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2011-01-06

でき婚の失敗と「オイディプスの復権」

先日の記事女の子の欲しいものコメント欄から抜粋。


脂 2011/01/05 03:17

このケースはむしろ「その男が過剰に「理想的な家庭」みたいな妄想を抱いていた可能性」も考えた方がいいな。

妄想と現実のギャップに対する防衛。現実に対し妄想を付加させ、他者に同意してくれることで自我が安定する。元夫がした防衛としての言述から広まった噂を、知人は聞いたのかもしれない。

大野センセこのケースは考えらないか? まあ人づての話に突っ込む必要性もないがな。

ちなみに「理想の家庭像」に固着する症状はわたしの周りの男には多い。

※夫に確認したら、「職場の知人」が、近所付き合いが密な田舎町の家庭内のことを身近な人にラフに喋っているような中で、直接その家のお母さんから聞いたり近所の人から聞いたりした話を総合して夫に話したものとのこと。元夫である男の視点は、この話には入っていない。

脂 2011/01/05 03:19

>ちなみに「理想の家庭像」に固着する症状はわたしの周りの男には多い。

つかこれいわゆるもろヤンキーだよな。暴走族あがりとかサラリーマンになる男よか家庭に対する固着は強いだろ。

こうやって育ちの悪さがばれると。

脂 2011/01/05 03:34

いや、ヤンキーに限らず、若いオタクたちにも結構いたな。男の子で。アマチュアライトノベル作家が作品を投稿しあうサイトだったんだが、ミソジすぎてる奴って少数だったな(当然だ)。主婦は多かったが。話がそれた。

そーゆー「オタク男子」たちもなー、意外と「早く結婚して家庭を作りたい」とのたまうんだよなー。何人か見かけたわ。大学生ぐらいか。

2ちゃんはあんまそんな話みねえな。結構2ちゃんて年齢層高いみたいだしな。

会社にきた新人君もそうだったなあ。「会社で出世するより温かい家庭を作りたい」的な。


大野センセや。むしろ若い子はこんなケースが象徴じゃなく、オイディプスの復権がトレンドな気がするんだが、いかがか。

(間のコメント省略)

ohnosakiko 2011/01/05 11:48

脂さん

「男の方が「家庭」みたいなのに妙な幻想を抱いていた」について。

これははっきりとはわからない。夫の話の中では、男は「女の子と同世代で、生活力もなく結婚する気もないのに避妊しなかったアホな奴」という扱いだった。

ただ、ヤンキーに限らず男子の中に家庭志向が芽生えているというのは、私も学生を見ていて感じる。まあ往々にして、未だに女に良妻賢母を夢見ている都合のいい家庭像だったりすることもあるんだけど、ともかく自分が全面的に承認され、慰撫される唯一の場として、自分の将来の家庭を夢見るというか。


妊娠させて「責任」とってデキ婚した時点では、それなりに頑張らねばという気になってるだろう男の方は。周りからも言われるだろうし、まだ恋愛モードの延長だろうし。

でもそういう情熱は早晩醒める。若い時は醒めてくるとガクンとモチベーションが下がる。性欲がすべての原動力みたいなところあるからね。

それに加えて世帯収入が少ないから生活苦で女の子は何かと実家を頼りにし、何となく邪魔者扱いされてギクシャクし始めて面白くないから外で遊んでしまい離婚‥‥というのは、若年者のデキ婚にはありがちなケースだと思う。

(以下略)

ohnosakiko 2011/01/05 11:52

男の子の行動に見る「オイディプスの復権」、面白いな。

ohnosakiko 2011/01/05 11:59

でもいつの時代も男の家庭幻想ってあるし、似たり寄ったりという気もする。

「男は食事とベッドのために結婚する」って言う。



紀元前4世紀にソフォクレスによって書かれた戯曲がベースとなっているギリシャ悲劇、オイディプス王の物語は知っている人が多いと思うが、ざっと紹介。

オイディプスはテーバイの王ラーイオスの息子だが、生まれる前に「将来父を殺めるだろう」という神託を受けていたため、出生後捨てられ、成長の後に旅の途中で出会った男を父と知らずに殺し、スフィンクスの謎を解いてテーバイの王の座につき、その妻イオカステーを母と知らずに娶り子をもうける。しかしやがてオイディプスは自らの出生の秘密を知ることとなり、イオカステーは首をくくり、オイディプスは自らの目を抉り追放の身となる。

フロイトエディプス・コンプレックス(母子一体の万能感の中にいる幼児(男子)が、やがて自分と母親の間に父親の存在があることに気づき、父親を亡き者とし母親を独占したいと願うようになるが、やはり父親にはかないそうにないという敗北感を味わい、また父を憎んだことに対し罪悪感も生まれ、葛藤する心理)はもちろんこの物語をベースにしたもの。


さて。

でき婚してうまくいかなくなって離婚した男が、何をどう思っていたのかはわからないので、勝手に想像してみることにする。


結婚ましてや子供をもつことなんかまったく考えもしないでつき合っていた女は、いつのまにか「母」になっていた。「母」になりたいという彼女の願望を知らないまま、自分は自動的に「父」になった。

彼の中にあったのは単純に「男と女」の性愛関係である。それが突然「男と母」の性愛関係に化けたのである。

彼女の愛は子供に向いている。愛を取り戻したいなら、「男」ではなく「父」として子育てに積極的に関わらねばならない。そこで彼は「父」になるべく努力を試みる。「夫」の自覚もまだ不十分なまま、なんとか「父」になろうとする。


だが、子供の生活の保障として暗に頼りにされているのは、経済力のない自分ではなく彼女の父親である。子供には最終的に「おじいちゃん」という「父」(=自分の義父)がいるのだ。その影は常に自分と女(母)の間に立ちはだかっている。

「義父」を亡き者とし、「母」になった女を独占することはできない。自分が「義父」以上に、子供にとって「父」らしい「父」になるしか道はない。

若い彼はそれに失敗した。彼女が、「男」を引きずったままの彼に「父」の座を与えなかったのかもしれない。あるいは彼が、女を母親扱いする「息子」になってしまったのかもしれない。

「母」になった妻に「男」や「息子」としてしか対面できない夫は、家庭に居場所をなくし追放される。



しかし「男」でいるとは、「男」を装着し欲望する者として振る舞うことだ。周囲の若い男性や男子学生を見ていると、それに疲れている人が増えているように思う。女性に比べて彼らは、恋愛にも婚活にも腰が引け気味だ。*1

そこには大きく見て二つの傾向がある。一つは、「趣味に使うお金や時間が欲しいから、それが奪われるだろう結婚は回避(恋愛もラブプラスで充分)」というタイプ。もう一つは「家庭願望」タイプ。大抵「一生独身は寂しい」「落ち着きたい」「癒しが欲しい」と言う。

それは、「父」の役割を引き受けたいということなのだろうか。それとも、女を第二の「母」にして、失われた幼少期の母との蜜月を擬似的に取り戻したいということか?


なんて聞いても、たぶんポカンとされるだけだろね。

「しばらくは自分のやりたいこと優先だけど、なんとなーく彼女に押されているうちに、気づいたら子供もできてて、仕事は忙しいけどそれなりに居心地のいい家庭にどっぷり浸かってた。そういうのも幸せなんじゃないかな。だって一人で過ごすには人生長過ぎるから」

‥‥てなふうな答えが返ってくるのではないかと予想。

今度学生に聞いてみよ。

*1:余談だが最近、アラフォーの知人男性ができ婚した。結婚願望はあり以前は恋人もいたが別れて数年経ち、もう結婚を諦めかけていたところ。彼女に紹介される前、夫と私はいろいろ予測した。「相手、幾つくらいだと思う?」「ひょっとしてすげぇギャルみたいな若い女に騙されとったりせんか」(例のでき婚失敗話を聞いたばかりの夫)、「いや案外同世代で気の合う落ち着いた相手が見つかったかもよ」。どちらの予想も外れ、23歳と若いがすっぴんでやや森ガールの入ったほっこりした感じの女性だった。彼女からつきあいたいとアプローチしたそうだ。「こういう紳士的な人なら大丈夫だと思って」。口の悪い夫が「捨てられないようにな」とからかったのを受けて彼は奥さんに「捨てないで下さい」と言い、奥さんはニコニコしていた。

yotayotaahiruyotayotaahiru 2011/01/07 02:02 こんばんは。
 
 私には「家庭願望」を持つ若い男性たち(といっても対自分比なので40代前半まで含めてしまいますが…)が、 "「男」を装着し欲望するものとしてふるまう"ことに疲れている人”には感じられないです。恋愛や婚活に不器用であったり、セクシュアリティの部分ではない、例えば「仕事」や「出世」という面での競争に傷ついていたり疲れているように見えたりはしますけど。
---------- 
>それは、「父」の役割を引き受けたいということなのだろうか。それとも、女を第二の「母」にして、失われた幼少期の母との蜜月を擬似的に取り戻したいということか?
---------
↑これ、二者択一というより、「妻子」というアイテムで「父」という「役割」を手に入れることで、周囲にも自分にも「妻子を守る」という男性としてのアイデンティティを確保しつつ、「母になった妻」の前では「子どもとしてケアされたい」と言っているように感じます。一石二鳥というか。想定している「男性像」が違うのかもしれないのですが。

脂 2011/01/07 04:24 母は赤ん坊を欲望し、赤ん坊は母から「欲望すること」を学ぶ。
こうして母子の間には「欲望し欲望されあう関係」が成立する。
幼児は、母に対するのと同様に、父も欲望する。
しかし父に対しては、母と同様な「欲望関係」が成立しない。欲望を否定されてしまう。万能感が否定されてしまう。
抑圧である。

ここから先は男女で傾向が異なっていくので、以下「幼児」を「少年」とする。
少年にとって父は「欲望を抑圧する存在」にならない。この欲望はもともと母に教えられたものであるため、母に対する欲望を取り替えそうとして、父に反発する、という表現になる。
抑圧を解消しようとする。父を殺そうとする。
しかし父はそう簡単には殺せない。
これがオイディプスの三角形だ。

このとき父は、少年の母への欲望を、母以外の他者たちへ向ける役割を担う。リビドーの備給先を変更する役割を担う。抑圧がリビドーの備給に影響を与える。
欲望は抑圧されているだけで少年の中で機能し続けている。
新たな備給は、母ではない別の存在だったりするだろう。
父を殺せたとき、おそらく彼は母ではなく、クラスメイトの女子を欲望していたりするのだろう。

父は三角形の外部に欲望を変更させる役割を担う。「パパ、ママ、ボク」の三角形の外部とは、幼稚園の先生であったりクラスメイトの友人だったりするだろう。
これは発達心理学における「幼児が社会適応していく過程」と同様だ。幼児にとって人間の社会は当初は父母だけである。次に兄弟などといった存在と適応していく。そして幼稚園の先生や友人などへと。これは「三角形」ではなく「同心円の拡大」として表現されることもある。幼児は身近にいる他者から順番に適応していく、という話だ。
この「同心円の拡大」の原動力が、精神分析においては、「母への欲望と父からの抑圧」という三角形の構造となるわけだ。

このときの母と父は、成人の実際的認識における「母」と「父」ではない。いわば「記憶の中の母と父」である。正確には、言葉を喋り始めた頃の幼児期における「過去において強く自分の心に影響を与えた他者としての母と父」である。無意識構造における母と父。

ここが、yotayotaahiruさんとの

>セクシュアリティの部分ではない、例えば「仕事」や「出世」という面での競争に傷ついていたり疲れているように見えたりはしますけど。

という齟齬になったのだろう。
男が「仕事」や「出世」に精を出すのは、発達心理学における「社会適応していく過程としての同心円の拡大」の延長にある、と精神分析は解釈する。
ヒトという種は、動物行動学的に考えた場合の集団傾向として、「社会」に重きを置いた行動を取る。その根底にあるのは「幼児期の頃の母と父」である、という話だ。
それは「セクシュアリティ」ではなく、また実際的認識における「母」と「父」でもない。
まあ要するに、深層心理・無意識の話なので、当人たちは自覚していなくて当然、という話です。
また、「そんなわれわれが自覚できない論説が信用できるものか」などと言う反論は、精神分析のみならず文化人類学にも適用されるわけですが、そういった学問なんだと思っておいていただければ。
だから大野センセは「なんて聞いても、たぶんポカンとされるだけだろね。」と書いたのでしょう。
精神分析をやっていればよくある話です。

脂 2011/01/07 04:42 ここで、忘れてはならないのは、「欲望が抑圧される」のは、あくまで父を欲望していたからである。父を欲望しない限りそれは抑圧とならない。
これまでの精神分析は、父は抑圧する存在としてしか語られなかった。
「抑圧されるなら、快楽原則に則るなら、無視すればいいじゃん。脳内から排除すればいい。なのに父は排除されていない。欲望は持続されている。なぜだ?」
こんな疑問はあって当然だ。

クラインなどは母子関係という二者関係に力点を置いた。大野センセが「母子一体の万能感の中にいる幼児」と述べたことだ。発達心理学の素人ママ向け本とかでは「王様としての子供」とか書かれてたりすること。「これが社会的に人間になっていくには、実は大事なのですよー」って論法で。
しかし二者関係以前に、「パパ、ママ、ボク」という三者関係の原因となる三角形の構造がある、としたのがラカンである。
幼児自身がそれを「母や父という他者」と認識する以前に、「母性」「父性」などと表現されるものの原因がある、と。それが「想像界」であったり「象徴界」であったりするわけだ。
それはもはや父や母とは言えないが、オイディプスとは言えないが、三角形はあるんだよ、そう考えないと理屈にあわないだろーが、と。

ラカン論においては、「母子一体の万能感の中にいる幼児」ですら、完全に欲望を満たされていない、と考える。それは定義的に「抑圧」ではないが、欲望を満たさせない原因がある、となる。
そもそも(正常な)人間の欲望が満たされることは原理的に不可能なのである。もともとフロイトもそのようなことを書いていたろーがよ、クラインやフロイト娘などはここを軽視している。もっとちゃんとフロイト読めよ、ったく。ってのがラカンの「フロイトに還れ」。ひねくれ者ですね。「母子関係はそれはそれは幸せなものなのです」って言っときゃ大衆のウケはいいだろうに。
欲望が満たされないのであれば、その万能感は万能ではない。ほーれ、やっぱ三角形じゃん、ってなるんだよなあ。

脂 2011/01/07 04:43 という文章を書きながら「こういう書き方するとわたしのペニス羨望を解釈されたりするんだろうなあ」って思った。

脂 2011/01/07 04:52 あとセンセーあれです。「これはあくまで精神分析的な考え方ですので」みたいなのがあった方がいいかと。
わたしも会話していると、そういう断りなく精神分析的な考え方になって、「え、それはおかしいじゃん」とか言われて、「いやだから精神分析ではそうなんの」って言うと、「精神分析厨ウゼー」とかよく言われました。ちなみに「精神分析厨」は「ライトノベル哲学本」で有名な飲茶さんの命名です。「うるせー科哲厨が」とか言えないんだよな、奴。手広くやってるし。うめーバランス感だな。

脂 2011/01/07 05:10 こういう風に、(母子関係などと言った)「二者関係」と(それこそエディコンとかの)「三者関係」という視点において、精神分析学派の議論を見ていけば、ラカン理論は単なるオイディプス擁護ではないことがわかります。一回転してるわけっすね。ほんとひねくれ者。
とはいえクラインも、「二者関係」以前の、「そもそも「者」つまり「他者」が存在しない主観世界」を想定したのは大きな功績であり、ラカンもガタリも認めるところです。
アナは知らん。発達心理学てアナ好きなんだよな。発達心理学って基本「健全な、精神的に正常な子供を育てるにはどうしたらいいか」っていう(情操)教育論に利用されること多いじゃん。そなんだよな、逆に「健全な、精神的に正常な人間が育っていく過程の研究」においては、アナの功績もあるのだろう。
でもそもそも子供の頃から社会適応に消極的なわたしにとって、アナのテクストは「で、それで?」となる。

脂 2011/01/07 05:12 ラカン派として書いているけどわたしゃどっちかてとクラインよりなんだよな。
だーら「父」やら「父の名」やら「ファルス」やらなんでもいいけど、それなんだよ、わたしの実感の中のどれにあてはまんのよ、と。

脂 2011/01/07 05:22 ラカンのこの「一回転」は、「抑圧の原因は父であり、それが現実原則となる」ってフロイト論における「現実」の意味と、シュルレアリスム的な意味での「現実界」における「現実」の意味との差異に表れていよう。
フロイトの「欲望を抑圧する現実原則」とは、「社会生活上」欲望を抑圧してなきゃ生きていけない、ってことだ。つまり「社会生活」を現実としている。フロイトの強迫症的な性格が表れているな。
ラカンの「現実」は、「社会生活」という意味ではない。

世間で、たとえばニートの息子に親が言ったりする、あるいは作家を目指すヒモに女が言ったりする、
「もっと現実を見なさいよ」
の「現実」は、「社会生活」って意味だろ。「社会生活できるようになりなさいよ」と。
ラカンの「現実界」における「現実」はそういう意味ではない。
この意味のずれは、上記の「一回転」を原因としている、ってことだ。

脂 2011/01/07 05:31 フロイトも上記のような矛盾を理解していた。フロイトは悩んでいた。それを論文でぽろっと「死の欲動」と言った。
死の欲動は現実原則かつ快楽原則のほころびである。
リビドーが、欲望が、それだけが、人間の行動原理だとは限らないのではないか、という、フロイトの迷いだ。
アナはこの迷いをわざと無視しているように見える。自覚がなかったのならそれは無意識であろう。アナは父の「死の欲動」という言述を抑圧している。
その点クラインは飄逸と「そうそう、フロイト先生が言った「死の欲動」とは、赤ん坊の攻撃性よ。「乳房を糞便爆弾で破壊する」のよ」とした。
アナとクラインの「女帝の権力争い」を横目で見ていたひねくれ者ラカンは、「ああまあ、どっちかてとクラインだけど、クラインも甘いだろ。雑なんだよ。妄想の戯言と言われても仕方ない論じゃねえか」とか思ってたんじゃねえの。
ラカン揶揄とか好きだしな。

脂 2011/01/07 05:41 こういう話なら精神安定して語れるんだけどなー。逆に「偉そう」とか言われる。
そしてこういう「臨床じゃない議論」は、やってると飽きる。
そして精神を不安定にせしめる、相手自分問わず心の傷をえぐる「臨床」をやっちゃう。
きょーらくきょーらくぅ。

脂 2011/01/07 05:48 あとブログ主への私信ですが見えなくなってるけど前記事へもコメントしますた。ご報告まで。

脂 2011/01/07 06:00 ラカンも悩んでたろうな。「二者関係以前に三角形はある」とし、いわば机上の空論として「現実界」を定義し理論化し、それを「ボロメオの輪」としたが、今度はそれを実証しなければならない。臨床において発見しなければならない。
死にかけていたラカンは、ジョイスのテクストを臨床し、一言(じゃないけど、比喩な)「サントーム」と言った。それを理論化できないまま死んでいった。
フロイトもラカンも同じ何かを説明しきれないまま死んでいったわけだな。

以上、精神分析講談でした。

脂 2011/01/07 06:09 ガタリンなんかは「しょせんボロメオの輪もオイディプスじゃんか」とか思ってたんだろうが、一理ある。それはいわば「根源的オイディプス」である。
「だーからクラインみたいにオイディプス以前を考えなきゃだめなんだって」として、「オイディプス以前に社会はある」とした。幼児は、オイディプスだろうがボロメオの輪だろうが三角形になる以前は社会に開かれてるんだよ、と。
だから結局精神分析理論に回収されちゃう。
それを「社会」としたのが間違いだったな。「自然」(一般的な意味ではなくむしろ禅的な意味で)なら納得してやったのに。
生まれたばかりの赤ん坊の主観世界に、「他者」は存在しない。自分ですら「者」ではない。人間も物も等しい「部分」としてある(当然自分自身も)「自然」を生きている。
ビオンの「思考以前の思考がある。ゼロは存在する。それはいわば「思考する者なき思考」だ」の方がいい説明だわ。
だからドゥルージアン、ガタリアンは糞。

脂 2011/01/07 06:12 『アンチ・オイディプス』は実はオイディプスに回収されてました、という話。
ガタリも元ラカン派だから、ドゥルージアン、ガタリアンとか誇らしげに「ラカン派の鬼子」とか言ってるけど、まああそこら辺哲学者ばっかだからな。臨床家からすりゃ全然「鬼子」じゃないことがわかる。父に反発してただけだった。
ガタリ自身がオイディプスだった。

脂 2011/01/07 06:16 ……みたいなことをジジェクも言ってたんじゃないっけ。『身体なき器官』だかなんだかで。読んでないけど。

脂 2011/01/07 06:20 ジジェクもまあ「映画を臨床している」っちゃーそうなんだよ。認めてやらなくはない。
だけど奴ぁときどき「大学のディスクール」になってるんだよな。「分析家のディスクール」で臨床し、「大学のディスクール」で著作を書いているのだろう。
それは分析家として間違っているとわたしゃ思うんだよな。
向井雅明の「分析家同士のグループはヒステリー的主体としてふるまわなければ、新しい知は発見できない」のが正しい。換言すれば、新宮一成の「科学者は、「大学のディスクール」と「主人のディスクール」をいったりきたりしている」をもじるなら、「分析家は、「分析家のディスクール」と「ヒステリーのディスクール」をいったりきたりしている」ってことだ。
ジジェクはそうしていない。

脂 2011/01/07 06:21 ごめん、精神分析村ヲチャの血が騒いでしまった。反省しますん。

脂 2011/01/07 06:28 ジジェクの言説も、どっかこう、いちいち皮肉めいているじゃん。あれは「相手に転移させて自分は転移しない」って分析家の態度で見てるからなんだろうな。
映画評論としてどうなのかは知らんが。

脂 2011/01/07 06:36 脱線しまくったが、記事に戻るならば、「やっぱオイディプスつおいねー」って意味で、

>でもいつの時代も男の家庭幻想ってあるし、似たり寄ったりという気もする。

となるわけだ。
もう動物行動学的なヒトの種の傾向として認めざるをえないレベルに。
そこで「でもそれは男の話っしょ? 女は違う。女を研究対象にすれば違った傾向が見えるはず!」ってフェミちゃんは言った。
でも大野センセもいやってほど観察したように、実際日本フェミが社会派になっている通り、女のオイディプスなんだよ。
心理的な度合いとしては確かに男の方がそういう傾向が顕著なのかもしれんが。
あ、これが「閉塞感」やら「出口なし」ってことになるのかね。

脂 2011/01/07 06:39 女もオイディプスなんだよ、でした。
なんかこんなことばかり言ってるなわたし。フェティシスムでも「いやそれは女もそうだ」だったっしょ。
エディコンを掘り下げて一回転したラカンのボロメオの輪を採用せざるをえないじゃん。

脂 2011/01/07 06:40 ガタリンが「アンチ・オイディプス!」と叫びながら実は自分自身がオイディプスだったことと、フェミが「男性原理解体!」って言いながら社会派になったのと、同じ構造だと思うぞ。

脂 2011/01/07 07:26 ちなみに言えば、この「少年が父に対してする欲望」は、すっぱり言えば男性同性愛となるよな。
「仕事」や「出世」に精を出す男は、なべてどこかに男性同性愛的な機制がある、ということになる。
それをうまくあぶりだしたのが「ホモソーシャル」って言葉だと思うぞ。
女性にも適用されうる概念だが、そこはラカン理論を適用すれば説明可能となる。ボロメオの輪は「パパ、ママ、ボク」でも「男、女、子供」でもないからな。

脂 2011/01/07 07:34 また、記事中の男は、それを「自分の子供だ」と認識している限り、「父に対する欲望と抑圧」にいずれ囚われるだろう。「自分の子供」をいくら抑圧しても回帰するだろう。
そうならないためには。
自分を本気でただの種馬だと思えばいい。その子供はその種の結果であり、そういった動物にすぎない、と思えば、「父」から逃れられるだろうな。
そのとき彼は情性欠如者などと言われるのだろう。
あ、その手前に「シニフィアンの否認」たる抑鬱症があるな。
そうならなければ、なってもそこから立ち直れば、彼は立派な「父」になってくと思うよ。別の女と家庭を持ったりしてな。
ちょうどelveさんみたく。

脂 2011/01/07 07:41 あと個人的な知人で言えばこいつみたく。
http://kabashira.com/blog/
「父」あるいは「欲望する者」たる「男」として。
つか

>しかし「男」でいるとは、「男」を装着し欲望する者として振る舞うことだ。

これ「女」も同じなんだけどな。生物学的メスが「欲望する者」として社会的に許されているのが「母」ってだけで。
そして「母」になれば「母の父」は希薄化する。そら本能的に子供を欲望しちゃうんだから。脳内から「父という存在」が排除されていくだろう。
子供を欲望し放題だ。
ラカン的に言えば、現実界から離脱し放題。
だからわたしはこう言っている。「「母」とは社会的に唯一そうとして許されたパラノイアである」と。
そしてこれが前記事でも書いた、「グレートマザー」だ。

お、なんかすげえつながった。ちょっと満足。珍しい。わたしにしては。

脂 2011/01/07 07:45 その女子の家庭も、意外と祖父は、「祖母、母、子供」たちから阻害されてる気がしてたりするんじゃね。
結果「父」よりさらに子供の面倒を見たがるだろうな。
「祖父母は孫に甘い」って言うけど、そういうことなんじゃね。祖母にしても自分の娘との「蜜月な母子関係」と比べると、「娘たる母」って阻害者がいるわけで。

脂 2011/01/07 07:49 これで一応、その女子、元夫、祖父母全員の大雑把な解釈をしたことになるか。あくまで大雑把だがね。ちゃんと臨床すればまた変わるだろうが。

ohnosakikoohnosakiko 2011/01/07 13:41 yotayotaahiruさん
それは問いの立て方が違います。ここでは最初から「男性は何によって疲れているのか?」という問いは発しておりません(それなら仰るような答えも出てきましょう)。
ではなく、「若い男は恋愛や結婚に消極的になっているように見えるが、それはなぜか?」です。
そもそも話の発端は、でき婚して離婚した男についてであり、今時の若者の結婚観とは?という話をしていますので。

「一石二鳥」を考える男性もいるでしょうが、どちらか一方選択か一石二鳥かという問題は、この議論の中ではどっちでもいいです。

ohnosakikoohnosakiko 2011/01/07 13:42 脂さん
精神分析講談、どうもでした〜。

ohnosakikoohnosakiko 2011/01/07 14:03 関係ないけど、↓こういう論(?)の冒頭に私の名前が出てくるのにすごい違和感。なんかもう全然別の話になってるし。
http://d.hatena.ne.jp/yokomichisizuka/20110106/1294327016

脂 2011/01/07 20:46 その記事なんかわたしに対し微妙な攻撃してるんじゃないかとところどころちくちくする。
いえもちろん被害妄想ですが。

脂 2011/01/07 21:29 >これ「女」も同じなんだけどな。生物学的メスが「欲望する者」として社会的に許されているのが「母」ってだけで。

これあれだな、象徴秩序として、「欲望する者」をふるまう役割が「男」で、「女」は「欲望される者」をふるまわなければならない。
けど現実は女も欲望してるだろ。昔はもっと隠れて欲望してたりしてたんだろうな。
で、現代は、女が欲望するのも比較的許されている。
象徴秩序としては、生物学的メスが「欲望する者」であるのは、「母」である。
現代女性はなべて「女」ではなく「母」となっている。結婚していようがしていまいが。
これがそこかしこで言われている「現代社会は母性化している」って言説になるんじゃないの。

脂 2011/01/07 21:31 そういった「欲望する者」としての「母」が極大化した文化が、たとえば前記事の雲南の少数民族だったりするんだろう。
ほんと社会構造とかつまらん。
人の心の奥底をえぐる方が楽しいわ。

脂 2011/01/07 21:37 陰陽思想とか禅のイメージが混ざってるからか「自然の摂理」みたいに思われているが、「象徴秩序の摂理」であり、要するに社会構造の原理なんだよ。
それは自然を表現する思想ではない。科学ではない。
ほんとつまらないだろ? そう考えると。もうお腹いっぱいです、って感じ。
こういった思想と禅が決定的に違うのは、禅の思想は無意味であることだ。
あ、今たけしの七不思議見てる。

脂 2011/01/07 23:43 http://d.hatena.ne.jp/yokomichisizuka/20110106/1294327016

この記事とか、この筆者自身が「「女」の社会的なヒエラルヒー」に過剰に固着している症状の表れ、としか解釈できんのだが。
なんかまあ、がんばってね乙、としか言えない。

脂 2011/01/07 23:51 ああ、

>全部わかってて皮肉を込めてやってるのだったら逆に凄いなとも思いましたがw

なら解釈は変わるな。
ちょっと「皮肉」には見えないなあ。

hilitehilite 2011/01/08 08:02 >「若い男は恋愛や結婚に消極的になっているように見えるが、それはなぜか?」

>「趣味に使うお金や時間が欲しいから、それが奪われるだろう結婚は回避(恋愛もラブプラスで充分)」
ラブプラス=インターネットのエロサイト。
一昔前なら女性の裸はそのためにお金を払って見るものでしたが今はインターネットにさえつながっていればワンクリックですよ。見るだけなら。
性欲のみで結婚するわけではないと思いますが現在の若者はオカズでお腹いっぱい。
草食系なんて言葉がありますが皆エロサイト見てるだけ。食事はコンビニで良いしベッドは言わずもがな、風俗も何割の男が通ってるのか。

>ヤンキーに限らず男子の中に家庭志向が芽生えている>「家庭願望」タイプ
おっしゃるとおり彼らは男っていうコスプレをしてるだけです。インターネットで「見る」だけじゃ飽き足らないから。
まあ女性は女装してるだけですが実際に子供を産むのは女性なんでその時点で女装じゃすまなくなる。
いままでは男のコスプレイヤーが時代とか文化にあっててたまたま多くいたのかもしれないけれど
もう「父」がいなくても子供は育つ世の中ですからコスプレする必要性は少なくなっている。
疲れてるわけじゃなくて無理にしなくて良いならしないわ、子供は可愛いけどっていう。

パパ、ママ、とボクは紀元前4世紀のオイディプスは意識したけど
2011年(明けましておめでとうございます!)のオイディプスは知らないおじさんとママとボクになってきてるってことかも。
「父」が知らないおじさんていう位置づけなら自分の出生の秘密を知ったとしてもエディプス・コンプレックスもたいして感じないから気楽

ってのが今時の若者の結婚観?なんじゃないでしょうか。っていうか自分の結婚観です。
だって「男」なんてもうほとんどねえじゃん。少年ジャンプにも。それこそインターネットのエロサイトぐらい。

・デキ婚して離婚した男の今を勝手に想像すると「とりあえず慰謝料と養育費払わねえ方法ねえかググってみるわ!」かな。

ohnosakikoohnosakiko 2011/01/08 10:57 hiliteさん
>デキ婚して離婚した男の今を勝手に想像すると「とりあえず慰謝料と養育費払わねえ方法ねえかググってみるわ!」かな。

私の聞いた話に限って言えば、どうもそのあたりは娘や親の方が最初から期待してないみたいです。まあ少しは払ってるのかもしれないけど、だんだん不払いになるケースが若年層でき婚では多いらしいですし。

脂 2011/01/08 12:25 あ、具体例がいたんだ。どうもです。
どうでもいいけどその人ブログいくつ持ってるんだろ。
ここからうちにきてた。
http://francesco3.blog115.fc2.com/

ohnosakikoohnosakiko 2011/01/08 12:38 今はそことはてなダイアリーだけじゃないかな。よく知らんけどそのidでは。あとははてなハイクとTwitter。

こたつこたつ 2011/01/09 07:07 >「若い男は恋愛や結婚に消極的になっているように見えるが、それはなぜか?」

若い男に限らないですよ。もともとこの話題も結婚不要な女の子の話題から
出てきてるはずですし。

社会が人間にエネルギーを与えた結果ですよ。
大家族→核家族→(片親&子)→個人。

基本、水分子とおんなじ。エネルギーを与えると
固体→液体→気体
となりますし。

エネルギーとは、生きるための制限の少なさだと考えます。精神分析学的要素よりは、単純に社会学的要素として。
制限の例としては、法律、道徳、店の営業時間などですかね。

数値計算もできます。10リビドーの結合を引き離すには、
8リビド(ラブプラス)+1リビド(エロサイト)+2リビド(コンビニ)と。
(精神分析は数値計算してるのでしょうか)

ちなみに、オイディプスもともとのフロイトから意味変化してますか?
ちらと調べましたが、よくわかりません。父親のいない息子は母親と結婚するのですか?
現代日本とは社会構造が大きく離れた
地域、時代の理論ですよね。適応範囲広すぎじゃないですか?万能理論ですか?
ここではどのように使用しているのでしょうか?

ohnosakikoohnosakiko 2011/01/09 11:37 こたつさん
>若い男に限らないですよ。もともとこの話題も結婚不要な女の子の話題から出てきてるはずですし。

その「結婚不用な女の子」ができ婚したのは若い男だったから、その話になっているだけです。恋愛、結婚の話で焦点化されるのは40代、50代ではないでしょう。
これ以下のエネルギー云々は何を仰っているのは私には理解できませんでした。

フロイトのエディプス・コンプレックスについてはコメント欄で脂さんが丁寧に解説して下さっているので参照して下さい。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20110106/1294320810#c1294341871
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20110106/1294320810#c1294342963

精神分析は、社会構造や地域や時代に関わりなく、人の発達段階にはある程度普遍的な心的構造があると前提として理論を組み立てます。もちろん万能理論ではありません。どのように適用するかはケースバイケースです。
記事前半は男性の「家庭願望」「家庭幻想」の中にオイディプスの復権(父 - 母 - 子という関係の再生産)が見られるという話であり、後半では、「夫」にも「父」にもなり損ねた男を「父 - 母 - 子(息子)」の「子」に見立てています。

脂 2011/01/09 13:55 >こたつさん

こたつさんがオイディプス理論を必要としていないならスルーしていればいいと思いますよ。
同じことをラクさんにも言った気がする。

脂 2011/01/09 23:17 「万能理論」とか誰も言ってないのにこたつさんがそう言い出したってことはこたつさんが「万能理論」って発想をしたわけですから、こたつさん自身に「学問理論は万能であるべき」みたいな思い込みがある、ってことになりますねー。
すべての学問理論は万能ではありませんよ。
たとえば「科学理論は万能」みたいな無自覚的な妄想を持っている人も多そうですが。

こたつこたつ 2011/01/10 10:53 ohnosakiko さん
>これ以下のエネルギー云々は何を仰っているのは私には理解できませんでした。

前提が書けていませんでした。極端に言うと。
前提は、「人間は自分個人の欲望が一番大事」です。家族よりも社会よりも子孫繁栄よりも。
(どうしてこうなるかは、わかりませんし、分析もしていません)

技術進歩、社会制度の変化により、自分個人の欲望を実現しやすくなりました。
(これが「社会が人間にエネルギーを与えた」の表現の内容です)

で、「若い男は恋愛や結婚に消極的になっているように見えるが、それはなぜか?」は、
消極的になっているように見えるが、見えているだけで
実は、若い男は自分個人の欲望に向かっているだけでした。
です。

書いていて思ったのですが、私は社会現象を社会現象で説明しているので
精神分析観点で話し合うこの記事には馴染まないのかな?と思いました。
ですので、この考え方はスルーしてもらっていいです。

こたつこたつ 2011/01/10 10:54 脂 さん
>こたつさんがオイディプス理論を必要としていないならスルーしていればいいと思いますよ。

必要ではありませんが、私の考えも結局オイディプス理論だよ。と言われそうで
気になるところではあります。

>こたつさん自身に「学問理論は万能であるべき」みたいな思い込みがある、ってことになりますねー。

むしろ逆です。万能理論と思った理由は、
「『アンチ・オイディプス』は実はオイディプスに回収されてました、という話。」
の一文から、オイディプス理論は修正なしにアンチを説明したと印象を受け、
理論の矛盾を指摘する理論を修正無しに説明するなんて、そんなのダブルバインドしかないよね。
と思い、そんなの学問理論じゃないよ。と思い、皮肉を込めて万能理論と言ってしまいました。

だた、オイディプスを細かく理解できていないせいもあるんでしょうけど
欲望と抑圧を恣意的に拡大解釈・適用している印象を受けます。
原理的に、欲望するところに抑圧は存在し、二者は三角となる。みたいな。

「若い男は恋愛や結婚に消極的になっているように見えるが、それはなぜか?」
それは、オイディプス理論により、家庭への欲望が抑圧され、家庭外へ欲望が向くからだ。
これは三角形ですよ。オイディプスの復権ですよ。

「若い男は恋愛や結婚に積極的になっているように見えるが、それはなぜか?」
それは、オイディプス理論により、抑圧された母への欲望が家庭を望むからだ。
これは三角形ですよ。オイディプスの復権ですよ。

上の2つの文を別々に説明されたら、そういうもんですか。と言ってしまいそうです。


何かしらにつけ基本を説明するのは面倒なことですから、これもスルーしてもらっていいです。

こたつこたつ 2011/01/10 10:56 >「若い男は恋愛や結婚に消極的になっているように見えるが、それはなぜか?」

それは、幼少期に幸せな家庭を学ばなかったからではないのでしょうか?
父親は仕事人間。母親は父親の愚痴ばかり。子供はそんな両親が嫌い。
父母子の三角形の各頂点間で、満足<不満 が成立し、家庭に対しマイナスイメージを持つ。
→消極的。

ヤンキーの父親は家庭人間が多いから、各頂点間で、満足>不満 となり
ヤンキーは家庭に対しプラスイメージを持つ。→積極的
オタクはまわりに興味がないため、家庭に対しプラスマイナスゼロのイメージを持つ。
ただそのため楽観的オタクは家庭を理想郷としてイメージできる。→積極的
悲観的オタクは家庭を地獄としてイメージできる。→消極的

三角形の母子間でのみ 満足>不満 が成立する家庭は、総合的にマイナス。
ただこの場合マザコンなので幸せな家庭は望まないが、形だけの家庭を望む。→積極的

その他の場合は、少数派なので割愛。

改めて考えて見ましたが、これってよくある意見でしたね。
大雑把な分析ですし、何より誰も救わないですね。この意見。

こたつこたつ 2011/01/10 11:27 2つ前のレスの「ダブルバインド」は誤りで、正しくは「ダブルスタンダード(二重基準)」です。
使い慣れない言葉を使うとよく失敗します。

脂 2011/01/10 12:26 はあ。
いちおここだけ。

>「『アンチ・オイディプス』は実はオイディプスに回収されてました、という話。」

『アンチ・オイディプス』の理論に反論しているのではなく、『アンチ・オイディプス』を語る主体を解釈した結果、「オイディプスに回収されている」となったわけです。
こたつさんは言語ゲームの中だけの話をしている。
科学とは物質を研究するもので、物質は言語ではありません。

あと。

>必要ではありませんが、私の考えも結局オイディプス理論だよ。と言われそうで
>気になるところではあります。

言われたら何か不都合があるのですか?

脂 2011/01/10 12:30 ラクさんという方にもこの症状がありましたが、こたつさんは精神分析理論に対し自己防衛しすぎているのではないでしょうか。
マイナーな学問ですしフロイトもラカンも肝心なところを説明できずに死んでいったわけですし穴だらけの理論ですし、そんなお気になさらない方がよいかと。

こたつこたつ 2011/01/10 17:41 >言われたら何か不都合があるのですか?

不都合あります。言われたら、私の考えとオイディプス理論がどこまで同じで
どこから違うのか考えないといけないし、理解しないといけないし。
同じ土俵に乗れないですから。
あと、理解出来ないまま土俵に乗っちゃうと、話し相手に悪意がある場合
レッテル貼られまくって、いいように嬲られるのがオチですから。

>こたつさんは精神分析理論に対し自己防衛しすぎているのではないでしょうか。

もちろんですよ。自己防衛せずに話をするなんて不誠実じゃないですか?
できる限り自己防衛したいと思ってます。
ただ、気にしないでいいと言われるのなら、気にしないです。
振られるのには、なれっこですから。

>『アンチ・オイディプス』の理論に反論しているのではなく、『アンチ・オイディプス』を語る主体を解釈した結果、「オイディプスに回収されている」となったわけです。

このやり方汚くないですか?
『アンチ・オイディプス』を相手にするなら、『アンチ・オイディプス』が研究対象とする主体を
解釈すべきで、『アンチ・オイディプス』を語る主体を解釈すべきではないでしょう?

『アンチ・オイディプス』を語る主体を解釈する意図は『アンチ・オイディプス』派をだまらせるための手段だと勘ぐってしまいますね。
「お前が言うなよ」って言うための。
学者の態度としてどうなのかと思ってしまいます。

ただ、「『アンチ・オイディプス』は実はオイディプスに回収されてました、という話。」は
『アンチ・オイディプス』の理論に反論しているのではないことは理解しました。

ラクラク 2011/01/11 16:49 >こういう風に、(母子関係などと言った)「二者関係」と(それこそエディコンとかの)「三者関係」という視点において、精神分析学派の議論を見ていけば、ラカン理論は単なるオイディプス擁護ではないことがわかります。一回転してるわけっすね。ほんとひねくれ者。

なんだか知らないけど、そんな主張の妥当性を検証できる人がこの界隈にいるのですかぁ?

脂 2011/01/11 21:38 >私の考えとオイディプス理論がどこまで同じで
>どこから違うのか考えないといけないし、理解しないといけないし。

そんなことないですよ。他人が勝手に言ってるだけです。強迫症的な考え方ですねそれ。

>もちろんですよ。自己防衛せずに話をするなんて不誠実じゃないですか?

不誠実とあなたが思っているだけ。

>このやり方汚くないですか?

そういう学問なのでスルーしていればよいのですよ。

脂 2011/01/11 21:45 >ラクさん

意味がわからないのでスルーしますね。

こたつこたつ 2011/01/12 00:37 >強迫症的な考え方ですねそれ。
強迫症的な考えだと困ることがあるのでしょうか。むしろいいと思いますけど。

>不誠実とあなたが思っているだけ。
あなたは思わないのでしょうか。
自分の考えを整理せず話をしても相手に迷惑をかけるでしょう。

>そういう学問なのでスルーしていればよいのですよ。
ええ?本気で言ってますか?
そうだとすると、精神分析学は、脂さんの言う学問の定義から外れるじゃないですか。
脂さんがそういう学問だと断言するのならば、スルーするしかないようですけど。

っていうか、答えるの面倒になってますよね。。。
終わりにします。失礼しました。

脂 2011/01/12 01:20 >強迫症的な考えだと困ることがあるのでしょうか。むしろいいと思いますけど。

困ることがあるなんて言っておりませんが。あなたがそういう症状だと解釈しただけです。

>自分の考えを整理せず話をしても相手に迷惑をかけるでしょう。

整理しないでされた話はその人の本音に近い、と考えています。ですので「整理された話」とはいわば嘘になります。
わたしはその方が不誠実だと考えます。
また、この件の発端となったあなたの言は、

>理論の矛盾を指摘する理論を修正無しに説明するなんて、

であり、「整理していない」のではなく、あなたが精神分析を理解していなかったことを原因としています。
なのでこの件を「自分の考えを整理せず話をしても」とおっしゃるのは、自分の理解の足りなさを相手のせいにすることであり、その方が不誠実だとわたしは思います。
わたしのその『アンチ・オイディプス』批判は、こたつさん、あなた個人に対して述べたものではありません。
わたしはあなたの家庭教師ではありませんよ。

>脂さんの言う学問の定義から外れるじゃないですか。

どう外れますか?
「対象を研究する」のが学問だと言っているわけですが。
精神分析はその人間の心を対象としています。
『アンチ・オイディプス』に書かれた理論ではなく、『アンチ・オイディプス』を語る主体(この場合ドゥルーズとガタリ)の心に着目し、「この主体の心はオイディプス理論にあてはまる」としたわけですが。

>っていうか、答えるの面倒になってますよね。。。

最初から面倒でしたよ。

脂 2011/01/12 01:38 一応お断りしておきますが、『アンチ・オイディプス』に書かれた理論については、わたしは評価している部分があります。理論上の不備を指摘したこともあります。わたしのブログにそういった言及はいくつかあります。
それはそれ、これはこれ、という話です。
また、『アンチ・オイディプス』自身が、「精神分析家こそがオイディプスである」と、当時の精神分析家たちの集団傾向的な心を対象にして批判している著作です。

脂 2011/01/12 01:41 あれだ、むしろ『アンチ・オイディプス』自身が、こたつさんがこだわってらっしゃる「言語ゲーム上の勝ち負け」を、「そんなもの無意味だ!」と主張している本なわけですが。
だからこそ分裂症者をダシにしなければならなかった、と。
確かに分裂症者たちは「言語ゲーム」から一歩外れた人たちだと思います。
しかしそれを語るお前らが「言語ゲーム」に囚われているじゃないか、という批判なわけです。
あーゆーおけ?

脂 2011/01/12 01:44 要するに、『アンチ・オイディプス』自身も、わたしの『アンチ・オイディプス』批判も、こたつさんの言う

>理論の矛盾を指摘する理論

なんかじゃない、という話です。
これはドゥルージアン、ガタリアンも同意してくれると思うけどなあ。
ぶっちゃけキチガイ同士の言い争いだと思ってくれていて構いませんよ。

脂 2011/01/12 01:55 失礼な質問になるかもしれませんが、こたつさんは『アンチ・オイディプス』を読まれた上で、それを「理論の矛盾を指摘する理論」だとおっしゃっているのですか?
いえ、別に読まれてなくてもよいですよ。どっちでもいいです。ただの確認です。
わたしの『アンチ・オイディプス』批判はわたしの脳内『アンチ・オイディプス』をもとにしているので、そもそもそこの解釈がずれていたなら、議論がかみあわないのも当然でしょうから。

脂 2011/01/12 02:09 そもそも『アンチ・オイディプス』を理論的に読解するならば、「ほおら、これこれこういう風に分裂症者たちはオイディプスから外れている。オイディプスに耐えられていない」ということになります。
しかしオイディプス理論が精神病者に適用されない(のではないかという疑問)のは、この著作以前から言われていたことです。事実ユングやクラインなどはそれぞれ違った理論(クラインなら前述したように「二者理論」)を適用しています。
『アンチ・オイディプス』が評価されるならば、厳密な精神病者に限らない「分裂症者」に、この著作以前から言われていた疑問を適用したことではないでしょうか。事実著作中では自閉症も「分裂症」に含まれています。
「お前たちが思っているよりはるかにオイディプス理論が適用されない人たちはいる」
という理屈です。
わたしはこの理屈には同意します。
しかしそう書いているガタリ自身が(ドゥルーズについては保留しています)臨床的にオイディプスである、と言っているわけです。

はあ、とっても面倒。いえ、わたしが勝手にやってるだけですので「わたしの「面倒だ」という心」は無視されて構いませんよ。

脂 2011/01/12 02:21 オイディプス理論ってのは、いわば古典物理なんですよ。
古典物理は物理学においては確かに量子力学に凌駕された。
しかし、実際のたとえば建築現場においては、古典物理的な考えで設計され工程管理されている。
むしろ工学に量子力学が適用されているのは半導体技術やそこら辺くらいでしょう。
人間は古典物理を捨て去っているわけではない。
そういう話です。

脂 2011/01/12 02:22 繰り返しておきます。
こたつさん、あなたは『アンチ・オイディプス』を読まれたのですか? 読まれていたとしても、あなたのようなオイディプス理論理解では読みこなせないと思うのですが。
もし読まれているなら、どのように解釈しておられますか?

脂 2011/01/12 02:36 わたしのオイディプスについての考えはこういう考えなので、あなたの「万能理論」という皮肉は皮肉に思えませんでした。
これが皮肉として成り立つには、皮肉をぶつける相手が「オイディプス理論は万能である」と思っていなければなりません。
この相手はこたつさんの脳内妄想の「他者」です。
あなたが会話したがっているのは、その脳内他者なのではありませんか?

脂 2011/01/12 02:44 つか精神分析をちゃんとやってる人で「オイディプス理論は万能だ」などと思っている人っていないんじゃないでしょうか。
過去に何度も反駁されてますし。つかフロイトが生きていた当時からユングやアドラーが反論してますしおすし。

脂 2011/01/12 02:49 ラカン理論も同じですよ。「オイディプスの三角形」をさらにこねくり回した「ボロメオの輪」だって、「精神病者はこの輪がほどけている」ってことになってますし。
「ほどけていても、人為的な作業たる第四の輪によって「ボロメオの輪」を維持している」としたのが、精神病に親近していたジョイスの臨床において説かれた「サントーム」です。

脂 2011/01/12 02:53 ちなみに、こたつさんという臨床素材においては、「万能理論」という皮肉をぶつけた脳内他者が、オイディプス理論における「父」だとなるでしょうね。

脂 2011/01/12 02:56 大野センセもあれだ、こういうわかりやすい臨床素材が、このブログには多いんだから、どんどん実践していけばいいと思うぞ。
嫌われまくるだろうがね。
まあわたしにゃ無理だけど。こんなんオーバーワークになるわ。

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