、「主権回復を目指す会」西村修平代表が映画「ザ・コーヴ」の上映を予定している
横浜市伊勢崎町の横浜ニューテアトルに抗議、上映中止を求めた。
6月12日(土曜日)午後1時から、30分ほど映画館前で演説を行い、映画館支配人に「上映中止要望書」を手渡した。
「このほど『ザ・コーヴ』上映中止の決定に対して、田原総一郎らジャーナリストや映画監督
ら約50人が緊急アピールを発表したが、これは毒物を「表現の自由」で売りさばく卑劣極
まりない究極の偽善である。アピールに賛同した50人のジャーナリストや映画監督たちは
人として恥を知れ!!彼らは欧米白人の精神的下僕である。」
ら約50人が緊急アピールを発表したが、これは毒物を「表現の自由」で売りさばく卑劣極
まりない究極の偽善である。アピールに賛同した50人のジャーナリストや映画監督たちは
人として恥を知れ!!彼らは欧米白人の精神的下僕である。」
この「上映中止活動」に抗議して鈴木邦男氏が抗議に来た。
映画館前の反対側歩道から抗議演説する西村修平氏らに対し、鈴木邦男氏が
「いい加減にしろよ」、と突撃するも警備の警官に阻まれて押し戻される光景が繰り返された。
この映画「ザ・コーヴ」に対しては映画評論家の中でも評価は分かれている。
隠し撮りの技法やイルカ漁というテーマ、デタラメな水銀値報告等、疑問視する声は大きい。
そのような中で、主権回復を目指す会による圧力で中止するのは許せない、言った形でジャーナリスト達が抗議声明をだした。
ただ、鈴木氏は上映に賛成であると同時に、この映画を手放しで絶賛している。素晴らしい映画であると。
こうなると説得力が乏しく感じられる。
せめて、「白人至上主義の如き反日プロパガンダを許せない。だけど上映中止はやりすぎだ」、
位の論調を持っていればある程度は受け入れられる土壌もある。
しかし、「ザ・コーヴ」絶賛で、映画館を激励では、映画館の商業宣伝と捉えられなくもない。
中止反対声明には50人の著名人が名前を連ねているが、呼びかけにも拘らず
当日映画館を激励に訪れたのは数人だけだったろう。
テレビ局や新聞社が取材にくれば、文化人としてコメントは発するだろうが、
自ら能動的に抗議をする人間は皆無に等しい。
正にマスコミ迎合、口先だけ文化人だ。
そんな中で、「朝鮮へ帰れ」「「反日似非右翼」、と罵倒され、警官に取り押さえられながらも、
単身突撃してきた鈴木邦男は凄い。
かつての新右翼の闘志としての鈴木邦男を知らない世代からすれば、「誰?あのオッサン」、となる。
彼らの活動に対して批判的であることから、朝鮮からの帰化人と思われての罵倒もあったのだろう。
嘗ての右翼の教組が67歳の老人となり、同志からの援護射撃もないままに一人、ピエロを演じる様は哀しい。
せめて相手が既存の右翼勢力であれば多少の遠慮と敬意を受けたかもしれない。。
しかし、彼らは保守運動から立ち上がった一般市民であり、右翼の世界の過去のしがらみなど一切ない。
ガチンコ勝負である。
ご存知の通り、鈴木邦男は私の運動上の師匠である。
一水会という組織とは一線を画した今でも、交流はあるし教えられるところは多い。
今でも、人前では恥を忍んで、、、、、ではなかった胸を張って「鈴木邦男の門下生です」、と公言している。
活動家としての現在の私の基礎を築いてくれたのは一水会であり、鈴木邦男の教えがあったからだ。
「言論には言論で」、という理念のもとで、学習に励んだ。
デモや街宣のスタイルや機関紙の発行など多くのことを学んだ。
対米自立を旗印とする中で、平成2年の所謂「湾岸危機」を契機として多くの若者が集まり、湾岸特需など言われた時代もあった。
フセイン大統領の掲げるアラブの大儀を支持して、アメリカに抗議する活動が多くの支持を受けていたのだ。
しかし、時代は変わった。鈴木邦男自身も一水会も変わった。変節したと言ってもよいかもしれない。
私が会に所属していたのは7年位であっただろうか。
反米こそが唯一の目的となり、反米ならなんでもOK、といスタイルでは受け入れられない。
自らの根っ子が消滅している。
北鮮による拉致などというのは疑惑に過ぎない。証拠もないのに犯人呼ばわりするのは良くない、
と言うのも受け入れられないところがあった。
そして、今はマスコミの報道に頼らなくてもインターネットで活動を広報することができる。
マスコミとのパイプを確保する事が生命線であった時代は終わった。
マスコミのご機嫌を損ねれば、報道の土俵からつまはじきにされると言った緊張感に晒される必要はない。
昔はマスコミに登場することで、世論を喚起できた。
「1分間のテレビ出演は100台の街宣車にも勝る」、と豪語していたし、それは事実であった。
奇抜な運動を展開する事でマスコミに取上げられる。
それが、いつしかマスコミに登場するための手段として活動をしている。に、なってはいなかったか。
嘗ての新右翼は、金看板「文化人の鈴木邦男」によって何とか、一抹の光沢を放っている。
いまでもマスコミはそのように思ってくれている。評価してくれていることはありがたい。
しかし、それは単なる誤解と欺瞞であることを、知らないはずはない。
でも、あえて知らない振りを演じているだけだろうか。
それこそが、マスコミの欺瞞であり、ありとあらゆる偏向報道と同じ根っ子に通じている。
ひとり、路上でピエロのパフォーマンスを演じ、闘う保守・愛国陣営から罵倒される鈴木さん。
惨めだよ。辛すぎるよ。哀しいよ。
でも、そんな醜態を演じる67歳だから凄いんだ。
恥も外聞もかなぐり捨てて自分をさらけ出していられるんだよ。
活動家なんだよ。今でも根っ子は俺達と一緒なんだ。
人は老醜と言うかもしれないが、死の直前までを街頭で熱弁を振るっていた赤尾敏さんと同じなんだ。
だから、尊敬できるんだよ。好きなんだよ、、、、、、、スズキさん。