archive10.10-12

2010.10.05「お母さん、日本語の『ワ行』は何処へ行つてしまつたのでせうね」
思ふところあつて、美しく、合理的な旧かなを採用することにした。漢字はディスプレイでの視認性を優先して、自分の文章では敢て新字体を使つてゐる。ただし引用文が正字の場合は正字のまま。私は新かなで教育された世代なので、間違へることもあると思ふが、目をつむつてほしい。
ところで、有識者とやらが、旧かなのハ行四段活用を、新かなではワ行五段活用にしてしまつたのは何故だらうか。おそらく、ア行とワ行にまたがるのを嫌つて、辻褄をあわせたと思はれる。国語を壊すことが好きな有識者の連中は、ワ行「わゐうゑを」を強引に「わいうえお」にしてしまつた。

「ところでこの活用語尾ですが、これは五十音図の一行の中に必ず納まります。ハ行は「ハヒフヘホ」ですが、ここからよそに外れることは決してない。ア行に飛んだりワ行によろめいたりすることはない。他の動詞でも同じで、ヤ行ならヤ行、ラ行ならラ行と決まつてゐて他にぶれない。これがいはゆる旧かなのきれいなところで、新かなではかうはいきません。
「いふ(いう)」の例で言へば、新かなだと、
いわ・いい・いう・いう・いえ・いえ
となつて、ワ行・ア行に飛んだり跳ねたりする。
旧かなの活用語尾をちよつとローマ字で書いてみませう。
ha・hi・hu・hu・he・he
hがみごとに並びます。きれいなものです。新かなだと、
wa・i・u・u・e・e
o
となる。これが戦後になつて人工的に手を加へた結果の活用形式です。どうもあまりきれいでない。濁つてゐる。」
荻野貞樹著・幻冬舎新書「旧かなづかひで書く日本語」

以上で、私が旧かなを使ふことにした理由をわかつていただけると思ふ。また新字体に様々な問題があることも承知してゐる。

2010.10.06「提灯行列」
自民党の高市早苗議員によると、「神田の古本屋街から日本の古地図、清朝以来の海域の地図がなにものかに買い占められてほとんどなくなっている。中国人や朝鮮人が札束をもって買い漁っている。国立国会図書館の竹島の地図は破られてなくなっている。」

このことからも、日本の領土に野心を持つシナ人、朝鮮人及びその手先には注意を払ふ必要があるだらう。

尖閣諸島の領有権について、中華民国当局が日本固有の領土であることを公式に認めてゐたことを裏付ける史料が、沖縄県石垣市役所に保管されてゐる。それをシナ人に盗まれぬやうに、厳重な警備のもとに置くべきである。

今月二日、東京・代々木公園で、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件に端を発した一連の政府の動きを「外交の敗北」と批判する人々が集会を開いた。主催者発表によると、約千五百人が参加した。主催したのは田母神元航空幕僚長が会長を務める全国ネットワーク。田母神氏は声明で、中国は尖閣諸島の領有権を主張してゐるだけではなく、沖縄本島を支配することまで視点に入れてゐると述べ、防衛を強化すべきときが来たと語つた。参加者の多くは「中国の圧力恫喝に屈した弱腰の菅政権を許すな」と書かれたプラカードや日の丸を手にしてゐた。集会終了後、参加者たちは渋谷の繁華街をデモ行進した。かうした集会が全国一斉に行はれ、三十数県、四十八箇所の市町村が全国的に同時に街宣などの行動を起こした。

これらの行動を、日本のメディアは「産経」もふくめて一切報道してゐない。それに比べて、ロイターやCNN、ウオールストリート、フランス、ドイツ、スエーデン、台湾、それに支那では数社が取材をし、参列者の田母神俊雄氏に対して、熱心にインタビューをしてゐた。

日本の新聞の歷史は、日本をミスリードしてきた歷史である。戦前は軍部の提灯持ち。敗戦時は占領軍の提灯持ち。戦後はマルクス主義の提灯持ち。これからはシナの提灯持ちだらうか。

何回でも引用する。山本夏彦「私は断言する。新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう」

2010.10.14「それはないよ、サンデルさん」
今年の八月三十日、ハーバード大学教授、マイケル・サンデルさんがNHKの招きで来日し、東大で特別講義を行つた。NHKは彼へのインタビューをした。質問者が、アメリカが日本への原爆投下した事の是非を教授に問ふと、彼は答へた。

「原爆投下はいいこととは思へないが、それによつて、日本も本土決戦をさけることができ、米日数百万の犠牲を未然に防げたといふ利点も考へなければならない。」

待つてください、サンデルさん。それでは目的のためには、手段は正当化されるといふことになりませんか。アメリカによる原爆投下や十万人の東京市民を焼き殺した東京大空襲は、ドイツによる、ユダヤ人へのホロコーストと並ぶ、人道に対する罪ではないのか。サンデルさんから、かういふ発言をひきだして、NHKはその反日目的を達成した。

1、ベンサム「最大多数の最大幸福が正義である。」
2、カント「人間の自由な選択の尊重。」
3、アリストテレス「何が美徳であるかを明らかにし、それを培うことが正義である。」

この三つの正義のなかで、コミュニタリアンであるサンデルさんの立場は、アリストテレス的な共通善の追求にあるらしいが、自国が犯した原爆投下といふ事実の前では、「最大多数の最大幸福」を主張してはばからない。
私は本屋の店頭で、彼の「これからの『正義』の話をしよう」を立ち読みして買ふ気が失せた。「自国が過去に犯した罪に対して、現在の私達は謝罪する必要があるか。」といふ問ひの中で、彼が日本軍が犯したといふ「従軍慰安婦」を問題としてとりあげてゐるからである。この問題は事実誤認どころか、朝日新聞が捏造した嘘のかたまりである。誰が、どういふ組織がこんなデマをサンデルさんに吹き込んだのだらう。
彼は社会における「共通善」に対する、自らの考へを明らかにしてゐない。「学生との対話」をすることを、自らの共通善にかへてゐる印象がある。立ち読み、拾い読みで結論を出すのは如何かとは思ふが、トレードオフを重視する、経済書を読んでゐるやうな印象を持つた。

2010.11.05「パンダはチベットのもの」
今年はショパン生誕二百年。ために、クラシック音楽に縁のない芸人が出演し、ショパンについてコメントするテレビ番組まであつた。彼らは客寄せパンダなのだらう。

パンダは元来チベット東部に棲息する動物であつた。現在では支那がチベットを侵略し、自国の希少動物と称して、金儲けや外交の手段として使つてゐる。パンダが支那にゐた動物なら、支那人に喰はれてとうに絶滅してゐただらう。机を除き、四つ足ならなんでも喰ふのが支那人だ。チベットに棲息してゐたからパンダは絶滅をまぬがれたのである。支那は現代世界に於いて、あらゆるものを食ひ尽くし膨張する悪性のガンであらう。かういふガンに対抗する手段は核兵器だ。しかし、核アレルギーを除外しても、国家意識欠如の日本人には国を守る気概がない。反核で思ひ出したが、以前私が聞いた興味深い話がある。ある会社で長崎出身の二人の男が内輪でこんなことを話してゐた。

「被爆者手帳を取得してゐる人の中には、かなりの数のニセ者がゐるやうだ」

といふ話柄なのである。なるほど、「原爆投下の時、確かに長崎市内にゐた」と主張する人に、「確かな証拠を示せと」と行政が要求するのは難しからう。だが、ホンモノであれ、ニセモノであれ、被爆者たちに言ひたい。

日本製の原子炉の輸出に、異議をとなへるのは止めてくれないか。

2010.11.23「十一月二十五日、第四十回憂国忌」
三島由紀夫没後四十年を機に、著書の増刷や関連本の刊行も多いやうである。以下は三島氏が昭和四十五年、「盾の会」隊員に配布した「問題提起」である。目にする機会の少ない文章なので、松本健一氏の「三島由紀夫亡命伝説」より引用させていただく。

「……第一章が日本の『國』とは何ぞやといふことを規定してゐるとしても、第二章は明らかに、國家超克の人類的理想について述べてゐる。第一章が『國のため』といふ理念を一応掲げてゐると仮定しても、第二章が掲げてゐるのは『人類のため』といふ理念である。国民の側から云へば、忠誠対象の不分明であり、國家の側から云へば、國家意志の不明確である。これらの茫漠たる規定から演繹される國家最高の理念とは、人命尊重のヒューマニズムである。」

日本国憲法第一章 
第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

日本国憲法第二章
第九条
一、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

三島氏の自決が、たとへ「仮面の告白」であつたとしても、現行憲法に対する氏の指摘は鋭い。だがこの四十年間、我々は何もかはらなかつた。

2010.11.28「法解釈」
昭和四十五年十一月二十五日、私は東京赤坂の広告代理店で仕事をしてゐた。今地図を見ると、市ヶ谷と赤坂は至近距離だが、三島氏の自決した昼前後の事は不思議と記憶から欠落してゐる。だがその日の晩、三島氏の演説に野次を飛ばす、サラリーマン自衛隊員の馬鹿面をテレビで見た記憶は、はつきり憶えてゐる。
事件の報告を受けた、当時防衛庁長官であつた中曽根康弘氏は、竹田幕僚副長に、
「全員逮捕しろ」
と命令した。だが返つて来た答えはかうだつた。
「逮捕は警察の仕事です」
竹田の法解釈では、これは家宅侵入罪。自衛隊は被害者であり、何も出来ないといふ理屈らしい。戦前、軍隊と警察は仲が悪かつたが。現代では自衛隊は、警察に助けてもらふ存在なのである。

2010.12.05「ピアノ協奏曲ト長調」
「名曲探偵・アマデウス」といふテレビ番組で、先頃、ラヴェル「ピアノ協奏曲ト長調」をとりあげた。その番組では、ラヴェルが死ぬ前にかう言つたといふ。

「頭の中にはまだ、たくさんの音楽があるのに。まだ何も言えてないのに。言いたい事がまだたくさんあるのに」

本当だらうか。「のに」の連発は翻訳の所為としても、これでは泣き言である。私が読んだ本のなかでは、彼の今際の言葉は、

「もつと曲をかいておけばよかつたかな」

だつたやうに記憶している。ダンディな彼には、こちらのほうが相応しい。その本は、吉田秀和氏の翻訳本「20世紀の音楽」だつたと記憶してゐるが、本棚を探しても見つからないので確かめやうがない。
この番組を視聴して、なぜ私がこの曲の第二楽章につよく惹きつけられるのかがよく理解できた。「名曲探偵・アマデウス」は、なかなかの番組だ。あの珍妙な「名曲探偵」が登場しなければ、もつと高く評価できる。

2010.12.22「支那バブル崩壊」
青柳いづみこ著「我が偏愛のピアニスト」によると、ピアニストの廻由美子さんはジャズファンださうだ。以下、同書から引用。

「…私が聴くのは1950年代、60年代ですね、どうしても。チャーリー・パーカーぐらいからキース・ジャレットの初期ぐらいまでですね、本当によく聴くのは。50年代は本当にすごい時代だったと思う。
ー略ー
…その中で本当にすごい人というのは、限られていますよね。やはり、1960年代のジャズ黄金時代の人たちですよね。」

有名なピアニストが私の偏見(gallery13ービッチェズ・ブリュー)にお墨付きを与へてくれた。これで私の偏見が偏見ではなくなつた。まうひとつ興味深い話題。

邱永漢先生が、自身のブログで支那のバブル崩壊を警告してゐる。先生曰く、「大資産インフレにならないと人民元の切り上げにはならないでしょう。」
支那政府は、先手をうつて人民元の切り上げをする気が、今のところ無いやうである。といふことは支那のバブル崩壊は必ず起きるといふことだ。支那のバブル崩壊を、我々だけで高みの見物といふわけにはいかないのが、つらいところである。

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