就職することにした

ID: 27
creation date: 2011/01/19 09:10
modification date: 2011/01/19 09:10
owner: mikio

長らくニートだったが、就職先が決まったということで、代官山のレストランで妻と娘にお祝いしてもらった。うれしい。そして、新しい道に踏み出すという新鮮な気持ちが何とも心地よい。

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2011年2月1日付けで、Googleに入社する。その経緯について記述しておく。個人的事情をわざわざ晒す必要もないのだが、お世話になっている皆様やOSS関連や個人事業関連で関わりのある方々への報告ということでキーを叩く。

経緯

昨年7月末に前職を辞して、自作のOSS製品のデュアルライセンス販売で食っていくべく開発作業や事務作業を半年ほど行ってきた。しかし、地価と物価の高い東京という都市に妻子とともに暮らせる収入を継続して得ていくにはあまりにも頼りないビジネスモデルであるため、それを本業にすることは断念した。

より正確に言えば、当初からOSSで食っていけるとは思っていなかったので、ライセンス販売は妻に任せて俺は就職できるように製品開発とビジネスモデルの模索をしていた半年であった。主要機能をプラガブルに作り込んで俺の工数を使わなくてもカスタマイズできるようにし、またサポート業務を行わないで導入時のライセンス料だけで収益を構成できるようにライセンスを策定し、その文書の策定などを行ってきた。予定より時間はかかったが、その目的は達成したので、いよいよ就職することにした。

この不景気なご時世で就職先を探すのは容易なことではない。その上、「尊敬できる技術者が多数いて、展望と社会的価値のある事業を営んでいて、それなりの待遇が得られるところ」などという、自らの分をわきまえない贅沢な条件で探していると、該当を見つけるのはなおさら困難になる。人材紹介会社に登録してみたりもしたが、それよりはコネを当たった方が役立つ情報が得られるというのが実感であった。

そんななか、非常にありがたいことに、幾人かの方からお誘いいただくこともあった。それらの企業はみな魅力的な事業を営んでいて、優秀な技術者が数多く居て楽しく働けそうなところばかりであった。そのタイミングでは上述のビジネス環境が整っていなかったのでお誘いを受けることはできなかったが、こんな俺に声をかけていただけるなんて本当にうれしかった。

やっと自分の製品が整って、いざ就職しようという段階になっていろいろ迷ったのだが、最終的にはGoogleに就職することにした。もちろん、入りたいというだけで入れるところではなく、選考を突破しないといけなかったわけだが、結果として幸運にもオファーをいただけたので、この進路を選択できることとなった。

理由

自分がやってきた仕事や作ってきた製品を振り返るに、非常に地味なものが多い。そして車輪の再発明がほとんどだ。俺は高度なプログラミングスキルは持っていないし、計算機科学や関連分野の専門性もない。しかし、地味なことをやらせると人より強いと思っている。すなわち、プログラミングの教科書に載っていて普通の人なら理解できる程度の難易度の課題を、実際のユースケースに合わせて使いやすいように設計して実装してテストして錬成するということにかけては、ちょっぴり得意な方であると勝手に思っている。

そんな自分の特性を踏まえて、俺はPOSIXやC89などの標準化された層の直上にDBMや転置インデックスなどのちょっとしたユーティリティ層を積み重ねることを生業としてきた。この戦略はそこそこ成功していて、結構な数の人が俺の製品を使ってくれるようになってきた。俺自身は世の中を動かす製品を作れないかもしれないが、優れた製品開発や学術研究を行っている人々の役に立つ何かを提供できれば本望である。

一方で、このまま同じようなことを続けても成長がないなと最近思うようになった。土台とする層の標高が低いうえに、自分が積み上げられる層の厚みも大したことないので、その上に立っても広い世界が見えてこないのだ。世の中は絶えず動いているわけで、標準規格といえども陳腐化は免れない。ソフトウェアの世界で人の役に立ちつづけたいなら、自分の足場にする土台をも必要に応じて変えていかねばならない。そろそろ未経験の領域に手を出していかねばならないと強く思い始めていた。

で、Google社。中身のシステムやそれを作り出す組織がどうなっているのかは外から見てもわからないが、その出力が世界中で親しまれていて人々の生活や経済活動に定着していることは間違いない。そして、おそらく途轍もない技術基盤とそれを動かし革新しつづける膨大なノウハウが中にあることは推察できる。そこで働かせてもらえば、こんな俺でも世界中の人に役立つものが作れるかもしれないし、そのような仕事をしている人達に直に貢献できるかもしれない。POSIX層の上で苦労して得られるものよりも、先端的な技術基盤の上で苦労して得られるものの方がより大きそうだ。そして面白そうだ。

起業はどこいった?

個人事業としてKyoto Cabinetや関連製品を使って稼ぐという計画もあって前職を辞したわけだが、それだけで継続して食っていこうとするのはリスクが高すぎる。ところで、OSSで食っていくにあたって、ライセンス収入とサポート収入という二つの軸がまず考えられる。一般論として、ライセンス料だけでは継続的に収益を上げることが難しいので、サポート契約を結んでそれを収益化した方がいい。ただ、サポート契約をすると当然それにまつわる作業に俺の工数を割くことになるので、新しい製品を作る時間が捻出しづらくなる。仮に5年間くらいはサポートで十分な収入が得られたとして、その後どうすんの?

となると、サポート業務を俺以外の人ができるような体制を構築する必要があるのだが、そのためには時間も金もかかる。Kyotoシリーズのような比較的小ぶりの製品だけでそのような体制を構築したとしても、バランスするかどうかが怪しい。しかも、DBMはプロセス組み込みなので、サポート業務の難易度がかなり高い。俺が自身でサポートビジネスを行ってしばらく食っていくことは可能だろうし、実際、サポート契約の引き合いもそれなりにあったのだが、それが自分のやりたい事かというと、ちょっと違う。そんな俺が「起業」などと言う言葉を安々と発したら、リスクに身を晒して戦っている起業家の皆さんに申し訳ない。

また、一人で淡々と開発業務を続けていても、正直つまらない。飽きる。そして、市場のニーズに応える製品を作りつづけるためには、ニーズのあるところの近くにいることが重要だ。特にスループットを重視した製品を作る場合、要求スループットの高いシステムを営んでいる人々と協業しないと始まらない。そういった顧客を既に獲得できていれば違ったのだが、現状では、今までの経験という蓄えを切り崩し続けているだけだ。いずれそれらが陳腐化した時に、途方に暮れることになるだろう。それよりも、愉快な仲間たちと仕事をして様々な知見を得られる方が有意義だろう。

FAL Labs

ということで、個人事業を始める時から、折を見て企業へ就職することは念頭に置いていた。一方で、Kyotoシリーズへの自己投資を回収したいという気持ちも強い。そこで、自分ではサポート業務をしないでも収益化できるようにするように計らうことにした。それもあって、KyotoシリーズはBSDL風ライセンスではなく、GPLを採用しているのだ。いったんBSDLで出してしまうと商用ライセンスでの収益化はできなくなる。その代わりサポートで食っていくというモデルはやりやすくなり、その方が多分儲かる。しかし、俺自身はサポートに工数を割きたくないのだ。たとえ収益は少なくても、GPLとのデュアルライセンスで商用ライセンスを売れる余地を残しておきたい。

就職すると自分で営業活動を行う時間はなくなるし、副業禁止規程に抵触する可能性もある。実際は「競合する事業に携わってはならない」という条件であることが多いので、DBMのライセンス販売だけを行うなら問題ないだろうが、グレーゾーンではある。そうでなくても「二足の草鞋」は破綻が目に見えているので、きちんと線引きをしておきたい。今ここで、俺自身からKyotoシリーズを手放れさせておいた方がいい。

Kyoto Tycoonにレプリケーション機能を実装し、主要機能をプラガブルにしたことで、Kyotoシリーズの主目標は達成している。「最も単純なインターフェイスでプラガブルなストレージ層およびネットワーク層を操作し、誰でも自分独自のデータベースを作れる」ようにするために、プロセス埋め込みのDBMであるKyoto Cabinetと、そのネットワークインターフェイスであるKyoto TycoonをOSS製品として世に出したのだ。アプリケーションや周辺ツールを作り始めるとキリがないが、それらは俺でなくても作れるようにAPIを整備してある。今がちょうど区切りだと思っている。

既に、Kyotoシリーズの著作権者は全てFAL Labs(「ふぁるらぼ」と読む)という屋号に書き換えてある。近いうちに妻に「FAL Labs株式会社」を作ってもらって、そこに正式に権利を寄贈する予定だ。ライセンス発行や関連する業務は全て妻に任せる。俺はコミュニティの一員として助言をしたり余暇にパッチを書いて寄贈することはあるかもしれないが、事業はあくまでFAL Labsが行う。俺が就職して一定の収入を得られれば、Kyotoシリーズの商用ライセンス料は「お小遣い価格」に設定して気軽に売れるだろう。

念のため強調しておくと、商用ライセンスができてもKyotoシリーズがOSSでありフリーソフトウェアであることは変わりなく、GPLに基づく利用許諾は引き続き有効である。Webサービスの内部で使う分には商用ライセンスは必要ない。GPLのコピーレフト要件を満たすライセンスのOSS製品とKyotoシリーズをリンクさせて配布する場合にも商用ライセンスは必要ない。一方で、Kyotoシリーズとリンクしたプロプライエタリな製品を配布する場合には、商用ライセンスの締結が必要になる。そんなわけで、Kyotoシリーズのライセンス販売はFAL Labsが今後も続けていくので、よろしくお願い申し上げます。

まとめ

OSS開発では食っていけないので、就職することにした。どうせ就職するなら、事業と技術基盤と企業文化が面白そうなところがいい。そんなこんなで進路を模索していたところ、Google社に拾ってもらえた。非常に多くのことを学べるところだろうし、学ばねばついていけないところだろうから、ドキドキである。楽しんでやっていこうと思う。大事なのは、どこに居るかでなく、そこで何をやるかだよね。

Kyotoシリーズに関しては、当初の計画通り全ての権利を妻の会社に寄贈して、その会社に事業を行ってもらう。OSSビジネスだけで食っていくのも素敵だと思うが、現実的な選択として、事業を移管して俺自身は就職するというのは最善だと思う。趣味としてのOSS開発は今後も続けていくだろう。

本件に関して相談に乗ってくれた方々や、私の進路や事業に関してお声がけくださった方々にこの場にてお礼を申し上げます。そして、ニート道を邁進する俺を根気強く支えてくれた家族に感謝したい。どうもありがとう!

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