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きょうの社説 2011年1月19日
◎西村さんに芥川賞 「郷土の文人」にも光当たる
芥川賞に決まった西村賢太さん(東京都在住)は、七尾出身の作家、藤澤清造に傾倒し
、清造の全集刊行をめざしながら、そんな自らの生き方を私小説に投影してきた人である。2001年から毎年1月、七尾市にある清造の生家の菩提寺で「清造忌」を営んできた。過去2度にわたり候補作になりながら芥川賞を逃してきただけに地元関係者の喜びもひとしおだろう。大正から昭和初めにかけて活躍した清造は、資料の乏しさなどから地元でも知る人は多 くない。その人物像に光が当たったのは、ひとえに西村さんの力である。来年は清造の没後80年の節目に当たる。西村さんの活躍を後押しし、地元としても清造の顕彰や再評価を考えたいものである。 藤澤清造は俳優を志して上京後、室生犀星の影響を受けて文学の道へ進んだ。貧困や病 苦を描いた私小説「根津権現裏」は島崎藤村や田山花袋から高く評価された。だが、放埒な生活から窮乏に陥り、1932年1月、東京・芝公園で凍死体で見つかった。 そんな破滅的な人生をなぞるような私小説を発表してきたのが西村さんである。すぐに キレ、女に暴力を振るい、身勝手な男を描く西村さんの露悪的、自虐的な世界は、その古風な文体とともに文壇で異彩を放っている。 清造作品に自らを重ね合わせた西村さんは「没後弟子」を名乗り、1998年から4年 間、七尾市内にアパートを借り、清造の足跡をたどった。七尾市の清造の墓標の隣には自分の生前墓を建立し、「西村賢太」の文字は清造の原稿から探して「清造自筆」にこだわった。異色の存在だが、西村さんという共感のフィルターがなければ、清造も現代に浮かび上がってこなかっただろう。 石川の文学土壌は出身者は言うまでもなく、疎開あるいは何かの縁で移り住んだ人、泉 鏡花賞受賞でつながりができた人など多くの群像によって耕されてきた。深いまなざしで、ときには厳しく批判もしてくれる貴重な存在である。 郷土の文人を埋もれさせるな、と身をもって示した西村さんもその一人といえる。清造 を介した文学の縁を大事に育てていきたい。
◎国会運営で協議提案 ムシが良すぎる与党案
岡田克也民主党幹事長が国会運営の円滑化のため、問責決議の位置付けや、衆参両院協
議会の改革などについて、与野党協議の開始を呼び掛けた。▽菅直人首相の問責決議が可決され、辞任に追い込まれるような事態を避けたい▽衆参の議決が異なった場合に両院の代表者が協議する両院協議会の議決を「3分の2以上」から「過半数」に緩和し、与党有利に変えたい、という思惑だろうが、ムシが良すぎる提案だ。意図が露骨過ぎて、提案を受けた野党はあきれているのではないか。問責決議案が連発され、閣僚が辞職しなければ審議拒否という「国会戦術」には問題が あるのは確かだ。修正協議などを行うために開かれる衆参両院協議会も、与野党対立の構図がそのまま反映され、「3分の2以上」のハードルが高いために有効に機能した例がほとんどない。改革の意味は大いにあるだろうが、それが与党による「ねじれ国会」対策となれば、野党がうんというわけがない。少なくとも目前に迫った通常国会と切り離した協議でなくては、野党は乗ってこないだろう。 岡田幹事長はこのほか、首相・閣僚が海外出張しやすくなるよう国会出席義務を緩和し 、副大臣や政務官のもとで審議が行えるようにすることや、国会での質問は2日前の正午までに質問通告するとしている原則の徹底を求めた。 私たちも以前から国会出席義務の緩和を求めてきた。国会審議が重なって多忙になり重 要な国際会議に首相や閣僚が出席しないと国益を損なう恐れがあるからだ。しかし、「国会開会中の大臣の海外出張は必要やむを得ない場合に限る」として反対してきたのは、野党時代の民主党である。国会の事前通告にしても、菅首相はかつて予算委員会で最も質問通告が遅い一人と言われた。 立場が変わったからといって、手のひらを返すように文句を言うのはいかがなものか。 問責決議案や両院協議会の機能不全を都合良く利用してきたことを含めて、自分たちの過去の行いを反省し、許しを請わねば、協議を行う雰囲気などできるものではない。
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