そのうち、事実誤認が百カ所あるとか、佐藤亜紀や小谷真理も文句を言ってきていると聞いた。佐藤もそんなことをツイッターで書いて私を病人扱いしていた(12月1日)。しかるになかなかその後の連絡がなく、年末の忙しい時になって、百カ所のリストというのを担当編集者宛に送りつけ、しかし担当編集者が、とてもこれは見せられないと言って削った結果21カ所となった。私が見たのはこれ。そのうち、間違えたのは既にここに書いたのと、読売新聞が文藝季評になっていたというあたり。あとは、「在学中から作家を目指し」というのが間違いで、公務員試験に落ちて司法試験の準備をしていた、とかいうもの。そんなこと、講談社文芸文庫の年譜にも『文藝』の特集の年譜にも書いてないんだから知るわけない。あとは、「警察に届けた」というのを、警察に言っただけで届けてはいないとかその類のいちゃもん。
それで年末の忙しい時に担当編集者に毎日毎日電話掛けてきて編集者はノイローゼ状態。私のほうの担当がメール出しても返事は担当編集者にするし、直接私に言ってくるようにと言っても、二重伝言で、それは嫌だと逃げ回る。で一応私の見解は示して返したが、どうするつもりやら。反論を筑摩のウェブサイトに載せろと言ってるらしいが、どうぞご自由にとしか言いようがない。だいたいそれなら、河出書房新社のウェブサイトで私の抗議文を掲載するのが先だろう。自分が悪いことを認められないんだからしょうがない。
佐藤亜紀のツイートは以下の通り
関係者が事実誤認を100箇所以上指摘してる模様。@hazy_moon 『現代文学論争』 - ハッピーハロウィンへようこそ! http://bit.ly/gTQc2z
8:53 AM Dec 1st, 2010 Tweetie for Macから hazy_moon宛
ほんとは私も怒った方がいいんだろうな、とは思うんだが、気の毒な人の気の毒なやっつけ仕事相手ではどうにもやる気がしない。私に関する部分はほとんど2ちゃんねるコピペだもの。元を読む手間さえ掛けていない。具合が悪いって本当だったんだな、みたいな。
9:04 AM Dec 1st, 2010 Tweetie for Macから
そこで私は、佐藤が話し合いをする気があるかどうか見るために、
多分、夫婦別姓に反対する人の殆どは、夫婦それぞれの背後に控えている、生きている人も死んだ人も含めたご一族様の存在が目に見えていない人だと思う。親の墓を無縁にするしかない無念を考えたことがないのだと思う。抽象的な核家族の幻想しかしがみつくもののない、全くの流民なのだと思う。
6:37 PM Dec 19th, 2010 Osfoora HDから
これに対して「家制度護持論者ですか?」と訊いたのだが、佐藤は私をブロックし、
どなたか小谷野先生の面倒を見て上げて下さい。ご面倒でなければ、ですが。
6:52 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから
tamanoirorg 前から少し具合の悪い方だと思っていたので、お付き合いはお断りし、向こうもそれで納得しておられた筈なのですが、急に何日も前の書き込みで絡んでいらしたので、あまり調子が良くなさそうだと判断しました。RT @hidetomitanaka: どうかしたんですか? 小谷野さんが?
7:09 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから
tamanoirorg まあ一番悪いのは、ああいう不安定な人を煽って、本調子ではないのに問題の多い本を出版させてしまった出版社だろうな。以前の先生なら絶対にしなかったような事実誤認や不確かな憶測、無責任な言説の無断引用だらけ。校閲はついていなかったんだろうか。
7:14 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから
私は特に迷惑を被ってはいないからいいけれど、実際に被害のあった人たちから要請があった時に、出版社がどの程度対応してあげるのかには多いに疑問がある。勿論先生は対応できる状態にはない。煽って本を出させ矢面に立たせて、面倒が起ったら切る、では、先生が可哀想すぎるよ。
7:18 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから
tamanoirorg 所謂「しばらくネットから離れろ」状態だと思うよ。でなければ私に絡んで来たりはしない。全然関係のない人だもの。RT @tinouye: 適当に相手してあげてる方はいるように見えるんですけどね、、、
7:20 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから
tamanoirorg 本当は優秀な人なのではないかと思うのですが。残念です。RT @hidetomitanaka: それは難しいおつきあいだと察します。
7:25 AM Dec 29th, 2010 Osfoora HDから
と罵詈雑言(事実に反する嫌み)を連投した、というわけ。ところでこの時相手をしている田中秀臣って何者だ? 事情も知らないバカか。(これらを採集している最中またブロックしたのでコピーした)
2011-01-19 福田と坪内に 
『SPA!』の対談で、福田和也と坪内祐三が私の悪口を言い合っている。福田は、私が東大の紀要に「俺は東大を出て留学もしているのに、なぜ福田などが文藝評論家なのか」と書いた、載せる東大も東大だと思った、などと言っているが、そんな事実はない。思い当たるのは、『比較文学研究』(これは東大比較文学会が出している学術雑誌であり、紀要ではない)に「外国で日本文学を勉強するということ」を書いた(1993年、63号)。その冒頭で私は、福田の『「内なる近代」の超克』について疑念を表明しているのだが、これは『男であることの困難』に入っている。見れば分かる通り、福田が言うようなことは書いていない。書くわけがない。しかもその後、私は95年の比較文学会で福田と話している。それからあと、『谷崎潤一郎伝』を書いて福田が絶賛したらころっと態度が変わった、と言っているが、それは事実である。しかし、実際にはその間に、福田との対談を断ったということがあった。それはむろん、福田が「右翼」か左翼か分からないという、いつも言っている通りの理由である。だが、『谷崎伝』を出した2006年頃には、もう福田の右翼的言説を本気にする人もあまりいなくなっていたので、お礼の葉書を出したのである。それはまあ、普通のことだと思う。
次に坪内は、『文学研究という不幸』で、坪内は金持ちの息子だから大学教授にならないのだろう、と書いたのをとらえて、自分は父親の借金で実家が競売になっていることを書いていると言い、私を、他人には厳しいけれど自分はいい加減だと言っている。
坪内の父は元ダイヤモンド社社長・坪内嘉雄だが、確かに99年に世田谷区体育協会副会長をしていた時に、公金を借り出して返していなかったことで問題になったり、2001年に恐喝容疑で書類送検されて不起訴になったりしている。しかし、こういう地位のある人というのは、融通が利いたりするものだし、坪内ほどに人気のある評論家なら、早稲田で教授に迎えてもおかしくない、そうならないのは断っているからだろうと思ってそう書いたのである。私は坪内の自室の写真というのを見たことがあって、それが結構広い和室に書籍がたくさん置いてある部屋だったので、何かと裕福なのだろうと(むろん自分と比べて)思い、奥さんの稼ぎが多いのだろうとまでは思わなかったので、そう書いたのである。もっとも私は概して、物書きの人の収入について、どうしてそんな金があるのだろうと思うことがある。亡くなった黒岩比佐子さんにしても、東大のそばに住んでいて、古書を買いまくるということが、なぜあの程度の執筆量で出来たのか、未だ疑問なのである。
もっとも坪内のほうは、私が『靖国』を批判した時から遺恨に思っているようだが、私はたびたび坪内には自著を送っているが、あちらからは送ってこなくなった。料簡が狭いのではないか。それと、『美人好きは罪悪か』の連載中に、坪内夫人が美人だと書いたら凄い勢いで当人が抗議してきた、という事件もあり、私は鎮静してから、「まったく悪意はなかった」というメールを当人に送ったが、梨のつぶてであった、ということがあった。
「他人に厳しく自分に」というのは心外で、誰でも間違えることはあり、私は間違いがあったら訂正している。それなら私なり編集部なりに言ってくればいいのである。それに「想像力が欠けている」と坪内は言っているが、この件に関しては「調査不足」と言うべきではないのか。
それと、坪内は前回に引き続き、『母子寮前』を批判して、「自分を客体視できていない」と言っている。これにはいくらでも反論できる。
1、私小説批判の紋切り型であり、「蒲団」以来、私小説はそういう批判に遭ってきた。近松秋江についても同じことを思うのか、どうか。『蕁麻の家』はどうか。
2、大森望が、東京駅で子供が帰りたがったなどという誤読をしたように、飛ばし読みして見落としているのではないか。単行本で言えば55、69pに、弟による主人公への標がある。これはいかに。
(余談)坪内が安原顕と喧嘩した時、大月隆寛が安原側だとなぜか思いこんだ坪内が、文春地下のクラブで大月にからんだ、ということがあったらしい。
(小谷野敦)
2011-01-18 ある空想‐『明暗』の吉川夫人 
近ごろ、ヘンリー・ジェイムズの長編小説『ワシントン・スクエアー(ワシントン広場)』の邦訳を読了した。読了した、というのは、実は十七年も前に、三分の二くらいを読んでそのままになっていたからで、当時私は帝京女子短大非常勤講師として教えていて、この原書の、研究社小英文叢書の、短縮版を教科書にしていたからである。この小説は、一九四九年にウィリアム・ワイラーによって『女相続人』の題で映画化されており、その映画を観て、面白かったので原作を教科書にしたのである。筋は、一八八○年の発表だからその当時のニューヨークに住む、金持ちの医師スローパーと、母を亡くした娘キャサリンが中心で、キャサリンは女相続人だが、あまり美しくないというところがミソである。しかし年ごろになったキャサリンは、美青年で、しかしあまり素行が良くない、カネもないモーリス・タウンゼンドという青年から求婚される。キャサリンもモーリスに惚れこむのだが、その人柄を信用せず、遺産目当てだと睨んだスローパー医師は、頑として結婚を認めず、もし結婚したらキャサリンを廃嫡するとまで言う。
私が読んだ翻訳は、その映画公開の際に蕗沢忠枝訳で「女相続人(ワシントン・スクエヤー)」として角川文庫から出たもので、確か池袋の芳林堂の上にあった古書店で買ったと記憶する。その後、別の邦訳が出ていないのがちょっと不思議である。ジェイムズといえば、二十世紀に入ってからの晩年の作『鳩の翼』や『金色の盃』の、すさまじいまでの微細な心理描写で知られるが、これは『ある貴婦人の肖像』とともに初期の作で、難解なものではない。さて、今回最後まで読んで、原作と映画はちょっと違うことを知った。映画は、不美人ということになっているのに、美人女優のオリヴィア・デ=ハビランドが演じていて、映像化されると不美人が美人になってしまう例としてよく使ったものだが、顔色を黒めに化粧して、少なくとも前半ではなるべく不美人らしくしている。さて、映画では、たとえ廃嫡されても一緒になろうと約束して、キャサリンはモーリスが来るのを待っているのだが、彼は来ず、父は娘に男を忘れさせるために共にヨーロッパ旅行へ出かけるのだが、帰国後父は死去、遺産をキャサリンは受け継ぐが、そこへモーリスが会いに来る。だがキャサリンは、戸を叩いて開けてくれと頼むモーリスに対して、遂に戸を開けない、という結末である。
しかし原作では、駆け落ちをすっぽかす、というのはないし、父の医師が死ぬのは十年以上たってからで、その間、キャサリンは縁談を断り続け、モーリスは別の女と結婚してカリフォルニアあたりへ行ってしまう。父の遺産は、さほど多くはキャサリンには残されず、もう四十を過ぎ、妻とも別れたモーリスが、完全に老嬢となったキャサリンに会いに来て、もう一度やり直そうと提案するが、それを退けるという結末だった。
さてもう一人の登場人物として、スローパー医師の妹のラヴィニアがいる。この女は、モーリスの味方のようで、何とか兄を説得しようとし、父娘のヨーロッパ旅行中は留守の邸を守り、そこへしげしげとモーリスが通ってきて相談している。それがどうも、読んでいると、ラヴィニアとモーリスに肉体関係でもできたのではないかと読めるのである。ジェイムズというのは、そういうことをよく書く作家である。私は大学の英文科へ行ってすぐ、渡辺利雄助教授の授業で、ジェイムズの『アメリカ人』を読んだ。これは当時まだ河出書房の「世界文学全集」に西川正身の邦訳が入って新刊で買えたから、そちらをすぐ読んだが、どうも面白くなかった。これは、金持ちのアメリカ人青年が英国へ渡り、名家の令嬢と結婚しようとするのだがうまく行かずに終るという話で、ジェイムズはかつて、新文明の米国と、旧文明のヨーロッパの対比を描く「国際状況もの」の作家とされていたことがあり、『デイジー・ミラー』もそうだが、どういうわけか、長らくこれと『ねじの回転』が新潮文庫にあったため、さしてジェイムズの作として優れているわけではないのに、日本では代表作のように思われていた。国際状況ものは、『国際エピソード』もそうだが、あまり成功していない。
さて、授業の最後に、批評を読まされたのだが、そこには、結婚しようとした令嬢は、実は主人が小間使いに産ませた子であり、だから結婚できなかったのだという解釈が書いてあった。それを読んでレポートを書いたのだが、私は、テキストに書いてないことなのだから何とでも言えるといった、否定的なものを書いた。するとそれから二年くらいたって、教授になった渡辺先生が『英語青年』にエッセイを書いて、その時のレポートについて書き、私のものらしいのが一行分くらい引用された。私は学生時代に児童文学の同人誌に書いていたが、これは手書きだったから、私の文章が活字になったのはこれが最初だったかもしれない。
さて、夏目漱石の『明暗』は、ジェイムズの最後の作品『金色の盃』の影響を受けているとされている。これは新婚の若妻が、夫が人妻と密通しているのを発見して、それをやめさせるという筋である。漱石がその原書を読んでいたことも分かっており、メモには、ジェイムズの文章が難解であるということも書いてある。つまりこの対応でいえば、『明暗』の主人公は、三十歳くらいの津田と、その新妻お延であり、津田が、お延との結婚前に、清子という女と交際していたのが、突然清子が関という男と結婚してしまったため、お延と結婚した、しかも、それはお延の伯父の岡本というのが財産を持っていたから、そちらが目当てだったのではないかというあたりが、『明暗』の仕組みである。『ワシントン広場』に似ているともいえるが、こちらは漱石が読んだ証拠がない。
さて、谷崎潤一郎は、デビューとほぼ同時に、漱石の『門』を批判している。そして漱石没後、未完ながら名作とされていた『明暗』も批判している。耽美派、エロティック派の谷崎が、道徳的な漱石を評価しなかったのは分かるが、晩年に中央公論社の『日本の文学』の編集委員をした時、当時長老だった谷崎は、三冊扱いになったが、「それなら夏目さんも三冊にしなければ」と言って、いくらか態度を緩めたところもあった。それはいいとして、谷崎は『明暗』に出てくる、吉川夫人のやることが不自然だと言うのである。吉川夫人というのは、津田が世話になっている人の夫人だが、清子とのことも知っている。そして中途で、痔の手術をした後で、まだ清子のことが思いきれずにいる津田に、清子がある温泉場にいることを教えて、そこへ行くように唆かすのである。
谷崎は、いったいこの吉川夫人というのは何か、と言う。何で他人の恋愛に口を出してそんなことをするのか、まるで分からない、作品が不自然だと言うのである。
漱石の長編小説は、中絶した『行人』とか、破綻した『彼岸過迄』などがあるが、『明暗』は、弟子の芥川龍之介が「老辣無類」と評した、未完だが完璧な心理主義小説とされている。しかし谷崎がそう言うのを聞くと、なるほどと思われる。
ところが、『ワシントン広場』の、モーリスとラヴィニアの「怪しげな関係」のところを読んで、私はふと、津田と吉川夫人にも、そういうことがあったのではないかと思ったのである。そう思って読むと、そんなことを暗示しているような文章も、ないことはない。
細君は快よく引き受けた。あたかも自分が他(ひと)のために働らいてやる用事がまた一つできたのを喜こぶやうにも見えた。津田はこの機嫌のいい、そして同情のある夫人を自分の前に見るのが嬉しかつた。自分の態度なり所作なりが原動力になつて、相手をさうさせたのだという自覚が彼をなおさら嬉しくした。
彼はある意味において、この細君から子供扱いにされるのを好いて居た。それは子供扱いにされるために二人の間に起る一種の親しみを自分が握る事ができたからである。そうしてその親しみをよくよく立ち割って見ると、やはり男女両性の間にしか起り得ない特殊な親しみであった。例えて云うと、或人が茶屋女などに突然背中を打(ど)やされた刹那に受ける快感に近い或物であった。
同時に彼は吉川の細君などがどうしても子供扱いにする事のできない自己を裕(ゆたか)にもつていた。彼はその自己をわざと押し蔵(かく)して細君の前に立つ用意を忘れなかつた。かくして彼は心置なく細君から嬲られる時の軽い感じを前に受けながら、背後はいつでも自分の築いた厚い重い壁に倚りかかつて居た。
ただし、漱石は恐らく、『明暗』が完結したとしても、そのことは書かなかっただろう。第一、それでは歴然たる風俗壊乱になってしまい、発禁になる恐れもある。『それから』が姦通小説だと言われるが、あれには代助と三千代の肉体関係までは描かれていないし、鴎外の『青年』も、未亡人と関係をもつけれど、それは未亡人で、吉川夫人にはれっきとした夫があるから、姦通罪にすらなりうる。
漱石は、モーパッサンの短編「首飾り」について、なぜ種明かしまで書くのか、と非難している断片を残している。つまり、全部書かないのである。そして、そう思って読むと、清子がいきなり津田を捨てた理由は、吉川夫人との不潔な関係を知ったから、と考えられるし、吉川夫人としては、津田の若い肉体を楽しんでおいて、これを別の女と結びつけることに興味関心を持っていたと考えることができる。そう考えるなら、谷崎の疑問はある程度解決されうるのではないか。
こんなことを考えたのは、その前にたまたまエミール・ゾラの『ジェルミナール』を読んだからでもある。『ジェルミナール』は、『居酒屋』のヒロイン、ジェルヴェーズの息子たちの一人であるエティエンヌが、ベルギー国境に近い炭鉱で働き始め、資本家に抵抗してストライキを行い、敗れる物語である。その中で、資本家側である支配人のエンヌボーが、甥のポール・ネグレルを、やはり資本家の娘セシルと結婚させようとしているが、ネグレルはエンヌボーの妻と密通しており、エンヌボー夫人は、自分が楽しんだ後でその若者を結婚させようとしているのである。どうも、この当時の西洋小説には、こういう筋立てが多いのである。『明暗』の中には、津田と吉川夫人の関係を疑わせる文言はかなり見当たるが、逆に、そのようなことはありえない、と証しだてる文言もない。
三十歳の津田が、童貞であるはずはない。かといって、清子との間に関係があったとも思われない。ならば遊廓へ行っていたか、さもなくば下女とか下層の女とそういう関係があったか。いずれもありえただろうが、『明暗』にそのことに関する記述はない。ただ、吉川夫人とそうした関係が続いていたとすると、腑に落ちるものがある。
『黄金の盃』に比べると、津田と清子の関係は、不貞ではないから、対応していないが、吉川夫人との関係があるなら、対応しているのである。
吉川夫人を単独で扱った論文として、片山祐子「『明暗』吉川夫人論」(ノートルダム清心女子大学国文科『古典研究』一九八四年三月)があるが、これはなかなか示唆深い論で、吉川夫人が、津田とお延の結婚に対して奇妙な責任の感じ方をしていることを述べ、婦人を「無意識の偽善者」としてとらえ、一般にこの語で呼ばれる『三四郎』の美禰子よりも、吉川夫人のほうが至近距離にあるとしている。夫人は恐らく三十代後半であろうが、従来、性愛の対象としては論じられなかった吉川夫人が、美禰子と同列に置かれることで、違って見えるようになっている。
しかし、テキストに書いていないことを主張しても、それは『春琴抄』論争と同じことになってしまう。単なる、空想である。
2011-01-17 芥川賞候補作です 
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この小説が『文學界』に載るに当たっては枡野浩一さんのご尽力がありました。あとがきをつけるべきではないと思ったので書きませんでしたのでここでお礼申し上げます。