2007年1月4日(木)「しんぶん赤旗」

崩れ出した「解同」タブー

不正事件・利権あさり

日本共産党 一貫して追及

同和予算賛成の「オール与党」


 「解同」(部落解放同盟)幹部による窃盗、横領、恐喝などの犯罪が、大阪、京都、奈良などの府県で相次いで摘発されています。同和行政を利権の温床にした「解同」の横暴はなぜ長期にわたって続いてきたのか、各政党はどう対応してきたのか―。一貫して「解同」の不正、利権あさりを追及し、横暴に屈せずたたかってきた日本共産党の値打ちがいま輝いています。


繰り返される幹部の犯罪

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(写真)小西被告が事件をおこした東淀川には公的施設と「解同」事務所が並んでいます。(左から)飛鳥人権文化センター、飛鳥ともしび苑、「解同」飛鳥支部と財団法人飛鳥会が同居するビル

 この一年、「解同」がらみの不正腐敗事件が関西各地で続発しました。

 昨年五月に大阪市東淀川区の「解同」飛鳥支部長(当時)、小西邦彦被告(73)が六億円にのぼる業務上横領事件で逮捕されました。小西被告は、健康保険証の詐取を市の職員に指示して繰り返しつくらせた詐欺容疑でも立件されています。

 同じ大阪府八尾市の「解同」安中支部、元相談役の丸尾勇被告(58)は、昨年八月恐喝で逮捕された後、傷害と脅迫の疑いで再逮捕されています。

 京都市では、昨年一年だけで市の職員十六人が懲戒免職で処分され、逮捕者は十三人にのぼっています。このなかには、生活保護費を窃盗し業務上横領容疑で逮捕された「解同」田中支部元支部長の酒井順一容疑者(51)らがふくまれています。

 職務強要罪で起訴された「解同」奈良市支部協議会の元副議長、中川昌史被告(42)は、五年間にわずか、八日間しか出勤していなかったにもかかわらず、二千万円余の給与を全額受け取っていました。

 全国的にも大きな注目を集めた事件だけにそれぞれの議会での真相究明が強く望まれました。ところが、大阪市議会では、日本共産党市議団が数回にわたって調査の権限をもつ百条委員会(地方自治法一〇〇条にもとづき設置)の設置を求めましたが、いずれも、自民、公明、民主の各党が反対し否決されました。

 京都市議会では、日本共産党が市職員の逮捕者続出の責任を追及して出した桝本頼兼市長の辞職勧告決議案を自民、公明、民主などの反対多数で否決しました。奈良でも自民、公明、民主の各党は、「解同」役員の不正を積極的に追及する姿勢を示しませんでした。

 「解同」の横暴にたいする日本共産党と「オール与党」各党の姿勢の違いがくっきり示されています。

暴力、「糾弾」とのたたかい

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(写真)八鹿高校事件での「解同」丸尾派の暴力・無法行為に抗議し、18500人が集まった兵庫県民大集会=1974年12月1日、八鹿町(現養父市)

 「解同」の暴力・利権あさりは、一九六九年に、国の同和対策特別措置法が制定され同和利権を「解同」が独占することを狙ったことで、年々激しさを増しました。

 中学校教諭の組合役員選挙の「あいさつ状」を「差別文書」だとでっち上げて支援者を大阪の矢田市民会館に拉致し十数時間暴行を加えた矢田事件(六九年三月)、共産党大阪府議団控室乱入暴行事件(七〇年二月)、吹田・榎原一夫市長「糾弾」事件(七一年六月)などを次々に起こしました。その頂点が、一九七四年の兵庫県南但馬地方一帯で「解同」が巻き起こした集団テロ事件でした。

 同年十一月二十二日、兵庫県八鹿(ようか)高校の教職員六十人が集団下校する途中、道路上で「解同」丸尾派の暴力集団に襲われ、体育館に連れ込まれて十三時間に及ぶ集団暴行を受けました。四十六人が傷害を負い、うち二十九人が重傷で入院しました。

 ところが、この前代未聞の異常事件が発生したときマスメディアが黙殺したのです。NHKが曲がりなりにも報道したのは、事件から三日後の同月二十五日夜十一時のニュースでした。その報道のなかでも、「解同」丸尾派の暴行にはいっさい触れませんでした。

 朝日新聞が最初に取り上げたのは、事件発生から一週間後の同月二十九日付でした。それも、二十八日の参院法務委員会での日本共産党の内藤功議員(当時)の質問で、警察庁側が負傷者四十四人にのぼることを認めたからでした。

 その後、この集団暴行事件の首謀者は起訴され裁判で丸尾らの有罪が確定し、事件の一応の決着がつきました。

 その解決の最大の力となったのは、暴力や不当な圧力で、地方自治や民主主義がゆがめられることに厳しく対峙(たいじ)し、徹底的にたたかいぬく日本共産党の歴史的伝統と、民主主義を求める国民の良識、勇気でした。

 同時に、この事件は、憲法で保障された国民の知る権利が、暴力や圧力のもとで奪われ、マスメディアも口をつぐみ真実が知らされなくなることを教えました。“「解同」タブー”を打ち破るたたかいはいまも続いています。「解同」の横暴・利権あさりに正面から立ち向かって、一貫して正義と民主主義、国民的融合をめざす真の部落解放のためにたたかってきたのが日本共産党です。

きぜんと対決できるのは

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(写真)同和事業の終了、利権一掃を求めて大阪府に申し入れをする日本共産党府議団(左側)=昨年6月、府庁

 日本共産党が「解同」の横暴と正面から立ち向かうことができるのはなぜでしょう。

 部落解放同盟はもともと、全国水平社(一九二二年創立)の精神を受け継いで結成された部落解放全国委員会(四六年結成)を改称して、五五年に結成された組織です。

 ところが、一九六〇年代後半に、この組織のなかで、ソ連共産党の干渉によって生まれ日本共産党を裏切った志賀義雄一派と結びついた反共勢力が指導部を占拠(「解同」朝田派)し、「部落民以外はすべて差別者」とする部落排外主義を振りかざして、反対勢力を組織から排除しました。

 同時に「窓口一本化」の名で行政からの利権を独占するために暴行・監禁など無法な「糾弾」闘争で県・市町村など自治体を思うように動かすようにしたのです。

 「解同」朝田派の誤った部落排外主義に反対し暴力・利権あさりを批判する正しい勢力を部落解放同盟から排除する動きが強まりました。そのたたかいのなかで部落解放同盟正常化全国連絡会を結成、その後全国部落解放運動連合会(全解連)を結成して国民融合をめざすたたかいをすすめました。全解連は、その後「全国地域人権運動総連合」に発展・改称しています。

 日本共産党は、「解同」の主張する「部落民以外はすべて差別者」とする誤った運動理論をきびしく批判するとともに、同和行政を「解同」の意のままに支配するやり方をやめるよう議会内外で追及してきました。

 八鹿高校事件や羽曳野市の津田一朗市長に対する監禁暴行事件など「解同」の横暴を、警察がまともに取り締まらなかった背景に、「解同」を泳がせておいた方が、黒田大阪府政や美濃部東京都政時代での革新分断などにみられたように、政治的に利用できるという思惑があったことは間違いありません。

 近畿地方の府県議会や市町村議会では、この間、日本共産党議員団と「しんぶん赤旗」だけが、一貫して不公正乱脈な同和行政をきびしく追及してきました。

 国は二〇〇二年三月に最後の同和対策特別措置法といわれる「地対財特法」が失効したことをもって同和事業の終結と見なしています。しかし、「解同」は失効した後も、「人権」の名で事実上の同和行政の継続につながるさまざまな独自施策を講ずるよう求めています。西日本をはじめ各地の自治体で事実上の同和行政の継続が進められています。

 日本共産党は、同和行政を終結することが、部落差別をなくし、国民的な融合を進めるために重要な課題になっていることを、すでに終結宣言した自治体の例を示して、主張しています。

支援受けた自、民、公、社民議員

 「解同」(部落解放同盟)と各政党はどんな関係にあるのでしょうか。

 前回(二〇〇三年)のいっせい地方選のさい、「解同」が「解放新聞」などで組織内候補として支持を訴えた候補は、大阪府議選では、民主候補が三人、無所属候補が二人の五人、大阪市議選では四人の民主候補でした。

 京都府議選では、三人の民主候補、公明候補二人、無所属候補一人の六人、京都市議選では民主候補八人、公明候補二人の十人でした。

 奈良では県議のうち「解同」系議員の集まりである「奈良ヒューライツ議員団」に無所属五人、自民八人、社民一人が参加。奈良市議でも五人が参加していました。

 「解同」は大阪の首長選でも、「府連推薦候補」として寝屋川、吹田、池田、高槻、大阪狭山、八尾の各市長選当選者の名前をあげています。

 こうした支援関係があるから、大阪府政でも市町村政でも自民、公明、民主、社民の各党はこの間、一貫して「解同」の要求をのんだ予算案に賛成してきました。

 国の法律が失効した後、同和行政を終結させるのではなく、「解同」が地方自治体に「人権」との名で同和行政の継続を求めていることを自民、公明、民主、社民とも認めています。

 各議会で「解同」の不正・腐敗を取り上げ行政の責任を追及するのは日本共産党以外ありません。


HPから消えた「専従」

民主・松岡参院議員なぜ

 「解同」(部落解放同盟)大阪府連の委員長は、現職の民主党参院議員、松岡徹氏(55)です。松岡氏は「解同」中央本部の書記長ですが、中央本部のホームページ「部落解放同盟ガイド」の役員欄で略歴として紹介されていた「一九七七年〜八八年大阪府連専従オルグ」という記述が十二月になって削除されました。

 十一月の時点では松岡氏のホームページでも「私の歩んできた道」というサイトで「一九七五年部落解放運動に飛び込んだ」「青年部に入り大阪府連の専従になった」などと記載していました。これが消されています。

 新しく記載した「プロフィール」では「一九七二年から八九年まで大阪市職員」となっています。

 大阪市は、同和地域にある青少年会館などに多くの市の職員を配置しています。松岡氏もそうした会館に「社会同和教育指導員」として配置されていました。

 七七年から八八年までの十二年間、市民全体に奉仕する「市職員」である期間と「解同」大阪府連の専従の仕事をしていた時期が重なっています。

 最近、奈良市の「解同」幹部が五年間に八日間しか出勤していなかったにもかかわらず、給料はほぼ満額受け取っていたことが、大きな問題となりました。松岡氏の「同和教育指導員」の仕事が「府連専従オルグ」という訳にはいきません。ホームページから「府連専従オルグ」を削除したのは松岡氏にとって「まずい」ということでしょうか。(嶋田 昇)


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