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【社会】

隔離の半生、望郷の筆 ハンセン病故教諭の絵が里帰り

2010年12月21日 夕刊

加川さんの作品の展示準備をする岩脇さん=三重県松阪市の三重高校で

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 ハンセン病を患い、1983(昭和58)年に65歳で亡くなった三重県出身の元小学校教諭加川一郎さんの絵画作品が22、23の両日、津市の県総合文化センターに展示される。療養所に隔離されて人間らしい生活を奪われ、故郷との絆を断たれた元教諭の作品が、初めての“帰郷”を果たす。

 ハンセン病を発症して32歳の時、岡山県瀬戸内市の瀬戸内海に浮かぶ長島にある国立療養所「長島愛生園」に入所し、妻と共に暮らした。他の入所者と同様、親族にさえも患者であることを隠すため「加川一郎」という新たな名前で通した。当時、ハンセン病への偏見や不理解が強かったためだ。

 代用教員として、療養所内の学校で子どもたちを教えた。船でしか往来できない長島と本州を結び、「人間回復の橋」とも呼ばれる邑久(おく)長島大橋の架橋促進委員会の委員長も務めた。

 作品展は、支援者でつくる「ハンセン病問題を共に考える会・みえ」が主催。入所中に絵を熱心に描き続けた加川さんの油彩画10点を展示する。桟橋の上に座る釣り人の絵は、故郷の方向には背を向け、療養所がある方を見ているように描かれている。入所者に看護師が寄り添った絵は、入所者が暗い色調で描かれ、絶望や苦しみの深さが表現されている。

 加川さんは回復していったん三重へ帰ったことがある。その際、かつての教え子から「先生」と声を掛けられたが、振り向かなかったという。「故郷とのかかわりを断ち切ろうとした決意の表れだったのでは」と同会共同代表の三重高校教諭岩脇宏二さん(54)。病は完治しても、再び故郷に戻ることはなく、療養所内で亡くなった。

 岩脇さんは「断たれた絆を修復するには、同郷の人たちの理解が必要。絶望の中でも人間性を失わず創作に情熱を注いだ加川さんの姿を感じて」と願う。ほかのハンセン病回復者の作品も展示。23日午後1時半から療養所の将来を考えるシンポジウムも開く。参加無料。問い合わせは、岩脇さん=電090(3550)2789=へ。

 【ハンセン病】 らい菌によって起こる慢性の細菌感染症。病名は菌発見者のノルウェーの医師ハンセン氏にちなむ。体の末梢(まっしょう)神経がまひしたり、皮膚がただれたりする症状があるが、感染力は弱く、現在は治療薬が開発され、簡単に治癒する。日本では1931年にらい予防法ができ、患者を強制隔離するようになったが、96年に同法は廃止された。

 

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